期待
和くんと出会って、二度目のバレンタイン。
前年と同じく、僕のお家で和くんと一緒にチョコケーキを作ったけれど、この年は、それだけじゃなくて……
「えっ、これ、俺に?」
「うん……!偶然お店で見かけて、可愛かったから」
嘘をついた。
本当は三つくらいお店を調べて、何日も悩んで、やっと覚悟を決めて選んだ。
「ふふ、嬉しい。ひま、ありがとう」
「……!うん!」
告白するわけじゃなくても、すごく勇気が必要だった。
でも、バレンタインという特別な日に、好きな人にチョコレートを贈ってみたかった。
生まれて初めての、好きな人に。
一か月後のホワイトデー。
和くんは豪華なお返しをくれた。
見た目からして、絶対に高価だろうなと思ったチョコレートの詰め合わせ。
あとで調べてみたら、僕があげたものの二倍くらいの値段だということが判明し、腰を抜かしそうになった。
お金=愛情という等式が、単純に成り立つとは思わない。
たとえ十円の小さなチョコだったとしても、和くんは誠実な想いを込めてそれを買うと思うし、僕だって和くんから何か貰えるだけで、心の底から幸せな気持ちになる。
けれど、お金だって、愛情の大きさを表現する立派な手段の一つではあると思うから。
和くんが僕を想って、いいチョコレートを選んでくれたこと……嬉しくて嬉しくてたまらなかった。
◇
◇
◇
三年生に進級しても、僕たちは同じクラスだった。
クラス発表の貼り紙を二人で見たときは、思わず飛び跳ねて抱き合った。
運命とか、赤い糸とか、そんなものが僕らの間に存在するのではないか……なんて、夢みたいなことを思ってしまった。
三年生になると、最上級生として前に立つ機会も増える。
和くんはサッカー部の部長になり、その人気は爆発的な勢いを見せた。
和くんがモテるのにはもう慣れたと思っていたのに、三年になってからのあまりのモテっぷりに、僕はすっかりメンタルをやられていた。
そんな僕に影響されてしまったのか、五月の終わりには愛用していた有線イヤホンが壊れた。
一年生のときから、毎日毎日、和くんと一緒に使ってきたイヤホンだ。
捨てることは到底できなかったから、勉強机の引き出しに綺麗にしまっておいた。
休日だったから、母さんに頼んで、その日のうちに新しいイヤホンを買いにいった。
母さんは「ワイヤレスのやつ買ってもいいよ」と言ってくれたけど、僕は有線のものを選んだ。
隣を歩く和くんと、身体を寄せる理由がなくなるのが嫌だったから。
「あ、新しいイヤホンだ」
「そうそう、高音質ってやつ買ってもらったよ」
「いいね。でも、ワイヤレスにしなくて良かったの?」
「うん……有線の方が慣れてるし、なんか安心するから」
また、嘘をついた。
恋をすると、人はよく嘘をついてしまうのだと知った。
それはきっと、溢れ出しそうな恋心を、ギリギリのところで抑えるため。
一度溢れ出せば止まれなくなると、本能的に分かってしまうから。
六月には、修学旅行があった。
京都の街を探索する時間は、決められたグループで行動しなければならなかったから、和くんとは一緒に回れなかった。
僕と同じグループの子たちはみんな優しかったのに、僕が人見知りで会話が苦手すぎたから、きっとたくさん気を遣わせてしまったと思う。
僕は和くんがいなきゃ何もできないんだなぁって、ひしひしと感じた一日だった。
そんな一日の終わり、ホテルの部屋で和くんと二人きりになれたとき、緊張の糸がプツンと切れて、思わず和くんに抱きついてしまった。
和くんは僕の頭をふわりと撫でたあと、「何か聴こうか」と微笑んで、自分のイヤホンの片方を僕の耳にはめてくれた。
ベッドの上でぴたりとくっついて、二人だけで共有しているプレイリストを眺めながら、どれにする?って話して……。
どんなに月日が経過しても、そのとき聴いた音楽を聴くと、あの夜の和くんの体温や匂いまでもが鮮やかに蘇る。
誰にも侵せない、僕と和くんだけの記憶のひとつだ。
修学旅行最終日のテーマパークでは、二人以上であれば誰と回っても良いという決まりだった。
もちろん、僕は和くんと一緒に回った。
有名なジェットコースターは怖くて乗れなかったけれど、和くんと色んなアトラクションに乗って、美味しい食べ物もいっぱい食べて……
るんるんと楽しい気分だった僕は、突然、現実の冷たさを感じることになる。
お手洗いに行った和くんを待っているときだった。
どこかからチクチクとした視線を感じて、キョロキョロ周りを見てみると、女子トイレの近くに集まっていた数人の女子グループが、僕のことを睨んでいた。
「なんであんな陰キャが和真くんと……」
「あいつのせいで女子が一緒に回れないとか、ほんとありえない」
彼女たちは、わざと聞こえるように言っていたと思う。
心臓がひやりと冷たくなって、手足の震えが止まらなくなりそうだったから、一刻も早くその場から逃げたくなった。
「ひま!」
「っ!」
駆け出そうとした僕を引き留めてくれたのは、温かい和くんの手だった。
和くんは一目見ただけで、何が起こったのかを理解したらしく、女子グループを険しい顔で見つめていた。
気まずかったのだろう、彼女たちはそそくさとその場を離れていった。
「ひま、大丈夫?」
「うん……ありがとう」
「気にしなくていいからね。俺が、ひまを選んだんだからね。一緒に回ってくれてありがとう」
和くんは優しい言葉をたくさんかけてくれた。
これまで何度か似たようなことがあったときも、同じように心まで抱きしめてくれた。
だから、初恋は鮮やかなまま、とめどなく膨らんでいった。
夏。
和くんのサッカー部引退試合を観に行った。
特別サッカーが強い学校というわけではなかったから、地区大会での引退となったけど、全力でコートを駆ける和くんは、間違いなく世界一かっこよかった。
「ひま!来てくれてありがとう」
試合後、僕を見つけた和くんは、チームメイトと話している途中だったのに、走って僕のもとへ来てくれた。
「和くん、かっこよかったよ!おつかれさま」
「ふふ、ありがと。今度は俺が、ひまのコンクール観に行くね」
その言葉通り、和くんは吹奏楽部のコンクールを観に来てくれた。
僕の担当はクラリネットだったから、最前列で演奏する姿を見られるのは恥ずかしかったけど……やっぱり嬉しさには敵わなかったな。
女子部員たちに囲まれながらも、僕をめざして歩いてきてくれた和くんと、記念に撮ったツーショット。
今も、アルバムのお気に入りに登録している。
見るたびに大好きが溢れて、胸が、きゅう、と甘い音を立てる。
外の空気が、一気に冬の香りを纏い始めた頃。
文化祭で完全に吹奏楽部を引退した僕は、いよいよ高校受験に向けて勉強に力を入れ始めた。
この時期から、和くんとも受験の話をすることが増えた。
和くんは僕より少し成績が良く、僕の志望校よりワンランク上の高校に行く可能性もあると思っていた。
けれど、ある日のこと。
「俺は、南高に決めようと思ってるんだけど、ひまは?」
僕が志望校を打ち明ける前に、和くんの方からそんな言葉が飛び出してきたから、思わず「えっ」と大きな声を出してしまった。
「ぼ、僕も、南高を受けようと思ってた……!」
「!そっか。じゃあ、俺と一緒だね」
「うん!」
受験も、その先の高校生活も、ずっとずっと、大好きな和くんと一緒。
そう思ったら、憂鬱だった勉強のやる気も、みるみるうちに湧いてきたな。
その冬、僕たちは毎日のように図書室で一緒に勉強して、帰り道には身体を寄せ合って音楽を聴いた。
受験のこと、未来のこと……未知の不安が増える時期でも、和くんが隣にいるから、きっと全部大丈夫。
本当に、そんな風に思えた。
クリスマスも、受験生らしく勉強をして過ごすことになった。
和くんのお部屋で、受験勉強をしつつ、休憩にケーキを食べながらお話しようって話して……
「和くん、ホットココアありがとう。すごく美味しい」
「良かった。ひまが買ってきてくれたケーキも、一緒に食べよう。こちらこそありがとね」
「うんっ」
今朝、母さんおすすめのケーキ屋さんで、ショートケーキを二つ買ってから和くんのお家にお邪魔したんだ。
和くんは、おしゃれなお皿にそのケーキをのせて運んできてくれた。
「「いただきます」」
二人で手を合わせて、ふわふわのクリームとスポンジ、そしてイチゴを合わせてぱくりと食べた。
「ん、美味しい。ひま、いいお店知ってるんだね」
「ふふ、良かった。お店は母さんに教えてもらったんだ」
「ぁ……」
「?」
ふと、和くんが僕の顔をじっと見つめたから、心臓がトクンと甘酸っぱく高鳴った。
「ひま……」
「っ……?」
なぜか、和くんの顔が、ゆっくりと近づいてくる。
急速に鼓動が速くなって、顔が熱くなって、瞬きすら上手くできずに固まっていた。
和くんの瞳が、甘く熱っぽいような気がして……
このまま、唇が重なってしまえばいいのに、なんて思った。
「……クリーム、ついてるよ」
「ぁ、っ、あり、がと」
唇の端に触れたのは、和くんの親指だった。
さすがに、キスじゃ、なかった。
でも、拭い取った生クリームをぺろりと食べた和くんは、見たこともないくらい赤い顔をしていた。
耳まで赤くて、動揺しているように見えた。
だから……胸の中で淡く光っていた期待が、途端に膨れ上がって、鮮やかに色づいてしまった。
和くんも、僕のことを、恋愛対象として意識してくれているのかも……と。
それまでの僕は、和くんに恋をしていたけれど、実際のところは付き合うとか、そういうことまでは考えたことがなかった。
というより、どこかで考えないようにしていたんだと思う。
“和くんの隣にいられるなら友達のままでいい”と……そう思えなくなるのが怖かったから。
でも、一度期待してしまったら、もう昨日の僕には戻れない。
可能性があるのなら、僕は、和くんの恋人になりたい。
強く、そう思ってしまった。
◇
◇
◇
まもなく年が明けて、和くんと一緒に初詣に行った。
神様にお願い事をしすぎちゃったかな、と思っていたら、意外にも僕より和くんの方が長く手を合わせていた。
「和くん、何お願いしてたの?」
そう問いかけた僕に、和くんは穏やかな笑顔でこう答えた。
「内緒」
そのとき胸を掠めた、ざらりとした何かに、僕は知らないふりをした。
けれど、その妙な不安感のようなものは、僕が目を逸らすことを許してくれなかった。
「俺、やっぱり西高を受けようと思う」
「え……」
合格祈願の絵馬を掛けながら、和くんがぽつりと呟いた。
「久々に会った父さんに、西高受けろってしつこく言われてさ。あの人、そういう人だから……」
「そう、なんだ……」
和くんはあくまで親の方針だと話してくれたけど、僕には和くんがただ言いなりになっているようには見えなかった。
もっと上を目指したいという気持ちが大きくなったのだとしたら、それは、応援するべきことで。
お互いに頑張ろう!と明るく言うのが、親友としての正しい行動なのだろうと、頭では分かっていた。
でも……
「っ、ひま、泣かないで」
「ごめん、和くん、なんか、っ、涙が、勝手に出てきて……」
僕には、無理だった。
和くんの前で、ぽろぽろと涙を溢してしまった。
和くんは焦ったような顔で、僕を優しく抱きしめてくれた。
困らせたいわけじゃなかった。
ただ、僕と同じくらい、寂しいと思ってほしかった。
もっと寂しいという顔をしてほしかった。
恋をして、僕は、本当に面倒くさくてわがままな人間になってしまった。
「家は近いし、いつでも会えるよ。それに、これまで通り、一緒に遊んだり勉強したりしようよ。ね?」
和くんは温かい声でそう言って、僕が泣き止むまでずっとそばにいてくれた。
その言動から、和くんが僕を大切に思ってくれていることは、十分すぎるくらい伝わってきた。
生きていたら、変化なんていくらでも起こる。
これから先、どんな形であれ和くんのそばにいたいのなら、変化を乗り越えられる僕にならなきゃ。
そう言い聞かせて、なんとかメンタルを持ち直して、勉強に励むしかなかった。
その日以降、和くんは負い目を感じたのか、それまで以上に僕と過ごす時間を大切にしてくれていたように思う。
図書室で夜まで勉強して、帰り道で同じ曲を聴いて、僕を家の前まで必ず送ってくれた。
別れ際に温かい飲み物をくれることもあった。
優しくされるたび、嬉しくて、胸が痛かった。
そんな冬を越えて、僕たちは無事に受験に合格し、卒業式の日を迎えた。
「ひま、写真撮ろう」
式の後、ボタンがない制服を着た和くんに声をかけられた。
うん、と頷いて近くに行くと、肩をそっと抱き寄せられた。
和くんの香りがふわりと広がって、触れ合う身体の温度が熱くて、照れた表情のままカメラに視線を向けた。
「はい、チーズ」
カシャ、とその瞬間が切り取られた後、和くんの顔をチラリと見上げると、宝石のように綺麗な瞳が潤んでいた。
「……和くん……」
そっと目元を拭ってみると、和くんはまた一粒涙を溢して僕に微笑みかけた。
そして、ポケットから何かを取り出して、僕の手のひらにのせた。
「これ、ひまが持ってて」
そこにあったのは、もう誰かの手に渡ったと思っていた、制服のボタン。
「っ、これ……」
僕の聞きたいことを察したのか、和くんは頬を赤らめて口を開く。
「第二ボタンってやつ。一番大切な人に、渡したかった」
「……!」
あまりにときめいて、すぐには言葉が出てこなかった。
この胸の真ん中にある恋心に、甘い星屑がリボンのように巻きついて、キュンと締めつけてくるようだった。
「そ、それなら……僕のも、和くんに持っててほしい」
ボタンを外して、そっと差し出した。
受け取るときに触れた和くんの手の温度を、僕は一生覚えているのだろうと思った。
「ありがとう、ひま」
「こちらこそ、ありがとう、和くん」
春めいた風の吹く、三月のある日のこと。
かけがえのない思い出が詰まった中学校を、僕たちは卒業した。
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