第18話 火付の探索

 大火事から一ケ月が経過して、そこかしこに新たな普請が立ち上がり、賑やかな槌音(つちおと)を響かせているというのに、そこだけは火事の爪痕が生々しく残されていた。


 まるで見せしめのようだ。


 他に、普請の始まっていない場所も有るには有るが、焦げた廃材や、焼けた家具は綺麗に片付けられているのに、その場所だけは真っ黒な柱や梁の骨組が残されており、足元には灰になった家具や家財道具が山と積まれている。


 中には、仏像と思われる残骸まで灰の山から顔を覗かせていた。


 急こうばいの行人坂を登って来ると、徐々にその全容が明らかになって、登りきった所で唖然と立ち尽くしてしまう。


 そこだけが、色のない水墨画の世界だ。


 私が、立ち止まってその光景を眺めていると、隣に立った火付盗賊改方与力の矢部が「出火の原因はどうあれ、火元となれば再建どころか、片付けさえも許されません」と説明してくれる。


「大円寺の方々はどうされているのですか?」


 私が訊ねると、矢部は感情の読めない目を私に向けてきた。


「僧侶はお頭の役宅に、寺男は小伝馬町牢屋敷に留め置かれ、それぞれにお調べを受けております」


 お調べとは名ばかりの、きつい責問(せきどい、拷問)を受けているに違いない。


 私の問い掛けに対して、矢部が思い出したように話を蒸し返してきた。


「白川殿。先日、お頭の役宅でおっしゃっていた話は誠でしょうね?」


 私は、火付盗賊改方頭の長谷川宣雄に呼び出された折の事を思い出していた。


 三好、樋口、私の三人が長谷川の用部屋で待っていると、与力の矢部を引き連れた長谷川が現れた。


 小柄で神経質そうな老人だ。


 厳しい侍を率いる火付盗賊改方の頭だと聞いていたから、壮年の大柄な男を想像していたのに、実際は白髪頭の老人だった。


「あんたが白川さんかい?」


 私は、町人のような砕けた口調に驚いて顔を上げた。


 三好と樋口とは顔見知りなのか、最初から私だけを射抜くような鋭い目で見詰めてくる。


「俺は、最初から加役だけで探索を進めるつもりだったが、北のお奉行さんが余計な差し出口を挟んできて、お前さんを使えって煩いんだよ。

しかも、ご丁寧に田沼様にまで、お前さんを推挙しておきましたって、点数稼ぎのご注進をしたお陰で、使わない訳にもいかなくなっちまった。

お前さん、田沼様と昵懇なんだってな」


 私は、早口で捲し立てられた言葉に首を振る。


「いえ。昵懇なのは私の父親です。

私は、お会いしたこともありません」


 長谷川は軽く頷きながら、「そうかい」と呟いて、「俺も田沼様とは仲が良いんだ。同じ歳だからか妙に気が合うんだよ」と聞いてもいない事を口にする。


「だから、北のお奉行さんは妬いてるんだよ。

あっ、男色って意味じゃねえよ」


 この言葉に、三好と樋口はあからさまに渋い表情を浮かべている。


 私が、笑いもせずに黙っていると、咳払いをした長谷川が拗ねたように、「かてえな…」と呟いてから、「お前さんに頼みたいことが有るだ」と更に捲し立ててきた。


 私が、「何でしょうか?」と訊ねると、詳しい事情を説明してくれる。


「今回の大火事の火元は、色々な人間に聞いて回って何とか特定することが出来たんだ。

目黒の大円寺って寺を知ってるかい?」


 私が首を振ると、気にした風もなく話を続ける。


「そっか。あんたは都の人間だったな。

その寺が火元だってことで、関係する人間を全部しょっぴいて、今は、お調べの最中なんだが、その関係者一人一人に雨祓いを仕掛けて欲しいんだよ。

いくら俺っちが、坊主までしょっぴける権限を持ってるからって、坊主を責問(せきどい)に掛けるのはいくら何でも後生が悪いや。

そこで、お前さんに協力して欲しいんだよ」


 私は、頭を下げながら「お断りします」と即答した。


 一瞬で、その場の空気が冷たい氷のように張り詰める。


 矢部が、私ではなく三好を強く睨み付けているが、三好は柳に風と軽く受け流していた。


 長谷川が怒りを堪えるように、天井を見上げながら「断る理由を教えてくれるかい?」と聞いてきたので正直に答える。


「私は医者です。

治療が必要な患者に治療を施すことはあっても、治療を必要としない患者に治療を施すことはありません。

それに、治療で邪気を抜いているといっても、増え過ぎた邪気を抜くのであって、全ての邪気を抜いてしまう訳ではないのです」


 すると、私の言葉に興味を持ったのか、長谷川が少し身を乗り出して聞いてくる。


「邪気を残すってことかい?

邪気なんて無いに越したことはないだろう。

どうして邪気を残すんだい?」


 私は小さく首を振る。


「いいえ。

人間には適量の邪気が必要です。

この世は、陰(雨)と陽(晴)で出来ています。

これは人の気も同じで、陰と陽が揃って一つなのです。

人が邪な心を持たなければ、簡単に騙されてしまいますし、長者や分限者になりたいという欲望もなくなり、強く生きようとする力も湧いてきません。

ですから、病でもない適量の邪気を持つ者から、邪気を抜いてしまうのは非常に危険なのです」


 長谷川は、組んでいる腕で顎を掻きながら、「なるほどね」と頷いている。


「お前さんの言ってることは一々もっともだが、どうするんだい?

同じことを田沼様にも言えるのかい?」


 今度は、私が天井を見上げる番だ。


 確かに、このまま断り続けることなど出来るわけがない。

かと言って、治療を必要としない者の雨を抜いたり、嫌がる人間の心を勝手に覗き込んだりするのも嫌なのだ。


 それならば、それ意外の方法で探索に協力しなければならない。


「一つご提案が有るのですが…」


 私の言葉に、腕を組んだままの長谷川が軽く頷いた。


「邪気は、人だけが宿すものではありません。

物にも邪気は宿るのです。

特に、念を持って打たれた刀や、念を持って彫られた木像や石象などは、邪気が宿りやすくなっています。

それでも、仏像のよう聖気を受けていれば問題ないのですが、邪気を受けていると、物にも雨が宿ってしまうのです。

それらは呪物と呼ばれ、人が宿した邪気と共鳴し合って、人が持つ陰の感情を増幅させてしまいます。

だから、私は物にも雨祓いを施すことが出来るのです」


 この言葉に、長谷川は唖然とした表情を浮かべて、この話をどう進めるべきか迷っている。


 そこに、三好が助け船を出してくれた。


「白川殿が行った呪物への雨祓いは、私も目にしております。

樋口の差料に父親の邪気が宿り、その邪気を白川殿が祓ってくれたのです。

そこで、白川殿が長谷川様にお伝えしたいのは、病を得ていない人間に雨祓いを施すのは危険ですが、物であれば雨祓いを施しても問題はありません。

まずは、そこから手掛かりを得られればと…」


私は、頭を下げながら「おっしゃる通りです」と頷いた。


「先に、物から出来るだけ手掛かりを集めて、人に雨祓いを施すのは最小限に抑えたいと考えております」

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