第7話

セクション1

 中央ギルド庁舎の近くに住む市民たちにとって、時折姿が見える美麗な魔力生物は憧れの存在だった。

 朝の通勤路や休日のカフェで彼らの姿を見れば、その日一日は有り余るほどの熱量で幸せなほどに人気があったのだ。


 しかし、彼らに熱を上げる人々は魔力生物に対して正しい知識があるわけではなく、エルフはエルフもハイエルフも種族で全て一括りにされており、好きな物も嫌いな物も同じだと思われていた。

 更には、獣人の違いが分からない者すらいたのだ。


 魔力生物は見目麗しい容姿をしている者が多く、彼らは人間という種が守る存在だからという理由もあってか、市井の人々は魔力生物に優しくされることも多い。

 中央ギルド庁舎近くに住む者にとっては、魔力生物が初恋になることも少なくはなかった。


「あ、あの……お仕事、頑張ってください! いつもホワイトモカにホワイトモカシロップ二プッシュ、キャラメルソース追加……ですよね?」


 黒髪を後ろでひとつに纏め、緑色のエプロンを着用した少女に言われ、ハイエルフのミコと会話をしていた、アニマリア族のイグニスは数度目を瞬かせる。

 そして、暫く言葉を逡巡してから「ありがとう、覚えててくれたんだね」と微笑んでその注文は自分のものであると受け取る。

 それにミコが後頭部で手を組んでニヤニヤと見つめている。


「俺は……」


「ココア、オールミルクでチョコレートソース追加ですよね。皆さんの注文、頑張って覚えたんです!」


 純度一〇〇パーセントの好意を前に、ミコは“違う”と言うこともできず「ああ、正解だ」と言う。


「ついでに、このサンドイッチとアイスコーヒーももらえるかい」


 いつもの調子で告げたそれらの注文も、彼女はにこやかに「はい!」と答えてレジスターを叩く。

 お互いに受け取った巨大なサイズの甘いドリンクに、顔を見合わせて苦笑をした。

 ミコのドリンクは、カップの蓋から溢れんばかりのたっぷりのクリームと、とろけたチョコレートソースが陽光にキラキラと輝いていた。


「ミコ、お前はそんな甘いものを好んで飲んでたのか?」


「まさか、キミだってそんな甘ったるいもの、飲んでたのか?」


 お互いに思わずといった様子で笑い出す。


「誰だ、この庁舎の近くでこんなカスタムしたエルフは!」


「俺も知りたいよ、一体どこの獣人がこんなカスタムをしたのかをね!」


 二人で話しながら、中央ギルド庁舎の前に立っている警備員へと政府所属を示す手帳を見せて庁舎内へと入る。

 奥にある改札に手帳をかざすと改札が開き、彼らの居住区域やカフェスペース、転送装置、カウンターへと続く廊下へと足を踏み入れることができる。


 先程までのコーヒーショップでのざわめきや、誰もが足を踏み入れることのできるギルド入口の喧騒は既に無く、庁舎内は静謐だった。まるで伽藍の図書館にすら思えるほどに。

 転送装置前のカフェスペースで、ミコの帰りを待っているフィニスの元へと向かう。

 その道中で、この後は仕事だと言うイグニスと別れ、フィニスの前へと座る。


「フィニス、飲み物なんだが、甘いのと甘くないの、どっちがいい?」


「甘くないの」


 視線のひとつすらこちらに向けず答えたフィニスの言葉に、ミコは唇をへの字に曲げるとサンドイッチと一緒にアイスコーヒーを渡す。


「まったく、キミの人生も苦いだろうに、どうしてそんな苦いものを飲みたがるのやら」


「知らないのか?」


 フィニスは、受け取ったアイスコーヒーを不味そうに啜って続ける。


「人生が苦いと、珈琲の苦味が気にならなくなるんだ」


 フィニスの返しに鼻を鳴らして、自分の分にと買っていたサンドイッチへとかぶりつく。

 バタールに、新鮮な葉野菜とフレッシュチーズにバジルソースとトマトが挟まれたそれは、ミコの舌によく合う。

 サンドイッチはふたつとも同じものを買っておいた。そうでないとフィニスがどちらも食べたがるからだ。


「ところで、戦争の戦況はどうだい」


「ああ……ヴィントラントが、国土の返却を求めてゼムルヤに宣戦布告したらしい。エヴィスィングからしたら、空から金貨だろうな」


「なるほどな、ならゼムルヤと親交のある清中王国も参戦するだろうな」


 ミコとフィニスの会話の最中、不意に転送装置周りが騒がしくなる。先に食べ終えたミコが、紙ゴミをくしゃくしゃに丸めて袋へと捨ててから、甘いココアを一口飲んでから「そういえばココアだった」と眉を寄せて立ち上がる。

 フィニスは一切の興味が無いのか、立ち上がる素振りどころか首を動かす素振りすらなく、サンドイッチに食いついている。


 転送装置周辺では「うわ」だとか「これは……」と言ったような冒険者らしい声や、その野次馬を散らせようとする転送員の声が聞こえてくる。


 転送装置前にいたのは、見覚えのない冒険者だった。

 政府所属の役人や冒険者であるなら、人数が少ないために誰だか分からないなどということは有り得ない。

 見覚えがないということは、政府所属ではないということだろう。

 少なくとも、中央庁舎所属ではない。


 その冒険者は、床に座り込んでいる。

 その両手に抱かれているのは、血塗れで下半身を失ったオーガだった。

 あの怪我ならオーガだったとしても医療師が手を尽くしたとて治りはしないだろうと、ミコは嫌なものを見てしまったとばかりに唇をへの字に曲げる。


「冒険者様、こちらでは他の冒険者様の邪魔になりますので」


 転送員が血塗れの冒険者へと声を掛ける。

 それに、まるで信じられない言葉を聞いたかのように、その冒険者が顔を上げる。

 泣きすぎた目元は赤く腫れて、その頬には何かで切られたのか、傷が見える。

 彼のよれたTシャツは吸いすぎた血で濡れ、ぽたぽたと裾から滴っている。

 血は乾いているものと、未だ乾いていないものがあるようで赤い部分と黒い部分とがあった。


「お、俺の! 相棒が、死にそうなんだぞ!」


 その様子を遠巻きに眺めている魔力生物や冒険者に、ミコは深く息を吐き出して近付く。

 こんな面倒事に関わるのは嫌だが、誰かがやらねばならない仕事で、しかもミコたちは今日、急ぎの仕事だって無かった。

 仕方ないなと短く息を吐く。


「よっ、俺は政府所属捜査官のハイエルフのミコだ。そのオーガはもう死んでる。話を聞いてやるから、場所を移そうぜ。キミも、そのオーガを寝かしてやりたいだろ」


 冒険者は、瞳孔の開いた目でミコを見つめ、そしてカクカクとまるで人形のように頷いた。

 彼の呼吸は浅く、オーガを抱く腕はカタカタと細かく震えていた。

 ミコは冒険者を連れて、フィニスが座っているカフェスペースへと向かった。

 ミコと、その後ろから歩いてくる明らかに面倒事を抱えている冒険者の姿に、フィニスは“最悪だ”という表情を隠すこともせずにアイスコーヒーを強く啜った。


「キミ、名前は?」


「え、あ……ソムニウムです。えっと……冒険者コードI〇五〇七ー三三五四の」


 男性冒険者……ソムニウムは椅子に座り、オーガの体をひっしと抱き締めている。

 まるで、その体を離してしまったら今にも消えてしまうとでもいうかのように。

 その状態でも、冒険者になる前に何度も暗記させられた冒険者コードは暗唱できるようだった。


「俺はフィニスの魔力生物のミコだ、こっちはギルド捜査官のフィニスだな。捜査官コードE五七〇〇ー八七五〇だ。心配なら確認してくれ」


「いや……こんな中央ギルド庁舎の中枢にいて捜査官じゃないなんてこと、無いだろうから」


「それもそうだな。何が飲みたい? 一杯くらいなら奢ってやろう」


 ミコのおどけたような言葉に、ソムニウムは頷き、「お茶」と答えた。

 その声は、喉の奥で潰れたように掠れていた。

 まるで、言葉の端までも凍えているように。ミコは袂からコインケースを取り出すと自販機へ向かい、カップ式の温かいほうじ茶を購入してからテーブルへと戻る。

 ソムニウムは、指が白くなるほどにきつくオーガを抱き締めている。

 彼女の薄く開かれた瞳には、もう生者の色は無く、胸は上下していない。

 完全に死んでいることは、誰が見ても明らかだった。


「それで、何があったんだい」


 ソムニウムの向かい側で深海に棲むカニが食事をするようにサンドイッチを食べるフィニスは、挟まれた具を落とさないように指先を器用に動かすことだけに集中しているようで、いかにも彼らに興味が無さそうだった。

 そのため、ミコが対面へと座り白紙の紙とペンを取り出して聴取を始める。


「わ、分からないんです。俺は今日、冒険者になって初めて屋敷に入ったんです……金が無いから、できるだけ税率の安い屋敷がいいって言ったら、前の冒険者がいた屋敷ならって言われて」


 鼻を啜る音が聞こえてくる。ミコがそちらを見ると「……俺に、金が無かったから」と、ソムニウムは視線を落として小さく言った。


 その一言のあと、ソムニウムは言葉を発することもできず、テーブルの上の紙コップから、ほうじ茶の湯気だけが静かに立ちのぼっていた。

 ソムニウムの話に、フィニスが顔を上げる。それは、フィニスにとっても無関係の話ではなかったからだろう。


「そのオーガは?」


「俺の、初めての相棒です」


「オーガを初魔力生物にねぇ、……最後の研修本丸はどこだい」


 ミコの問いに、ソムニウムは眉を寄せて思い出そうと頭をひねる。


「スピリトゥスさんの屋敷です」


「スピリトゥスだな」


 ミコが捜査官専用端末を取り出しスピリトゥスの本丸を確認する。

 冒険者には珍しく女性で、かつ演習競技やギルド依頼戦績でもオールAからSという素晴らしい成績を残している。


「キミが行った屋敷はどこだい」


「あ、えっと……元テネルさんの屋敷だと聞きました」


 ソムニウムからの返答に、ミコは眉根を寄せる。


「それで、その屋敷に入って、何が起きたんだ?」


「……その屋敷に残っていた魔力生物に、襲われました」


「襲われたってのは?」


「分からないんです、目が赤く爛々と輝く魔力生物たちが、刀や弓を持って俺とウンブラを襲ってきて、……確か五人いました。全員、獣人でした。あ……一人だけ、黒髪の人魚が混ざっていました。

 ウンブラは、俺の事を守って……」


 涙に濡れたソムニウムの言葉に、ミコは自身の顎を撫でるようにして「ふむ」と呟く。


「目が赤く爛々となぁ……その魔力生物たちは、体から妙な黒い煙のような、モヤのようなものは出てなかったかい」


「出てました」


 ソムニウムの返事に、ミコは深々と息を吐き出す。


「……分かったぜ。それは堕ちた魔力生物だ。テネルの屋敷は、皇歴二一五年に閉じられている。いまから約一〇〇年以上前だ。それから一度も開かれず、様子を見に行く者もいない。冒険者も無いまま放置されれば、魔力も減り互いに食い合い、堕ちて当然だ」


「そんな……俺の、相棒はどうなるんですか」


 茫然自失といった様子のソムニウムに、ミコは言う。


「ひどい事故にあったと思って忘れるんだ。相棒は政府に申請すれば新しい奴が手に入る。オーガは珍しい魔力生物だから、またそいつってわけにはいかないがな」


「お、俺はっ!」


 ソムニウムの口から思いのほか大きな声が出る。

 彼は頬も鼻も赤くして、子どものように泣いていた。成人男性がここまで泣くとはと、ミコは思う。

 ソムニウムが深く息を吸う。けれど、彼の口から出てきた言葉は予想外に小さく、掠れていた。


「俺、は……今日まで二人で頑張ってきたコイツが、相棒だったから……これからも頑張ろうって、思えたのに、そんな……申請とか、温度が無さすぎる」


「だがなぁ、初相棒の無いままに屋敷には行けんだろう。ちょっと待っていてくれ」


 ミコはソムニウムとフィニスを置いて立ち上がり、転送装置近くにある窓口へと向かう。


「よっ、ヌベスの、昔の屋敷に当たった冒険者が初相棒を亡くす事故にあった。初特定魔力生物顕現申請書類と特定魔力生物管理者管轄本部移転願いをくれないか」


 ヌベスのと呼ばれた、ヌベスの相棒であるセイレーンのヴェリタスが「あいわかった」と頷き書類を取り出す。

 初特定魔力生物顕現申請書類に、初特定魔力生物亡失へ丸を付けるとそれらをミコに渡す。


「それから、冒険者テネルの屋敷に残っている魔力生物が全員堕ちている可能性がある。捜査官を送って閉じてくれ」


「そこで初相棒を失ったか、あい分かった。上へ申告しておこう」


「頼んだぜ」


 ヴェリタスの返事に軽く返して、ミコは手を振り、次にアニマリア族のイグニスを探す。先程まで共に甘いドリンクを飲んでいた彼はすぐに見つかり、「おーい! イグニス!」と呼べばすぐに足を向けて近付いてきてくれる。


「どうしたんだ、ミコさん」


「冒険者テネルの屋敷に送られた新人冒険者が、堕ちた魔力生物に襲われて初相棒を亡くしてから、その魔力生物の上半身をずっと抱いているんだ。この後の申請にも差し支えるし、キミの方から言ってくれないかい」


 イグニスは「仕方がないな」と肩を竦めて肩のマントを翻して歩き出す。

 その冒険者はすぐに見つかった。体の前面を血で強かに濡らし、茫然自失としていたからだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る