第19話 和尚の秘密

 こういう話の流れから、火付盗賊改方与力の矢部と共に、火元である大円寺を訪れることになったのだ。


 矢部は、物から本当に手掛かりが得られるのかと、今も疑っている。


 私は、矢部の問い掛けに対して、「分かりません」と素直に答えた。


 しかし、その答えに納得のいかない矢部は、「今更、出来ませんでは済まされませんよ」と弱り顔だ。


「問題は二つです。

一つ目は、上手く雨を宿した物を見つけることが出来るのか?

二つは目は、物が宿した雨から必要な手掛かりが得られるのか?ということです」


 矢部は、大円寺の焼け跡を見渡しながら「今までに、物から手掛かりを得たことが有るのですか?」と聞いてきたので、これも素直に「有りません」と答えると、溜息を吐き出しながら天を仰いだ。


「白川殿は、物にも雨祓いを施したことが有るとおっしゃったではありませんか。

それを今更、有りませんとは…

嘘をついたのですか?」


 私は首を振りながら、「嘘はついていません」と前置きしてから事情を説明する。


「雨祓いという治療は、単に増え過ぎた邪気を抜いて焼き祓うだけですが、手掛かりを得ようとすれば、その邪気をこの身に取り込まなければなりません。

物に雨祓いを施した事は有りますが、物の邪気をこの身に取り込んだことはないのです」


「何故ですか?」と聞いてくる矢部に、私は当たり前だと言わんばかりに、「物を治療する必要が無いからです」と言うと、この答えには、さすがの矢部も「ごもっともです」と呟くしかなかったようだ。


 私は、「こんな問答を続けていても時を無駄にするだけです。出来るか出来ないかは、やってみなければ分かりません」と言って作業を開始した。


 私は焼け跡から、なるべく原型を留めている道具や、焼けていない着物などを選り分けて拾い集めてくる。


 矢部を見ると、腕組みをしながら私の作業を眺めているので、「矢部さんも手伝ってくださいよ」と抗議の声を上げた。


 すると、「私もですか…」と言いながら、渋々という感じでこちらに向かって来る。


 矢部は、意外にも素直な性格なのか、刀の下緒(さげお)で手早く襷掛けにすると作業に加わってくれた。


 捕物などで手慣れているせいか、その所作が何とも様になっている。

 その上、「白川さん、その辺りは釘が出ているので気を付けてください」とか、「その床板に足を乗せると抜けますよ」などと甲斐甲斐しく世話を焼いてくれた。


 一刻(約二時間)ほど、その作業を続けていると空き地いっぱいに、沢山の物が並んでいる。


 普段使いの家財道具に加えて、木魚や仏像、袈裟や数珠なども多く混じっていた。


 私は、雨香(うこう)を焚いてから、その一つ一つに、雨(う)と呼ばれる鍼を当てながら探っていく。


 雨香は、患者を落ち着かせるために使うが、取り出した雨を焼き祓う際にも使うのだ。


 探っている品物の幾つかは、呪物には至っていないものの、微かに雨を宿していたので、その雨を順番に取り込んでいく。


 しかし、そのほとんどが日常のたわいない出来ごとで、取り込んだ雨は再び体外に放出して焼き祓う。


 その繰り返しが、大変な重労なのでうんざりしてしまった。


 十回以上も無駄な雨祓いを繰り返して、どうしようもない徒労感を覚え始めた時、その数珠を手にしたのだ。


 焦げた数珠に雨(う)を当て、雨(あめ)を呼び寄せる呪い詞(まじないことば)を唱えると、雨(う)の尻、雨柄(うへい)から霧のような薄い煙が出てきた。


 今にも消えそうな、その淡い煙をゆっくりと吸い込むと、体内で渦を巻きながら徐々に小さくなって、遂には米粒くらいになってしまう。


 そこから、雑音に混じって途切れ途切れの声が聞こえてきた。


 更に、意識を集中させると雑音が消え、声だけが明瞭になる。


「それは誠なのか。あの堅物の正吉(まさよし)様が、品川宿の飯盛旅籠で女犯を働いてるというのは…」


 僧侶同士が般若湯を飲みながら話しているのか、茶碗の触れ合う音に混じって、とくとくと液体の注がれる音が聞こえてくる。


「はい。お隣の明王院の坊主が喋っているのを聞いたのです。

品川の飯盛旅籠で正吉様をよく見掛けるのだと…」


 少し笑った僧侶が、「それなら、明王院の坊主も同罪ではないか」となじったが、今更、何を言っているのだと呆れた顔で言い返される。


「品川宿の客は、人偏(にんべん)の有るか無しかと言われるほど、その多くが侍か寺の坊主なのです。

坊主同士が出会うのは、寺で出会うのと同じくらい珍しいことではありません」


「しかし、正吉様は飯盛女の揚代をどうやって工面しておるのだ?

懐具合は我らとそう変わらぬはずだが…」


 般若湯を一気に飲み干した僧侶が、床板に音を立てて茶碗を置くと、「そこなのです」と前置きしてから声を落として、「お寺の金子を使い込んでいるという噂です」と囁いた。


 その言葉に、もう一人の僧侶が「誠なのか!」と大声をあげる。


 「静かに」と鋭く注意を促した僧侶が、再び声を落として喋り始めた。


「確かな事は分かりませんが、何せ、正吉様は天仁(てんにん)和尚様の信頼が厚く、金子の管理を任されているのですよ。

そう勘繰られても致し方ありません」


「しかし、最近では若い真秀の方が、和尚様の信頼を得ているともっぱらの噂ではないか」


 すると、この言葉にもう一人の僧侶が笑いを含みながらこう言った。


「はい。和尚様はあの通り衆道を好んでおられますので、武家の出で、見目麗しい真秀が寵愛されるのは当然でしょう。

それに、女色好きの正吉様が焼き餅を焼いておられるというわけです」


 「まるで歌舞伎芝居の演目だな」と言って二人の僧侶が声を殺して笑っている。


 その笑い声が次第に高くなると、まるで幕が降りる様に元の世界へと引き戻された。


 片膝を突いて、頭(こうべ)を垂れる私の顔を覗き込みながら、矢部が心配そうに「大丈夫ですか?」と気遣ってくれる。


 私は、頷きながら「大丈夫です」と答えて、次の出番を待っている焦げた袈裟に手を伸ばした。


 それを見た矢部は、「お顔の色が優れません。続きは明日に日延べしてはどうでしょう?」と気を使ってくれるが、人の命が掛かっているのだ。

 

 そう呑気な事も言ってられない。


 私は、ゆっくりと首を振りながら、「続けます」と宣言する。


 焦げた袈裟から、雨を抜いて我が身に取り込むと、その袈裟が誰の持ち物かすぐに分かった。


 焦げた袈裟には、その身を焦がす程の欲望が渦巻いていたからだ。


「我が宗門では稚児灌頂(ちごかんじょう)などといわれ、稚児を観音菩薩様に見立てることで衆道が許されておるが、ワシは若き頃から女色ではなく男色を好んだ。

当然、女色は破戒の所業であるから、どの宗門でも許されておらず、ワシにとっては誠に都合の良い戒律じゃが、それにかこつけて若い頃はよく陰間(かげま)遊びに興じておった。

しかし、齢(よわい)五十を超えた今も、その欲望が衰えておらぬことが問題なのだ。

とはいえ、寺持ち坊主になってからは、様々なしがらみから欲望を押さえ込んではいるが、それが更なる欲望を誘発してくる。

修行の身ゆえ、それも甘んじて受けねばならぬのだが、心の有り様までは変えられぬ。

ワシは、真秀を愛おしいと思っておる。

それは、僧侶の持つ親心ではなく、色恋沙汰なので始末が悪い。

まあ、修行が足りぬと言われればそれまでじゃが、この身を焦がすほどのこの思いを消し去ることが出来ぬのだ。

毎夜毎夜、この苦しみに悶々としている己れが何とも哀れじゃ…

かと言うて、真秀を無理やり我がものとするのは躊躇われる。

何とかならぬもだろうか…」

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