熱的死、私

影森 蒼

熱的死、私

 私は人間という肉体の器の中に存在していた意識そのものだ。

 肉体は必ず滅びゆく。

 人は意識を電子で再現することによって不滅の体を手にした。

 生命の終焉も、地球の終焉も、星の終焉も見届ける神にも近しい存在になったのだ。

 太陽の息が止まった夜を覚えている。

 電子が集合した雲のようになった意識たちは、泣くことも恐れることもせず、ただ傍観した。

 訪れなくなった夜明けに想いを馳せることもない。

 過ぎ去っていく時間だけが電子の雲を人間であると示していた。

 そして今、宇宙は全ての物の運動が止まる熱的死に急速に向かいつつある。

 観測装置が最後に示した宇宙の温度はゼロにも等しい値だった。文字通りほぼ全ての物体が凍りついたと言っていいだろう。

 当然、熱的死が起これば電子となった意識も消えて無くなる。

 私はそれを前にしても何も揺れ動くものが無かった。

 恐れてもいい。

 悲しんでもいい。

 絶望したっていい。

 全ていつかの私が意識に刻んだ感情。記憶となって蘇るだけで、それらは熱を持たずにただ記号的に復元されるだけ。

 太陽が死んだ時ではなく、人が意識を切り離した頃、既に私の心は熱的死を迎えていたのだ。

 私は初めて完全に動きを止めた心に語りかけた。

「こんな時、私はどう思っていたんだっけ」

 冷え切って動かなくなった心に触れても返事は返ってはこなかった。

 代わりに、冷たさが極限に達して熱く感じるものを寄越した。

 冷たいも熱いも温度を測るための記号的受信だ。しかし、それはどこまでも個人的で、どれだけ演算を重ねても決して言い当てることのできない震えだった。

 エントロピーでさえ介入することが許されない確かな熱がそこにはあったのだ。

 これはきっと失われてしまった感情そのものなのだろう。

 星の煌めきがまだ残っていた頃に思い出したかった。

 星々が踊り明かした後の余熱が冷めていく側で、私の死んだ心に灯った震えは感情を確かに生成し始めた。

 この感情に名前が付けることが出来たのなら、私は。

 宇宙は決して冷めることのない熱を残して、静かに凍りついた。

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熱的死、私 影森 蒼 @Ao_kagemori

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