B級映画と彼女と俺と

サンキュー@よろしく

【自主企画用書下ろし】お題:「美学」「時」「原稿」

 画面の中では、頭が三つある鮫が、竜巻に乗って高層ビルに突っ込んでいた。


 安っぽいCG。脈絡のない爆発。そして、棒読みの悲鳴。


「……なあ。俺たちは貴重な放課後を使って、一体何を見せられているんだ?」


「何って、決まってるじゃない。芸術よ、芸術」


 隣に座る彼女は、身を乗り出して俺が膝の上に置いた俺のタブレットの画面を食い入るように見つめている。窓から差し込む夕日が、彼女の痩せた頬と、少し大きすぎるパジャマを照らしていた。俺たちは、一つのイヤホンを左右に分け合い、安っぽい爆発音を耳に流し込んでいた。


「芸術ねえ。俺には、監督がヤケクソで作った産業廃棄物にしか見えないが」

「甘いわね。いい? この『作り手の情熱が技術と予算を追い越して事故を起こしている感じ』こそが、B級映画の美学なのよ」


(どんな理屈だ)


 俺は呆れてため息をつく。だが、彼女は楽しそうだ。入院生活が始まってから三ヶ月。彼女の唯一の楽しみが、俺が契約している動画配信サービスのサブスクリプションで、俺が毎週選んでくるこの手の「B級映画」を一緒に鑑賞することだった。


「そもそも、B級映画の定義を知ってる?」

「低予算の駄作って意味だろ?」

「ブブーッ! 不正解。元々は1930年代の世界恐慌の頃、映画館が客を呼ぶために二本立て興行を行った際、メインの映画のおまけとして上映された『B面』的な映画のことよ。撮影期間も短く、セットも使い回し。でもね、だからこそ制約の中で自由な発想が生まれたの」


 彼女は得意げに人差し指を立てる。この雑学も、きっと入院中にネットで仕入れたものだろう。


「自由すぎるだろ。さっきから鮫が宇宙空間で吠えてるぞ。空気ないのに」

「そこがいいのよ! A級映画のような整合性なんて犬に食わせればいいわ。大切なのは勢いと、観客を楽しませようとするサービス精神。そして何より……」


 彼女はふと、寂しげな笑みを浮かべた。


「どんなに無茶苦茶な展開でも、最後にはなんとなくハッピーエンド風に終わるところ、かな」



 一週間後。彼女の病状が急変したという連絡を受け、俺は病室に駆けつけた。

 医師からは「今夜が山場かもしれない」と告げられた。

 ベッドの上の彼女は、酸素マスクをつけて、以前より一回り小さくなったように見えた。


「……よう。新作、見つけたぞ。今度は巨大タコがホワイトハウスを占拠するやつだ。サブスクの『激ヤバ映画』の項目で見放題に入ってた」


 俺が震える手でタブレットの画面を彼女の方に向けてみせると、彼女はゆっくりと目を開けた。焦点が合っていない。


「……ごめん。今日は、ちょっと見る元気ないかも」

「そうか。じゃあ、ログアウトせずに置いておくから。元気になったら見ような」

「ねえ」


 彼女の手が、俺の袖を掴む。驚くほど冷たくて、細い指だった。


「私ね、ずっと考えてたの。私の人生って、B級映画みたいだなって」

「なんだよそれ。自虐にしては笑えないぞ」

「だってそうでしょ? 神様の脚本が雑すぎるもの。まだ高校生なのに、こんな病気になるなんて、ご都合主義の『お涙頂戴』展開にも程があるわ」


(確かに、A級映画ならもっと伏線があるはずだ。こんな唐突な悲劇は、三流脚本家の手癖みたいだ)


 俺は何も言い返せず、ただ唇を噛む。涙がこぼれそうになるのを必死で堪えた。


「……エンドロール、近いみたい」


 彼女の目が閉じられる。心電図の音が、不規則なリズムを刻み始めていた。

 残酷なほど静かに、時が過ぎていく。



 翌朝。

 俺はほとんど眠れずに、朝一番で病院へと向かった。

 廊下を歩く足取りは、鉛のように重い。最悪の事態を覚悟していた。喪服の準備すら頭をよぎっていた。


 深呼吸を一つして、震える手で病室のドアを開ける。


「……ッ!」


 そこには、ベッドの上であぐらをかき、おにぎりを頬張る彼女の姿があった。

 朝食の病院食だけでは腹の虫が収まらず、両親をパシリにして売店で買ってこさせたらしい。

 顔色は、昨日とは別人のように良い。


「……は?」

「あ、おはよう。来てたの?」

「お、お前……生きてる……のか?」

「うん。なんか治ったみたい」


(治った?)


 俺が呆然としていると、主治医が困惑した顔で説明してくれた。

 なんでも、昨夜投与した新しい薬と、彼女の体内の何らかの成分が化学反応を起こし、ウイルスが劇的に死滅したらしい。医学会でも前例がない奇跡だという。


 医者が部屋を出て行くと、彼女は深いため息をつき、食べかけのおにぎりを皿に置いた。

 その横には、クシャクシャに丸められた大学ノートのページが散乱している。


「最低の脚本だわ」

「はあ? 助かったんだぞ? 喜べよ」

「喜んでるわよ! でもね、作品として見たら0点よ、0点!」


 彼女は丸められた紙くずを指差して憤慨している。


「いい? 昨日のあのシリアスな空気は何だったの? せっかく徹夜で感動的な遺書の原稿まで書き上げたのに、全部ボツよ! 伏線もなければ、修行パートも、伝説の秘薬を探す旅もない。ただ運が良かっただけ。こんなの、『デウス・エクス・マキナ』にも程があるわよ!」


「デウス……なんだって?」

「古代ギリシャ演劇の用語よ! 物語が収拾つかなくなった時に、機械仕掛けの神様が出てきて強引に解決させる手法のこと。今の観客はね、こんなご都合主義、絶対に許さないんだから!」


 彼女は「ふんっ」と鼻を鳴らし、再びおにぎりを手に取った。


「リアリティがなさすぎるのよ。これだからB級映画は……」


 俺は、その光景を見て、腹の底から笑いがこみ上げてきた。

 膝から力が抜け、その場に座り込む。


「……いいじゃないか、B級映画で」

「よくないわよ。批評家ならボロクソに叩いてるわ」

「批評家なんていないさ。観客は俺一人だ」


 俺は涙を拭いながら、彼女に笑いかける。


「俺は、この強引なハッピーエンド、嫌いじゃないぜ」


 彼女は一瞬きょとんとし、それから照れくさそうに視線を逸らした。


「……ま、続編の制作が決定したってことにしておいてあげる。ただし!」


 彼女はビシッと俺を指差す。


「次の展開は、もっと予算をかけた、まともなラブコメディにしなさいよね」

「善処するよ、監督」


 俺たちのチープで、デタラメで、最高なB級映画は、まだまだ上映終了しそうにない。

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