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 パキィンと甲高い音が聞こえた気がして、意識が現実に引き戻された。閉じていた目の裏がちりちりと痛い。


 異音と痛みで目が覚めるのは、おかしい。自らの身に危険が起きていないか、周囲に誰かいないかを確認するため、ゆっくりと、薄く瞼を開く。


 映るのは、ロケバスの天井だけ。

 ここでようやく、私が寝かされていたことを思い出した。


 ……痛みは、引いている。


「よし」

 小さく呟く第三者の声。そのままガラガラとドアを開いて、目を覚ました私に気づかずに、誰かがロケバスから出ていった。


 ……だめだ、いろいろと頭が追いついていない。


 ゆっくりと上体を起こす。

 私が横になっていたのは突然の頭痛に襲われたから。あまりの痛みに歩くのも難しくなった私は、マネージャーさんに安全に休めるところ──エアコンの効いたロケバスまで運んでもらった。

 それから、痛みに耐えながら横になっていたら、慌てた様子でマネージャーさんがやってきて──



 ──カメラマンさんが死んでいる。



「あ……」


 そこからどうなったかは分からないけど。

 突き動かされるように、席から立ち上がる。


 ロケバスの中には、自分を含めて五人。運転手を務めていたサポートのADさん、撮影の中心のディレクターさん、メイクさん、マネージャーさん、それから、私。全員がぐったりと、気絶でもしているみたいに眠っていた。


 ……七架ななかちゃんが、いない。


 急いでロケバスから降りる。

 天頂から降り注ぐ日光が痛い。じっとりと全身が汗ばみはじめた。今すぐ車内に戻りたい。

 けれども、せめて。

 七架ななかちゃんが何をするためにバスから出ていったのか、確認しないと。


 周囲を見渡しても、視界の範囲にはいなかった。ぱっと思いつくのは、向日葵畑の中にある撮影現場。どうして七架ななかちゃんが、今、そんなところに行く必要があるのかは分からないけれども。

 急いで歩を進める。衣装のハイヒールだと走りにくくてじれったい。不安に突き動かされている足は止まらない。


 彼女が車内から降りてすぐに気が付いたのが功を奏したのか、すぐに大きな麦わら帽子が見えた。


七架ななかちゃん!」


 呼びかけに気づいた七架ななかちゃんが、私の方へと振り向く。


 麦わら帽子の下で、肩の高さで整えられた艶やかな青髪が揺れる。着こなすのが困難な純白のノースリーブワンピースだというのに、自然体の美しさが引き出されている気がする。端正な美しさと、あどけない少女らしさを兼ね備えた、まさに美少女と呼ぶべき存在。ただそこにいるだけで、目が吸い込まれてしまいそうで。


 私はここまで、何をしに来たんだっけ、と、一瞬忘れそうになった。


「あれ、灰理はいりさん。どうしてこちらに?」

 

 慌てていた私とは正反対に、自然体のままで応対する七架ななかちゃん。


「私は七架ななかちゃんを追ってきただけだよ。七架ななかちゃんこそ、どうして撮影現場に向かおうとしてるの?」


「事件があったらしいので。現場を確認しようかな、と。まあ、ミステリー小説みたいな、探偵行為ごっこですね」


 再び正面を向いて、足を止めることなく、ずんずんと進み始めた。私は彼女の背後から、ついていくことしかできなかった。


「……危ないよ」

「知ってます」

「犯人だと思われちゃうよ」

「理解しています」

「なら、どうして」


 顎に手を当てて、少し考え始めた七架ななかちゃん。

 わずかな沈黙の後、「はあ」と小さく諦めたように嘆息を零した。


「そこに、夢とロマンがあるからです」


「人が死んでいるのがロマンなの?」

「事件と謎が──すなわち非日常ファンタジーが、です」


 会話は続く。けれども、彼女は、少しもこちらを振り向こうとしない。


「新たな被害者。新たな謎。新たな事件……ワクワクしますよね、ミステリーって」

「しないけど……」

「するんですよ、私は。たとえそれが、現実であっても」

 七架ななかちゃんは強い口調で言い切った。


 しばしの沈黙。口を開いたのは、七架ななかちゃんだった。


「私がアイドルになったのは、ステージに夢やロマンを感じたからです。現実リアルでも、わくわく出来る非日常フィクションを求めて芸能界に足を踏み入れました。灰理はいりさんは、なぜアイドルに?」


「私は……」

 私は、逃げるように上京してきて。たまたまスカウトされて。お金が欲しいからって安易な理由で飛びついて、この世界に足を踏み入れた。

 七架ななかちゃんと違って、夢とか浪漫を求めて、アイドルになったわけじゃない。ただ、生活のために。自分みたいな人間でも生きていけるための、ただの仕事だと思っている。

 けれども、ここではないどこかに行きたいって気持ちは、理解できる。


「私は、七架ななかちゃんの言いたいことは、分かってあげられるつもりだよ。でも、それとこれとは、話が違うよ」

「同じなんです。私には」


 七架ななかちゃんは言葉を続ける。


「私とて、身近な場所で人が死んでなお喜べるほど、破綻しているつもりはありません。しかし、けれども、わくわくしてしまう感情を否定し続けるほど、夢や浪漫を捨てて生きているわけでもありません」


 神秘や空想ファンタジーも。

 謎や奇想ミステリーも。

 悲喜こもごもな恋愛ロマンスやラブコメも。

 きらびやかな舞台アオハルやアイドルも。


「この現実で、叶えられるなら、叶えたいんです」


 小説やアニメに影響された、現実を知らない小学生が語るような夢だ。けれども、眼前の少女は、ただ前を向いて、誇るように言葉にした。


「……はあ」

 今度は私の口から、ため息がこぼれた。


 ……いま、私が取れる選択肢は、全部で三つ。


 一つは、無理やりにでも七架ななかちゃんを連れ戻すこと。

 正解は、絶対にこれだ。実際に人が死んでいるんだ。現実は、ミステリー小説みたいな探偵ごっこじゃ済まされない。私たちが勝手好んで殺人事件にかかわる必要なんてない。全部警察に任せるべきだ。


 でも、七架ななかちゃんは納得しないだろう。無理やり連れて帰ろうとしたら、私と七架ななかちゃんでのケンカになってもおかしくない。そうしたら、ケンカ慣れしてる私と、ただのアイドルである彼女とでは、おそらく戦力が違う。怪我をさせずに終わらせられる気がしない。今後の活動に支障が出ると思うと、気が引ける。


 一つは、私一人で戻ること。

 このまま踵を返して、何も見なかったことにして。七架ななかちゃんがバスから降りたって気づかなかったことにして。全部、私の忠告を聞かなかった七架ななかちゃんが全部悪いんだって、割り切って、全て彼女のせいにしてしまえばいい。私の身を案じるなら、これも悪くない。


 ……けれども、これは選べない。

 坂紙七架ななかと出会って、まだ半年も経っていなくても。

 彼女をひとりには、したくない。

 こんなの、ただの私のエゴだ。

 合理性も何もない。

 正しくないのは分かっている。


 それでも。

 ここで、七架ななかちゃんとさよならをするなら。

 いまの丸保灰理わたしが、この世界にいる資格はない。


 だから、選ぶのは──ラストの選択肢。


「最終確認。七架ななかちゃんは、引き返す気はないんだよね?」


 はい、と七架ななかちゃんは振り返らないで答えた。意思は硬いらしい。


「なら、私も着いていく」

「……いいんですか?」


 ぴたりと立ち止まった七架ななかちゃんが、私の方に体を向ける。

 あいまいな表情。喜んでいるようにも、憂いているようにも見えた。


「うん。七架ななかちゃんが戻らないって言うなら、私も戻らない」

「本当にいいんですか?」

「いいよ」

「このままついてきたら、炎天下で、新鮮な死体を見ることになりますよ? 気分の良いものではないですよ? ロケバスの方が涼しいですよ?」 


 それは、そう。


 覚悟を決めた私に、引き返せと提言し始めた七架ななかちゃん。


 エゴに巻き込まないで済むように、私が拒否するための理由を提示してくるくらいなら、最初からやらないでほしい。自身の願いが間違っているって分かっているなら、考えを改めてほしい。相手のことを中途半端に慮るくらいなら、諦めておとなしくしてほしい。


 でも、どうせ、考えは変わらないだろう。そんなの、嫌になるほど知っている。

 かつて、丸保まるほ灰理はいりがそうだったから。


七架ななかちゃんをひとりにして、戻ってこなかったら、私は絶対に後悔する。だから、ついていく」

 私も、私のやりたいようにやる。


七架ななかちゃんを、ひとりにはしない」


「──ありがとうございます。灰理はいりさん。私の違法たんてい行為ごっこに付き合ってくださって」


 七架ななかちゃんは私に向かって深々と頭を下げた。それから



「共犯者に、なりましょう?」


 と、満面の笑みを私に向けてきた。


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