1-3


 少し歩くと、遠くに休憩用の日陰を作るための小さなテントが見えた。


「お、そろそろですねぇ」


 向日葵と土の香りが一面に満ちていて、血の臭いは全くしない。


 撮影現場にたどり着いた私たちは、情報収集を始めた。


 テントの下には、写真撮影用に用意されていた反射板や、炎天下でも活動できるようにと用意されていたクーラーボックス、それから小さな机が用意されていた。机の上にはカメラやノートパソコンがあって、直前まで誰かが仕事をしていたことがうかがえる。


 けれども、死体らしきモノは発見できなかった。


「マネージャーさんが何を見て『カメラマンさんが死んでる』と断言したかだけは、絶対に確認します」


 そう私に告げて、七架ななかちゃんはテントから離れた。私も少し後をついていく。


 少し、向日葵たちの中へと踏み入った先に、それは転がっていた。

 太陽に向けて首を傾ける向日葵たちの足元で、うつ伏せで地に転がされている男性。


「カメラマンさーん聞こえていますかー」

 なんて、七架ななかちゃんがのんきに声をかけていた。

 当然ながら反応はない。


「うーん、死んでますね。これ」

 他人事みたいだった。


 私の位置からでは、後頭部くらいしか目立った外傷はない。毛髪の一部が、血の色で変色していた。

 炎天下だというのに、死体のシャツがずぶぬれになっていた。いや、元から汗でぐちゃぐちゃになっていたと思うと、むしろこれが自然なのかもしれない。けれども、死体が発汗するとも思えない。焼けるように痛い灼熱の太陽の下で、放置された死体がどうなるかなんて、私は当然知らないから、これが何を意味するのかも分からない。


 シャツだけでなく、周囲の地面も湿っていた。きっと、血を吸い込んでいるのだろう。けれども、死体の周囲が広く湿っていることを考えると、それだけじゃないように見える。


「あ、そうだ。灰理はいりさん、ちょっとじっとしていてください」


 七架ななかちゃんは私物の小さなハンディバックの中から、霧吹きを取り出した。


 ……鞄に入ってた大きさには見えない、よね。


 訝しんでいる間に、しゅっしゅっと霧吹きから液体が発射される。ひんやりとして、少しだけ暑さが和らいだ気がした。


「よし、これでオーケーです」

「……何したの?」

「痕跡を残さないようにする魔導具です。一応、念のために」


 それから、と続けて、小さなビンを取り出す七架ななかちゃん。


「えっと、これは?」

「暑さ対策の自作の薬ですね。おそらく、汗は止まるかと」

「へー」

「撮影現場の周囲は土とはいえ、汗をかきすぎたのが遠因で灰理はいりさんが疑われでもしたら、さすがに気が悪いですよ」

「ふーん」


 よく見ると、たしかに七架ななかちゃんは私と違って汗を全くかいていない。撮影用の化粧がにじむこともなければ、白い衣装のどこも透けてる様子もない。


 ……いや、ちょっと待った。


「さすがに変じゃない?」

「何がですか?」

「なんで七架ななかちゃんはこの地獄みたいな暑さの中で汗一つ流してないの?」

「だから言ったじゃないですか。暑さ対策の薬だって」

「いや、それで解決する問題じゃないよね?」


 ぽかんとした表情をしたかと思えば、突然いたずら好きのこどもみたいな笑顔に変わって、


「私、魔術が使えるんです」


 なんて、あっけらかんと答えた。


「──いやいやいやいやいやいやいやいや」


 待って。

 待ってほしい。


「いま、なんて?」

「魔術が使える、と言いました」


 ドッキリが成功したような、楽しそうな七架ななかちゃんの声。


「では、改めて。自己紹介を致しましょうか」

 混乱している私を差し置いて、どんどんと七架ななかちゃんの語りはボルテージが上がっていく。


「私の名は坂紙さかがみ七架ななか。ある時はただの女子高生。ある時はただの文学少女。ある時はアイドルグループ《ハイドレンジア》に所属するアイドル。そして──一介の魔術師でもあるのです」


 ダメだ、全然理解が追いつかない。


 殺人事件が起きるのは、理解できる。

 それに対して探偵行為ごっこをしたがる人間の存在も許容できる。

 でも、これは違うと思う。

 目の前で起きていい現実ではない、と思ってしまう。


「ま、まじゅつ……?」

「はい。魔術です。魔法ではないのがポイントですよ」


 ……いや、そんなポイントどうでもいいのだけれども。


「ロケバスから逃げだすためにも、周囲の人間の意識を奪う魔導具を使っていたんですよね。だから、灰理はいりさんが追いかけてきたときは驚いたんですよ」


 ……なるほど、現実的でない手段を使えるなら、あの場にいた全員がぐったりと眠っていたのも納得できる。


 納得は出来るんだけど、出来るだけで。

 七架ななかちゃんが魔法──じゃない、魔術だっけ──を使える、という話を飲み込めるかは、別だ。


「そうだ、せっかくなので、捜査ついでに、私の過去話でもしますか」


 と、死体の方に向かう七架ななかちゃん。


「私こと坂紙七架ななかが、物理現象とは異なる現象法則が実在する、と知ったのは、アイドルになるよりも前の出来事です。友人が怪奇現象と接触し、人命に危機の及ぶ事件が発生したんです。事件そのものは、私の友人が後遺症を残しながらも解決したのですが……私も私で、友人のために、怪奇現象と対峙する手段を探していました。その時に出会ったのが、今の魔術の師匠です」


 死体の横で屈み、真剣な表情で見つめながらも、つらつらと情報過多な経歴を語る七架ななかちゃん。


「それからほどなくして、私はアイドルグループ《ハイドレンジア》の一員として、ステージに立つことになります。《ハイドレンジア》は、大人の都合で集められた年頃の少女たちであるにも関わらず、非常に健康的な関係を築き上げました。変わり者や尖った人物だらけで構成されていたのに、あるいは全員が奇人と呼べる人物だからこそかもしれませんが。とにかく、全員が全員を大事な仲間として、またはライバルとして認識していました。アイドルアニメでも今日日見ないくらい、健康的な友人になりました。三木みき春風はるかぜ保志ほし明日羽あすは宇井うい久遠くおん望月もちづき壁紗へきさ伴名はんな亜莉子アリス。私こと坂紙さかがみ七架ななか。そして、灰理はいりさんが加入される直前に契約解除となった御手洗みたらい星素せいそ。彼女も含めて、全員が、全員を友達だと認識していたでしょう」


 たしかに、《ハイドレンジア》の仲は、あとから加入した私の視点でもちょっと異常だと感じるくらい硬かった。むしろ、一人だけの後輩だからこそ、彼女たちの空気の良さと人柄には、何度も助けられている。


「しかし、事件は突然として起きました。本当は、ただの偶然だったんです。私たちの宿泊施設で、殺人事件が起きました。私は嬉々としながら、事件の捜査に挑みました。推理小説ごっこは功を奏し、目下容疑者とされていた明日羽あすはさんが犯人ではないと証明し、無事真犯人を見つけるに至ったのですが──そこが、運命の分岐点でした。その事件を皮切りに、私の周囲で殺人事件が多発するようになりました。二十ヶ月で出会った殺人事件は、五十を超えます」


「ごじゅう……?」


「はい。私が殺人事件に慣れてしまったのは、そのためです。しかも、単なる事件ではなく、推理小説に出てきても不思議ではない、一目では犯人が分からないような、奇妙な事件です。そして、私の周囲で起きた推理小説じみた殺人事件には、はっきりとした原因がありました。たった一人の少女が、裏で糸を引いていたのです。普段通りの穏和な微笑みを私に向けて、彼女は言いました」


名探偵しゅじんこうになりたい七架ななかさんのために、事件を用意しています。褒めてください』


「その人物の名は、淫依みだらい星素せいそ。に所属していたアイドル仲間──御手洗みたらい星素せいそが元凶でした。物的証拠はほとんどなく、然るべき法律で裁くこともできません。彼女が魔術を用いて私のために事件を用意していたのは、事実です。奇跡的な偶然と、私がたまたま魔術師でもあったから、解明できた事実でした。私は、星素さんと縁を切るために、師匠の力を借りました。とてもつらい決断でした。彼女も大事な友人であり、仲間でした。事実を知った今も、彼女の発言が嘘じゃないか、と思っています」


 ………………。

 全く理解が追いつかない。

 整理しようとさえ思えない。


「……七架ななかちゃんは」


 かける言葉が、思いつかない。

 推理小説に憧れた、夢見がちな魔術師の少女と。

 少女のために、殺人事件を用意する魔術師の少女。

 七架ななかちゃんの語る言葉が妄想だと、思いたい。

 けれども、事実なのだろう、とも、どこかで思う。


「勘違いしないでくださいね」


 と、何かを察したのか、七架ななかちゃんはすくっと立ち上がった。


「私は、私のために、物語の中の探偵みたいなことをしているんですよ。憐憫も同情も、不要です」


 七架ななかちゃんは死体から離れてふらふらと周辺を歩き回ったかと思えば、テントに向かって移動した。私も遅れてついていく。


「魔術なんて、私にとって、日常を革命しうる希望でも、現実を打破しうる空想でもなかったんです。アイドルとしてのお仕事も、楽しいですが、ただの日常になりました。けれども、事件は日常にはならないんですよ。私が事件に慣れても、同じ物語なんて、ただの一つもない。だから、これは──これだけは、特別です」


 自らの手では決して作れない物語ストーリーが。

 自分では到底思いつかないような事件イベントが。

 誰かが作りだした夢や浪漫フィクションがあるから。


「荒唐無稽なだけで苦しいことだらけな現実でも、生きていこうと思えるんです。生を全力で楽しみたいだけなんです。私は」


 七架ななかちゃんは、現場に残されていた大き目のクーラーボックスを開けた。


「ま、こんなところですよ。私の話なんて」


 クーラーボックスの中をしばらく中を覗き込んでは、手を突っ込んでスポーツドリンクを取り出した。突っ立っていただけの私の隣に戻ってきて、ペットボトルのキャップを開け、口をつけた。


 じっと見ていた私の視線に気づいたのか、「いります? 間接キスですけど」と飲み口を私に向けてきた。


「……いいの? 現場保存は」

「一本程度なら問題ないでしょう」


 そういう問題なのかなぁ……


「ところで、どうですか? 灰理はいりさんは。初めての殺人現場だと思いますが?」

「うーん……特には何も思いつかないかな?」


「へえ、なるほど。死体を前に気分や体調が悪くなったり、私の行為を拒絶したりはしないんですね」

「していいんだ?」


「……まあ、はい。灰理はいりさんが、死体を見ても全然平然としているので。そこにちょっと驚いています」


「それは……カメラマンさんの死体より、七架ななかちゃんが魔術師だとか、そっちの方がずいぶんと驚く情報だったから、かな……」


「そういう問題じゃないんですけどねぇ……」

「嫌な気持ちにはなってるよ?」


 何か言いたげな雰囲気で、私の方をにらみつけてくる七架ななかちゃん。

 あれ、私、何か変なこと言ったかな……


「ま、いいでしょう。戻りますか」

「あれ、もういいんだ?」



「はい。『何があったらこうなるのハウダニット』は、おおむね分かりましたから」

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