セクション2

 イグニスは未だオーガの死体を抱き締めていたソムニウムの肩を軽く叩く。


「こんにちは、この場所で死亡した魔力生物の体を抱えているのはあまり良くない、こちらで預かって、然るべき処置の後葬らせて頂いてもいいかな」


 イグニスからの言葉に、ソムニウムは言葉を失い、一度強く強くウンブラを抱き締めてから、そうして小さく頷いて「分かりました」と囁くような声で言い、血で自分の体に張り付いたウンブラをイグニスへと渡す。


「ありがとう、必ず大切に葬ることを約束するよ。こちらで所定の手続きを行った後、共同墓地に埋葬させて頂く。共同墓地はここの地下にあるから、寂しくなったらそこに来るといい」


 イグニスが言うと、ソムニウムは頷いてから泣き疲れてもう涙も出てこないほどであるだろうに再びボロボロと涙を流す。

 それにフィニスは、“よくもまあ、魔力生物なんていう人間の紛い物のためにここまで泣けるな”などと思うのだった。


 フィニスは常々、魔力生物は人間と同じだという言葉を唾棄していた。

 人間の真似事にここまで心を砕くとは、よほどの暇人か愚人かのどちらかだとすら思ってもいたのだ。

 だからこそ、ソムニウムの涙にもなんの感慨も浮かばないのだ。

 ミコが二人の元へ戻り、ソムニウムの前へと書類を二枚差し出す。


「ソムニウム、これは初相棒の申請書類と、屋敷の移動願いだ。自筆でないといけないから、キミに書いて欲しい」


「……分かりました」


 ソムニウムはペンを取り、書類へと目を落とす。手にこびり付いた相棒の血に、再び涙が溢れ出てくる。


「うぶ、とくていまりょうせいぶつ、けんげん……?」


「初相棒のことさ。こういったお堅い書類では相棒のことを特定魔力生物って呼ぶのさ」


「そんな、温度の無い呼び方……」


「もしそれが良くないと感じるなら、特定魔力生物共生委員会、略称SECCに所属したらいい。NPO法人だが、魔力生物の人権だとかを主張してる団体だ。まあ、奴らには、俺は関わりたくないがな」


 ミコの言葉に、ソムニウムは「分かりました」と答えて書類へ名前や希望する魔力生物種などを記載していく。


「できれば、次はオーガじゃないほうが、いいです」


「まあ、オーガが初相棒になることはまず無いだろうが、なんでだい?」


「俺の中のオーガは、ウンブラだけだから」


 ソムニウムがそう言うと、ミコは「分かった」と頷き、ソムニウムが書き終えた書類の備考欄に“オーガは不可”と書き添える。

 特定魔力生物管理者管轄本部移転願いへも、ソムニウムはペンを走らせる。

 ただ、冒険者名だけを記載するそれの備考欄に、ミコは“現所属管轄本部は堕・魔力生物が多数存在するため”と記載する。


「屋敷と初相棒が決まるまではこの庁舎の居住区域で生活することになると思うぜ。よろしくな」


「え、はい」


 ソムニウムはかくんと頷き、それを確認したミコは書類を提出するために立ち上がりカウンターへと向かう。


「ヌベスの」


「なんだ」


 ミコが呼ぶと、すぐに姿を現したヴェリタスにソムニウムが書いた、少し血に汚れた書類を渡す。それに目を通したヴェリタスは「承った。あとは居住地だが……」と呟く。


「居住区域に空きあるだろう、それからギルド側の怠慢なんだから初相棒と屋敷コードが届くまでの給与は出してやってくれよ」


「それは俺の一存では難しい」


「書類を出してくれ」


 ヴェリタスの言葉にミコは唇を曲げ、給与申請書類を依頼する。


「提出しても出るかは分からんぞ」


「出さなかったらできるもんもできないだろう」


 ミコは書類を埋めていく。備考欄にも“ギルドより預かった屋敷にて不備があったため”と記載する。

 それを提出し、一時的保護施設として居住区域の鍵を預かってから再びテーブルへ戻る。


「血塗れでは気持ち悪いだろう、キミの一時保護区画へ案内するからついてきてくれ」


 ミコの言葉に、ソムニウムは立ち上がりついて歩く。コピー機の温いにおいがソムニウムの鼻先を擽っていた。

 ソムニウムが歩く度に固まった血のカスがポロポロと床へと落ちていく。

 それはまるで、救えなかった命の欠片のようだった。

 ソムニウムとミコの、重なる足音と一緒に、廊下に落ちていく。


「あの」


「どうした?」


 歩きながらソムニウムがミコへと声を掛ける。


「俺、冒険者ってもっと夢がある仕事だと思ってました。でも、何もかも書類なんですね」


「そうだな、何をするにも書類の提出が必要だぜ。夢、無くなったかい」


「思ってたのとは違いましたけど、でも、夢が無くなったとは違います。ただ、夢の形が変わった気がします」


 話しているうちに一つの扉の前へと到着する無機質に一一三Bと書かれた扉だった。


「ここがしばらくの間、キミが生活する部屋だ。オートロックじゃないから鍵には気を付けろよ。食事は社員食堂で、格安で食べれるからな。

 洗濯は五階にコインランドリーがあるからそこでやってくれ。洗濯機は五〇〇イェン、乾燥機は二〇〇イェンだぜ、洗濯する時は小銭忘れないようにな。じゃあな」


 ミコが鍵を開けて扉を開けて部屋の説明をしていく。

 薄い緑色のカーテンは厚手で、外の光をほとんど通さない。白い壁紙には、誰かが暮らしていた痕跡はない。窓は防犯のためにほとんど開かず、外にベランダは無い。

 説明を終えたミコが出て行こうとしたその時、ソムニウムがミコを呼び止める。


「あの!」


「なんだい?」


「ありがとう、ございました。あなたが気にかけてくれて、良かったです」


 ソムニウムからの言葉にミコは数度目を瞬かせ、そして「気にするな」と笑って、扉をくぐって出て行った。

 扉が閉まる音だけが、妙にソムニウムの耳に重く、残る。

 居住区域も、庁舎内も、もうすっかり日常に戻っていた。



────


 中央ギルド庁舎前にあるコーヒーショップは、朝から晩まで大忙しだった。

 それでもバイト希望者が途切れないのは、そこで働くことで魔力生物に会えるからというのが大きかった。

 特定魔力生物、通称相棒の多くは見目麗しい男性や女性の姿をしていて、物腰柔らかな者が多いため、そういった人間に慣れておらず憧れが強い一〇代の女性が特に多くバイトに入っていた。


「いらっしゃいませ!」


 自動ドアが開き、焙煎した豆の香りがミコとロイへと絡みつく。緑色のエプロンをつけて黒髪を後ろで纏めた女性が明るい声で来店の挨拶をする。


「おはよう、朝から元気だな。いいことだ」


「ミコ、俺はコーヒーを好かないぞ」


 白い髪に琥珀のような瞳をしたハイエルフと、金髪に碧の瞳をしたハイエルフが並んでカウンターの前へ立っている。

 ほとんど埋まっていた席から、彼らへ熱い視線が送られている。中にはスマホを構えている者すらいた。それに気付いているだろうに二人は一切気にすることもなく自然体だった。


「まあまあ、ロイ。ここは抹茶もあるんだぜ」


「ほう」


 まるで友達のように言葉を交わしメニューを見つめる二人に、女性は思わず可愛らしさすら覚えていた。

 片方のハイエルフ、ミコというらしい彼はオールミルクのココアにチョコレートシロップを追加するのが好きだと、休憩室でも話題になっていた。

 ロイは、やや上擦ったような鼻にかかる話し方で淡々と言葉を零している。快活としたミコとは随分と違うが、仲が良いのだろう。


「外でそう、ロイと呼ばれるのは慣れないな」


「ならハイエルフと呼ぶか? どうする? 抹茶ラテにするかい」


「ロイと呼んでくれ。そうだな、抹茶ラテを、薄くならないように作ってくれ」


 突然淡々と告げられた言葉に、女性は慌てるも「かしこまりました! では、オールミルクでお作りしますね!」と微笑んだのだ。


「俺は……」


「オールミルクのココア、チョコレートソース追加ですよね! 休憩室でも話題ですよ!」


 ミコと呼ばれた男性の表情がほんの一瞬、笑みが固まったが、すぐに口角を上げ直したことだけが女性にとって少しだけ疑問だったものの、彼は変わらず頷くことで返す。


「そうだぜ、よく覚えているな!」


 ついでにミコはサンドイッチをふたつ取り、それから「アイスコーヒーもひとつ」と頼む。これもいつもの彼のルーティンだった。

 注文した商品が全て手元に届くと、ミコとロイは二人連れ立って帰っていく。

 外に出たミコが一口ドリンクを飲んで甘いと言うかのように額を押さえたことだけが、女性の中で僅かに引っかかっていた。


 しかし、次の客が並んだことで、女性はパッと顔を上げ、そこにあった先程帰ったはずのハイエルフの顔にパクパクと口を開閉する。

 金色の髪に碧の瞳、しかし先程帰ったハイエルフよりも目が大きく、少し幼い顔立ちをしていた。


「え、さ、さっきお帰りになったはずじゃ……」


「ん? ああ、驚いたかい? 魔力生物には似た姿をしながらも別人という者がたくさんいるのさ、でも俺たちは千差万別だ。味覚も嗅覚も違うからな。俺は甘いものが好きだが、確か……有名なフィニスのミコっていう捜査官は甘いのが苦手だったはずだ」


 わはは、と口を開けて笑うハイエルフに、女性は先程ミコが注文を問うた時に気まずそうな顔をした理由が分かったのだ。


「あの、ご注文はココアをオールミルクで、チョコレートソース追加で間違いないですか?」


 女性の問いかけに、ハイエルフは嬉しそうな表情を浮かべて「嬉しいな、覚えててくれてたのかい」と目を細める。

 それに、やっぱり先程のハイエルフは別個体だったのだと、女性は良かれと思ってやってしまったことに内心頭を抱えた。


 女性は休憩室に置かれていた誰かからのお土産のところへ“魔力生物は似た姿の方が複数いるので、注文の際は注意!”と書いて残す。

 その話はその日のうちにコーヒーショップを駆け巡り、そして「あの顔がたくさんいるの!? アイドルより最高じゃん!」という結論に至ったのだった。

 一〇代の女性なんてそんなものだった。


 その翌日から、彼女たちは魔力生物の種族ではなく、一緒に何を買うかで注文を覚えるようになっていた。


「な、言っただろうロイ。キミは抹茶ラテが好きだと思ったんだ」


 その翌日にやって来たのは、あの日白い姿の“ロイ”だとか“ハイエルフ”だとか呼ばれていたハイエルフと共に来た、ハイエルフのミコだった。

 ミコはレジに立っていた女性を見て、少しだけ気まずそうな顔をする。


「ご注文、お伺いします!」


 しかし、その表情も彼女の一言で霧散した。


「トリプルエスプレッソアーモンドミルクラテを頼む、シロップはそのままで」


 ミコが告げたそのカスタムは苦味が際立つ甘味の少ないもので、彼は本当に甘いものが苦手だったのだと、女性は申し訳ない気持ちになっていた。


「ミコ、呪文を唱えてどうしたんだ。魔法ならちゃんとギルドに届けを出さないと違法になるぞ」


「これが注文なんだ、コーヒーだぜ。飲んでみるかい?」


「いや、俺はこないだのやつを頼む」


 女性よりも二、三〇センチメートルは高い身長でまるでこどものようなやり取りをしている二人に、女性は微笑んだ。


「こないだのやつと言っても覚えてないだろう」


「あ、いえ……オールミルクの抹茶ラテですよね」


「驚いたな。キミたち、ちゃんと学校の勉強は頭に入ってるかい? 俺たちは嬉しいが、勉学優先でな」


 ミコがいつも通りサンドイッチふたつとアイスコーヒーも注文をする。

 そこで女性は、アイスコーヒーは彼自身の口直し用では無かったのだと理解するのだった。

 ミコの言葉に女性は思わずといった様子で声を上げて笑う。


「あの、こんな込み入ったことを聞いてごめんなさい。どうしていつも、サンドイッチふたつとアイスコーヒーも一緒に注文するんですか?」


「ああ、主人の分さ。……ええと、通称は、冒険者だな、冒険者だ。俺には主、冒険者がいるが、コイツには冒険者がいない。だからロイは自分の分だけで、俺はいつも自分の分と主の分を買って帰るのさ」


「そうだったんですね、すみません聞いてしまって」


「気にしてくれるなよ。こんな事でもないと庁舎所属外の人間となんてそうそう話すことも無いからな」


 女性が袋の中にサンドイッチを入れてバリスタへと渡すと、ミコは軽く女性へと手を振りカウンターを奥へと進む。

 抹茶ラテと袋に入ったアイスコーヒーとエスプレッソアーモンドミルクラテを受け取ったミコとロイは共に庁舎へと向かって歩いていく。

 仲良さげに談笑しながら去っていく二人の姿に、女性はふと思う。


──主がいないって、どういうことだろう?


 その問いは、その日から彼女の中で小さな棘のように残り続け、やがて冒険者という存在を調べ始めるきっかけとなった。


 学校の公民の授業でも特定魔力生物管理者、通称冒険者のことは学ぶのだ。

 その中で特定魔力生物、通称相棒は冒険者と結ばれなければ、基本的にはその身を扱うことができないと知る。そんな中で自分の身を呼び出した冒険者がいないなんてことは有り得るのだろうかと。



 あの日、コーヒーショップで魔力生物に黄色い声を上げ注文を間違えないように気を張っていた女性──ヴェール・メンスは冒険者となっていた。

 冒険者になるには特定魔力生物管理者資格が必須だと知った彼女は、必死に勉強をし二年浪人して無事取得したのだ。ミコとロイの会話が脳裏から離れなかった彼女は、そこから三年をかけて研修と小論文を修了し、無事に冒険者となっていた。


「主、どうした?」


 屋敷へと足を踏み入れて動きを止めていた彼女の隣には初相棒の人魚であるヴェスパーがいる。


「ううん、なんでも。……私ね、ヴェスパー。ギルド所属になりたいんだ」


「いいんじゃねーの? アタシはアンタのやりたいようについていくからよ」


 ヴェスパーの返事に、かつて少女だった彼女は微笑む。そして、屋敷所属アンドロイドのネコへと言ったのだ。


「ネコ、私はギルド所属になるよ」


「な、な、なんですって!? 冒険者様、現在ただでさえ冒険者様が少ないことはご存知でしょう!」


「うん、知ってるけど」


「で、であるならば、どうして!?」


「私の憧れの人が、ギルドで働いてるんだ」


 ヴェールの言葉に、ネコは深く深く項垂れる。


「分かりました、……では、屋敷所属兼ギルドに依頼された際にお仕事をされるのはどうでしょうか」


 ネコからの返事に、彼女は「それなら良いかも」と頷く。

 彼女は自分だけの屋敷の中を歩いていく。誰にも汚されていない、自分だけの屋敷だった。

 静謐な廊下には埃のひとつも落ちておらず、外には春の日差しが穏やかに差している。

 そんな屋敷の中で、彼女が初めて行ったのは呼子だった。


「ねえ、ヴェスパー」


「なんだ?」


「私が自分の意思で初めて選んだ魔力生物って、ヴェスパーだけなんだね」


 ヴェールの言葉に、ヴェスパーは照れたようにそっぽを向く。人魚である彼女は、水の泡で作られた浮き輪のようなものに支えられ、中空を浮いている。

 ヴェールよりも少しだけ高い位置にある、ヴェスパーの視線を避ける横顔が、ヴェールにはどうしようもなく頼もしく見えた。

 外国では戦争が起きている。それでも、この国は穏やかだった。

 幸せは、いつの間にかそこにあったのだ。

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冒険者よりも安上がり 田中 @monamona_m

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