第12話 飽くまで伊織

 昼下がりのファミレス。

 休日の喧騒がガラス越しに揺れて、スプーンの音が遠くでかちゃりと鳴った。

 俺は何気なく顔を上げて、入口に立つ一人の男を見た。


 透だった。


 ……いや、そう“見えた”だけだ。


 少し長い茶髪を片耳だけかけ、金のピアスを光らせながら軽く笑って店員に会釈をする。

 その角度、呼吸の間、手の置き方。全部、伊織だった。


 思わず背筋が冷たくなった。


 人が他人を真似ることはできる。けれど、ここまで「他人そのもの」になるのは、もう模倣や真似じゃない。


 彼は窓際の席に座り、グラスの水をひと口飲んで、軽く目を細めた。その仕草一つで、周囲の空気が整う。


 そこにいた誰も、彼を「葉月透」として見ていない。誰も覚えていないのか、最初からそんな人間はいなかったみたいに。


 俺だけが、その歪みを知っていた。

 脳裏に、あの夜の言葉が蘇る。


――「成るよ」


 本気で言ったあの声は、今も形を変えてこの空間に居座っている。

 呼吸を飲み込む。声をかけることはできなかった。


 彼は食事を終え、レシートを手に立ち上がる。

 その背を見送る間、俺の中で確信に変わってしまった。



 もうこの世界に、「葉月透」はいない。



 それは、飽くまで伊織だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

『伊織』 無頼興索 @B_Kyosaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ