第2話 ソ連の研究室(前編)

五年後、サンフランシスコ港




「くっそ、めんどくせぇ……なんでこんなに混んでんだよ、ここ」


 朝から人でごった返す船着き場で、ディーンは人の波に押されながら、そうボヤいた。さっきから頑張って進もうとしているのに、人に阻まれて全く進む事ができない。


「日本・横浜港行きの船は、まもなく出港いたします」


 その時、頭上のスピーカーからそうアナウンスが響いた。


「やっべ、急げ!」


 ディーンはそう焦る。この日のために何年も準備してきたのだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。


 ディーンは乗船ゲートへ向かって、人混みを強引にかき分けながら駆け出した。


「すみませーん! 乗ります!」


 ギリギリセーフ。ディーンは桟橋のフラップが上がる直前に、船内に滑り込むことができた。しかし、


「あ、お客さん! ちょっと、チケット!」


 後ろからそう声が聞こえた。焦っているあまり、ディーンはチケットを渡すのを忘れてしまっていたのだ。しかも、フラップはもう上がってしまっており、今から引き返すことはできない。しかし、ディーンは特に焦ることもなく、軽く「あ、やっべ」と呟いただけだった。

 ディーンは、ポケットに手を突っ込み、チケットを取り出す。そして、チケットの半券をちぎると、


「ほい、よろしく!」


 取り出したチケットの半券を、勢いよく職員へ向けて投げた。


 しかし、半券は風に煽られ、桟橋の外側へふらふらと飛んでいく。


「お客さ……それじゃチケットが海に落ちる――」


 ――はずだった。


 その瞬間、明らかに不自然な風が吹いた。その風にのせられ、チケットの半券はふわりと舞い上がったかと思うと、職員のポケットへとするりと入り込んだ。


「……え?」


 あまりの奇跡に、職員は驚きを隠せない。


「それじゃ、頼むわ!」


 ディーンは振り返りもせず、そのまま船内へ消えた。

 桟橋に残された職員はしばらく固まっていたが、やがて苦笑して肩をすくめた。


「……不思議なこともあるもんだなぁ」


 職員はそう呟くと、いつもの仕事へと戻っていった。






 

 ディーンは狭い船の廊下を歩いている。そして、「デッキ」と書かれた扉の前で立ち止まると、ドアノブに手をかけた。

 ゆっくりとドアを開けると同時に、海の匂いが流れてくる。ディーンはそのままデッキの手すりまで歩くと、それにもたれ掛かった。

 カモメたちの声を聞きながら、ジャケットのポケットから小さく畳まれた新聞を取り出す。そして、それを広げて顔の前にもってきた。


「ソ連、デビル《魔法持ち》の子供を研究か。アメリカとの関係に大きく亀裂...」


 その見出しは、ここ数週間何回も見た内容だ。一ヶ月ほど前にソ連から亡命した兵士によってもたらされたこの情報は、アメリカ国民と政府に大きな動揺をもたらした。


「兄ちゃん、日本に行くのか?珍しいな」


 新聞を読んでいると、知らない、くたびれた背広を着た男に声をかけられた。


「ああ。目的地はそこじゃないけれどな。日本からしか行けねえんだ」


 ディーンは新聞から目を上げると、男の方を向いてそう答えた。


「すると、ソ連のほうか?アメリカからは直行便が出てないところだ」


 男は、ディーンと同じように手すりによりかかりながら、そう聞いた。


「まあ、そんなところだ。どうしても行かなくちゃならない用事ができたんだ。

本当はあんまり行きたくないんだけれどな」


 ディーンは少し声を落としながらそう答える。この船の中でソ連の話なんかしたら、スパイかなにかと間違われるかもしれない。なのに、何でもないようにソ連のことを話す男に、ディーンは少し疑いの目を向けた。

 ディーンの視線に気づいたのか、男は少し笑いながら言った。


「そんな怪しがらなくてもいいぞ。単純に妻の実家がソ連のキエフ生まれってだけだ。そんで実家帰りの途中ってなわけだ」

「ということは、奥さんはソ連の生まれってことか?大変だな。人の目も気になるだろ」


 ディーンは疑ったことを少し反省しながら、男に聞いた。


「まあな。でも近所の人が理解のある人が多くてな。あまり詮索する人もいなかったし。割と暮らしやすかったよ」


「そうか、それなら良かったな」


 海から風が吹き上がって来て、ディーンの金色の髪をなびかす。

 しばらく2人は海を見ながら黙っていたが、ディーンはふと思いついたかのように言った。


「そうだ。少しロシア語で書いてほしいものがあるんだ。奥さん、ソ連の人だって言ってたし、かけるだろ?」

「ああ。あんまり難しい言葉じゃなかったら書けるぞ」


 男はそう断りながらも、快くそれを引き受けてくれた。


「じゃあさ、この新聞に書いてくれ」


 そう言って、ディーンはもっていた新聞を男に差し出した。そして、ポケットからペンを取り出すと、それも男に渡す。


「オーケー...なんて書けばいいんだ?」


 男は受け取った新聞を整えながら、そう聞いた。


「そうだな...”俺はお前たちの知りたいことを知っている”とでもしておこうかな」


 ディーンは少し考えたあと、そう言った。


「面白いことを書かせるんだな。まあ、深堀りはしないけどよ」


 男はそう言いながら、新聞にペンを走らす。


「よし、できたぞ。何に使うかわからんが、うまくいくといいな」

「サンキュ。そっちもな」


 男の差し出す新聞を手に取りながら、ディーンはそうお礼をした。

 

「おっと、妻が来たようだ。それじゃあな」


 男はそう言うと、手を軽く挙げ、ポケットに手を突っ込みながら扉へと向かっていった。扉の奥には、奥さんらしき女性が立っている。


「書いてくれてありがとなー」


 ディーンのがそう言うと、男は少しこちらを振り返り、そして扉の奥へと消えてい行った。





「ここが日本か...思ったより大きな建物があるんだな」


 ディーンは桟橋から降りながら、そう言った。そして周りを見渡す。ディーンが生まれる前の戦争で、日本は焼け野原になってしまったと聞いていたが、建物はたくさんあるし、チラホラと西洋風の洋館も見える。何より人が多く、ディーンのいたスラム街とは比べ物にならないほど、活気があった。


「とりあえずソ連行きの船を探さなきゃな」


 桟橋を見てみると、様々な国の名前が書いてある。ディーンは日本語を読むことはできないが、英語でも書いてあるので親切だ。


「あったあった。あの船か」


 その船は貨物船でソ連との貿易に使われているようだった。


「さて、どうするか。お金は日本に来る船で使い切っちゃったし...いつも通り忍び込んでやり過ごすか」


 そう言うと、ディーンは人目がないことを確認すると、足に少し力を込めた。


トンッ


 そう小さく音がした次の瞬間、ディーンは空中に浮かび上がっていた。いや、驚異的なジャンプ力で飛び上がったと言ったほうが正確か。

 ディーンはきれいな放物線を描きながら、貨物船のデッキに着地した。


「よっし。侵入成功!」


 ディーンは小さくガッツポーズをする。


「んじゃあとは適当なコンテナに隠れて、ソ連につくまでやり過ごしますか」


 ディーンはそう言うと、コンテナの隙間に消えていった。



 

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