第12話 瘡蓋


"ピリッ"

いつぶりだろうか手を切るのは。


包丁を握る手に、少しだけ迷いが混じった。

いつも通り切っているはずなのに、

リズムがどこか噛み合わない。


サキとの過去の出来事、

音葉との出会い、

これからどうするのか

そんなことばかり考えていた。


心が揺れると仕事も揺れる。


あの胸にズシンと深くくる痛みとは違う、ピリッとした表面的な痛み。


表面的な傷は時間が経てば治る。

何事もなかったかのように、

記憶にも残らないくらいに。


ただ胸に深くくる痛みは違う。

いつまでも治らない瘡蓋のように、

些細なことですぐ傷が開く。



"ポンッ"


通知画面に映る

"音葉"の名前。


今の自分の特効薬は間違いなく

この子である。


あの日会ってからもLINEを

続けていた。


サキに見られる可能性を考慮して

「音葉 バイト」

と登録名を変えて。


絆創膏をした切った方の指で

おもむろに内容を確認する。


"仕事頑張ってください"


その一行だけで不思議なくらい力が湧いてくる。


サキから送られてくる、言われる

その言葉とは全く違う入り方をして

全く違うところに届く。


なぜだか自分でも分からない。


ただ、一つ言えることは

音葉の存在が大切なものに

なりつつあるということだ。


一回しか会ってないのに

何がわかるんだと自分でも思う。


しかし会った回数ではなく、

自分の直感がはっきりとそう言っている。


これからどうするかは音葉に

会って向き合わない限りは変わらない。


自分の罪悪感を大きくしないために

そんな都合の良い言い訳を自分にした。


ただ会いたいだけなのに。


僕は

"今度また会おう、近いうちに"


そうメッセージを送り

視界に携帯が入らないところへ置き

夜の営業の準備へ取り掛かった。


ーーーーーー


その夜の営業が終わり通知を見る。


その返信を見て


"今からどう?"


そう送って返信を待たないまま

急いで帰りの支度をする。


なんとなく………

今日は会えそうな気がした。


というか会いたかった。


"いいですよ!"


その返信を見て、急いで

あの日に待ち合わせをした駅へと向かう。


会える喜びに大さじ1杯の罪悪感をそっと溶かしながら。


人間は不思議なもので

1度目より2度目の方が罪悪感が軽くなっていく。


この先、3度、4度と会うたびに

自分がどんどん悪い人間になっていくのではないか………


そんな考えが頭をよぎったが


衝動的な気持ちの動きにその小さな良心はすぐに打ち消される。


きっと明日にまた罪悪感が

滲んでくるのだろうが、

今はそんなこと考えられない。


今日も待ち合わせ場所に

先にいたのは音葉だった。


初めて2人で会った時ほどの緊張はなかったが、それ以来スーパーでも顔を合わすことがなかった。


だから、こうして顔を合わすのがどこか少しくすぐったいような…

そんな感じだった。


くすぐったさをなんとかするために

まず一言目はさらっと入ろうと

僕は口を開いた。


「ごめん!また待たせちゃった!

今日も真面目に働いて疲れてるだろうに会ってくれてありがとう!」


そう言うと音葉は小悪魔的な笑みを浮かべながら


「私のこと真面目ってよく言いますけど、私そんなことないですよ。

仕事は真面目にやりますけどね。

まだまだ私を知りませんねー」


そして急に真剣な眼差しに変わり

じっと僕を見つめ続けて言った。


「真面目ってなんだと思いますか?」


僕は即答できなかった。


僕が嘘をついているのを

見抜いているような眼差しは

僕の思考をストップさせた。


それを見た音葉はニヤッと笑った。


なんだか僕は悔しくて

嘘つきじゃない自分になって

思考を再び巡らせた。


「犯罪とか世間一般的にダメと言われることはしないこと……とか、約束を守るとか?かな……」


と考えた割に当たり前のことしか言えなかった。


「確かに、、それが模範解答で

周りの人から見たらそれが

真面目かもですね。

でも、私は………」


音葉はそう一呼吸置いてから

噛み締めるように

自分に言い聞かすように


「もちろん犯罪とかはしませんけど、

人生っていくつも選択があるじゃないですか?

それを“誰かがこうだから”とか

“こう思われたら嫌だから”とかを置いておいて、

自分の気持ちに正直でいること。

本来の自分の姿でいること。

それが真面目だと思ってます。


私は“真面目(マジメ)”じゃなくて、

“真面目(シンメンボク)”の方です。」


僕はその言葉が20歳の子から出てきたのに驚いたと共に

僕の中で何がが変わった気がした。


「面白い……少し変わってるんだね」


気付くと僕はそう呟いていた。


「変わってるって褒めてます?」


彼女にそう問われた。


僕にとって変わってるは

最上級の褒め言葉だ。

逆に普通だねとかはつまらない人だねと言われてる気がしてしまう。



「とても褒めてるよ」


そう答えると音葉は嬉しそうに言った。


「"変わってる"って言われるの実は

私めっちゃ嬉しいんです。

"普通だね"って言われるのは好きじゃなくて」


その言葉を聞いた瞬間——

本屋で同じ本に手を伸ばして、

偶然指が触れてしまうような。

そんな小さな“運命”みたいなものを感じた。



すると、


「あ、最寄りつきましたよ!」


ニコッと笑いながら言う音葉。

扉の開く音。


僕は席を立ち、

この改札を出たら……

"ピッ"

とSuicaのなる音がしたら、

僕も自分の気持ちに正直に

なれるようにしてみようと

思い、ホームを歩いた。


音葉の言葉たちのおかげで

傷が開きかけた心の瘡蓋は

新しい皮膚が出来て

傷が治る手前の剥がれるか

剥がれないかそんなところまで

治ってきていた。

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カンパニュラ @magnet07

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