いつか――あの時あの場所で

マカロニサラダ

第1話 狩南と明比佐

     序章


 周囲の人々の証言によると――彼は突然変わりだしたと言う。

 

 彼等が知る限りでは、切っ掛けは全くの不明。

 仕事でミスをした訳でもなく、異性に恋をした素振りも無い。


 ただ唐突に彼の口調は変わり、仕草も癖も変化した。

 これではまるで別人の様だと周囲の人々は噂して、一時期はその話題で持ち切りになる。


 自身のそんな噂に嫌気がさしたのか、彼はその七日後に会社を辞めた。

 元々やり手だった彼の辞表を見て、上司は大いに落胆した物だが、彼の決意は固いらしい。


 最後に上司は会社を去る理由を彼に訊いたが、彼の話は余り要領を得なかった。


 彼はただ〝どうも、やる事が出来てしまった様なので〟とだけ言って、今までの人生に別れを告げたのだ。


 その後の彼の消息は、家族さえも知らない。

 家族は彼の捜索願さえ警察に届け出たが、今の所、成果はあがっていない。


 母は嘆き、父も憔悴して、妹は今も彼を捜している。

 せめて彼が行方を眩ました理由を知りたいと願っているが、その想いは別の所で果たされた。


 全くの赤の他人である一組の男女は、その日、彼と出会う事になる。


 それが彼女にとっての、煩悶の日々の幕開けになるとは――今は誰も知る由も無い。


     1 狩南と明比佐


 その日も――実に平和だった。


 私こと紫塚狩南は、恐らく何処にでも居る女子高生だろう。

 今年十七歳になる私は、普通に高校二年生という立場をエンジョイしている。


 ただ、私には少しだけ自分の名前にコンプレックスがあった。


 狩南の狩は、狩猟をさす意味合いを孕む。

 狩猟とは古来より男性の役割であり、女性が関わっているという話を私は殆ど知らない。


 だというのに、何を思ったのか、父は娘である私に〝狩南〟という名前をつけた。

〝南を狩れ〟ともとれるこの名前は、実に意味不明だと思う。


 私に南の国を制圧させて、王様にでもなって欲しいのか? 

 それとも、ただの思いつきか? 


 私は何度となく父に訊ねた物だが、父は未だに笑って誤魔化すばかりだ。


 お蔭で友人達は〝狩南って、ちょっと強そうな名前だよね?〟と評し、私を困らせる。

 武術の類は全く習っていない私としては、そんな事を言われても言葉を濁すしかないからだ。


 確かに私は少しツリ目で、強そうに見えなくもない。

 実際、気が強そうともよく言われ、その度に私は苦笑いを浮かべている。


 そんな自分を気にして、髪型を少しでも可愛く見せる為にツインテールにしている位だ。


 そんないじらしい私は、今日も学校指定の夏服を身に纏い、学業に専念していた。


 変な事があったとすれば、今朝、道でおかしな人に出会った事ぐらいだろう。


 白く短い髪をした、ワンピース姿の、恐らく私と同年代の彼女は登校中の私を見て立ち止まる。


 私は彼女が私に用があるなんてちっとも考えていなかったので、普通に歩を進めた。


 だが、彼女は私を見て――笑顔でこう告げたのだ。


「――君、南の国の王様になるつもりなら、止めた方が良いよ。

 私としては、この国を二分して欲しくはないから。

 二分するのは、君達の星だけで十分でしょう。

 幾らそれが君達の性質でも、この星ではそのルールは適用できないと思う。

 何しろ、この星には怖いヒト達がひしめいているからね。

 私が止めなくても、きっと他の誰かが妨害工作をしてくる筈。

 それはきっと――君達にとってとても不幸な事だよ」


 正直、まるで意味不明だった。

 というより、常人が彼女の言っている事を理解したなら、それは既に常人ではない。


 どう考えてもソレは戯言にすぎず、もっと言えば妄言に等しい話だ。

 私が気にする様な事ではなく、徹底的に無視して不快な態度の一つも見せるべきだろう。


〝朝からなに寝言を言っているんだ〟と、罵声を浴びせても良い位だ。


 ただ、当然だが、私はそんな事を言われた事が一度も無かった。

 自分の名前の意味、〝南の国を狩る〟というのは私個人の解釈にすぎない。


 他の誰にもそんな事は話した事が無いのに、白髪の彼女は、私の考えを普通に見抜いたのだ。


 それが私に少なからず衝撃を与え、こうして今でもその事を覚えてしまっている。

 私としてはさっさと忘れたいのだが、今でも何かがひっかかっている。


 これが、実に善意の忠告だと知るのはそれから暫く経っての事だ。


 現在のところ何も知らない私は、努めて冷静を装いながら学校の廊下を歩いていた。


 目的の場所に着いたのは、五分後の事である。


 学校の屋上までやってきた私は、そのままキョロキョロと周囲を見渡す。

 私以外にも十数人ほど別の生徒が居たが、目的の人物は直ぐに見つかった。


「狩南――おせえぞー」


 それは、極めて普通の男子生徒だ。


 髪を染めている訳でもなく、制服を改造している訳でもない。

 背も百七十センチ程で、実に平均的だ。


 ただ口調が乱暴で、態度も偉そう。


 奴の名前は――東国明比佐といい、私の同級生である。


 この有り触れた男の唯一の特徴と言えば――この私とつき合っている事だろう。

 

 東国明比佐は――端的に言えば紫塚狩南の彼氏なのだ。


「うるさい、明比佐。

 そっちが、来るのが早すぎるのよ」


 私は早速、笑顔で文句なんかを言ってみる。

 明比佐の影響だと思うが、私は彼と接する時は言葉遣いが少し荒くなる。


 そんな私に対して、明比佐はやはり気にした風でも無い。

 既にベンチの一角に陣取っている彼は、ベンチをバンバン叩く。


「そんなご託は、どうでもいい。

 それより、早く飯を食わせろ。

 今日はお前が当番だって事、まさか忘れているんじゃねえだろうな?」


 やはり横柄な態度で、明比佐は要求してくる。

 私は鼻で笑い、肩に下げている鞄からお弁当箱を二つ取り出し、その一つを突きつけた。


「――冗談。

 あんたとの腐れ縁は、このお弁当から始まったんだから、忘れる訳がないでしょう」


 学校はいま昼休みを迎え、多くの生徒が昼食をとっている。

 私や明比佐もその例に漏れず、こうしてお弁当の時間を迎えていた。


 彼はお礼さえ言わず、私からお弁当箱をかっさらう。

 速やかに包みをとり、蓋を開ける。


 無言で卵焼きを口に放り込むと、明比佐は目に見えて顔をしかめた。


「……何だ、これ? 

 前から思っていた事だが……本当にお前は何者だ?」


 私は何時もの様にその質問には答えず、彼の隣に座る。

 私が自作のお弁当を食べ始めると、明比佐はやはり不機嫌そうにソレに倣う。


「……だから、何で一般家庭の女子にこんな味が出せる? 

 お前は一体、何なんだ? 

 俺より料理がうまいとか、普通ありえねーだろ……?」


 料理が、うまい。


 それが私こと紫塚狩南の、特徴の一つである。


 私としては普通に料理をしているだけなのだが、私の料理を食べた人は口々にそう言う。

 理由は今でも不明だが、東国明比佐もその一人だ。


 私立紅蘭高校に入学してから一月ほど経った頃、私の噂は広まった。


 何でも一年二組に、料理がうまい女子が居ると言う。


 この噂を流したのは、私と一緒に食事をとっていた友人達だ。

 その一人が、私のから揚げを食べたのが事の始まりである。


 彼女は一瞬咀嚼を止め、それから硬直して、化物を見る様な目で私を見た。

 ついで彼女は、身を乗り出す。


〝――はぁ? 

 紫塚さんって――コックか何かっ? 

 これ、明らかに普通じゃないでしょうっ?〟


〝少なくとも私はこんなから揚げは食べた事が無い〟と彼女は語り、そこから私のお弁当は一瞬で空になる。


 その感想を聞いた残りの二人の友人達も、私のおかずを強奪し始めたからだ。


 友人曰く、実に漫画的な感想だが〝これ、至○のメニューに選ばれるレベルの料理だよ!〟との事。


 確かに母に初めて料理を振る舞った時も〝今日から料理は狩南の担当ね〟と何とも言えない顔で言われてしまった。


 どうも私は、専業主婦である母のプラドを傷付けたらしいのだ。

 それは故意ではなく過失による物だったが、ある種の傷害事件と言えた。


 そんな噂が広まった頃――件の男子が私の教室にやって来た。

 

 まだ一年生だった私と彼はそこで初めて顔を合わせて、彼は明らかに私を敵視した。


 その理由はここでは伏せるとして、とにかく彼は私のお弁当箱から卵焼きを強奪したのだ。


 ソレを口にした彼の顔は、今でも克明に覚えている。

 

 彼もまた化物を見る様な目で私を見てから、鼻息を荒くした。


〝……冗談、だろ? 

 顔は全然好みじゃねえのに、冗談だろ……?〟


 明らかに失礼な事を言われた気がしたのだが、彼は尚も意味不明な言葉を吐き出す。


〝……そう、か。

 俺もいよいよ、年貢の納め時か。

 いいぜ、分かった。

 じゃあ――今日からお前は俺の彼女な〟


〝………は、い?〟

 

 いや、話が急展開すぎる。

 本当に、意味が分からない。


 なぜこの私が、今日出会ったばかりの男子生徒の彼女にならなければならない?


 やつは当然の様に私の意思を無視して、自分勝手に話を進めてくる。


〝いや、俺は前々から、料理がうまい女を彼女にする予定だったんだ。

 今までそんなやつは居やしなかったが、お前は違った。

 お前は見事に、俺のお眼鏡に適ったという訳だ〟


〝………〟


 だから、待て。


 私にも選ぶ権利と言う物があるだろ? 

 何を言っているんだ、この自己中男は? 


 どこぞの国の王子様か何かなのか、きみは? 


 私としてはそうとしか思えなかったが、彼はあり得ない事に本気だった。


〝なら、勝負をしよう。

 明日俺も弁当をくれてやるから、そいつを食ってから判断してくれ。

 いや、ここまで料理ができる奴なら、絶対に俺の気持ちが分かる筈だ〟


〝………〟


 正直言えば、私はここまで真剣な顔で物事を語れる男子と言う物を、今まで見たことが無かった。


 或いは、その剣幕に少なからず押されたのだろう。

 私は思わず頷いてしまい、その日を迎える事になる。


 約束通り自作のお弁当を持参してきた彼は、私にソレを突きつけたのだ。


 彼のお弁当を口にした、私の感想は以下の通り。


〝……確かに美味しい。

 でもこの照り焼きはあと五ミリグラム胡椒を足して、醤油じゃなくマスタードをかけた方が、味が引き締まるかも〟


〝………〟


 ダメ出しだった。

 私としては、的確に彼の料理の悪い所を指摘したつもりだった。


 それが要因になったらしく、彼は明らかに落胆する。

 今までの勝気な態度は影をひそめ、彼は初めて私に弱気な顔を見せたのだ。


〝……うぐ。

 そう、か。

 お前がそういうなら……そうなんだろうな。

 ……俺もまだまだという事か。

 こんなんじゃ、俺はお前の彼氏失格だな……〟


〝―――〟


 そんな彼の捨てられた子犬みたいな顔を見て――私は初めて笑ってしまった。


〝……そっか。

 君って、本当に面白い奴なんだね――〟


〝へ……?〟


 一直線と言うか、一途というか、とにかく自分が拘る事になると周りが見えていない。

 この歳の男子が女子に告白する事は凄く勇気がいる事なのに、それさえ気にしない。


 彼は実に、自分の欲望に素直な人間だった。


 ぶっちゃけ、私はそういう自己中な男は嫌いなのだが、何故か彼は違った。

 彼は確かに私の琴線に触れ、だから、あろう事か私は彼との交際をオーケーしたのだ。


 正直、チョロい女だと思われるは癪だった。


 けど、彼が――東国明比佐が私の心を動かしたのは事実だったから。

 

 その流れに乗って、私は現在も彼との交際を続けている。

 料理バカである彼は一年以上も交際しているのに、未だにキスさえ迫ってこない。


 偉そうな態度とは違い、この純粋な所が――私は素直に可愛いと思った。

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