第2話 彼の言い分
2 彼の言い分
俺こと東国明比佐が件の女子の噂を聞いたのは――約一年前の事だ。
料理がうまい、女。
それは、俺としては実に聞き捨てがならない話である。
何せ東国家は、既に三代にわたって料理を生業としている。
その例に漏れず、俺もまた日々料理の腕を磨いていた。
料理こそが俺の生きがいであり、天が俺に与えた使命だとさえ思っている。
友人にその事を話すと決まって鼻で笑われるのだが、そんなヤツ等も俺の料理は認めていた。
俺が皆から一目置かれているのは――この料理の腕があったればこそだ。
自分では意識していないが、どうも俺はその所為で態度がデカいらしい。
〝無駄に偉そう〟と言われる事もしょっちゅうで、この態度が気に入らないのか、俺は友達が少ない。
クラスの人気者とは言えず、俺に活躍の場があるとすれば文化祭ぐらいだろう。
中二の文化祭では俺が主力になって喫茶店を催し、好評を博したものだ。
我ながら自画自賛だが、これは事実と捉えて良いと思う。
何せその年の最優秀賞はウチのクラスで、店の売り上げもトップだったのだから。
これが自信に繋がって、俺の態度は益々偉そうになったというのが周囲の評価である。
実際、俺は自分の料理に誇りを持っている。
いや、自分だけじゃなく、料理がうまい人間は無条件で尊敬できる。
料理がうまい人間は、皆善人だと子供の頃は思っていた位だ。
それが事実かどうかは、今となっては分からないが、料理と言う単語は常に俺の気を引く。
その為、俺は当然の様に件の噂に食い付いた。
料理がうまい――女子。
その評価を無視できるほど、俺は大人ではなかったから。
ハッキリ言えば、俺は料理がうまい女子に会った事がない。
自称自作の美味そうな弁当を食べている女子のおかずを強奪した事が、俺は何度かある。
決まってその後〝キモイ真似はやめろ、このバカ〟と罵倒されるのだが、俺の料理に対する情熱はそんな物では揺るがない。
寧ろ〝何だこの弁当、見かけ倒しじゃねーか〟と言い返したいのが常である。
俺も一応常識人のつもりなので、女子に恥をかかせる気はない。
そんな事を口にしようものなら、その女子の面子を潰す事になる。
ソレを避ける事が、俺としては最大限の配慮だ。
〝そういう所も、明比佐のズレている所だよな〟と、周囲の人々は謳う。
確かに俺は、他人とはズレているのかもしれない。
けど、俺はそんな自分が気に入っているし、今更心を入れ替えるつもりもない。
そうやって軌道修正が出来ない所も、友人が少ない理由の一つだろう。
友人さえ少ないのだから、彼女なんて居る筈もない。
いや、俺としては俺に見合う女子に、まだ出会った事がないのだ。
俺が理想とする彼女象とは――正しく料理がうまい女だから。
故に、俺は今日まで料理がうまい女を追い求めていた。
料理さえうまければ、多少の事は目を瞑る。
年上でも、年下でも構わない。
顔だって、譲歩する所は譲歩する。
少し肥えていようが料理さえうまければ、俺はソレも個性の一環だと捉えるだろう。
……まあ、正直に打ち明ければ、俺の好みは控えめな女子なのだが。
おっとりとした顔で、余り自己主張はせず、それでも自分の仕事は的確にこなす。
口数は少ないが相手の気持ちはしっかり分かっていて、気配りが利きすぎるほど利く。
自分の欲望を包み隠さず言えば、俺はそんな女を女房にしたかった。
だが、以前、迂闊にもそんなユメを友人の一人に語った時はこう返された。
〝アホ。
ソレはもう、人間じゃなく天使の類だ。
女子を甘く見るなよ、アホ明比佐。
生身の女子は、もっとこうドロドロした歪んだ存在だぞ。
第一そんな女子がこの世にいるなら、俺の方が先に嫁さんにするわ〟
真顔でそう説教をされたのを、今でもよく覚えている。
〝世間知らずにも程がある〟と言うのが、ソイツの感想だ。
実際、それはその通りなのだろう。
俺だってそんな女子には、今までお目にかかった事が無い。
これは俺の妄想で、所謂一つの女性幻想という奴なのだ。
料理にしか目がいっていない俺は、現実の女子と言う物をまだよく知らなかった。
お蔭で〝ある意味幸せなヤツ〟とまで友人に言われているのが、この俺だ。
そんな俺が、料理がうまい女子が居ると耳にした。
ならば、それは紛れもなく現実を知るのと同時に、彼女をつくる好機とも言える。
正直、俺はあまり期待などしていなかった。
それでも、俺はその日、やつが在籍しているという一年二組に足を運んだ。
噂の真偽を確かめる事が、俺の使命だとさえ思ったから。
〝………〟
で、俺はその女子と対面した訳だが――第一印象は最悪だった。
まず、気が強そう。
ツリ目であるその女子は、自己主張の塊に俺には見えたのだ。
俺自身がこんな性格なので、こいつとは何があっても分かりあえない。
互いの意見は永遠に平行線を辿り、和解する日は一生こないだろう。
宿敵とは正にこいつの事で、俺とやつは完全に別世界の存在と言える。
いや、一目見ただけでここまで直感するのは些か失礼な気がする。
それでも、これが俺の本心からの心証だった。
よって、俺はある種の恐怖を覚えた。
万が一こいつの料理が美味いとすれば、俺はこいつとつき合わなければならないからだ。
どう考えても馬が合わなそうな女子と、つき合う。
それほど時間と労力の無駄は、この世には存在しまい。
俺は苦行に耐える、坊主ではないのだ。
女子くらい、好みの性格の奴とつき合いたい。
今も椅子に座って、俺の顔を見ているその女子が何を考えているか俺には見当もつかない。
逆を言えば、俺がこんな事を考えているとは、この女子も思いもしないだろう。
何にしても、賽は投げられた。
ここまで来た以上、俺は俺がするべき事を果たすしかない。
はるばる二組までやって来て、このまま手ぶらで帰るのは余りにもバカバカしいからだ。
俺こと東国明比佐は、例によって女子の弁当箱から無断でオカズの一つを強奪する。
ソレを口に含み、どうせ大した事は無いのだろうと思って、咀嚼を始めた。
〝………〟
俺が思わず、血ヘドを吐きそうになったのは、その時だ。
何だ、これはと感じ――俺は自身の価値観が崩壊する音を確かに聴いた。
ソレは、今まで食べた事が無い食感だった。
この歳の女子がつくる卵焼きは、油の量が多すぎて大抵は油臭くなる。
臭みが強くて、とても食べられた物じゃない。
だというのに、この卵焼きはまるで別物だ。
口にした途端、心地いい香ばしさが口一杯に広がり、鼻孔をくすぐる。
生クリームの様にフワフワな食感は、正に口の中でとろける様だ。
仄かに甘くて、そのクセ卵本来のうまみも決して逃さない。
オカズともデザートも言えるソレは、正に一種の芸術品だった。
いや、我ながら語彙が貧困すぎる。
実は俺、料理をつくるのは得意だが、その味を表現するのは苦手なのだ。
常に凡庸な物になってしまい、一割も感じている事を表現しきれない。
その為、俺は実に単純にこの衝撃を言葉にするしかなかった。
――美味いと、俺はただ強く感じる。
どれくらい美味いかと言えば、件の女子の容姿が殆ど気にならないくらい美味い。
この料理を毎日食べられるなら、自分の好みなど肥溜に投棄しても良い位だ。
つまりはそういう事で、俺の価値観が崩壊したというのは、そういう意味だった。
俺は改めて例の女子に目を向け――ついで彼女を口説いた。
その偉そうな物言いは、きっと俺らしい物だったに違いない。
けど、違う。
これは、俺の本心じゃない。
この降って湧いた初恋を前にして、俺はただ照れているだけだった。
照れ隠しが不遜な態度に変わって、俺はつい上から目線で彼女に言い寄ったのだ。
それでも、俺は真剣だった。
ひたすら本気で、俺はこの恋を成就させる為に言葉を紡ぐ。
俺の話を聞いて彼女がどう思ったのかは、俺には当然分からない。
今でも、それは知らない。
ただ、彼女は俺にチャンスをくれた。
俺がつくった弁当を食べてくれると、言ってくれたから。
ならば、後は全身全霊を込めて腕を振るうだけだろう。
俺は明日の弁当を人生最高傑作にする決意を固めて、その場を去ったのだ。
……いや、その結果は正に無残な物だった。
俺の渾身の弁当はあっさりダメ出しを受け、改善点を指摘され、俺のプライドをズタズタにした。
料理屋の息子が、一般家庭の女子に、完膚なきまでに敗北したのだ。
不思議だったのは、ソレが何の屈辱でもなかった事だろう。
何故か俺はその事実をすんなりと受け入れ、思わず笑いさえした。
それでも俯いて顔を上げる事が出来ない俺に、彼女は告げる。
〝君って、本当に面白い奴なんだね〟と――意味不明な事を笑顔で口にした。
……思えば、俺はその笑顔を見た時点で、既にノックアウトされていたのかもしれない。
自分がこんなに簡単な男だとは思っていなかったが、この時点で俺は彼女に骨抜きにされた。
俺の最大の幸運は、何故か彼女が俺との交際を了解してくれた事だろう。
彼女の意図は分からないが、俺はその日、人生最高の幸福を得たのだ。
ソレが彼女との――紫塚狩南との出会い。
狩南とつき合う事になった――今も忘れられない切っ掛けだった。
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