第3話 放課後の一幕

 六時間目が終わって部室に入ると、

 いつもの紙とインクの匂いがふわっと鼻をくすぐった。


「ふぅ……ここだけ時代が昭和なんだよなぁ……」


 文芸部は文化部の中でも特に静かだ。

 机には校内誌の原稿用紙が広げられていて、

 コピックやお気に入りのペンが散らかっている。


「真弓、おつかれー。今日の夢小説、進んでる?」


 先に来ていたサヤカが、赤いボールペンを振りながら声をかけてきた。


「夢小説じゃないの! オリジナルねオリジナル!」


「夢で世界溶けてるじゃん」


「そ、それは……!」


「はい図星」


 サヤカは勝ち誇った顔で笑う。

 私は座って、今日回収したプリントを机に置いた。


「サヤカの原稿は? 見せてよ」


「見せない。恥ずかしいから」


「えー! 私だって見せてるのに!」


「真弓のは面白いからいいの。私のは黒歴史製造機だから」


「そんなことないってー!」


 机の向こうでは、後輩の千晶が表紙デザインを描いている。


「センパーイ、このタイトルトーンどうですかー?」


「見せて見せて!」


 私とサヤカが千晶の机に群がる。

 画用紙に描かれた繊細なタイトルロゴ。


「うわ、めっちゃ綺麗……!」


「千晶ちゃん天才じゃん……」


「えへへ……褒められると伸びるタイプなので……!」


「よし、じゃあもっと褒める。天才。神。最高」


「わーい!」


 千晶が嬉しそうに笑う。

 サヤカが横からツッコむ。


「真弓、語彙力どこいった」


「褒めるのに語彙力は要らないの! 気持ちなの!」


「その理論はずるい」


 こういうゆるい空気が好きだった。

 ここだけは、ニュースのざわつきとか、

 あの夢の残滓とか、全部忘れられる気がして。


「あ、そうだ! 夏の怪談会どうする?」


 サヤカが突然話題を振った。


「やめてえええええ!!」


「真弓の拒否反応、毎回最高」


「だって怖いの無理なんだって!」


「ホラー小説書くくせに?」


「書くのと聞くのは別なの!!」


 千晶がくすくす笑いながら言った。


「でも真弓センパイの書く怪談、めっちゃ怖いですよね」


「そうそう。だから本人が一番ビビるっていう」


「や、やめてよもう……!」


 三人で笑っていると――


 ――その時だった。


「やあ、みんな元気そうだね」


「あ、久我さーん!」


 部室の扉が軽く開き、明らかに学生ではない男が入ってきた。

 文芸部OBの久我樹さん。

 細身の長身、取材ノートを片手、ちょっと胡散臭いくさい雰囲気がいかもにらしい感じだ。

 何がらしいって、久我さんはオカルト専門のルポライターをしている人なのだ。

 

 高校は違っていて、大学の方の文芸部なのだけれどこうして時々私たちの様子を見に来てくれている。有り体に言って文章で身を立てている私たちの憧れの人だ。


「差し入れ。コーヒー買ってきたよ」


「わーい! 神!」


 千晶が真っ先に駆け寄る。


「久我さん、いつもありがとうございます!」


「いやいや、部活頑張ってる後輩への投資だから」


 久我さんは笑いながら、缶コーヒーを配り始めた。

 サヤカのところに微糖、千晶にはカフェオレ。

 私のところには――


「真弓さんは微糖でいいよね?」


「あ、はい! ありがとうございます!」


「ちゃんと覚えてくれてるんですね!」


 千晶が嬉しそうに言うと、久我さんは照れたように笑った。


「まあ、取材でも人の好みは覚えるようにしてるからね。ライターの基本だよ」


「かっこいい……!」


「いやいや、そんな大したもんじゃないって」


 久我さんは謙遜しながら、部室の椅子に座った。


「それより、部誌の進捗どう? 締め切り近いんじゃない?」


「うっ……そうなんですよ……」


 サヤカが頭を抱える。


「私まだ半分しか書けてなくて……」


「真弓さんは?」


「え、あ、私は……一応書き上げたんですけど……」


「すごいじゃん! さすが真弓さん」


 久我さんが笑う。

 その笑顔が、なんだかやけに眩しく見えた。やっぱりちょっと憧れちゃうよね。彼女とかいるのかな?


 と、そのかんばせに視線を注いでいると、久我さんが不意に笑みを浮かべ言った。


「最近さ、また変な夢見るんじゃなかった? 大丈夫?」


「っ……!」


 私の手から缶が落ちそうになる。


「え、なんで……」


「前に言ってたじゃん。溶ける街の夢、ずっと見るって」


 ――え。

 言ったっけ?

 私、久我さんにそんなこと話したかな……?


 記憶を探るけど、思い出せない。

 でも久我さんはそう言ってる。

 だったら、きっと言ったんだろう。


「ほら、ああいうのって続くとしんどいよ?」


 優しい声。

 気遣うような目。

 その一言が、何より強く胸に刺さる。


「だ、大丈夫ですよ……ただの夢なんで……」


「そうならいいけどね。ほら、飲んで落ち着きなよ」


 私は言われるままタブを開けて、一口飲んだ。

 ……コーヒーの味が、なんだか深すぎる。

 製法が変わったのかな?


 うん、多分気のせい、だよね。



 久我さんが帰った後、

 千晶ちゃんがスマホを突きつけてきた。


「センパーイ、これ知ってます?」


【にくゑさま】

 怪談投稿アプリ

 口コミ爆発中


「……私も入れたじゃない、千晶ちゃんのお薦めで! イヤだったけど!! 怖いんだけど!!」


「えへへ、でしたね! でも今めっちゃハマってるんですよ! 久我さんの投稿、マジ怖い!」


「久我さんの?」


「"奇妙な掟の村"って怪談。文章キレッキレで内容怖すぎて逆に笑えるやつ。なんか取材で集めた怪談らしいです」


 私はスマホを覗き込む。

 久我さんの名前が人気投稿者の欄にあった。


(……え、すご)


「センパイも読んでみてくださいよ! 怪談だけどオチが不思議なやつ多くて」


「いや、でも……怖いのはちょっと……」


「ホラー書くくせにー」


「書くのと読むのは別なのー!」


 千晶ちゃんは嬉しそうにスマホを見つめている。

 完全にハマってる顔だ。


(千晶ちゃん、怪談好きだったよね……人は見かけによらない)


「でも久我さんって、文芸部によく顔出すよね。OBってのともちょっと違うのに」


 私が言うとサヤカがどや顔で囁いてきた。


「実は久我さん、柳田先生と付き合ってるからだって」


「ええっ、マジで!?」


「らしいよ。二人でよく放課後話してるの見たって」


 恋人に会いに来るついでに、ここに顔を出してたのか。

 うん、なら、納得できるかも!


 ――その時。

 スマホが勝手に震えた。


【にくゑさま:あなたの近くで"目撃情報"があります】


「っ……!」


「真弓センパイ? どうしたんですか?」


「い、いや……何でもない……」


 怖い。

 怖いけど、言えない。

 ただのアプリの通知かもしれないし、

 夢のせいで神経質になってるだけかもしれないし。


 千晶ちゃんは、また楽しそうにスマホを見ている。


(……大丈夫、だよね……)


 うん、今日は早く帰ろう。

 私は皆に軽く挨拶して、一人部室を後にしたのだった。

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