第2話 私の日常

「あ、ああああああーーーーッ!」


 自分の叫び声と一緒に、私は跳ね起きた。

 息がうまく吸えなくて、胸がぎゅうっと縮む。

 視界が汗で滲んで、心臓がばくばく暴れている。


「はぁ……はぁ……生きてる……」


 ……最悪だ。

 またあの夢だ。


 真夏の夜だからエアコンはつけっぱなしなのに、

 シーツは汗でびっしょり。

 脂汗ってこういうのを言うんだと思うくらい、首筋までじっとりしている。


 スマホの画面が顔の横で光っていた。

 無意識に握りしめて寝ていたらしい。


 時間を見る前に通知が目に飛び込む。


【速報:十代女子の失踪 今月五件目】

【警察「関連性は低い」】


「……いや、低いわけないでしょ……」


 寝起きだから思ったことが全部口に出てしまう。

 誰も聞いてないけど恥ずかしい。


 とりあえず深呼吸して、夢の残像を振り払う。

 街が溶けていく映像がまぶたの裏に焼きついていて、

 気を抜くとまた泣きそうになる。


「よし、切り替え……切り替え!! いつもの真弓さんに戻るのです……!」


 勢いよく立ち上がってみたけど、足元がちょっとふらっとした。

 エアコンの冷気が肌に当たっただけで、汗がぞわっと冷える。


 洗面所で顔を洗いながら、小声で文句を言う。


「夢の中くらい平和にさせてよー……期末終わったばっかなんだし……」


 鏡に映った自分は目の下にうっすらクマ。

 でもメイクでごまかせばいける。

 女子高生に必要なのは根性です。


 歯磨きをしながらスマホを覗くと、

 友達からのグループチャットが騒がしい。


【また失踪?】

【うちの区なんだけど】

【やばくない?】

【塾帰り無理】


「そりゃみんな騒ぐよね……」


 その少し下に、変な通知が紛れ込んでいた。


【にくゑさま:あなたの近くで"目撃情報"があります】


「……は?」


 一瞬で目が覚めた。


 『にくゑさま』

 最近流行ってる、怪談系のアプリ。

 投稿怪談サイトなんだけど、他のアプリとは違う特徴がひとつ。

 それは、近くで起きた不思議な出来事を通知してくれる、みたいなコンセプト。


 後輩の千晶ちゃんに勧められて入れたけど、正直、ただの娯楽だと思ってる。

 でも確認しようとした時には、通知はぱっと消えてしまう。


「え、こわ……バグ?」


 怖いからスルーしたいのに、心だけ勝手にざわついた。


 夢で見た溶ける街と、

 ニュースの失踪者と、

 さっきの不可解な通知。

 全部が一本の線になるみたいで嫌だ。

 でも、私は両頬をぺちんと叩く。


「ふあぁ……また変な夢見ちゃった……」


 思わずあくびを噛みしめながら、リビングに降りると不意にテレビの音量が上がった。


「――東京都内でまた十代女性の失踪が確認され……」


「ひゃっ!?」


 トーストかじってた手がぶるっと揺れて、危うくジャムが床に落ちるとこだった。

 母が苦笑しながら振り返る。


「真弓、そんなにビビらなくても……」


「いやいや、だって最近多すぎない!? こわっ!」


 ニュースキャスターの顔が明らかに引きつっている。

 “連続失踪事件”なんて言い方してるけど、絶対なんか隠してるでしょこれ。


「警察は関連性を否定していますが――」


「否定してるときはだいたい肯定だよね……」


「え?」


「なんでもないです」


 ひとりで変な独り言が増えてしまうのは、ここ最近、眠りが浅いせいだ。

 夢のせい。

 毎晩のように見る、あの……なんかドロドロした世界。


 でも朝ご飯はちゃんと食べる。

 女子高生はエネルギーが命である。

 ジャムついたトーストをもぐもぐしながら、リュックを背負った。


「いってきまーす!」


「はいはい、気をつけてね。寝不足なら無理しないでよー」


「はーい!」


 外に出た瞬間、蒸し暑い風がぶわっと顔にまとわりつく。

 七月の朝って、既に完全な真夏だ!


 期末試験が終わったせいか、駅へ向かう足取りもちょっとだけ浮いてしまう。

 ……いや、ほんとは眠いだけなんだけど。


「うわっ……ホント夏じゃん……」


 池袋の朝は、いつも騒がしい。

 家から大通りに出た瞬間から雑踏に飲まれて、サンシャイン通りを抜けて、学校へ向かう。



 夏の空気が頬を撫でる。

 暑いけど、嫌いじゃない。

 

 ――何年か前、私は死にかけた。

 原因不明の病気で、本当に危なかった。


 担当してくれた先生が何度も診てくれて、父親の故郷まで連れて行ってもらって何ヶ月も療養生活を送って回復したんだ。

 私の名字と同じ名前の村。虚木村。

 村での暮らしは、ちょっと大正時代のサナトリウム生活みたい、とか思っていたのは内緒だ。


 ――あの時から決めてる。

 毎日を、全力で楽しもうって。

 

 だから私は、夏が好きだ。

 騒がしい街も、うるさい友達も、

 全部ひっくるめて、好きだ。

 

 スマホが震えた。

 通知を見ると、サヤカからのLINE。


【サヤカ:今日も先生のBL史実講座あるかなwww】


 私は笑って返信した。


【真弓:絶対あるよ。賭けてもいい】

 

 立教通りを曲がると、校舎が見えてくる。

 赤レンガの、綺麗な校舎。

 今日も、普通の一日が始まる。

 

 ――そのはずだった。



 昇降口の冷気に触れた瞬間、私は心の底からつぶやいた。


「文明……ありがとう……!」


 さっきまでの蒸し暑さが嘘みたいに消えていく。

 そこへ後ろからショートカットのサヤカが肩を軽く叩いた。


「真弓、朝からテンション高いじゃん」


「汗で死ぬかと思ったです……」


「語尾どうしたの、真弓かわいいけど」


「ち、違うの……寝起きでテンションおかしいだけ……!」


 サヤカはくすくす笑いながら、靴箱を閉める。


「でもさ、数学今日返ってくるよね?」


「やめてサヤカ……今それ言うの精神攻撃だから……」


 二人でわたわたしながら教室前に着くと、

 廊下からでもざわざわしている空気が伝わってきた。


 教室の中。

 クラスメイトが全員スマホを見せ合ってる。


「また行方不明じゃん」

「こわ……近くない?」

「夜道歩けん」


 あ〜〜〜、やっぱり朝の通知、みんな反応してるやつだ。


 席につくと、サヤカが身を寄せてきた。


「真弓、見た? ニュース」


「見たよ……五件目だって……怖……」


「うちの駅のほうにパトカー来てたって」


「ちょ、やめてやめて!? ガチ怖やめて!!」


「だから真弓ホラー読めるくせにリアルだと無理なの可愛いんだって」


「読むのは平気なの! 実際に起きるのが無理なの!!」


 サヤカが大笑いしたその時――

 ガラッ、と扉が開いた。


「はーい皆さん、おはようございまーす」


 柳田はるか先生。

 髪はふんわり、顔は優しげ、声は柔らかい。

 だけど――

 中身は全力で歴史オタク兼腐女子。


 先生の目に、妙な光が宿った。


「えー……朝から失踪事件の話題で持ちきりですけどね? 実はこういう出来事、歴史的にも非常に興味深くてですね……!」


 男子たち、絶望のため息。


「また始まった……!」


「頼むから朝から腐らないで……!」


 先生は続ける。むしろノッてくる。


「古代から娘が突然姿を消すという神隠しの記録は多いのですが、特に室町の書状に、若武者二人が協力して原因を追ったという資料があってですね……!」


 女子数名が椅子から前のめりになる。


「先生それ続き聞きたい!」

「その二人ってあの……!」


 先生は、口元に手を当てて突然声をひそめた。


「……これ、もうほぼ史実のBLなんですよね……!」


「ぎゃああああ!」

「きたああああ!」


 一部の男女が嬌声を上げる。女は解るにしても男はどうなんだろ?

 うちのクラスそんなに腐男子多かったっけ? それとも先生に毒された?

 サヤカは机を小突いて爆笑している。

 うん、まぁ気持ちはよくわかるけど。


「ああ、先生、ほんと……好き……」


 その声が聞こえたのか、先生はえへへ……、と照れ笑いしながら続ける。


「と、とにかくですねっ!最近の失踪事件も、安易に超常現象だとか騒がず、落ち着いて行動するように!」


 朝から振り幅の激しい先生に、私は小声でサヤカへ。


「……ねえ、先生の話の方が超常じゃない?」


「うん。そこが好き」


 私は苦笑いしながらスマホを机に伏せた。

 通知画面には、まだ残像みたいにあれが焼きついている。


【にくゑさま:あなたの近くで“目撃情報”があります】


 アプリのただの通知。

 そのはずなのに、胸が僅かにざわっとした。


 だって今朝も夢の中で――

 私は世界の終わりみたいなものを見た。

 街が溶けて、人が境界を失って、すべてが融合していく光景を。


 そして、失踪事件の噂は

 クラスの空気をじわじわと侵していく。


 そんな中で先生がのんきにBL史実を語っている、

 このギャップが逆に怖い。

 いやいや、気にしすぎは良くない。私は頭を一つ振り、わざと明るい声でサヤカに話しかける。


「はぁ〜〜〜、夏休み近いのになぁ……やな時期にやなニュース多すぎ……」


「まあね。でも夏休みは絶対楽しくしよ。部活も」


「文芸部の夏って何するの……?」


「怪談会」


「やめてえええええ!!」


 そのやりとりに教室が少し笑った。

 ほんの少しだけ、普通の夏が戻ってきた気がした。


 ――でも、


 胸の奥のざわつきは、まだ消えていない。

 何なんだろう、この気持ちは。

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