第2節 炎上という祭り ― 正義の暴走

 《反生徒会連盟》の公開集会から、わずか三日。

 学校の空気は、明らかに変わっていた。


 誰もが何かを疑い、誰もが誰かを責め立てる。

 笑顔で交わす挨拶の裏に、見えない監視の目。

 「先生、あの人の態度おかしくないですか?」

 「昨日、璃子会長が生徒会室で泣いてたらしい」

 「E組の鷹栖、裏で仕切ってるって噂」


 廊下の空気は、熱を帯びていた。

 人々が興奮しているのは、怒りではない。

 ――“正義の快楽”だ。


 慧はそれを、誰よりもよく知っていた。

 かつて帝都が滅びたときも、民衆は同じ顔をしていた。

 「悪を倒した」と叫びながら、快楽に酔っていたのだ。


 (人間は、悪を憎んでなどいない。

  “悪を裁く自分”を愛している。)


 * * *


 昼休み。

 E組の教室で、南雲が焦ったようにスマホを差し出した。

 「ねえ! これ見て!」


 そこには、生徒会副会長・桐原の顔写真。

 横には赤文字のテキストが並ぶ。


 > 【独占】副会長、教師に答案改ざんを依頼!?

 > #青嶺の闇 #反生徒会連盟


 「これ、どう見てもデマでしょ!」

 南雲の声が震えていた。

 慧はしばらく無言で画面を見つめ、

 やがて静かに言った。

 「……私ではない。」


 「じゃあ、誰が?」

 「誰でもない。“連盟”が独立したんだ。」


 慧の指先が震えていた。

 今や《反生徒会連盟》のフォロワーは一万人を超え、

 匿名の投稿者が次々と現れていた。

 「桐原の贔屓を見た」「あいつの推薦は不正」――

 根拠のない情報が、雪崩のように拡散していく。


 (これは……もう、誰にも止められない。)


 * * *


 その日の放課後。

 生徒会室では、璃子が疲れ切った顔で椅子に座っていた。

 「……私、何が悪かったんだろう。」


 副会長の桐原が、唇をかみしめながら言った。

 「正義を語るって、怖いですね。

  一歩間違えば、誰でも“悪役”にされる。」


 璃子はスマホを握りしめた。

 画面には罵詈雑言が並んでいる。

 「裏口推薦女」「偽善者」「嘘つき会長」――

 彼女が築いてきた“理想像”は、わずか数日で瓦解した。


 「どうして……こんなに簡単に壊れるの……?」


 桐原は俯きながら答えた。

 「たぶん、みんな暇なんですよ。」

 璃子は小さく笑った。

 「そうかもね。」


 * * *


 その夜。慧は匿名アカウントを眺めながら、

 混乱するタイムラインを追っていた。


 (群衆は、支配されるより“正義を共有する”方を好む。

  だがその正義は、いつも誰かの血で保たれる。)


 ――その瞬間、またひとつの投稿が上がる。


 > 【内部告発】天野璃子、生徒会費を私的流用?

 > #青嶺腐敗を許すな #反生徒会連盟


 慧の指が止まる。

 投稿の出所を追うと、同じE組の生徒のアカウントだった。

 しかも、慧が以前匿名で“いいね”を押した相手。

 つまり、彼の言葉を“信者”のように受け継いだ者たちが

 今や“自分の意志”で行動しているのだ。


 「……私のコピーたち、か。」


 そう呟いた声に、南雲が言った。

 「あんたの言葉が、人を動かしたんだよ。

  でも、もう止めるべきじゃない?」

 慧は首を横に振った。

 「止めることは、支配することだ。

  私はただ、世界を観察している。」


 「嘘。あんた、怖いんでしょ。」

 慧は息をのんだ。

 南雲は続ける。

 「自分の作ったものが、自分より大きくなってくのが。」


 その言葉は、図星だった。

 慧は窓の外に視線を逸らした。

 外では、夕暮れの光が赤く校舎を染めている。

 ――それは、あの帝都が燃え落ちた空の色と同じだった。


 * * *


 翌日。

 校内は完全に分断されていた。

 “連盟派”と“生徒会派”。

 廊下では言い争いが絶えず、授業中にも怒号が飛ぶ。


 「教師もグルだ!」「真実を隠すな!」

 誰もがスマホを掲げ、録音、撮影、投稿。

 現代の“革命”は、指先で起こる。


 「やめろ! それ以上撮るな!」

 怒鳴る教師の声。

 それすらも“証拠動画”として拡散される。

 #青嶺の闇 は、トレンド入りした。


 慧はその光景を、まるで他人事のように眺めていた。

 (民は言葉を得た。だが、思考は失った。)


 その時、廊下のスピーカーが鳴った。

 「全校生徒は体育館に集合してください。

  生徒会から大切なお知らせがあります。」


 * * *


 体育館。

 ざわめく生徒たちの中で、璃子は壇上に立った。

 マイクを握る手が震えている。

 それでも、彼女の声ははっきりしていた。


 「みんなに、お願いがあります。

  ――このままでは、学校が壊れます。」


 沈黙。

 「誰が悪いとか、何が真実とか、

  そんなことより、私たちは“人”を見失ってる。」


 その瞬間、観客席から誰かが叫んだ。

 「偽善者!」

 次の瞬間、罵声が飛ぶ。

 「裏口会長!」「嘘つき!」


 璃子は一瞬まぶたを閉じ、そして――

 ゆっくりと頭を下げた。

 「……ごめんなさい。」


 慧はその光景を見つめながら、胸の奥が痛んだ。

 (私は、彼女を壊すためにこの舞台を作った。

  だが、いま見ているのは――ただの処刑だ。)


 隣の南雲が小さく呟いた。

 「これ、革命じゃなくて、リンチだね。」


 慧は答えなかった。

 ただ、拳を握りしめる。

 そして、壇上の璃子と目が合った。

 その瞳は涙で濡れながらも、まっすぐ慧を射抜いていた。


 ――あなたが、これを望んだの?


 言葉なき問いが届いたように感じた。

 慧は視線をそらすことができなかった。


 * * *


 夜。

 慧は再びスマホを開いた。

 通知の嵐。連盟メンバーの興奮。支持者の喝采。

 その中心にいるのは、自分だ。

 それでも、心はひどく空虚だった。


 彼はゆっくりと、画面に文字を打ち込む。


 > “正義は人を救わない。ただ、快楽を与える。”


 投稿ボタンを押した瞬間、画面が一瞬、揺れたように見えた。

 すぐに、通知の音が鳴り始める。

 「深い」「かっこいい」「さすが連盟リーダー」――


 慧は小さく笑った。

 (皮肉だな。これでまた、彼らは喜ぶのか。)


 窓の外では、夜風がカーテンを揺らしている。

 彼の胸の奥では、何かが静かに崩れ落ちていた。


 (私は前世と同じ道を歩んでいるのかもしれない。

  違う世界で、同じ“支配”を繰り返している。)


 慧は呟く。

 「……贖罪とは、壊すことではなかったんだな。」


 その夜、《反生徒会連盟》のタイムラインに、

 ひとつの新しい投稿が浮かんだ。


 > 【速報】鷹栖慧、連盟の創設者だった!?


 慧は画面を見つめ、言葉を失った。


 (――そうか。私が、裁かれる番か。)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る