第19話 黄金の瞳、静かに迫る
王都レグナスの夜は、何も知らない人間たちにとっては穏やかだ。
だが裏の世界は静かに、しかし、確かにざわつき始めていた。
◆
黒の巣では、黒アレス(黒の悪魔)が珍しく落ち着かない動きを見せていた。
「セリア〜。今日はね〜、夜の仕事はいったん中止〜♪」
「……え……?」
セリアが小さく目を見開く。
「狙われてるのに〜外歩くのは危ないでしょ〜? ちょっとね〜、罠張ったり〜、偵察したり〜……色々あるんだよ〜」
黒アレスは冗談めかして笑うが、瞳だけは笑っていなかった。
「セリア。今日は絶対にここから出ちゃダメだよ〜? “俺が迎えに来るまで”ね〜?」
「……はい。黒さま……」
黒アレスに言われると、胸がぎゅっと熱くなる。
心配されている。
守ってくれようとしている。
(……黒さま……わたしのために……)
その幸福は確かに存在する。
しかし──胸の奥のざわつきは消えなかった。
◆
黒アレスが外に出ていくと、黒の巣に静けさが戻った。
恐怖に駆られたセリアには、灯りの揺れすら、どこか不気味に感じられる。
(……こわい……けど……黒さまが戻るまで、ここに……)
セリアは両腕を抱き、黒アレスの魔力の残滓を感じることで心を落ち着けようとする。 黒マントの布が、かすかに震える指を隠した。
その時だった。
ふ、と。
空気の揺らぎが、井戸の天井の方から落ちてきた。
(……気配……?)
違う。
“気配がなさすぎる”のだ。
黒アレスの影すら、セリアにとっては、もっと暖かい。
これは──底冷えする無音。
◆
井戸の上。
石縁に、黒い革靴がそっと触れる。
かすかな摩擦音。
だがその足音には、魔術による“消音”がかかっているため、普通の耳では拾えない。
リンドがそこにいた。
「ここが……黒の悪魔の巣、ですか」
降りる気配すら見せず、暗がりに立っている。
「なるほど。……意外と居心地が良さそうですね」
金色の瞳だけが、井戸の底――セリアの居場所を正確に捉えていた。
(……いますね。セリアさん。)
リンドは静かに口角を上げた。
◆
その気配が、ほんの少しだけ漏れたのだろう。
黒の巣の奥で、セリアが震えた。
(……寒い……誰か……いる……?)
黒アレスではない。
気配を察知しているのではない。雰囲気が、空気が、ただ気持ち悪い。
「……黒さま……黒さま……帰ってきて……早く……」
声はかすれていた。
いつものセリアなら言えない言葉だった。
黒アレスが“迎えに来るまで絶対に動くな”と言ったから、動けない。
でも──何もしてなくても重苦しい。
◆
井戸の上で、リンドはセリアの怯えを確かに感じ取った。
「いい反応ですね。
やはり“黒の悪魔の隣”に置かれるだけはあります」
薄く笑う。
「……さて。そろそろ“試験”を始めましょうか」
リンドの指先が、空気を撫でる。
影が、静かに地面へと落ちていく。
黒の巣へ伸びていく一筋の“細い闇”。
「あなたがどれほど黒の悪魔に依存しているのか……
そして、どれほど脆いのか」
声は風音に紛れ、どこにも届かない。
「少し、遊んで差し上げましょう」
影が井戸の内壁をすべり落ちていく。
セリアの足元へ、音もなく。
◆
ちょうどその瞬間──外で何かが走る気配がした。
黒アレスだ。
リンドは気配を完全に消し、屋根の影へと戻った。
「……今はまだ、いいでしょう。
黒の悪魔さんの前で引きずり出すのは、もう少し先で」
そう言い残し、リンドは闇に溶けた。
◆
黒アレスが黒の巣に戻ると、セリアは震えながらマントを握りしめていた。
「セリア〜? どうしたの〜? そんなに顔真っ青で〜」
「……黒さま……誰か……いた……。何かが、わたしの近くまで……」
黒アレスから笑顔が消えた。周囲の空気が、鋭く、冷たく、殺気に満ちていく。
セリアが感じ取れるほど深い殺意が漏れ出てしまっていた。
「そっかぁ……そこまで来ちゃったか〜」
黒アレスはセリアの震える肩を抱き寄せた。
「……黒さま……」
「大丈夫だからね〜?」
その声は優しい。
だが瞳の奥には──
「殺す」
そう書いてあった。
◆
黒アレスの腕の中で、セリアはかすかに呼吸を整えながら、震える声で言った。
「……黒さま……わたし……
どこにも……行きたくない……黒さまの隣に……いたい……」
黒アレスは微笑む。
「うんうん〜♪ セリアは俺の隣にいていいんだよ〜?」
その瞬間。
セリアは少しだけ安心した。
だがリンドはもう、すぐそこに迫っている──
最強勇者。のち、黒の悪魔。所により白の騎士。 にしあふ @satoru-AK
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