人類と淫魔の共生史
ファイアス
衰退の歴史は享楽と共に
「人類の皆さま、武器を収めてくれませんか?私はあなたたちとの共生を望みます」
先代魔王が没し、リリスが魔王に就任すると、彼女はすぐに人間との和平案を提示した。
「おい、ふざけんな!」
「俺たちは和平なんて望んでねぇ!」
リリスの非戦論に同胞の魔族たちからは反発の声が相次いだ。
しかしながら、有象無象の反発は瞬く間に抑え込まれ、半年も経たないうちに魔族社会全体がリリスへ迎合した。
魔族社会の急速な変化は、人類最大の国家ルクスリアを束ねる国王アーヴィンにも知れ渡っていた。
アーヴィンは和平を望むリリスの心に嘘偽りなしと判断すると、和平交渉の対談を行うべく彼女を自国に招き入れた。
「本日はお招きいただきありがとうございます。アーヴィン国王陛下」
「こちらこそ急な対談に応じてくれて感謝します。魔王リリス」
両者は互いを好意的に受け止め、穏やかに対談が進む。
「アーヴィン国王陛下は、淫魔との共生を受け入れてくださるのですね?」
「ええ、もちろんです。ただ、罪人への処置はルクスリアの法に基づき行わせてもらいますが、よろしいですか?」
淫魔たちが人類を脅かす可能性を想定して、アーヴィンは慎重に対話を進めていたが、リリスは彼の要求を全て吞み込んだ。
和平は滞りなく結ばれ、周辺国家もルクスリアに続くようにして魔族との争いに終止符を打った。
程なくして、ルクスリアでは淫魔共生法が制定された。
淫魔共生法──
①ルクスリア王国では無害な淫魔に危害を加えてはならない。
②淫魔の性別は人間の女性、もしくは男性と同様に扱い、既婚者が淫魔との肉体関係を持つことは不貞行為と定める。
③国内の淫魔は人間を支配してはいけない
①と②は平たく言えば、人間と同じように扱えということだ。
③はルクスリア王国の主権は人間にあり、上下関係を定めている。
この条項に魔族側からは差別だと主張する声が相次いだ。
しかし、自国民の自種族を第一に考えるのは当然だとし、アーヴィンはその方針を曲げなかった。
リリスはそんなアーヴィンの考えに理解を示すと、徐々に淫魔たちをルクスリアへ送り込んだ。
送り込まれた淫魔たちは、みんなリリスが手塩にかけて教育した者たちだ。
従来の淫魔の大半は、人間を繁殖の道具として命もろとも使い捨てていた。
だが、共生に必要な教育を受けた淫魔たちは、相手の意思を尊重し、みるみるうちに人間と良好な関係を育んでいった。
「アーヴィン陛下、息子は淫魔との関係に満足しておられます」
「そうか、それは良かった」
最初の被験者として淫魔と同棲していたのは、女性不信に陥った公爵家の次男だった。
始めのうちは女性の姿をした淫魔に強い不信感を抱いていたが、次第に打ち解けていったらしい。
リリスの教育した淫魔は人間と良好な関係を築ける。
そう確信したアーヴィンは、淫魔と同棲を望んでいた貴族へ次々と彼女らをあてがった。
淫魔と共生を選んだ貴族たちは、皆幸せそうにしていた。
淫魔たちもまた人間との生活に満足していた。
長命の魔族にとって、人間はみんな赤子同然だ。
そのため、高齢者だろうと喜んで寄り添ってくれる。
さらに人間を繁殖の道具として認識する本能ゆえに、相手の外見を気にしないのも大きな特徴だった。
淫魔は魔族同士で子を成せない。
一方で人間との間に生まれる子供は決まって淫魔だ。
そのため淫魔共生法が制定されると、これまでにない勢いで繁殖していった。
淫魔と同棲権利があるのは当初は貴族だけだった。
だが、淫魔の爆発的な増加に伴い、平民の間でも淫魔をパートナーとする者が徐々に増えていった。
「アーヴィン様は立派なお方だ」
異性と良好な関係を育めなかった人々はアーヴィンを高く評価した。
そして、彼が存命の間はその評価が揺らぐことはなかった。
アーヴィンが天寿を全うしてから300年。
今やルクスリア王国に住まう人々の二割は淫魔だった。
現国王エルウィンは増加を続ける淫魔と、彼女らに頼り過ぎてしまう人々に危機感を抱いていた。
ルクスリアに住まう淫魔たちは、パートナーに対して従順だ。
だから仕事を教え込めば、人間よりも安定した労働者として使うことができる。
こうした考えから、淫魔の労働者が次々と増えていった。
だが、淫魔の労働者が増えてくると大きな問題が生じた。
それは後継ぎがいないことだ。
淫魔共生法によって、淫魔に経営権を握らせることは違法とされている。
特にこの問題は第一次産業を支える現場で多発し、法令違反による摘発と後継者不在による廃業が相次いだ。
その先に起こった問題が食料難だ。
エルウィンは隣国ルストシュタインからの食料品の輸入を強化し、国難を乗り越えようとしたが、もはや限界だった。
相次ぐ後継者問題による摘発と廃業からくる食料難は、国民感情を真っ二つに分断した。
「淫魔の労働権利を剥奪しろ!」
「淫魔にも経営権を与えるべきだ!」
エルウィンは後者を選んだ。
正確には後者の選択しか残されていなかった。
国民の二割を占める淫魔を労働市場から追い出せば、もはや国の経済を維持できなくなるからだ。
淫魔は人の下にあるべき存在である。
その概念が淫魔共生法から取り除かれると、淫魔を対等と見るがゆえに憎悪を募らせる者たちが増えていった。
「淫魔共のせいで、俺たちの仕事がなくなった」
「あいつらのせいで出世の道が断たれた」
食料危機から20年が過ぎると、今度は地位の欲しい人間たちが淫魔を排除すべきだと主張を強めた。
長命の淫魔が指導者である以上、世代交代は起こりえない。
そうした寿命差が、種族への憎悪感情に火を付けたのだ。
憎悪に駆られた者たちが各地で暴動を起こすようになると、ルクスリアは治安悪化の一途を辿った。
それに伴い、他国へ移住する人々が増えた。
それは淫魔とて例外ではない。
淫魔と人間の共生はこの時代から、隣国のルストシュタインを始め、各国へ広がっていった。
ルクスリア以外の国では、淫魔との共生を根ざす法律が存在しない。
しかし、人々に危害を加えない淫魔たちは法律に守られないまま、その数を増やしていった。
エルウィンは分断された国民感情の問題を、解決できないままこの世を去った。
次代の王も同様だった。
次第に分断が当たり前のものとなり、ルクスリアは衰退の一途を辿った。
さらに500年が経つと、ルクスリアには人間はほとんど見られなくなった。
人間は淫魔にとっても大事なパートナーである。
ルクスリアから人間が激減すると、淫魔たちは次々と他国へ飛び出し、新天地でパートナーとの関係性を紡いだ。
また、ルクスリアに残った淫魔たちは、人類を存続させるために若い男女を集めて交配を試みた。
人間の家畜化である。
この時代、ルクスリアはついに人間の指導者を失った。
後を継いだのは当然淫魔だ。
指導者に適切な人間が残っていなかったからである。
この事態に危機感を抱いた隣国ルストシュタインの国王リクスは、国内で暮らす淫魔の追放を宣言した。
しかし、すでに手遅れだった。
ルストシュタインの国営事業でさえ、淫魔なしでは機能しないほど彼女らに依存していたのである。
各事業者に留まらず、治安を守る騎士でさえもリクスの言葉に従わなかった。
淫魔を無差別に追放すれば、この国が立ち行かないことを分かっていたからだ。
有力貴族たちの間でも淫魔をパートナーとする者は多い。
良好な関係を維持する彼らが、リクスに従い淫魔だけを追い出すことはなかった。
「ふざけるな!私を誰だと思っている!」
リクスは一向に進まない淫魔の排除に立腹し、もはや誰も信じられなくなっていた。
次第に暴君へと変貌していき、最後には国内の淫魔共生推進派によって暗殺された。
程なくしてリクスを暗殺した公爵がルストシュタインの女王に就任した。
女王は就任早々、自身の亡き後は淫魔の夫に王の座を継がせると宣言をした。
「あいつは人間の敵だ!」と、女王を非難する声は少なからずあった。
しかし、リクスの暴政に疲れ切った人々の大半は、そんな彼女が実権を握ったことに安堵していた。
「お母さまはこんなことを望んでいなかったのに……」
リリスの後を継いだ魔王リリムは、人類の社会情勢を憂いていた。
リリムもまたリリスと同様に、純粋に人間との共存を望んでいるだけだった。
だが、ルクスリアは今や淫魔の国家となった。
ルストシュタインもルクスリアと同じ運命を辿るのは時間の問題だ。
リリムは人類を支配したいわけではない。
ただ共生を望んでいるだけの彼女にとって、今のルクスリアの姿は望ましいものではなかった。
ルストシュタインで起きた暗殺事件に、周辺諸国はさらに強い危機感を募らせた。
特に軍事国家ラースルインの王サルーガは、苛烈な人間至上主義者だ。
「我がラースルインはこれより淫魔掃討を掲げる!」
サルーガは国内の淫魔迫害に留まらず、人間界に住み着く全淫魔の掃討を掲げた。
彼はルクスリア、ルストシュタインに人類の主権を取り戻すと宣言した。
事実上の侵略宣言だ。
リリムは自国の淫魔を迫害するだけなら、黙認するつもりだった。
しかし、ルクスリアとルストシュタインへの侵略を見過ごすことはできない。
魔王軍を率いるリリムは、ルクスリアとルストシュタインの保護を名目に、ラースルインとの開戦を宣言した。
人間と魔族の戦争は800年ぶりだった。
だが、その戦争はわずか3日で終戦した。
血気盛んな魔王軍の軍勢がラースルインの要所をあっさりと制圧したからだ。
サルーガは民衆の前で敗戦宣言をすると、その直後に自決した。
突然指導者を失い混迷するラースルインに、敵対していた隣国はすぐさま侵略を開始した。
程なくしてラースルインは滅亡した。
ラースルインの滅亡から200年後、全人類は淫魔の家畜として管理されていた。
揺り籠から墓場まで管理される人類は、みんな幸せそうだった。
リリスとリリムは決してこんな未来を望んだわけではない。
けれど、リリムはこうなるしかなかったと諦観していた。
人間と淫魔は真の意味で共生できない。
それがリリムの導き出した結論だった。
リリスが魔王となる以前の1000年は、人間の支配を目論み双方に数多の犠牲者を出しながら決着は付かなかった。
それなのに和平と共生を望んだリリスがきっかけで、人類を完全に掌握できてしまったのは何という皮肉なことか。
リリムはそんな歴史を紡ぎ手として、「人類とはどのような存在だったか」を後世に伝えるべく手記を記した。
以降、人類が再び歴史の表舞台に台頭することは永遠になかった。
人類と淫魔の共生史 ファイアス @prometheus72
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