第3節 断罪の教室 ― 贖いの定義

 翌朝、校門前には報道の車が停まっていた。

 マイクを持つ地方ニュースの記者が、教師に詰め寄る。

 「青嶺高校のSNS騒動について、コメントをお願いします!」


 教師は顔を引きつらせて通り過ぎた。

 その背後で、スマホを構える生徒たちが笑っている。

 “撮る側”に回れば、誰もが安全――

 この国の子どもたちは、それを本能で理解していた。


 E組の教室に入ると、慧の席の上にはプリントが積まれていた。

 そこには、赤いスプレーで大きく書かれている。

 「裏切り者」「操り人形」「地獄へ落ちろ」。


 慧はそれを無言で束ね、ゴミ箱に捨てた。

 表情には怒りも、悲しみもなかった。

 ただ――疲れていた。


 前世では権力の頂点で。

 今世では、ただの高校生として。

 どちらでも、彼は結局同じ結末を迎えている。

 “群衆に燃やされる側”として。


 (愚かなのは、世界か。それとも私か。)


* * *


 昼休み、南雲が駆け込んできた。

 「慧、大変! 《連盟》の掲示板がパンクしてる!

  あんたが創設者って情報、もう拡散されてる!」


 慧はゆっくりと立ち上がる。

 「……そうか。なら、終わりにしよう。」


 「終わりって、どういう――」

 慧は南雲の肩に手を置いた。

 「これは最初から、“償い”の実験だったんだ。

  私は自分の罪を再現してみた。

  支配し、煽り、破壊して。

  それでも、誰かが救われるかどうかを。」


 南雲は息をのむ。

 「救われた人なんて、いないよ。」

 慧はうなずいた。

 「――だから、これでいい。」


 * * *


 午後の授業が始まる直前、校内放送が響いた。

 > 『3年E組・鷹栖慧。至急、生徒会室へ。』


 ざわめく教室。

 慧は静かに立ち上がり、扉を開けた。


* * *


 生徒会室には、教師数名と、生徒会の面々。

 その中央に璃子が座っていた。

 彼女の表情は、もう怒りでも悲しみでもなかった。

 ただ、何かを悟った人のように穏やかだった。


 「慧くん……どうしてこんなことを?」

 璃子の声は震えていた。

 慧は一瞬黙り、やがてゆっくりと言葉を選ぶ。


 「あなたの“正義”が、私には眩しすぎた。

  だから、壊したくなった。」


 「壊して、何が残るの?」

 「――現実だ。」


 教員の一人が怒鳴る。

 「君がやったことは犯罪行為だぞ! 名誉毀損、侮辱――」

 慧はその言葉を遮った。

 「ええ、罰を受けましょう。

  でも先生、あなたたちも“拍手”したでしょう?

  生徒が誰かを叩く時、止めずに“成績のためだ”と見て見ぬふりをした。

  違いますか?」


 教師は言葉を失う。

 教室に沈黙が落ちる。

 慧はゆっくりと教壇に立った。


 「この学校は、社会の縮図です。

  正義を叫ぶ者が増えれば、正義は通貨になる。

  “誰かを責める”ことで、自分を高く見せる。

  その快楽に溺れた結果が――これです。」


 生徒たちは息をのむ。

 慧は静かに続けた。


 「私は、前の世界でも同じことをした。

  権力を得て、正義を語り、民を苦しめた。

  そして今、また同じ罪を繰り返した。

  けれど――ようやくわかりました。

  贖罪とは、責められることではなく、理解することだ。」


 璃子がそっと口を開く。

 「……理解、って?」

 「人は愚かだと、受け入れることです。

  他人も、自分も。

  その愚かさを愛せるようになった時、

  ようやく“誰も責めない正義”が生まれる。」


 体育館の外で、夕陽が傾いていく。

 光が差し込み、慧の顔を照らした。

 その表情は、不思議なほど穏やかだった。


 「鷹栖慧、君は停学処分だ。」

 教師の言葉が響く。

 慧は微笑み、うなずいた。

 「ええ。これが私の“刑”でしょう。」


* * *


 翌週、E組の掲示板に新しい投稿が上がった。

 投稿者名は「鷹栖慧」。

 その本文には、ただ一文だけ。


 > “人を動かす最も強い言葉は、赦すことだ。”


 コメント欄はすぐに荒れた。

 「綺麗ごと」「お前が言うな」「反省しろ」

 しかしその一方で、ひとつの返信が静かに残った。


 > 「でも、ありがとう。私は救われた気がする。」


 投稿主は、璃子だった。


* * *


 慧はその頃、自宅の庭に立っていた。

 冬の空気が冷たい。

 土の上に落ちた落ち葉を見つめながら、

 彼は小さく笑った。


 (前の世界では、民の血で咲いた花を愛でていた。

  今世では、土に還る葉を見ている。

  少しは、変われたかもしれないな。)


 スマホの通知が鳴る。

 南雲からのメッセージだった。

 > 「なあ慧、また“反省会”でもしようぜ。

  次はリアルで、カフェで。」


 慧は短く返信した。

 > 「……それなら、少しだけ紅茶を奢ってくれ。」


 空を見上げると、曇りの切れ間に小さな光。

 それは、前世で見た“神の焔”よりもずっと淡く、

 しかし確かに――温かかった。


 (もし、次があるのなら。

  今度こそ、人を支配するためではなく、

  誰かを理解するために、生きてみたい。)


 そう呟いた声は、冬の風に溶けて消えた。

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底辺クラスの宰相様 ―元悪徳政治家、いじめの学園で笑う― aiko3 @aiko3

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