信仰のヒドラ

羊飼い

信仰のヒドラ

先日、友人のトランブレーから書簡を受け取った。


「私は、最近になって新たな生物を発見した。それは指先から第一関節ほどの細長い小さな生物で、見た目は奇妙な蛇のようであった。そして、何より私が興味を惹かれたのはその生物の持つ特別な能力のことだ。私はこの植物と動物の中間のような生物にメスをいれると、それはふたつに別れ、1週間あまりでそれぞれが再生した。これは一体どういうわけだろうか。また、これは植物だろうか、動物だろうか。私が分からないのは、なぜ主がこのような奇妙な生物を創りたもうたのかと言うことだ。親愛なる友よ、私の助けとなってくれることを願っている。トランブレー」


トランブレーからの書簡にはいくつかの資料も同梱されていた。見れば、それは蛇のようなもののスケッチだった。そして、同じく同梱されていたビンの中は水で満たされ中を4匹の小さな緑色の"へび"が漂っていた。


私は面食らった。トランブレーによれば、こんな矮小な生物が自己を複製するなんて芸当をやってのけたというのだ。


詳しく観察するため、虫眼鏡で除きながらスケッチをとることにした。その"へび"は円筒形の体にいくつかの触手を持ち、水中を漂っていた。未だ泳ぐ様子はない。


私は次に書簡に綴られていたこれの特性について調査することにした。ビンのなかからピンセットでつまみ出し、顕微鏡の上にのせる。そして、ピンセットで真っ二つに切った。


それはまるで動かない。


さて、真っ二つにした"へび"だが、未だ動きが見られない。まぁ、結果が出るには時間がかかるのだろう。と、ふと瓶の方へ目をやると窓から日が差していたため蒸発したのか水量が減っていた。干からびては困るので池の水を汲んで注ぐことにした。


私は池へ向かい、瓶で池の水をすくった。少し不潔だがまあいいだろう。私は瓶の水を少しずつ移した。


すると、突然"へび"が触手を動かして泳ぎ始め池の水の中にいた微生物を捕食し始めた。他の生物を捕食するのは明らかに動物の特徴だ。これは動物なのか?


この驚くべき生物について、私はどうするべきだろうか。この生物は薔薇の挿し木のように体の一部から増えることが出来る。そして、先程はプランクトンを捕食してみせた。つまり、植物と動物、ふたつの特徴を併せ持つ"中間"のような存在なのだ。

しかし、であればどうだろう。動物と植物を分けるものなど無いということではないのか。"生物は何によって分けられるか"。この問いを解決できなければ私は、私たち人間は、そこらの動物や、植物や、鳥や、虫や、家畜なんかと同じということになってしまうではないか。


それだけではない。まだこの目で見たわけではないが、このへびのような生物は体を切り分けて新しい個体を作り、傷は綺麗さっぱりなくなってしまう。こんな超自然的で、特別で、神秘的な能力を、なぜ神は私たち人間ではなく、こんな小さな生物に与えられたのか。


聖書において、神は最初の人を自らの形を模して創られた。


人は神の寵愛を受け、地上の支配者として君臨しているのだ。神の寵愛を受けているのならば、なぜ、私たちにはこの生物の能力を与えてくださらなかったのか。


"もしかして、神はいないんじゃないか"


そんなことは有り得ない。あってはならないのだ。私たち生物学者がそれを証明しなければ。


ルネサンス以降、教会の権威は失墜しつつある。それは芸術だけの話ではない。信仰に代わり、科学が台頭してきたのだ。信仰の時代は終わりを告げ、科学の時代が始まろうとしている。


地質学者の調査によると、現在の地層に大洪水の痕跡は見られないらしい。


天文学者が言うところでは、空の星々は地球の周りを回っているのではなく、地球が回転しているからそう見えるのだという。


9日後、"へび"は完全なふたつの個体に分かれた。


更に12日後、分かったことは、驚くべきことにたとえ1,000個ほどまでちぎったとしても、再生してしまうということだ。


私とトランブレーは、この生物について神話になぞらえ、"Hydraヒドラ"と名付けることにした。


この3週間、ヒドラと神についての問題が私の頭を悩ませ続けた。


今度は、生物学が神を否定しようとしている。聖書の記述が寓話であると証明しようという発見がなされようとしている。


私とトランブレーは共同で論文を執筆した。ヒドラの脅威的な特性について。しかし、宗教に関する問題については、あえて沈黙を貫いた。おそらく、人々はこの生物に夢中になるだろう。教会はさらに権威を失うかもしれない。


私はこれからも敬虔な信徒であるだろう。先日まで、生物学とは自然に秘められた神の意思を読み解く学問だった。これからは、全く違う学問へと進化するEvolutionのだろう。


その後、人はさらに科学を発展させた。物質の正体を見抜き、薪と石炭の時代を終わらせ、たった一発で何万もの人を殺す兵器を作り上げ、自然を破壊し、今度は守ろうとしている。


未だ、神の存在は証明されない。しかし、科学がこれ程発展してなお、神の不在は証明できないのだ。宇宙の始まり、宇宙の外、宇宙の監視者、記憶、5分前の世界。

人は科学ここに新たな神を見出した。


いわば科学とは、信仰のヒドラだ。

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