後編 大事な人の約束だから 『俺』
初めて俺が彼女と出会ったのは、橋の上だった。
落とし物をしたのを拾ってあげたのがきっかけで、とても大事なものだったから御礼をしたいと、当時としては高級なフルーツパーラーへと連れていかれた。
「ありがとう、このかんざしは父からもらったもので今では形見の品だったから。拾ってくださってとてもたすかりました」
「いえ、たいしたことはしてないですよ」
俺は彼女と入ったフルーツパーラ―で、ブラックのコーヒーを頼み、彼女はあんみつを頼んだ。わたくしのおごりです、と言って。
「ここのコーヒーは美味しいですね」
「ええ。コーヒー自体が最近の飲み物だから、わたくしはあまり味の良しあしが分からないんだけど、貴方はツウなのですね」
そういいながら、彼女はあんみつを匙で少しすくって口にいれる。
そういえば、俺はいつからコーヒーを飲むようになっただろう。別の国では日常的にのんでいるものだったから、俺の住んでいるところでも別の国を担当しているヤツがもってきてくれて、よく飲んでいた。
彼女はけっこうなお金持ちのお嬢さんのようだった。
その上、こうして初対面の男とパーラーに入って話をするような気の座った女性でもあって。
俺は話をしているうちに、彼女のことがとても気になりだした。
彼女はあんみつを食べ終わると、じゃあ、と言って会計をすまそうとしたので、俺はあわててやっぱり俺が払うよ、と財布を取り出した。
「それではお礼にならないわよ」
苦笑する彼女に俺はにこりと笑う。
「かわいい女性と一緒にコーヒーを飲めたから、それが俺のご褒美です」
われながら気障なセリフだと思った。
それを聞くと彼女は笑い、その笑顔が可愛くて、また彼女に興味がわいた。
――人間に興味が湧くなんて、俺はどうかしてしまったのだろうか
「あの、もしよかったら、また会えないかな」
俺は自然とそう言っていた。ずうずうしいと思われるかな。強引かな。
でも、いま俺は彼女とここで永遠に会えなくなるのは嫌なんだ。
「うーん。……いいわよ」
彼女は少し考えてから、また少し笑って返事をした。
笑顔がとても魅力的だった。
何度かの逢瀬のあと、ある日、彼女は蒼い顔で俺に逢いに来た。
「婚約が決まったの」
「……は?」
寝耳に水とはこのことか。
「わたくしは嫌だと言ったのよ。好きな人がいるとも言ったわ。でも、お母様に頬をはたかれて。いつの間にそんな人を作ったんだって!」
眉を寄せて彼女は吐き捨てた。
「わたくしは貴方が好きです。お慕いしています」
彼女は俺の着物の袖をつかんで下から見上げて必死に言いつのった。
大事な物を包み込むような声音で。
「一緒に逃げましょう! わたしの好きなのは、貴方だけなんです!」
その言葉に俺は胸がつらぬかれた。
俺だって好きだ。大好きだ。だけど――
「君は何もわかってない。俺には君を幸せにする力がない。苦労するだけだ」
「苦労なんてかまわないわ!」
「それだけじゃない。俺は――俺の影をみてごらん」
そこには、からすのような翼と、大きな鎌の形が黒々と地面ににじんでいた。
語る言葉よりももっと雄弁な証拠。俺はこの世のものじゃない。
「な、なに、これ」
これで彼女は俺をばけものとののしり、さっていくだろう。
しかし――
「だから何よ! なんだっていうの?! わたくしをその翼でさらっていきなさいよ!」
彼女はとんでもないことを言い出した。
俺の本性をみても動じない彼女の気丈さに、さらに胸がしめつけられる。
「できないよ。君が苦労するのが目に見えている」
「わたくしのことが好きではないの!」
「……どうかな」
ここで好きだと言ったら、彼女は俺と一緒に行くと言って諦めてくれないかもしれない。
だから、あいまいに嘘をついた。
すると、
「いくじなし!」
痛烈に頬を打たれて、彼女は泣きだした。
俺の胸で。
「なんで。なんで人間じゃないのよ」
「ごめん……」
「わたくしだけが年をとっていくことになるじゃないの」
「そうだね」
「そんなの、いやだわ。一緒に歳をとって、一緒に老いていけないなんて」
「ごめん」
「なんで、謝るのよ」
「ごめん」
ごめん、しか言えなくて情けなくなる。そんな俺に彼女は涙を零しながらほほ笑んで俺を見た。
「わたくしはこれから結婚するの。見知らぬ人と。父がなくなって家が傾きかけていたから、大きな家に嫁いで実家を守るの。そういう目的で結婚するの。向こうの家がわたくしを望んでいるのですって」
「うん」
俺は俺の胸で泣く彼女の背中をぎゅっと抱きしめて、心で慟哭した。そんなことを笑顔で言う彼女の気丈さに俺の方が泣きたくなった。
それから、俺は長い間、彼女を見守って過ごした。
彼女に気がつかれないように、姿をけして。
彼女の旦那は優しい人で、彼女もすこしづつ旦那にこころを許していったようだった。
そして、彼女と旦那の子どもが生まれ、何人も生まれ、そして小さな孫まで生まれた。
ある晴れた日、彼女は寝椅子でうとうととしているところに、見守っていた俺と目があった。
俺は仕事で彼女の元へとやってきたのだ。
「あらあら。懐かしい人がいるわね。あなた、本当に歳をとってないわ」
彼女はそう言って俺を見て、ほほ笑んだ。
しわくちゃだけれども、とても可愛らしい顔で。
「ああ。こんどこそ、迎えに来たよ」
「そうねえ。旦那様ももう逝ってしまったし、わたくしも貴方と一緒にいってもいいわよ。でもね、最期に一つ、お願いがあるの」
「なに?」
「『わたしの子供や孫を見守って』。貴方ならできるでしょう?」
「君はひどい人だね」
彼女の一生だけでなく、子供や孫の面倒までみさせるのか。
俺はくすっとわらってしまった。
そんなことを言われても、彼女なら嫌じゃない。
「いいよ、約束する」
「ありがとう。わたくし、生まれ変わってもきっと貴方と逢うわ。そのときにはわたくしを助けてね」
「約束する……大事な人の約束だから忘れないよ。ずっと」
俺の言葉をきくと、彼女は安心したように静かに目をとじた。
おわり
大事な人の約束だから 陽麻 @rupinasu-rarara
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