泡沫
春休み。
和くんを遊びに誘ったけれど、お互い新生活に向けた準備が忙しく、なかなか予定が合わなかった。
チャットでのやり取りだけじゃ、どうにも寂しさは収まらなくて……でも、これから違う高校に通う日々が始まるのだから、この寂しさにも慣れないとって、必死に自分に言い聞かせた。
結局、和くんとゆっくりできる時間が取れたのは、入学式の直前だった。
「目開けてもいい?」
「いいよ」
「ん……わぁ!かっこいい!」
和くんの高校の制服はブレザーだ。
着たところを見たいとお願いしたら、和くんは少し照れながらも、こうして僕に新しい制服姿を見せてくれた。
「和くん、すごく似合ってる!もちろん、中学の学ランも似合ってたけど……」
「そう、かな。ありがとう、ひま」
ほんのり赤い顔で微笑む和くんに、キュンと心臓を射抜かれた。
もう、何度恋に落ちたのか分からない。
「ひまの制服も見せてよ」
「僕は学ランのままだもん、なんにも変わらないよ」
「でも、せっかくだから」
和くんにそう言われちゃったら、着るしかないじゃないか。
なんの変わり映えもしない学ランに着替えて、恐る恐る和くんの前に現れると、和くんはふわっと笑って、
「うん、似合ってる」
と一言。
そして、首元の校章バッジに気づいて、興味深そうに近づいてきてそれを触った。
直接首に触れられているわけではないのに、なんだか恥ずかしくてむずむずとする。
「へぇ、南高の校章ってこんな感じだっけ」
「う、うん」
「……ぁ、っ、ごめん、まじまじと見ちゃって」
和くんが、動揺した様子で僕から離れるから……また、期待がしゅわしゅわと弾けた。
もしかして、もしかすると。
僕の片想いじゃないかもしれない……?
このときの僕は、本当に、頭の中がお花畑の浮かれたやつだったと思う。
◇
◇
◇
とうとう、高校生活が始まってしまった。
分かっていたことだけど、話せる人が一人もいない。
思い返せば、中学のときは奇跡だったんだ。
偶然、和くんの方から話しかけてくれて、僕は何も努力していないのに、親友ができてしまったのだから。
あんな夢みたいなこと、そうそう起こらない。
教室のどこを見ても、和くんがいない。
もちろん、廊下にも、図書室にも。
「……和くん……」
ぽつりと呟いたって、和くんがここに来るわけじゃないけれど。
ため息を吐くのと同じで、胸に溜まる恋情の苦い部分を、どうにか外へ逃したかったんだ。
和くんに会えない日々が続き、気づけばカレンダーは五月のページへと移り変わろうとしていた。
『ゴールデンウィーク、空いてる日ある?』
と送ったのは、昨日の夕方のこと。
朝になっても、和くんからの返信は来ていなかった。
またか、とがっくり肩を落とす。
最近、和くんは連絡を返すのが明らかに遅くなった。
中学の頃は、どんなに忙しい日でも、もう少し早く返事をくれていたのに。
和くんはクールで口数は少ない方だけど、僕と違ってかっこいいし、勉強も運動もできるし、何より優しいから……もう、新しい友達がたくさんできて、僕のことなんか忘れて、楽しく過ごしているのかな。
そんな風に考えたら、思わず涙が溢れてきた。
和くんからの返信が届いたのは、その日の夜。
僕がメッセージを送ってから、丸一日以上経った頃だった。
しかも、その内容は……
『ごめん、もう予定が入ってて』
胃がきゅっと冷たく痛むような感覚に襲われた。
息が苦しくて仕方がなかった。
和くんにとって、僕はそこまで大きな存在ではないのではないかという予感を、確信に変えられたような気がした。
僕は、それに対して何も返信できなかった。
鬱々としたゴールデンウィークが過ぎ、さらに一週間が経った頃。
僕の高校では、一年生の学年行事として遠足が行われることになった。
出会って日の浅い同級生たちと仲を深めることが目的らしいけれど……正直、不安しかない。
だって、同じ活動班になったのは、男子も女子も陽のオーラに包まれている人ばかり。
僕がいない方が楽しめるに決まってる。
「母さん、明日休もうかな」
「え?体調悪いの?」
「いや……」
母さんが心配そうに顔を覗き込んでくるから、理由を隠すことに罪悪感のようなものを感じて、本音をぽろっと零してみた。
「明日、遠足あるんだけど、同じグループに仲のいい人いなくて……」
本当は、同じグループどころか、クラス全体を見ても仲良しな人なんていないけど。
「そっか……でも、せっかくなら行ってきたら?横浜の中華街だっけ」
「うん……」
「美味しいものいっぱいあるんじゃないかな。和くんにもお土産買ってあげたら喜ぶかも」
「っ!」
その一言が、きらりと光って聞こえた。
和くんにお土産を買ったら、それを渡すために会いに行ける。
すごく、自然に、会いに行ける。
「……そうだね。やっぱり、行ってみる」
単純だなぁ、僕は。
和くんに関わることになると、途端に行く気になるなんて。
……前は、会う理由なんて、頑張って作らなくても良かったのにな。
毎日当たり前のように会えていた日々には、もう戻れないのだと思うと、すごく切ない気持ちになった。
◇
◇
◇
薄暗い空の下。
インターホンを押そうとする手が震える。
久々に会うとはいえ、自分でも驚くほど緊張している。
「ひま?」
「ひゃっ」
予想外の方向から好きな人の声が飛んできて、思わず持っていた紙袋を落としそうになった。
「か、和くん、今帰ってきたの?」
「うん。部活入ってから、いつもこの時間」
「そっか……」
いつも、このくらいの時間に帰ってるんだ。
たったそれだけの情報でも、最近の和くんのことを知れて胸が高鳴る。
「えっと……」
「あっ!そう、これ!これを、和くんに、渡したくて……」
お土産の入った紙袋を差し出すと、和くんは微笑んで受け取ってくれる。
「どうしたの、これ」
「あ、あのね、今日、遠足に行ったから、和くんに、お土産」
「遠足……焼売と中華まんってことは、中華街?」
「うん!一年生の学年行事なんだけど、僕のクラスは中華街だったんだ」
「そうなんだ……楽しかった?」
和くんに優しく問いかけられる。
最初は気が重かったけど、和くんへのお土産を選ぶんだって考えながら行ったら……
「……うん、楽しかったよ!」
「……!そっか、良かった」
和くんは一歩、僕へと近づいて、頭をぽんぽん、と撫でてくれた。
「ひま、お土産ありがとう。大切に食べるね」
そう言った和くんの表情は、どこか、元気がないように見えた。
「……和くん、疲れてる?」
「え……あー、うん、そうだね……サッカー部入ったばっかりで、まだ慣れてないからかも。それより、ひまは?吹奏楽、続けるんだっけ」
「あ、うん!僕も、来週から本格的に練習に参加するんだ」
「そっか。無理しないで、頑張って」
頬をすり、と撫でられて、胸がきゅんと甘く騒いだ。
和くんを励ますつもりだったのに、いつのまにか僕の方が励まされている。
「か、和くんも!無理、しないでね。また、試合とか、応援行くからね!」
ついつい声に熱がこもってしまった。
和くんはふっと微笑んで「ありがとう」と静かに言った。
そして、
「送っていくよ」
と、僕の手を優しく引く。
「っ、あ、ありがとう」
手を離さないようにぎゅっと握って、隣を歩く和くんの横顔をチラリと覗いた。
やっぱり、すごく、かっこいいな。
一ヶ月半会わなかっただけでも、なんだか顔つきが大人びたような気がする。
それに……
「和くん、ちょっと背伸びた?」
「?そうかな……あ、でも確かに、身体測定で測ったら、結構伸びてたかも」
「そっかぁ」
「ひまは?伸びてた?」
「僕はもう伸びないもん……」
少し拗ねたら、和くんはふふっと笑って、繋いでいない方の手で僕のほっぺをむぎゅっとした。
「ひまは何センチでも可愛いから、いじけないで」
「っ……」
和くんは、ずるい。
もう、僕のことなんてどうでもいいのかなって思わせておいて、会えたら、こんな風に甘やかしてくるのだから。
……そんなことして、いいの?
僕、もっともっと和くんのこと好きになっちゃうよ。
「……じゃあ、ここで」
「うん、ありがとう、送ってくれて。話せて、嬉しかった」
「俺も。嬉しかったよ」
ああ、手、離したくないな。
このまま、ずっと、繋いでいたい。
和くんの体温を、感じていたい。
「ぁ……」
僕の願望とは裏腹に、和くんの手はするりと離れていった。
じゃあね、とすぐに背を向けてしまった和くんに、必死で縋るような言葉が溢れる。
「ま、また、会おうね!話そうね!」
和くんは一瞬振り返って、うん、と小さく頷いてくれた。
そのときの僕には、それだけでも、きらきらとした希望が感じられた。
でも、その口約束は儚く、
この日から再び、和くんに会えない日常が続くことになる。
◇
◇
◇
和くんにお土産を渡してから、あっという間に二ヶ月が経ってしまった。
結局、あれから和くんに会うことはなく、もちろん和くんから連絡が来ることもなく、季節はもうすっかり夏になった。
「え〜!和真くんに告ったの!?」
「っ!?」
昼休みの教室で、突然耳に飛び込んできたその名前。
心臓がドキンと大きく跳ねた。
でも、ここは、南高。和くんはいない。
別の「かずま」くんという人を指している可能性の方が高いはず。
そんな僕の考えは、たった数秒で打ち砕かれた。
「西高まで行ったの?ガチ!?」
「そうなの〜。めっちゃ見られて気まずかったー」
西、高。
和くんが、行ってる高校。
……「かずま」って、もしかして、本当に―――。
「でも連絡先持ってるのアツいね〜」
「わー!『平峰和真』だって!アカウント名がフルネームなの想像通りだわ」
ああ、もう確定だ。
和くんのことだ。
まさか、この学校で和くんの名前を聞く日が来るなんて。
「和真くんモテすぎだよね」
「北高の子も狙ってるらしいよ」
「マジか〜。まああんだけイケメンだったら仕方ないな」
女の子たちの声が、頭の中でぐわんぐわんと響く。
首を絞められているみたいに苦しくて、胃を掻き回されているみたいに気持ち悪くて、思わず教室を飛び出した。
人通りの少ない廊下の窓を開けて、深呼吸を繰り返す。
湿度の高い夏の空気は、全く心地良くはないけれど。
身体中の不快感を和らげる方法が、それしか思いつかなかったんだ。
「ちょっと、大丈夫!?」
「っ!」
深呼吸のおかげでほんの少しだけ落ち着きを取り戻した頃、よりによって、同じクラスの人に見つかってしまった。
ものすごく焦って、咄嗟に逃げるようにして廊下を走って、お手洗いに駆け込んでしまった。
「……はぁ……」
こんなんだから、友達一人できないんだ。
中学三年間、和くんに甘えていたせいで、孤立していた小学生の頃から成長できたと、いつからか錯覚していた。
実際は、誰とも関わる勇気がない、あの頃の僕のまんまだというのに。
「……和くん……会いたいよ……」
和くんが日常からいなくなってから、僕の心は死んでいるようだった。
◇
◇
◇
夏休み。
和くんへの恋心から目を背けるために、部活と勉強に励む毎日を送っていた。
相変わらず、仲の良い友達はできていないけど……
お盆には、歳の近い従兄弟と会えたおかげで、寂しさもいくらかマシになったように思う。
そして、二学期まであと一週間という頃。
部活は休みで、課題も終わっていたから、涼しい部屋でウトウトしていたんだ。
ピコン、とスマホに通知が入ったから、画面を確認すると、
「っ!」
恋焦がれる人から、久々のメッセージが届いていた。
『ひま、元気?』
『今週、会える日ないかな』
さっきまでの眠気が、一瞬にして吹っ飛んだ。
見間違えかと思って、何度も瞬きしたり、洗面所に顔を洗いに行ったりしたけど、やっぱり、現実だった。
「……」
嬉しい、すごく、嬉しい……けど……どうして、急に。
全然、僕のことなんか、忘れてたくせに。
“会える日ないって言ったら、どうするの?”
「っ……」
僕、和くんに対して、なんて意地悪なこと想像しちゃったんだろう。
ゴールデンウィークに自分が断られたからって、同じことをしたら、どうなるのかな、なんて……。
天邪鬼になっても、いいことなんてないのに。
『元気だよ!』
『明後日、部活休みだから会えるよ』
素直が、一番だよね、きっと。
……でも、僕、ずっと元気じゃないよ。
本当は、ずっと、心が泣いてるんだ。
それを、和くんに知ってほしいと思ってしまうこと……
どうか、許してほしい。
◇
二日後、和くんとの予定が合った僕は、玄関の前でソワソワしていた。
なぜなら、和くんがそろそろ―――
ピンポーン
「っ!」
インターホンが鳴って、すぐにガチャっと扉を開けると、和くんがびっくりした顔で迎えてくれた。
「和くん!」
「ひま、すぐに開けたら危ないよ。俺じゃなかったらどうするの」
「っ、そ、そっか、僕、楽しみで……」
「……それは、すごく嬉しい」
久しぶりの、和くんの手が頭を撫でる感覚。
……好きが、溢れる。
「でも、心配だから。ちゃんと、モニターで確認してから鍵開けてね」
「……うん!」
和くんが、僕を、心配してくれている。
その事実だけで、あんなに荒んでいた心が、あっという間に色と温度を取り戻す。
魔法みたいだけど、魔法じゃない。
だから、恋って特別なんだ。
「今日、特に何も決めてなかったけど……ひま、行きたいところある?」
「行きたいところ……」
そう問われて、真っ先に頭に思い浮かんだこと。
それは……
「……カラオケ、かな」
「!カラオケ……何気に、ずっと行ってなかったね」
「うん。最近、一緒に曲聴けてないし……和くんの歌も、久々に聴きたい」
ありのままの気持ちを伝えると、和くんはにこりと微笑んで、「行こうか」と手を取ってくれた。
キュンとしながら隣に並ぶと、以前お土産を渡したときと同じことに気づく。
「ねぇ、和くん、また背伸びた?」
「よく気づいたね。なんか、今ね、成長期みたい」
「……どんどん、かっこよくなっちゃうね」
ぽつりと零すと、和くんは少し顔を逸らして、「そんなことないよ……」と謙遜する。
「……夏休み前ね、僕の高校でも和くんのこと噂になってたよ」
「え?なんで?」
「僕の高校の女の子が、和くんに告白したって。モテモテだって、みんな言ってたよ」
「あ……そういえば、されたかも……」
ああ、そっか。
僕にとってはかなりショックな出来事も、和くんにとっては日常の一コマに過ぎないんだ。
なんだか、虚しい気持ちになる。
「……でも、付き合ってる人、いないから」
「……!」
「部活とか、勉強とか、忙しいし」
「そ、そっか……」
あんなにモテモテなのに、恋人、いないんだ。
今も、和くんは、誰の彼氏でもないんだ。
恋人を作る気がないということは、僕にも等しくチャンスが少ないということを意味するけれど。
和くんが誰とも付き合わないというのなら、僕も例外になれなくたって構わない。
……なんて、思うべきじゃなかったのかな。
このとき、僕が、もっと貪欲になれていたら、未来は変わっていただろうか。
◇
「あっ、そうだ、和くんに渡したいもの……」
カラオケ店に着いてすぐ、とっても大事なことを思い出す。
きょとんとする和くんに、リボンのついた袋を差し出した。
「……!」
「少し、遅れちゃったけど……お誕生日、おめでとう」
和くんのお誕生日は、八月八日。
もう二週間過ぎてしまったけど、最近の僕たちの状況からすれば、今月のうちに渡せただけでもラッキーだと思う。
「ありがとう、ひま……開けてもいい?」
「うんっ!」
和くんの瞳がワクワクした様子で輝いたから、嬉しくて嬉しくてたまらなくなる。
「!スマホケースだ。これ、流行ってるやつじゃない?」
「そうそう。機能性もデザインも良さそうだったから」
「ん……あれ、もしかして、ひまと同じ?」
僕が手に持っていたスマホを見て、和くんが尋ねてくる。
いざ気づかれると、ちょっと不安になる。
「う、うん……僕も、変えようかなって思ってたから」
「ふふ、お揃いだ」
あ、和くん、笑ってくれた。
お揃い、嫌じゃないみたいで、良かった。
「今変えちゃおうかな」
「へへ、やったぁ」
和くんは使っていたスマホケースをさっと外して、僕の贈ったものと交換する。
初めて一緒にお出かけしたときに買った、パンダのステッカーも、忘れずに挟んでくれた。
◇
「それでね、すっごく難しいところ、やっと吹けるようになったんだぁ」
「ふふ、良かったね」
「うん!でも、まだ滑らかに演奏できないから……和くんに自信持って聴かせられるように頑張るね!」
「……うん」
「あ、ごめん!曲選んでる途中だったのに……」
カラオケを始めて、だいぶ時間も経ち、リラックスしてきた頃。
和くんが微笑みながら僕の話を聞いてくれるのが嬉しくて、つい一人で盛り上がってしまった。
恥ずかしくなってジュースをごくごく飲んでいたら、和くんが次の曲を登録したみたいだ。
「!この曲、歌ってくれるの?」
「あんまり期待しないでよ」
画面に表示されたのは、中学の修学旅行のとき、二人きりのお部屋で聴いた曲のタイトル。
ふんわり優しいバラードで、和くんの声質に絶対合うだろうなぁ、と以前から思っていた。
その予想は、見事に的中した。
「……すごい……」
一瞬にして曲の世界に引き込まれた。
温かい鳥肌が全身に立つ。
和くんの奏でる音が、きらきらと瞬いて見える。
音に……抱きしめられているみたいだ。
「和くん、動画撮りたい……!」
「えっ」
ラスサビ前の間奏で、いきなりそんなお願いをした僕を、和くんは戸惑いながらも受け入れてくれた。
「いいよ、ひま」
「っ、ありがとう!」
ときめきが溢れる胸を、より一層高鳴らせて撮ったこの和くんの歌は、その後、僕の心の支えとなり、足枷となる。
◇
「和くん、今日は、ありがとう」
「こちらこそ。急に誘ったのに、ありがとう」
「……和くんも、来週から二学期?」
「そう、だね」
「ま、また、忙しくなっちゃうね」
「うん……」
ああ、離れたくない。
和くんが家の前まで送ってくれたから、玄関はもう、すぐそこなのに。
「……じゃあ、バイバイ、ひま」
「っ!」
和くんが背中を向けてしまいそうだったから、咄嗟にぎゅっとハグをした。
思っていたより大胆になれた自分に、自分でも驚いた。
「ひ、ひま?」
「また、遊ぼうね!約束、ね?」
首を少し傾げて、和くんの表情を伺う。
「っ……うん。約束、ね」
後頭部を寄せられて、強く抱きしめ返された。
和くんは、言葉も、行動も、ちゃんと、くれたのに。
それでもなお、こんなに胸が切なくなるのは……僕が、寂しがり屋すぎるから、なのかな。
……僕も、もっと、大人にならなきゃ。
「ありがとう、和くん。またね!」
「うん……じゃあね、ひま」
その会話を最後に、僕たちはゆっくりと離れた。
僕の身体に残る和くんの体温は、夏の茹だるような暑さの中、少しずつその輪郭を曖昧にしていく。
消えるのではなく、僕の細胞一つ一つに、じわりと溶け込むようなかたちで。
◇
◇
◇
二学期が始まり、予想通り、和くんとは会えない日々が続いた。
もちろん寂しくてたまらないけど、僕も、変わりたくて。
辛くなったとき、恋しくなったとき。
夏の終わり、一緒に遊んだ日のことを思い出した。
大好きな人が歌った大好きな曲を、何度も聴いた。
そしてまた前を向いて、新しい朝を迎えた。
それを繰り返していたら、季節はいつのまにか冬へと近づいていた。
「ただいまぁ」
「ひまり、おかえり。ケーキ受け取ってきたよ」
「わぁ!ありがとう、母さん」
今日は、僕の誕生日。
と言っても、学校には僕の誕生日を知ってる人なんていないから、特に変わったことはなかったけれど……
帰宅すると、母さんがバースデーケーキを買ってきてくれていた。
昨年のクリスマス、和くんと食べたショートケーキもこのお店で買ったなぁ。
「……和くん……」
和くんから、特にメッセージは来なかった。
毎年欠かさずお祝いしてくれていたけど、それも、もう終わりなのかもしれない。
こういう変化も、受け入れなきゃ、なのかな……
洗面所で手洗いうがいをしながら、そんなことを考えていた。
そのとき、
「ひまりー!和くん来たよー!」
「えっ!?」
リビングの方から、母さんに大声で呼ばれる。
和くん?今、和くんって……
聞き間違えじゃないことを祈りながら、駆け足で玄関へ向かうと―――
「……!」
「ひま、お誕生日おめでとう」
大きな袋を抱えた、和くんがいた。
制服のままだから、荷物だけ家に置いてすぐに来てくれたのだろうか。
「はい、これ。開けてみて」
「ぁ、っ、ありがとう」
感動でわずかに震える手でそれを受け取り、慎重に封を開けた。
「わぁ、セーターだ!あったかそう……!」
「ひまに似合うと思って。これからの季節にいいでしょ」
「うん!」
和くんが選んでくれたのは、ぬくぬくの可愛いセーターだった。
オフホワイトだから、今持っている上着やズボンとも合わせやすそうだ。
「ひま。もしよかったら、着てるところ見たいな」
「!い、いいよ、恥ずかしいけど……」
リビングに戻り、いそいそと制服を脱いで、たった今もらったセーターに腕を通す。
あったかくて、肌触りも良くて……なんだか、和くんに優しく守られているみたい。
「ど、どうかなぁ……」
恐る恐る姿を現すと、和くんはスマホのカメラを構えて待っていた。
「……!やっぱり、似合うね。可愛い」
「っ、ありがとう、和くん……って、今撮った!?」
「うん」
和くんは、ちょっといたずらな微笑みを見せながら、何度もシャッターを切ってきた。
僕がりんごみたいに真っ赤になる頃、ようやくスマホをしまって、頭を撫でてきて……
「改めて、おめでとう、ひま」
世界一かっこよくて愛おしい笑顔で、僕の誕生日をお祝いしてくれたんだ。
「……!ありがとう、和くん!」
僕は、純粋な喜びを弾けさせるように、和くんにそう言った。
このときには既に、世界で一番かっこいいと思ったその笑顔が、他の人のものになっているとは知らずに。
◇
◇
◇
僕の誕生日から二週間ほど経った、十二月上旬のことだった。
クラスの女子のある発言に、僕は頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。
「西高の和真くんさ!ついに彼女できたらしいよ!」
一瞬、頭が真っ白になった。
どこかでずっと恐れていたことが、現実として僕の前に現れてしまうかもしれない、と思った。
「めっちゃ美人な女の子だって。一ヶ月前くらいから怪しかったって噂だよ」
美人な、女の子。
一ヶ月も、前から。
じゃあ……僕の誕生日のときには、もう、付き合って―――?
……いや、あくまで、噂。
僕は、和くんから、直接、聞いたもん。
『付き合ってる人、いないから』
和くんが、いないって、言ったんだもん。
それより信じられるものなんて、この世にないだろう。
「てかさー、クリスマスに和真くんと過ごせるとか羨ましすぎない?」
クリスマス。
出会ってからは毎年、和くんは僕と過ごしてた。
今年の予定は……まだ聞いていない。
誕生日にもらったセーターを着て、和くんとお出かけできたらいいな、なんて、勝手に妄想してたけど……。
『ごめん、今年は部活の先輩と集まることになって』
翌日、勇気を出して送ってみたクリスマスのお誘いは、和くんにあっさりと断られてしまった。
「彼女がいる」という噂の信憑性が一気に高まって、言い知れない胸騒ぎがする。
……でも、和くんは、部活の集まりだって言ってる。
それに、和くんは誰にでも平等に誠実だから、単純に先約を優先しているだけだ。
僕には部活の雰囲気は分からないけど、一番下の学年だったら、なおさら断りにくいだろうし。
こうして、御託を並べるみたいに、その場しのぎの安心材料をかき集めて、自分に言い聞かせて。
目を逸らしながら、きっと何も変わらない、きっと噂は噂の域を越えない……と思い続けていたら、大丈夫な気がしていたんだ。
◇
十二月二十四日。
たった一人、和くんのためだけに空けておいた一日を、何の予定もなく迎えた。
もしかしたら、ギリギリで和くんの予定が変わって会えることになるかも、なんて思っていたけど、そんな都合のいいことあるわけなかった。
外は寒いし、カップルで溢れる街を楽しく歩けるほどのメンタルを持ち合わせていなかったから、クリスマスイブだというのに、家でゴロゴロして過ごしてしまった。
このまま一日終わっちゃうなぁ……と思っていた夕方、午後五時頃。
仕事終わりの母さんからメッセージが届いた。
夕飯の買い物をして帰りたいから、クリスマスケーキを代わりに受け取っておいてほしいとのこと。
「……行ってみよう……」
母さんは助かるし、僕も気分転換になるかもしれないし。
そんな淡い淡い期待を胸に、コートを着て、マフラーを巻いて、僕は家を出る。
外は、思っていたより寒かった。
綿のような雪が、静かに降っていた。
ふわふわ優しく見えるくせに、手のひらに触れたらちゃんと冷たかった。
十分ほど歩けば、ケーキ屋さんに到着した。
やはり、イブなだけあって、店内はいつもよりずっと賑わっていた。
混みあう店内をなんとか移動し、予約していたケーキを受け取って、そそくさと外へ出た。
「ふぅ……」
お店の中が暖かかったから、外の風がさっきよりひんやり感じる。
手が悴むけれど、ケーキを落とさないように気をつけなきゃ。
〜♪
「あ……」
通り過ぎようとした雑貨屋さんから、和くんがカラオケで歌ってくれたあの曲が聴こえてきて、思わず足を止めた。
好きだなぁ。
この曲も、和くんも。
これが映画とかドラマだったら、和くんも偶然ここを通りかかって、それで……
……風邪引いちゃうから、帰ろう。
家に帰って、あったかいお湯に浸かって、美味しいケーキを―――
「和真っ!」
不意に、僕の知らない声が、僕の知っている名前を呼ぶのが聞こえて。
思わず、振り向いた。
「……ぁ……」
声の主が、美人な女の子だと認識した瞬間には、
もう、
二人の唇は、
重なっていた。
「
僕と名前が似ているその子に、ほんのり赤く染まった顔で微笑む和くんを見てしまった。
「っ……」
その一秒、その瞬間だけは、死にたいとさえ思った。
「和真、ツリーの前で写真撮りたい!」
「うん」
ポケットから出したスマホのケース。
僕が誕生日にあげたやつじゃない。
お揃いのパンダのステッカー。
もうスマホの裏に挟んでない。
お揃いのマフラーも。
いつのまに、買い替えたんだろう。
分かっていた。
付き合ってる人がいないって言ってたのは、夏の話。
三ヶ月前から状況が変わっていて当然だ。
でも、まさかね。
エンドロールを流す時間も与えてくれないなんて、思わなかったな。
『俺が、ひまを選んだんだからね。一緒に回ってくれてありがとう』
ふと、修学旅行での和くんの言葉を思い出した。
そっか。
和くんは、恋人には、別の人を選ぶんだね。
そう、だよね。
視界がぼやけて、色褪せていった。
いつのまにか手から落ちていたケーキの袋を拾って、まっすぐに家を目指して歩いた。
味のしない崩れたいちごのショートケーキを食べた冬、
僕は、初恋を失った。
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