1-2
パキィンと甲高い音が聞こえた気がして、意識が現実に引き戻された。閉じていた目の裏がちりちりと痛い。
異音と痛みで目が覚めるのは、おかしい。自らの身に危険が起きていないか、周囲に誰かいないかを確認するため、ゆっくりと、薄く瞼を開く。
映るのは、ロケバスの天井だけ。
ここでようやく、私が寝かされていたことを思い出した。
……痛みは、引いている。
「よし」
小さく呟く第三者の声。そのままガラガラとドアを開いて、目を覚ました私に気づかずに、誰かがロケバスから出ていった。
……だめだ、いろいろと頭が追いついていない。
ゆっくりと上体を起こす。
私が横になっていたのは突然の頭痛に襲われたから。あまりの痛みに歩くのも難しくなった私は、マネージャーさんに安全に休めるところ──エアコンの効いたロケバスまで運んでもらった。
それから、痛みに耐えながら横になっていたら、慌てた様子でマネージャーさんがやってきて──
──カメラマンさんが死んでいる。
「あ……」
そこからどうなったかは分からないけど。
突き動かされるように、席から立ち上がる。
ロケバスの中には、自分を含めて五人。運転手を務めていたサポートのADさん、撮影の中心のディレクターさん、メイクさん、マネージャーさん、それから、私。全員がぐったりと、気絶でもしているみたいに眠っていた。
……
急いでロケバスから降りる。
天頂から降り注ぐ日光が痛い。じっとりと全身が汗ばみはじめた。今すぐ車内に戻りたい。
けれども、せめて。
周囲を見渡しても、視界の範囲にはいなかった。ぱっと思いつくのは、向日葵畑の中にある撮影現場。どうして
急いで歩を進める。衣装のハイヒールだと走りにくくてじれったい。不安に突き動かされている足は止まらない。
彼女が車内から降りてすぐに気が付いたのが功を奏したのか、すぐに大きな麦わら帽子が見えた。
「
呼びかけに気づいた
麦わら帽子の下で、肩の高さで整えられた艶やかな青髪が揺れる。着こなすのが困難な純白のノースリーブワンピースだというのに、自然体の美しさが引き出されている気がする。端正な美しさと、あどけない少女らしさを兼ね備えた、まさに美少女と呼ぶべき存在。ただそこにいるだけで、目が吸い込まれてしまいそうで。
私はここまで、何をしに来たんだっけ、と、一瞬忘れそうになった。
「あれ、
慌てていた私とは正反対に、自然体のままで応対する
「私は
「事件があったらしいので。現場を確認しようかな、と。まあ、ミステリー小説みたいな、探偵
再び正面を向いて、足を止めることなく、ずんずんと進み始めた。私は彼女の背後から、ついていくことしかできなかった。
「……危ないよ」
「知ってます」
「犯人だと思われちゃうよ」
「理解しています」
「なら、どうして」
顎に手を当てて、少し考え始めた
わずかな沈黙の後、「はあ」と小さく諦めたように嘆息を零した。
「そこに、夢とロマンがあるからです」
「人が死んでいるのがロマンなの?」
「事件と謎が──すなわち
会話は続く。けれども、彼女は、少しもこちらを振り向こうとしない。
「新たな被害者。新たな謎。新たな事件……ワクワクしますよね、ミステリーって」
「しないけど……」
「するんですよ、私は。たとえそれが、現実であっても」
しばしの沈黙。口を開いたのは、
「私がアイドルになったのは、ステージに夢やロマンを感じたからです。
「私は……」
私は、逃げるように上京してきて。たまたまスカウトされて。お金が欲しいからって安易な理由で飛びついて、この世界に足を踏み入れた。
けれども、ここではないどこかに行きたいって気持ちは、理解できる。
「私は、
「同じなんです。私には」
「私とて、身近な場所で人が死んでなお喜べるほど、破綻しているつもりはありません。しかし、けれども、わくわくしてしまう感情を否定し続けるほど、夢や浪漫を捨てて生きているわけでもありません」
「この現実で、叶えられるなら、叶えたいんです」
小説やアニメに影響された、現実を知らない小学生が語るような夢だ。けれども、眼前の少女は、ただ前を向いて、誇るように言葉にした。
「……はあ」
今度は私の口から、ため息がこぼれた。
……いま、私が取れる選択肢は、全部で三つ。
一つは、無理やりにでも
正解は、絶対にこれだ。実際に人が死んでいるんだ。現実は、ミステリー小説みたいな探偵ごっこじゃ済まされない。私たちが勝手好んで殺人事件にかかわる必要なんてない。全部警察に任せるべきだ。
でも、
一つは、私一人で戻ること。
このまま踵を返して、何も見なかったことにして。
……けれども、これは選べない。
坂紙
彼女をひとりには、したくない。
こんなの、ただの私のエゴだ。
合理性も何もない。
正しくないのは分かっている。
それでも。
ここで、
いまの
だから、選ぶのは──ラストの選択肢。
「最終確認。
はい、と
「なら、私も着いていく」
「……いいんですか?」
ぴたりと立ち止まった
あいまいな表情。喜んでいるようにも、憂いているようにも見えた。
「うん。
「本当にいいんですか?」
「いいよ」
「このままついてきたら、炎天下で、新鮮な死体を見ることになりますよ? 気分の良いものではないですよ? ロケバスの方が涼しいですよ?」
それは、そう。
覚悟を決めた私に、引き返せと提言し始めた
エゴに巻き込まないで済むように、私が拒否するための理由を提示してくるくらいなら、最初からやらないでほしい。自身の願いが間違っているって分かっているなら、考えを改めてほしい。相手のことを中途半端に慮るくらいなら、諦めておとなしくしてほしい。
でも、どうせ、考えは変わらないだろう。そんなの、嫌になるほど知っている。
かつて、
「
私も、私のやりたいようにやる。
「
「──ありがとうございます。
「共犯者に、なりましょう?」
と、満面の笑みを私に向けてきた。
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