✟ ノーヘブン|ノーサンクチュアリ ✟【完全版・一気読み】
✟わーたん2039 ✟
✟ ノーヘブン|サンクチュアリ ✟【完全版・一気読み】
プロローグ
音のない廃墟に、風の声だけが響いていた。
コンクリートの割れ目から伸びた雑草が、湿った空気をかすかに揺らしている。
瓦礫の山には、かつて戦った機体の破片やねじ曲がった砲身が散乱している。
壁面には無数の銃弾痕が走り、崩れ落ちた鉄骨は錆びて赤茶色に変色していた。
焦げたアスファルトの黒い跡が、激戦の残響を今も伝える。
その中を、一人の少女が歩いている。
ボロボロのブーツのかかとが、がらんどうの通路を打つ音。
それは、記憶をなくした私が
この世界で確かに生きているという、唯一の証だった。
逃げだす時に名前を呼ばれた__
「私はフミ。廃墟を歩く、ただの少女だ」
焼け焦げた建物の外壁には、かすかに残る数字列──かつてこの街が、誰かに管理されていた証。
倒れた電光掲示板は“避難済”の文字を半分だけ残し、風に揺れる。
足元には、焦げたぬいぐるみ。
誰かの記憶ごと、置き去りにされたようだった。
そして──わたしの足元に、朽ち果てた鉄屑達の影が横たわる。
鋼の外殻は錆に覆われ、誰もが“動かない”と決めつけた残骸。
__これは、廃墟で暮らす記憶を無くした少女と、鉄屑と呼ばれたロボット。そして彼女に剣を向けた少女の、絆と再生の物語だ__
【I .フミ】
どうやら、
知らないうちに、眠ってしまったらしい。
わたしは、夢を見ていた。
「……誰だっけ。いつも夢に出る、この子……名前……。」
少年の瞳に宿っていた光。
決して忘れてはいけないはずなのに、目覚めるたびに霧のように消えていく、その名前。
胸の奥の震えに、気づかないふりをして立ち尽くしていた。
瞬間小さな光が──彼女の胸元のペンダントからふわりと溢れ出した。
廃墟に、光が灯る。
目の前の無数の鉄屑に視線を落としたまま、深く息を吸った。
あの部屋の気配は、まだ心の奥にこびりついている。
暗い監視の光。
冷たい視線。
囚われの自分がいたあの場所から、もう離れているはずなのに──エクレシアの無機な監視員の声が、何度も耳の奥で響いた。
「天の裂け目、その奥の秘密を開ける鍵──それがお前だ」
何のことか分からず恐怖と混乱の中でペンダントを握りしめていた、あの日。
強烈な光と衝撃。
あの瞬間、私はすべてを失った。
記憶も、名前も、そして──誰か大切な人の存在さえも。
「……誰だっけ。」
口に出した声は震えていた。
夢で見た誰かの背中。
あの部屋で、何度も心を引き裂かれながら思い描いた“出口”。
わたしは廃墟の奥へと歩を進めた。
差し込む光が、瓦礫に絡むように揺れている。
胸元のペンダントが、かすかに応えるように脈動した。
まるで、それが自分を導くためにあるものだと思い出させるように。
足元の瓦礫が音を立てるたび、胸は震えた。
歩みを進める。_
誰かの記憶に、誰かの声に、導かれるように。
胸元のペンダントをそっと指で押さえた。
何かを訴えかけるように、微かな光が揺れている。
「……これ……。」
ぽつりと呟いた言葉も、すぐに喉の奥で消えた。
どこから来たのかも、なぜここにいるのかも、分からない。
ただ、足元の瓦礫が音を立てるたびに、心の奥で何かが脈打つような気がしていた。
そして、奥へ進むたびに足を止める。
瓦礫の向こうに、影が横たわっている。
光の筋が、ゆっくりとその輪郭を照らす。
誰かの呼吸のように、廃墟の空気がひどく静かだった。
「……。」
言葉を失い、立ち尽くす。
砂埃の向こうに、それはあった。
黒ずんだ機体の装甲が、瓦礫の下から覗く。
機体の周囲には、溶けた鉄骨と、焼け落ちた制服の名札。
誰かが守ろうとして、ここで終わった。そんな空
気が、そこにはまだ残っていた。
目の前にある“それ”が、ただの鉄なのか──
光が、わずかに強まった。
瓦礫の上に横たわるそれが、少しずつ輪郭を取り戻していく。
それを、息を止めて見つめていた。
その鋼の塊は、ただの廃材のはずなのに──
なぜだろう。
胸の奥が、ほんの少し温かくなる気がした。
「……。」
ペンダントの光が、その機体に触れている。
そして、
瓦礫の奥で、光が生まれた。
鋼鉄の胸の奥に、かすかな輝きが脈打つ。
胸元のペンダントと、まるで互いに呼応するように。
「……!」
息を呑んだ。
心臓の音が、全ての音を消し去る。
そして、一歩、また一歩とその”鉄”の方へ足を進める。
胸元のペンダントが淡く光り、行く先を照らすように脈打つ。
その目が、微かに光る。
コアが共鳴した?
あたりは、まるで時間が止まったかのように静かだ。
構文塔の残骸が遠くで風を受けて鳴り、無人機の
死骸が転がる──かつてこの地を支配していた観測網の、抜け殻。
空気が変わった?
あたりが、軋むような音を立てる。
ノイズ?
数値化されていない存在が、観測外から割り込んでくる音。
──誰かが、この座標に“気づいた”?。
その瞬間、背後の空気が震えた。
「……。」
声を出すより先に、気配を感じた。
周囲の闇から、鋭い視線が突き刺さる。
足元の瓦礫が小さく鳴るたびに、息を詰めるしかなかった。
敵?──誰かが、ここで待ち構えている。
「しまった!!…」
目の前に、無言の影がいくつも現れる。
それは、言葉ではない威圧。
廃墟の暗がりに潜む、確かな殺意だった。
息を止めて視線を上げる。
月明かりに黒光りする鋼の輪郭──それらは人のように二足立ちする機体兵器達だった。
腕に装着された刃先がひそりと揺れ、胸部の装甲には剥がれかけた軍章がうっすらと浮かびあがる。
金属音を伴う低い唸りが、冷徹な殺意を秘めてこちらへ向かってきた。
瓦礫に足を取られそうになりながら、周囲を見渡す。
光を遮るように、無言の影がいくつも立ちはだかっている。
鋭い目。鋼の音。
逃げ場なんて、どこにもなかった。
「クッ、このタイミングで!」
喉の奥で言葉が震える。
「エクレシアが、、もう、ここまで」
瞬間、目の前の機体に視線がいく。
「…お願い…動いて」
わたしは、無意識に、初めて出会った、この鉄にすがるように祈っていた。
【II .開戦】
また、ペンダントの光が、かすかに揺れる。
無意識に、胸元のペンダントを握りしめていた。
冷たい光の脈動だけが、今の自分を支えているように思えた。
「……お願い……。」
かすかな声が、瓦礫の隙間に吸い込まれていく。
このまま捕らわれるのは嫌だ。
だけど同時に、目の前の敵に、背を向けるのはもっと嫌だと思えた。
ペンダントが、小さく光を返す。
それは、わたしの疑問に答えようとしているようにも見えた。
敵の影は変わらず無言でわたしを取り囲む。
でも、その恐怖の奥に、確かに何かを見ていた。
胸元のペンダントの光が、わたしの瞳に映り込む。
まるで、「立て」と告げているように。
「……。」
ふと、足元を見る。
震える膝を押さえ、小さく息を吐いた。
光は答えをくれるわけじゃない。
でも、それを信じるしかない。それが、今の自分にできる唯一のことだと思った。
暗がりの中で、その瞳は恐怖を超えた何かを映し出している。
言葉はなくても──その目だけで、伝わるものがあった。
光は、ますます強くなっていった。
それは冷たい鋼鉄の機体に宿る、かすかな息吹のように──
廃墟の闇に、柔らかな光が滲む。
敵の影がそこにあっても、わたしにはもう見えていなかった。
胸の奥で、小さな鼓動が言う。
「大丈夫」
その光に見入った__
光が鋭く、瞬きを許さないほどに強まった。
鋼鉄の胸の奥から、刃のような光が迸る。
廃墟の空気が、一気に張り詰める。
立ち尽くしたまま、目を逸らせなかった。
目の前にあるのは、ただの鉄屑なんかじゃない。
その光に、まるで生き物のような意思を感じた。
ペンダントの光がさらに強く光だす。
その瞬間、コクピットの扉が開かれ、わたしは迷わず乗り込む。
「想いが、届いた?」
旧型の機体だと思っていたが、中を見た瞬間わたしは息を呑んだ。
それは、見たこともないような最新のテクノロジーで凝縮されている。
「…わたしに、やれるだろうか?」
息を呑む。
敵の影が震え、廃墟に残る全ての音が一瞬にして掻き消される。
「…やるしか…他に道はない!」
世界が、その光だけに支配されていくようだった。
閃光が、廃墟の闇をすべて切り裂いた。
光の奔流は鋭く、容赦なく、目の前の敵の輪を一瞬で押し返す。
「……っ!」
目を閉じかけて、必死に踏みとどまった。
光のなかで、確かに“わたしたち”が立っている。
「すごい…!」
これは、鉄屑なんかじゃない。
世界に牙を剥く、力そのものだった。
廃墟を埋める瓦礫の音が、光にかき消される。
敵の影が裂ける音が、空気を震わせる。
心臓は、ただその光の熱に打ち抜かれていた。
光が収まったとき、廃墟に残されたのは鋼鉄の影だけだった。
敵の影が押し返されるたびに、空気は重く震えた。
思わず、息を呑む。
足元の瓦礫が、わずかに揺れている。
それは恐怖の震えか、それとも胸の奥に生まれた悪い予感か──
“それ”は、
自分の世界を塗り替えるような、暴力的な存在感を放っていた。
そして、
鋼の巨躯。
無言のままに、すべての敵を退ける姿。
さらに息を止めた。
胸の奥が、熱を帯びる。
誰も信じられなかった世界で──
この鉄屑だけが、今は頼れる気がした。
敵の気配はまだ消えていない。
心臓の鼓動が、まるでこの光景を祝福するように響いている。
敵の気配が、再び空気を切り裂く。
反射的に体をこわばらせた。
足元の瓦礫が鳴るたび、廃墟に冷たい緊張が満ちていく。
だが、その前に立ちはだかる意思があった。
鋼鉄の意思は無言のままに。
その無骨な輪郭が、どんな盾よりも確かに思えた。
「想いが、刃になった。」
ただの鉄屑──そう思っていたものが、
今は確かに“ここにいる”と感じられた。
「いける。今なら・・・!」
鋼の腕が、空気を裂く!
光の筋が一閃。
敵の影が、瞬時に切り裂かれる。
無言のまま、目の前の世界を切り開く──そんな意志があった。
「……。」
言葉にならない。
でも、胸の奥で確かに知っている気がした。
これが、これこそが、これからの自分を守る力だと。
光が静まり、世界が再び呼吸を取り戻した。
鋼鉄の塊は、無言のまま。
けれど、その無言が何よりも確かに感じられた。
「……。」
必死だったので、さっきの戦闘は、ほとんど覚えて無いけれど、
確かなのは、わたしは、今ここで息をしている。
それだけで、胸の奥に灯がともる気がした。
そっと息を吐く。
何も言わない背中に、言葉よりも深い何かが宿っていると、そう思った。
胸元のペンダントを見下ろす。
かすかに揺れる光が、瓦礫の上に落ちる。
それが何を意味するのかは分からない。
けれど、この光に救われたことだけは確かだった。
「……。」
胸の奥が、ふわりと温かくなる。
理由なんて、いらない。
光はここにあった。
そして、それを信じた自分が、いまもここに立っている。
そっと息をついた。
胸元のペンダントの光が、まだ揺れている。
その光に、小さく笑みが浮かぶ。
言葉なんていらなかった。
この光があったから、いまもこうして立っていられる。
「……ありがとう。」
かすかに囁いた声は、誰に届くでもない。
それでも、胸の奥で確かに響いた。
ここに立っている──
それで、今はよかった。
2話につづく
👉episode2「すれ違う剣と、掴めない記憶|NO Heaven/第2話」
2話あらすじ
【記憶をなくした少女と、彼女に剣を向けた少女。
すれ違う想いと、揺れる記憶の断片。
それは、かつて交わった何かの“余韻”だったのかもしれない。】
−わたしは、ずっと考えていた。いつも見るあの夢のことを…
あの光景は、いつの記憶だったのか。
私の中で、遠い日の残響のように揺れている。
誰かの声。
何度も聞いたような、でも名前を思い出せない声。
白く滲む世界の中で、私だけが取り残されていた。
それは夢か、記憶か。
分からないまま、ただ胸の奥に疼いている。
瞼の裏で、光と影が揺れていた。
ゆっくりと目を開くと、ぼやけた視界の向こうに瓦礫の影が見えた。
【Ⅲ.エクレシア】
命は記録され、世界は計測される。
瓦礫の空に、まるで嘲笑うかのように浮かぶ建物があった。
雲よりも高く、地を離れて漂うその影は、朽ちた世界に似つかわしくないほど荘厳だった。
鋼と黒曜石のような光沢。
眼下に広がる廃墟を見下ろすその場所は、すべてを見通し、支配する者たちの座。
エクレシア。
人々の記憶から切り離された、四観の本拠地。
その奥で、静かに目を光らせる者たちの気配があった。
その建物の内部は、まるで神殿のような空間だった。
天井から射す光が、円形のホールに淡く広がる。
静寂の中に立つ影は、世界を見下ろす四観の姿。
そこには、時の流れすら止まっているかのような威圧感があった。
外の荒廃とは別の、冷たく整えられた秩序。
視線を交わさなくとも、互いの存在を理解する。
その空間に漂うのは、支配者たちだけの緊張と静けさ。
スクリーンに映し出された空の異変は、空の深い傷のように脈打っていた。
数値化された脅威のグラフが、無言のままに上昇を告げる。
「……ゲートの手勢値が上昇している。」
その声は感情を欠いた囁きだった。
光の中に立つ影たち──エクレシアの中枢、四観の影。
ここに集う者は、世界の危機すら冷静に見つめる者たち。
偶然すらも許されない。
世界の歪みを見極め、すべてを“制御”の中に組み込むことを当然とする存在。
この空間には、恐怖も熱狂もなかった。
ただ、世界を支配する静謐があった。
影の背に、音のない秩序が漂っている。
エクレシア。
世界を調律する無機質な支配者。
誰の名前も語られないままに、ただこの世界を整え続ける存在。
【Ⅳ.フミ】
あの部屋の気配は、まだ心の奥にこびりついている。
あのとき、エクレシアの監視員たちはモニター越しに私を見つめ、無機質な声で呼びかけてきた──
「天の裂け目、その奥の秘密を開ける鍵──それがお前だ」。
何のことか分からず、恐怖と混乱の中でペンダントを握りしめていた、あの日。
強烈な光と衝撃。
あの瞬間、私はすべてを失った。
記憶も、名前も、そして──誰か大切な人の存在さえも。
暗い監視の光。冷たい視線。
囚われの自分がいたあの場所から、今はもう離れているはずなのに──。
口に出した声は震えていた。
夢で見た誰かの背中。
でも、それは夢なんかじゃない。
あの部屋で、何度も心を引き裂かれながら思い描いた“出口”。
その出口の先に、この機体がいた。
差し込む光が、瓦礫に絡むように揺れている。
胸元のペンダントが、かすかに応えるように脈動した。
あったかいうどんの湯気が、ふわりと私の頬に触れた。
さっきまで鋼の影に護られていた身体が、ようやく力を抜く。
口に運ぶ一口が、妙に重たく感じられたけど──でも、それはとても優しかった。
湯気の向こうに見える鋼の影を見て、私はふと口を開いた。
「……名前、つけなきゃね?」
自分でも、唐突だと思った。
けれど、そう言わずにはいられなかった。
それは、ただの鉄屑じゃない。
戦いの中で、確かに私を守った存在だ。
「ロボット、じゃあんまりだよね……。」
箸を置いて、私はじっとその鋼の影を見つめた。
胸の奥から、自然にその言葉がこぼれる。
それは、誰にも奪わせない“自分の意志”だった。
名前をつけることで、私の中で確かな存在として息を吹き返す。
それは、過去を忘れてもなお、私だけの“絆”だと__
「……クサナギ。そうだ、クサナギにしよう。」
名を与えることは、存在を観測すること。
名前のない鉄塊だったそれが、私の言葉で“ひとつの像”を持ちはじめた気がした。
これまでの常識の何かが、わずかに揺らいだ。
湯気の向こうで、鋼の影がわずかに光を返した気がした。
それだけで十分だった。
私は微笑んで、うどんをすする。
「よろしくね、クサナギ。」
うどんの器を置いて、私はそっと息を吐いた。
湯気の余韻が薄れるころには、胸の奥のざわめきも少し落ち着いていた。
私はそっと立ち上がった。
小さな光を胸に抱えて、次の一歩を踏み出す。
私は目の前の景色を見つめていた。
廃墟の街は、以前よりも少しだけ静かに見えた。
さっきまで荒廃にしか見えなかった景色が、今は、ほんのわずかに息をしている気がする。
クサナギ──
名もなき鉄屑ではなく、私が名付けた“存在”。
そしてエクレシア__四観
その背中を思い出すたびに、胸の奥で何かが震える。
まだこの世界は壊れている。
でも、私の目にはもう少しだけ色が戻っていた。
【Ⅴ.奇妙な敵】
ふと、息が止まった。
それまでの穏やかな空気が、一瞬で冷たく張り詰める。
誰かの気配──音もなく、でも確かにあった。
背中を走る寒気に、私は小さく肩を震わせた。
振り向く勇気はまだなかった。
けれど、確かに感じた。
誰かが、向こうから私を見つめている。
怖くないわけじゃない。
でも、もう逃げたくはなかった。
胸のペンダントが微かに光を返し、それだけで小さな勇気が滲んだ。
足元の瓦礫が、わずかに軋む音を立てた。
その音さえ、世界に溶けていく。
背中に感じる視線は、もはや確信だった。
私はゆっくりと振り返った。
胸の奥のざわめきは、すでに恐怖ではなかった。
背後に立つその影──私の世界に割り込む“何か”の気配。
瓦礫の向こうに、鋭い瞳が光っていた。
敵か、味方か。
まだわからない。
でも、確かにそこにいる。
世界が、色を取り戻すように震えた。
私の視界に、その影がはっきりと浮かんだ。
鋭い瞳。冷たい鋼。
何も語らずに、それは私の前に立つ。
音もなく、世界が止まる。
心臓の鼓動だけが、やけに大きく響いている。
相手が無言のまま、一歩を踏み出した。
そして、瞬間消えた!?
足元の瓦礫がかすかに鳴り、空気が鋭く震える。
私の手のひらが汗ばんでいる。
息を呑む。
世界は静かに脈を打つ。
次の瞬間には、すべてが動き出すと知っていた。
鋼の音が、乾いた空気を裂いた。
私の耳を打つその響きは、鋭く重い。
まるで心臓を抉られるような金属音。
一瞬で、身体中の感覚が研ぎ澄まされる。
「…誰?」
相手は答えない。
敵の動きは速い。
瞳で追おうとすると、一瞬遅れてしまう。
足元の瓦礫が砕ける音が、遅れて届く。
視線がぶつかる。
しかし、恐怖は、私の中で燃え上がる戦意に変わろうとしていた。
斬撃が空を裂き、
音と衝撃が、私の骨を震わせる。
呼吸も忘れて、私はただ目の前のその速さに向き合っている。
剣の重さが、恐怖の奥にある覚悟を突き立てるようだった。
相手は、私を見下ろすように立っている。
その鋭い瞳の奥に、迷いはなかった。
また、視線がぶつかる。
剣を握りしめた掌に、血が滲むほどの力を込める。
戦うしかない。
この一瞬にすべてを賭けるしかない。
敵の気迫に押し潰されそうな空気の中で、私は小さく息を吐いた。
世界が、一瞬だけ静止する。
耳鳴りのような音の中で、私の呼吸だけが聞こえていた。
剣の柄を握る指が、痛いほどに力を込める。
一歩、踏み込む。
瓦礫を踏みしめる音が、空気を裂く。
目の前の影が、一瞬だけ揺れたように見えた。
──剣と剣が交差した瞬間だった。
乾いた金属音が辺りに響き、空間がわずかにひしゃげる。
音も光も、いっとき遅れて届く。
それは“観測”を拒んだ瞬間だった。
剣戟という行為が、意味を与えずに空間を裂いた。
言葉にならない声が、確かに胸に入り込む。
sanctuary──
命令でも記憶でもない。ただ、存在の奥から響いた、“名もなき領域”の応答。
相手に瞳に揺らぎが生まれたのを、私は見た。
それは彼女が初めて“剣ではない感触”に触れた瞬間だった。
砂塵が舞い、空気が再び流れ出す。
互いに距離を取ったふたりの間に、何かが記録されないまま、確かに残った。
──今しかない。
この一瞬に、すべてを刻む。
−エクレシア本部−
巨大なモニターに映し出されたのは、廃墟で剣を交えるフミと敵の姿。
その光景を、四観の影が静かに見下ろしていた。
光と影の狭間に立つ四つの影は、感情を欠いた瞳でただ画面を見つめる。
その中に熱狂も、焦りもない。
あるのは、淡々とした観測だけ。
瓦礫を砕く音も、剣が空を裂く音も──
この部屋には届かない。
けれど、目の前の光景は確かに血の匂いを伝えていた。
「……。」
一人が、小さく息を吐いた。
戦いの意味を知る者だけが持つ、冷たい視線だった。
そして誰も、その戦いの行方に期待を見せることはなかった。
本部のモニターに、フミたちの戦いが映し出されている。
光の中に刻まれる一瞬の閃き。
それを前にしても、四観の顔に感情の色はなかった。
「……変化は始まったか。」
誰かが呟く。
その声は、まるで寒気のように静かだった。
モニターの中で、剣が空を裂く。
戦いの意味を測るように、誰かが小さく笑った。
「面白い。だが、まだ足りない。」
その言葉に、他の影は何も答えない。
ただ無言のまま、フミたちの戦いを見つめていた。
視線がぶつかる。
互いの動きが一瞬先を読み合い、空気が焼け付く。
瓦礫を蹴る音、息遣い、すべてが一瞬のうちに研ぎ澄まされる。
「……っ!」
私は震える足を踏みとどめる。
敵の瞳に、底知れない静けさが宿っていた。
次の瞬間。
敵の剣が、まるで何事もなかったかのように鞘に収められる。
金属音が冷たく響く。
世界が一瞬、音を失った。
彼女の観測は、終了したのだ。
意味のない静寂が、まるで“定義”から解放された世界のようだった。
私は確かに見ていた。構文が、一瞬、閉じられた瞬間を。
「……いったい、なんなの……。」
私の声はかすれたまま、瓦礫の街に溶けていく。
目の前の影はただ無言で立っていた。
その沈黙に、私の心臓だけがうるさく鳴っていた。
敵の剣は、もう抜かれることはなかった。
鞘に収められた刃は、静かに光を失っていく。
そのまま、敵は私を見下ろすように一度だけ視線を落とす。
鋭いのに、どこか遠い瞳だった。
それはまるで、私を見ているようで、見ていないような──
興味でもない。
ただ、観測する者の無機質な目。
「……。」
音もなく、敵は背を向ける。
瓦礫の影に吸い込まれるように、その姿は消えていった。
私の足元には、まだ震えが残っている。
けれど、もう戦いの空気は、跡形もなく消えていた。
敵の姿が消えて、私はひとり立ち尽くしていた。
瓦礫の街は、まるで何もなかったかのように静かだった。
けれど、胸の奥に残るのは、確かに生き延びた感触だった。
呼吸が、やけに大きく感じられる。
身体の震えはまだ消えない。
それでも、剣を握る手は、力を緩めなかった。
誰かの気配はもうない。
けれど、私の中に残った“戦い”の記憶は、静かに疼いていた。
「…そういえば、sanctuary…あの声なんだったんだろう?」
第3話につづく
👉episode3「命令の裏に、揺らぎは潜む|NO Heaven/第3話」
命はただ記録され、世界はただ計測される。
その沈黙の中で、少女は問いかけ、影は揺らぐ。
観測と数値の狭間で、構文が崩れ始める──
3話あらすじ
【冷たい構文の中に生まれた、カグラの揺らぎ。静寂の監視社会に走る、ノイズの兆し。その背後で、フリカとNo.3という異質が動き出す──】
【Ⅵ.カグラ】
監視の光は、ただ静かに世界を映し出す。
そしてその光の奥で、四観の影が微かに笑みを浮かべたように見えた。
エクレシア本部の監視室は、夜の静寂に包まれていた。
巨大なモニターには、瓦礫の街とその上空に裂け目が映し出されている。
誰もが黙々とキーボードを叩き、データを記録する。
感情はどこにもなかった。
そこにあるのは、ただの「観測」だけ。
「……
低い声が淡々と報告を告げる。
無数の光点が瞬き、モニターの隅でフミとクサナギが映る。
小さな体と、巨大な鋼鉄の影。
それは“ただの観測対象”として記録されるはずだった──だが、記録は一瞬、数値の整合性を欠いた。
“像が二重に見える”。誰かがそう呟きかけたが、その言葉は記録されることなく消えた。
構文が、ごくわずかに“ズレ”ていた。
「そして──《クサナギ》。」
モニターの中で、フミがこちらを見返すように目を細めた。
だが、その視線に応える者は誰もいない。
この部屋では、世界の全てが数値に置き換わるだけだった。
エクレシア本部の巨大なモニターに、フミとクサナギが映し出されていた。
瓦礫の街に立つ二人の姿は、無数の視線に晒されている。
冷たい空気の中で、誰かが呟く。
「……コードKが干渉した。」
その言葉は、誰にも届かないように淡々と落とされた。
鋼の影が静かに立ち上がる。
その胸の奥に眠るものを、監視者たちはただの数値として記録する。
「《鍵》が、目覚めた可能性がある。」
モニターに映る鋼の影の中心──クサナギのコアが、解析不能の電磁パターンを描いた。
波形は“自己回帰”の構造を持ち、観測者たちが扱う数値体系の外側にあった。
それは、再構築されつつある“再起動構文”の断片だった。
また別の声が呟く。
意味のわからない言葉が、監視室の空気をさらに重たくする。
けれど、その空気に感情はなかった。
ただ、無数の光が瞬き、何かが揃い始めている気配だけがあった。
「……クサナギ。揃い始めている。」
モニターの中で、フミがこちらを見返す。
その瞳には、まだ言葉にならない何かが宿っていた。
しかし、その微かな光さえも、観測者の冷たい瞳には届かない。
世界の歪みを、ただ計測し続けるだけだった。
エクレシア本部の冷たい光の中、カグラは無言で立っていた。
フミと戦っていたときとは違う。
そこにいるのは、剣を握り締める戦士ではなく、何も語らない兵器のような影だった。
建物に入った瞬間、廃墟の埃と焦げ跡の匂いが消え、無臭の冷たい空気が頬を刺した。
空間を満たす無音は、音を奪うだけでなく心拍さえも奪うような緊張感を放っていた。
光は計算されたように降り注ぎ、影の奥に立つ四観の輪郭を際立たせている。
その瞳に、感情はなかった。
ただ、命令を待つ人形のように。
それでも、その沈黙の奥には、確かに何かが眠っている。
あの戦いで見せた剣の冴え。
フミの前に立ち塞がったあの影が、今はただ無言のままに立っている。
「……カグラ。」
誰かが低く呟いた。
監視の光が、無数の数値を刻みながらカグラの姿を見つめる。
四観の視線は、何も言わずにその背を見守っているだけだった。
けれど、その沈黙が語るものは──
世界の歪みを知る者だけが理解できるものだった。
四観の一人が、モニターに映し出されたカグラの姿を見つめていた。
無言の瞳が、氷のように冷たく光を反射する。
フミと戦った影──その真の姿を、誰よりも冷静に観測する視線。
「……。」
言葉は必要なかった。
ここにいる者たちは、すべてを知り、すべてを記録する。
その背に宿る力、命令の意味、すべてを数値として残す者たち。
だが、その中には、確かに一瞬だけ揺らぎのような光があった。
冷たい瞳に映るカグラ。
戦士でありながら、ただの影のように立つその姿は──
世界の歪みを知る者の前に、何を語るのか。
冷たい空気の中に、問いだけが響いていた。
「なぜ、捕らえなかった?」
その声は鋭く、冷たく。
エクレシア戦闘部門の精鋭、カグラ──女性の影が、無数の視線に晒されていた。
剣を握りしめる彼女は微動だにしない。
けれど、その無言が、問いの重みをさらに深くした。
「抹殺の命令は確かにあったはずだ。」
誰かが低く呟く。
苛立ちも失望もない、ただ冷徹な世界の秩序の声。
「君は感情を持ちすぎた。フミという存在に同調した可能性がある。」
冷たい言葉が空気を切り裂いた。
彼女の瞳が一瞬揺らぐ。
「もう一度言う……君は感情を持ちすぎた。そしてフミという存在に同調した可能性がある。」
その重みは彼女の胸に重くのしかかった。
だが、声にならない沈黙が彼女の答えだった。
戦闘部門の誇りと、個としての葛藤が胸の奥でせめぎ合っている。
「判断は不用。感情を排せよ。」
冷たい声が部屋に響いた。
四観の一人が、無感情な瞳でカグラを見下ろす。
「カグラよ、もう失敗は許されぬ。行くがよい。」
その言葉は鋼鉄のように硬く、命令として重くのしかかった。
戦闘部門の精鋭──感情を棄てた兵器であれ。
けれど、カグラの心にわずかに波紋が広がる。
フミの姿が脳裏をよぎる。
戦いの中で見た、あの瞳。
あの時、確かに何かが私に……。
震えるような声が、心の奥で囁いた。
誰にも聞かせることのない、私自身の声。
「私に……命令するなっ!!」
その叫びは、決して口に出せない。
けれど、胸の奥で確かに燃え上がった。
四観の冷たい命令を受け止めながら、カグラの瞳は静かに、けれど確かに輝きを取り戻していく。
【Ⅶ.No.3とフリカ】
「カグラにゆらぎがある以上、動かすのは一体でいいのか?」
四観の一人が低く呟く。
冷たい声が、部屋の空気をさらに硬くする。
「確保している予備鍵。反応は安定しているようだ。」
モニターが切り替わる。
別室にいるフリカの姿が、淡い光の中に浮かび上がる。
その瞳には、無垢さとも無関心ともつかない光が揺れていた。
「念のため、動かしておこう。」
誰の顔にも、感情の色はない。
フリカを“予備鍵”として、淡々と扱うその瞳には──命を物としてしか見ない冷たさがあった。
_彼らは、命を物として扱う。
その言葉が、モニターの光よりも冷たく響いていた。
エクレシア内の管理施設──通称omega
その無機質な光の中で、フリカは無表情に座っていた。
誰の視線も意に介さないように、ただ虚空を見つめている。
_この子の波は、鍵と共鳴している。
冷たいモニターが、その小さな身体から微弱な電波のような光を拾い続ける。
波は、常に誰かを探している。
それは声でも音でもない。
世界の隙間を震わせる、孤独な呼び声。
フリカの瞳は何も映さない。
けれど、その沈黙の奥に、確かに揺らぎのような
“波”
が生きていた。
エクレシア内施設──通称
「牢獄」。
鉄の格子と無数のケーブルが這う暗い部屋の中、男は不気味な笑みを浮かべていた。
牢の奥で、目の奥だけが狂気に濁っている。
_彼は、No.3。
鋭い頬骨が刻む深い皺。
口元は無邪気な笑みを湛えながらも、その瞳は底なしの渇きを孕んでいる。
片腕は機械仕掛けの義手。
鋼鉄の塊のような右腕は、鋭利な関節の軋みを伝えながら無造作にぶら下がっている。
牢の外、二人の男が交わす言葉。
「こいつを、つかうというのか?正気か?」
「上からの命令だ。従うしかない……。」
「……し、しかし……。」
その言葉を聞きつけたNo.3は、ゆっくりと首を傾げた。
顔の筋肉が、不自然なほどに裂けるように笑みを深める。
「あの、可愛こちゃん……クククッ。退屈させないでくれよ。ま、暇つぶしには、なるか。」
牢獄の空気が、紫電のような気配で震えた。
そして、フミは──。
世界が一瞬だけ切り替わったような感覚があった。
歩いていた瓦礫の道の空気が、わずかに澱む。
風の匂いが変わる。
胸の奥で、何かがざわめく。
目の前には、変わらない廃墟の景色が続いているのに。
フミは立ち止まり、鋭く空を見上げた。
その瞬間、空の向こうに微かな揺らぎが生まれる。
裂け目のように世界を裂く兆しが──
誰も知らなかった。
裂け目とは、天が裂けたのではない。
この世界の「観測フレーム」が、静かに軋んだ音──
揺らぎは、すでに始まっていた。
−エクレシア内 某所−
「……揺れたな、構文が」
タバコを咥えた識然(しきねん)は、誰にも聞こえない声でつぶやいた。
“観測が、内側から反転した”──その感覚は、言語では捕えきれないものだった。
重力すらも一瞬、内側に沈み込むような歪みを伴って。
場が反転する兆しだ。
none──記録されない意思の予兆。
“まだ来るべきではない”。そのはずだった。
……そして、裂け目が開く。
少女たちの記録は、まだ続く。
記録の外で、誰かの声がした気がした。
「ここからだよ、きみたち──」
4話につづく
👉episode4「裂ける空、それぞれの選択|NO Heaven/第4話」
天が裂け、世界が警告を鳴らす。
かつて夢で見たような光景。
“答え”が届きかけたその瞬間、牙を剥く者が現れる。
暗黒から伸びる刃が迫るとき──
新たな意志が、その場に立つ。
画像
瓦礫の街を進む私の耳に、風の音がざわりと囁いた。
その声は、何かを告げるように鋭く冷たい。
次の瞬間、空が小さく震えた。
「……空が……。」
見上げた空に、黒い渦のような影が生まれていた。
光を吸い込むように、渦はゆっくりと広がっていく。
空が、裂けるように──
「空が……壊れかけてる?」
震える声が、無意識に零れ落ちた。
風の流れが乱れ、世界が呼吸を忘れたかのように沈黙する。
何かが始まろうとしている。
そんな予感が、胸の奥を鈍く叩いていた。
空が呻くように、風が強くなった。
瓦礫の街を吹き抜ける風は、冷たく鋭い刃のように肌を裂く。
私は顔を覆うようにして、その力を必死に受け止めた。
画像
風が、空間そのものを歪ませるように吹きつけた。
まるで、“空間の皮膚”が擦り剥がれていくような痛み。
視界の奥が微かに揺らぎ、ものの距離感が曖昧になった。
──ここにあるはずの街が、一瞬だけ遠ざかって見えた。
「……何なの、これ……。」
渦はさらに濃く、空の色を変えていく。
黒い雲の裂け目から、無音の雷鳴のような光が滲んでいた。
画像
風は止むことなく吹き荒れ、世界を削り取ろうとしている。
それはまるで、天が裂ける前触れのように──
風が吹き荒れる中、私は必死に立っていた。
けれど、それはただの風ではなかった。
空の裂け目が開くその前兆の中で、目に見えない“何か”が私を押し返そうとしていた。
“何か”──それは重力の癖のようだった。
目に見えない力が、方向を持たずに引きずる。
下でも上でもない“傾斜”が、空間の中に生まれていた。
私の身体は、そこに沿って滑り落ちそうになる。
胸の奥が、冷たい刃で撫でられるように震える。
息を吸うのも苦しくて、足元の瓦礫が鳴く。
それでも、私は目を逸らせなかった。
空が裂ける──その瞬間を、確かに感じていたから。
空が裂ける。
世界の色が、ゆっくりと飲み込まれていく。
私はその光景を前に、足がすくむように立ち尽くしていた。
画像
「……? なんなの?」
声は震えていた。
問いかけは、誰に向けたものでもない。
ただ、押し寄せる空気の異変に、言葉を探していた。
目の前の空が、まるで別の世界へ繋がる扉のように、静かに裂けていく──
風の音が、世界の全てをかき消すように響いていた。
そして、空がついに裂けた。
黒い渦が空に開き、そこから覗く深い闇が世界を飲み込もうとしている。
瓦礫の街の上に、異界の口が開いたように。
フミの心臓が大きく脈を打った。
「……あれは……。」
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世界の皮膚が裂け、向こう側の闇が覗く。
息をするのも忘れて、フミはその光景を見つめていた。
風が吠える。
空に穿たれた裂け目は、ゆっくりと、確実に広がっていく。
私の瞳に、その光景が深く刻み込まれた。
「……!」
足元の瓦礫が震え、冷たい風が私の頬を切り裂く。
世界が──壊れかけている。
画像
天が裂ける音が、街を覆い尽くす。
瓦礫の街のあちこちで、民衆の声がざわめきに変わった。
「な、なんだあれは……!?」
「空が……裂けて……!」
驚きと恐怖が混ざり合う声。
大人の男が目を見開き、老婆が震える指で空を指差す。
子供たちは泣き出し、母親が必死に抱き寄せる。
人々の顔から血の気が失せ、街を走る風の冷たさにさらに震えが走った。
「神の罰か……!?」
「いや……何かが……来る……!」
目の前の異変を、誰も信じられなかった。
けれど、その空の裂け目の向こうから、確かに何かが世界を覗いている気配があった。
人々の声はざわめきとなり、やがて呑み込まれていった。
恐怖はまだ、形にならない。
けれど、それは確実に、街を支配し始めていた。
「また……裂けた!!」
誰かの叫びが、瓦礫の街を震わせる。
空を見上げる目が恐怖で見開かれ、声がひび割れる。
「逃げろ!! 早く……!」
「防空壕だ!! 早く……防空壕に……!」
大人たちの怒鳴り声が、子供の泣き声をかき消す。
押し合い、走る足音。
瓦礫の道に散らばる瓦片を蹴り上げながら、人々は必死に影を探す。
「神の怒りだ……」
「死ぬ……こんな……こんなの……!」
その場に立ち尽くす者もいた。
目の前の光景に膝をつき、空を見上げるしかできない者もいた。
世界が、天が──裂けていく。
人々の声は、恐怖の波となって街を揺らしていた。
_それは、まさに終わりの始まりのようだった。
空が裂け、漆黒の闇が街を呑み込もうとしていた。
天の裂け目から、稲妻のような光がひらめく。
そして、次の瞬間──爆音が空気を引き裂いた。
フミの足元を揺らす衝撃波。
顔を上げると、目の前の空が光と破壊の渦を生み出していた。
雷のように放たれた光が、街の影を一瞬で塗り潰す。
その光景に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
爆風が私の体を吹き飛ばす。
世界が一瞬で反転し、視界が白く染まる。
意識が遠ざかる──その刹那。
「……これ……は……?」
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胸の奥に、鋭い痛みのように記憶がよみがえる。
同じような光景。
同じような爆風。
そして──そこにいる少年。
「……誰……? 危ない、逃げて……!!」
自分の声が、遠い夢の中のように響いた。
けれど、視界に映るその背中を必死に守ろうと、無意識に手を伸ばしていた。
爆風が私を地面に叩きつける。
頭の奥で鈍い痛みが響き、視界がぼやけていく。
瓦礫が軋む音と、胸の奥を揺らす鼓動だけが現実を繋ぎとめていた。
その霞む視界の中に、あの少年の面影が重なる。
前にも……同じように──
私を守ろうと、爆風の中に立ち尽くしていた少年の背中。
「……誰……?」
唇からかすれた声がこぼれる。
それでも、意識を失うわけにはいかなかった。
あの時も、今も。
私は、まだ……。
視界が霞む。
世界の輪郭が溶けて、幻か現実か分からなくなる。
目の前に浮かぶ少年の背中。
その幻が、私を誘うように消えていく。
「……幻……? いや、違う……誰……?」
声はかすれ、空気に呑まれて消える。
けれど、その影だけは確かに私の目に焼き付いていた。
その間にも、空の裂け目は止まらない。
黒い渦が空を裂き、世界を軋ませる。
必死に足を動かそうとする。
けれど、身体が鉛のように重く、言うことを聞かなかった。
焦りと恐怖が胸を焼く。
「……まずい……クサナギ……。」
助けを呼ぶように、心の中でクサナギの名を呼ぶ。
意識が、揺れる。
まるで誰かが、記憶のファイルを上書きしているような──
違う構文が、自分の中に割り込んでくる感覚。
私の“内側”と“外側”の境界が、かき乱されていた。
けれど、その声は喉を抜けず、ただ無音の叫びとなって宙に消えた。
瓦礫の街に渦巻く混沌の中で、私は声にならない声を放ち続けていた。
意識が霞む。
それでも心の中には、確かに「彼」の名があった。
「……クサナギ……。」
誰にも届かないはずのその声が、確かに世界を震わせた。
視界の奥で、光が生まれる。
それは黒い裂け目に抗うように、鋭く輝いた。
_それは、祈りでも、叫びでもなく。
ただ、一つの応答だった。
世界が再構築を始める。
重ねられたコードが“意味”を忘れ、再び形を編み直す。
それは、痛みを知る私にだけ、応答する。
空気が裂ける音が、耳の奥を震わせる。
瓦礫を砕くように、鋼の脚音が響く。
黒い影が、私の前に立つ。
巨大な金属の塊──でも、それはただの機械じゃない。
私と同じ痛みを抱え、同じ世界を見ている、もう一人の「私」。
クサナギの瞳が、深く光を灯す。
それは無言のまま、確かに言葉よりも強い意志を伝えていた。
「……また……届いた。」
それは、祈りではない。
叫びでもない。
私の声を、確かに応答として返すその存在が、そこにいた。
私は目の前の機体を見上げる。
瓦礫の街に立ち尽くす私と、鋼鉄の巨人。
クサナギは無言のまま、私を見下ろしていた。
冷たい金属の瞳の奥に、何かを感じた。
あの時と同じだ。
私に力を与えてくれた、あの時の光。
「……なにが起きているのか、わからない。
でも……やるんだ。力を与えてくれた、あの時と同じように……!」
恐怖に震える足を、必死に前に踏み出す。
目の前のクサナギに、迷いのない視線を向ける。
その瞳は、私に語りかけていた。
今、この瞬間だけが確かな現実だと──
画像
「?……何か……来る。」
コクピットに入った瞬間、
空の裂け目から降り注ぐ光の中に、それは確かに見えていた。
黒い機械兵たちの影が、空から真っ直ぐに向かってくる。
その先頭には、狂気を宿した笑みを浮かべる者の姿。
画像
鉄の脚音が響く。
瓦礫を砕く音が、遠雷のように空気を震わせた。
クサナギの隣で、フミは胸の奥を抉る恐怖に震えながら、それでも視線を逸らさなかった。
空は裂け続け、世界が壊れかけている。
けれど、その裂け目から降りてくる影は、確かな脅威だった。
_それは、No.3と彼の機械兵だった。
その口元には、狂気と自信が同居していた。
背後に控える無数の機械兵たちの無表情な顔が、不気味な静けさを帯びている。
空の裂け目を背にして、No.3は地面を踏み鳴らす。
フミは、その光景に思わず息を呑んだ。
恐怖が全身を駆け巡る。
けれど、その恐怖を押し殺し、拳を強く握り締める。
「……何? あいつ……。」
No.3の視線がフミを射抜く。
その瞳に映るのは、挑発と侮蔑。
フミは無意識に息を整え、心の奥で呟いた。
「やるしかないってことか……!」
画像
鋼鉄の体を持つクサナギが、一歩前に出る。
フミもまた、その背に意志を重ねるように歩み出した。
_世界の“裏打ち”を覗く者。
秩序に飽き、神すら弄ぶ者。
空の裂け目の向こう側を見つめるNo.3の瞳には、常人には決して理解できない光が宿っていた。
彼はゆっくりと口角を上げる。
「裂け目の向こうで踊る光……。」
その声は甘い誘惑のように響く。
指で空を示すように、彼は楽しげに言葉を紡ぐ。
「あれは……祈りじゃない。応答さ。」
言葉の刃が、空気を切り裂く。
その瞳に宿るのは、世界の真理を試す問いかけ。
「脈うつ……“問い”への応答だ。」
街を呑み込む闇の中で、その声だけが鮮明に響いていた。
フミの瞳が、大きく見開かれる。
鋼鉄のクサナギを前に、No.3が裸の肉体のまま地面を駆ける。
その肉体からは人間とは思えない速さと、狂気のような気迫が溢れていた。
「……⁈ な……?
機体はないの……?
生身のまま向かってくる……!」
声が震えた。
けれど、No.3の顔には笑みが浮かんでいる。
その瞳には、底なしの愉悦と──純粋な“観察”の光。
「観察ってのはね、細胞一つ残さず……
“開いて”見るんだよ。」
その声が、空気を切り裂く。
瞬間、クサナギの剣が一閃する。
瓦礫を飛ばす鋭い一撃が、No.3を狙って放たれた。
一瞬の静寂。
そして、闘いの幕が、音を立てて開く。
フミの瞳に、再びNo.3の影が飛び込んでくる。
地面を蹴る音、空気を裂く唸り。
クサナギの剣が構えられ、No.3は狂気の笑みを浮かべて迫る。
「……また、来る……。」
フミの声が小さく震える。
けれど、その言葉に応えるようにクサナギの金属の瞳が光る。
No.3は口元を大きく歪めて笑う。
その声は、風に溶けてフミの鼓膜を貫く。
「僕の“観測”──受け取ってよ。」
声が落ちた瞬間、二つの剣が交錯する。
火花が弾け、空気が震える。
その刹那、世界が張り詰めたように静まり返った。
……交錯──。
轟音が瓦礫を巻き上げ、光が瞬く。
No.3の一撃は鋭く、クサナギの剣に食い込む。
フミは震えながらも、その光景から目を逸らさなかった。
彼の「観測」という言葉の意味を、肌で感じていたから。
フミの目に、世界が歪んだ。
目の前を駆け抜けるNo.3の肉体。
その速度は人間の限界を超えていた。
「……!? 速……!」
息を呑む間もなく、クサナギの装甲が切り裂かれる。
鋭い閃光が走り、金属が悲鳴をあげる。
「観察ってのはね……細胞一つ残さず……“開いて”見るんだよ。」
No.3の声は、狂気の旋律のように響く。
その瞳に映るのは、ただの戦いではない。
破壊そのものを愉しむ、異常な光。
さらに次の瞬間、No.3の腕が閃いた。
クサナギの巨体が後退し、鈍い衝撃音が瓦礫に反響する。
フミの指先が震える。
「……応えて……クサナギ……!!」
心の奥に、無意識の声が滲み出す。
祈りでも、怒りでもなかった。
それは、どうしようもなく悲痛な……叫びだった。
「……クサナギ!! 答えて!!」
フミの声が、空気を震わせる。
その声に応えるように、クサナギの胸の奥に光が生まれた。
微かな紫の輝きが、金属の装甲を透かして滲み出す
_それは、呼応──フミの過去に繋がる声への、“応答”だった。
その光は、かすかな希望だった。
けれど、No.3の嘲笑が鋭く響く。
「くっ……まだ……!」
クサナギの胸に、No.3の手刀が深々と突き刺さる。
鋼の装甲が軋む音。
光が、鋭い痛みに押し潰されるように……消えた。
_そして、本当の覚醒への……
しかし──
No.3の瞳が、ふと空気の隙間を切り裂くように動く。
闘いの熱気の中、背後にうごめく“何か”を感じ取ったのだ。
その口元に、珍しく焦りの色がにじむ。
「……? あれは……まさか……。」
一瞬、狂気の笑みが消え、目が鋭く細められる。
その視線の先には、紫の光をわずかに宿した影が立つ。
一方で、クサナギのコクピット内──
フミの息は荒く、胸の奥の熱はもう声にならない。
「……だめだ……もう……クサナギが……。」
必死に掴んでいたはずの光が、再び暗い影に塗り潰されていく。
その焦燥と諦めが、言葉を震わせる。
No.3が、鋭い笑みを浮かべながら迫る。
その目は、クサナギを貫くように鋭い光を放っていた。
「まあ……いい。こいつに、とどめだ。」
クサナギに影を感じていたはずの視線が戻る。
No.3の身体が、爆発するような勢いでクサナギへ向かっていく。
フミの目に、その瞬間が焼き付いた。
息を詰め、必死に手を伸ばす。
けれど、間に合わない──その恐怖が、喉を塞ぐように重くのしかかる。
「……ダメだ……間に合わない……!」
コクピットの中で、フミの指が震える。
クサナギの瞳に宿る小さな光だけが、唯一の希望だった。
だが、No.3の一撃は、すぐそこまで迫っていた。
No.3の攻撃が、クサナギに触れる──その刹那。
鋭い一閃が、空気を断ち切った。
「……!!」
フミの目に、紫の光が閃く。
そして、そこに立っていたのは、カグラだった。
「……間に合った。」
鋭い目を光らせ、No.3の刃を受け止めるカグラの腕。
その力強さは、フミにとって確かな希望の光に見えた。
「?……なに?……」
No.3がニヤリと笑う。
けれど、カグラは言葉を返さない。
剣と剣が軋む音だけが、世界を支配していた。
No.3の目に、カグラの姿が映る。
その笑みは底知れない狂気を湛えていた。
「ハハッ……君か──。」
カグラは無言のまま、剣を握りしめていた。
風に揺れる髪が、鋭い視線を隠さずに晒す。
エクレシアの“剣”として、かつて同じ道を歩いた二人。
その刃が、今は交錯の時を迎えていた。
クサナギの背中が、フミを守るように立つ。
カグラの横に並ぶ姿は、かつてない決意の証。
けれど、カグラにとってこの瞬間は、裏切りの宣告でもあった。
エクレシアの秩序を背にしながら、その剣を振るうのは……自らの意志。
フミの目に、信じられない光景が広がった。
カグラが、クサナギの隣に立っている。
その背後に立つ機体──ヤガラス。
漆黒の外殻は光を吸い込むように沈黙し、まるで夜空の深淵を映す鏡のように周囲を圧倒していた。
紫のコアが胸元に淡く灯り、瞬きのように脈動するその光は、カグラの感情の揺らぎをも映しているかのようだった。
鋭利なシルエットの装甲は、まるで闇を裂く剣の化身。
その瞳孔の奥には、獲物を逃さぬ冷たい光。
無言のままそこに立ち、しかしフミとクサナギに背を向けず、共に敵を見据える──
ヤガラスの存在感は、それだけでフミの心に強烈な印象を刻んだ。
そして何より、
その姿はカグラの意志そのもの。
静かで、けれど鋭く、心に突き刺さる存在感だった。
「……なんで……あんたが……。」
声が震える。
剣を交えた相手が、今は同じ方向を見ている。
理由は分からない。
けれど、確かなことが一つだけあった。
でも、今は──
同じ方向を、見ている。
瓦礫の街で、紫の瞳を宿すヤガラスが静かに待っていた。
その漆黒の装甲は、まるでカグラの決意を映す鏡のように鈍く光っている。
カグラはゆっくりと深呼吸をすると、迷いのない瞳を向けた。
手にした刀を背に収め、重いコクピットハッチに手をかける。
「……行くよ。」
画像
鋼鉄の扉が、低く唸るような音を立てて開かれる。
冷たい金属の感触が、カグラの決意をさらに研ぎ澄ませる。
その瞬間、風が吹き抜ける。
決意と覚悟の匂いを纏った風──
カグラの髪がなびき、ヤガラスの瞳と真っ直ぐに交わる。
鋭く光る紫の視線に、カグラの視線が重なる。
無言のまま乗り込むその姿は、誰よりも凛として見えた。
_ヤガラスのコクピットへと身を預けるその一歩は、もう、戻らない覚悟の足音だった。
5話(一章 最終話につづく)
👉episode5「二人、背を預けてNO Heaven/第5話 第1章 完結」
空が裂けた街に、沈黙の影が立ち並ぶ。
紫に光る鋼鉄の瞳と、狂気の笑み。
それは、秩序すら凌駕する“観測”の剣。
そして今、対峙する。
No.3(クサナギとヤガラスを見て)
「……カグラよ。何ゆえ、君がここに?」
ヤガラスがその身を前へと進め、紫の眼光が閃く。
鋼の足元から、土煙が静かに立ち上る。
コクピット内のカグラは、表情を変えずに応える。
カグラ「……さあな。」
No.3(表情が変わり、口角を吊り上げながら)
「ハッハッハ!若さゆえの……ただの気まぐれか!」
「ならば、そのまま──熱にやられて逝くがよい。」
No.3は背後の機械兵に振り返り、腕を鋭く振り下ろす。
「お前たちは……クサナギをやれ。」
「私が、この“裏切り者”にわからせてやってる間にな」
「……ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとかかってこい!!」
「言われなくとも!!」
──地を蹴る音。
空気を切り裂く速度で、No.3が突進する。
ヤガラスの刃が唸りをあげる。
紫電が走り、空気を裂く音が爆ぜる。
正面から激突したのは、狂気をそのまま纏ったような存在──No.3。
ただの剣戟ではない。
彼の一撃には、観測という名の“侵入”が含まれていた。
カグラの機体、ヤガラスの装甲を擦る火花。
だが、それすらも楽しげに見つめながら、No.3は笑う。
「どうした? その剣……鈍ってるぞ」
鋭利な剣の軌道が交錯するたびに、火花が散り、空間がきしむ。
互いの動きはまるで閃光。だが──
「ぐっ……!」
カグラの口から苦悶が漏れる。
目が追いつかない、わずかに遅れる。
No.3の剣速は──カグラの“速さ”すら上回っていた。
「なんて……スピードと圧力……」
画像
肉体一つで機体を凌駕する男。
その動きは直線ではない、観測で相手の視線と反応を先読みしているかのような、異常な“間”の抜き取りだった。
ヤガラスの胸部に深く切り込まれ、警告灯が一斉に明滅する。
だが、カグラは引かない。
剣を強く握り、歯を食いしばりながら声を吐いた。
「……まだだ。終わってない──!」
紫の光が一瞬だけ鋭く灯る。
ヤガラスが腰を捻り、地面を滑るようにNo.3の懐へ回り込む。
その身のこなしはまるで黒い稲妻。
だが、No.3はすでにその動きを読み切っていた。
「言われなくとも──」
爆発的な踏み込み。
鉄より重く、雷より早い一撃がヤガラスの横面に叩き込まれる。
ズドンッ!!
空気が爆ぜ、地面が弾ける。
揺れる機体、響く衝撃。
警告音がさらに激しく鳴り響く。
「……クッ!!」
だがカグラの眼は、未だ揺らいでいなかった。
クサナギの機体が吼えた。
まるで、世界の歪みに怒りをぶつけるかのように。
コクピットの中でフミの手が操縦桿を握りしめる。
「……来い。」
言葉と同時に、クサナギが動いた。
踏み鳴らされた大地が爆ぜる。
一歩ごとに瓦礫が宙を舞い、土煙の中から鋼の巨体が突き進む。
敵の機械兵たちが押し寄せる。無数の脚音が地面を揺らす。
画像
だが、その波を前にしても――フミの声には一切の怯みがなかった。
「うおおおおおおおおっ!!!!」
叫びと共に、クサナギが剣を振るう。
刹那、鋼の光が空を切り裂いた。
前方に構えていた機械兵数十体が、まとめて弾け飛ぶ。
爆風ではない。純粋な質量と運動力による“薙ぎ払い”だった。
「けちらせぇえええええええええっ!!!!!!!」
フミの怒号が、コクピットの中に響く。
それはもはや命令でも指示でもなかった。
ただ、意志の奔流が叫びとなって噴き上がっただけだった。
画像
だが、それらはまるで紙でできた人形のように、次々と切り裂かれていく。
頭部を粉砕され、胸部を貫かれ、
空中に放り出されたまま、力なく崩れ落ちる。
鉄の雨。
鋼の津波。
砕かれ、潰され、跳ね上がる。
動き一つ一つが致命であり、軌道の全てが破壊だった。
「止まれよ……!この手で、全部……!」
画像
フミの叫びに応えるように、クサナギの剣が再び煌めく。
敵の中心に踏み込み、そこから三百六十度を一瞬で薙ぎ払う。
腕が飛び、頭が吹き飛び、胴体がねじれたまま崩れる。
吹き上がる火花。焦げたオイルの匂い。
それでも、フミの手は一切緩まなかった。
「全部ッ!! ここで終わらせるんだよ!!」
まるでその場の重力を制圧するような一撃が振り下ろされる。
敵の隊列が、まるごと潰れる。
戦場全体が一瞬で静まり返るほどの衝撃が走った。
敵が減っていく。
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数十、数百の機械兵たちが、たった一機のクサナギに次々と沈められていく。
戦闘ではない。
それは、無慈悲な殲滅。
鋼の暴風による、徹底的な排除。
「まだ……来るなら……!」
フミの目が光る。
クサナギのコアが応えるように脈動し、まばゆい光が広がる。
残っていた最後の一体が、逃げる間もなく両断された。
胴体が地に転がり、静寂が戻る。
──沈黙。
瓦礫の街に、敵の姿はもうなかった。
ただ、クサナギだけがそこに立っていた。
息を潜めるように、煙の中に。
コクピットの中、フミの息が荒い。
その顔に浮かぶのは、安堵ではなかった。
むしろ、これから始まる“本当の戦い”を見据える覚悟。
「……これで終わりじゃない。」
握りしめた拳の中に、光が宿る。
フミは荒れる息を整えながら、コクピットのスクリーンを睨みつけていた。揺れるモニターの中、あの黒い機体──ヤガラスの姿が映る。紫の光がまだ消えていない。それはつまり──
「……カグラ……って、呼ばれてたっけ?」
思わず呟いたその声に、自分でも驚く。けれど、その姿が今も立っていることに、胸の奥がじんと熱くなる。
「よかった……まだ無事だ」
その安堵も束の間、ヤガラスが押されているのが見て取れた。相手はあの狂気の男、No.3──カグラの速さをも凌駕する異様な速さと圧力。剣が軋み、火花が飛ぶ。その刹那、フミは判断を下した。
「よし……卑怯だけど」
舌を噛むような決意とともに、レバーを強く握り直す。
「……回り込んで、後ろからいくしかない!」
クサナギの重心が前傾し、足元の瓦礫を砕いて駆け出す。その姿には、迷いはなかった。
No.3の剣が、唸りを上げてヤガラスを襲う。
緑がかった残光とともに、カグラの機体が押し返される。
受けるたびに、関節が軋む。
反応はしている、だが──追いつかない。
「くそっ……やつの戦闘力は、わたしの予測を遥かに上回っていた…」
振り切るようにバーニアを噴かし、剣を振るい続ける。
それでも、No.3の攻撃は加速していく。まるで重力すら支配するかのような連撃だった。
そして──
「……しぶといねぇ」
「今度こそ、とどめだよ」
No.3の笑みが弾ける。殺意に満ちた膂力が、ヤガラスの腹部を狙って一閃された。
「……No.3、本気でくるか……いいだろう。私も、覚悟は決めている」
カグラは自らに言い聞かせるように呟くと、機体の出力をさらに引き上げた。
しかし──その瞬間だった。
ズドンッ──!
背後から、音が重なった。
No.3が小さく呻き、振り返る。
そこにいたのは、背中を見せたはずのはずの“もう一人”だった。
フミ──いや、“クサナギ”が、戦場に割って入っていた。
「クサナギか! こしゃくな……」
「ハハハッ……あの大軍を、しりぞけたかッ!」
クサナギの剣が、なおも上段に構えられている。
焦げた残骸が遠くに転がる。どうやら、あの圧倒的な機械兵の大軍を、単独で殲滅してきたのだ。
「クサナギ……?
フミのやつ……あの大軍をこんな短時間でやっつけたっていうの……?」
その瞬間、カグラの瞳の奥に微かな揺らぎが走る。
“信じてなどいなかったもの”が、心の奥底で何かを動かす。
だが、思考に浸る間もない。
No.3がふたたび姿勢を取り直し、こちらを睨んでいた──。
クサナギとヤガラスのコクピット内、通信が繋がる。
フミ「大丈夫なの? ケガは……」
声は焦っていたが、明らかに安堵も混ざっていた。
カグラ「大丈夫よ。それよりフミ、あんたもさっき感じたと思うけど、やつのスピードは尋常じゃない」
言葉を区切りながら、カグラは険しい表情を崩さない。
「フミ、ここは、2人がかりでいくしかない。わたしにあわせられるか?」
「……わかった」
「よし。じゃあ、いくぞ」
2機が呼吸を合わせるように、じわりと前進した。
その視線の先で、No.3が肩を揺らして嗤っている。
No.3「よかろう。2人まとめて、始末してやろう!」
その身体から、紫の炎のようなオーラが噴き出す。高濃度の電流が全身を覆い、空間ごと歪ませるような熱量。
一瞬の静寂。
「今だ! フミ! 左へ飛べ!」
「了解!」
ヤガラスは右、クサナギは左。
それぞれ反対方向に跳び、挟み撃ちの形を作る。両機は寸分狂わずタイミングを合わせ、連携攻撃を仕掛けた。
No.3の剣がうなる。だが、今の彼には「単独の対応力」しかない。
「ハハッ、やるじゃないか! さすがに2人同時は、分が悪いか……」
わずかに後退し、間合いを取るNo.3。
カグラの眉がぴくりと動いた。
「なっ? あいつ逃げる気か……? こうもあっさり……なぜ?」
まるでこちらの動きを見極め、計画通りだと言わんばかりの動きで、No.3は空中へと跳び上がっていく。
戦場に残った、クサナギとヤガラス。2機はすでに呼吸を合わせていた。
カグラは一瞬だけ、フミのコクピットを見た。
(……“わたしたち”は、ここまで出来る)
その直後、空に浮かぶNo.3の背から、奇妙な痺れが放たれる。
No.3(ふん……まぁ、いい。計測完了だ。そろそろ――)
フミ・カグラは、どちらともなく同時に叫んでいた。
「逃すかッ!!!!」
しかし、追いつく前にNo.3は振り返った。口元には、笑みを浮かべている。
「……観測は、完了した」
背後で風が巻き、空が裂ける。
赤い光が上空を走った。
「フミよ、記憶断片を集めるがいい。
そして、カグラ──“天の裂け目”が開きかけてるぞ?
お前ならば、この意味……理解できよう」
言葉の最後は、風に溶けるように響いた。
「また、会おう。
もし、この“天の裂け目”から……生き延びることができるのならばな。──ハハハッ!!」
空へと消えていく背中。
カグラとフミは剣を握りしめたまま、その場に立ち尽くす──。
そして、空が――揺れ始める。
赤く染まる空。
都市の廃墟の影──
瓦礫の隙間から、誰かがその空を見上げていた。
その瞳は、まっすぐ裂け目を見つめている。
「──きこえる、ね」
「音がしてるよ。記憶の奥から……ずっと、まえから。」
風が舞う。
その手には、熊のぬいぐるみ。
少女は独り、笑った。
「でも、まだ足りないの」
「鍵と……鏡が揃って、ようやく“門”が、ひらく。」
空の裂け目が、かすかに震えた。
フリカは、もう一度空を見た。
その瞳の奥で、何かが共鳴していた──
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第1章 完
👉NO Heaven|エピローグ
断章記録:観測コード【裂-01】
⸻
……これらの記録は、正式な命令によって保管された。
世界が静止し、構文に歪みが生じた“あの瞬間”。
構文観測機関エクレシア四観は、それぞれの視点から断片的観測を行った。
民衆の反応、裂け目の発生、そして“構文外存在”タウマの降下。
それは未だ観測不能な鍵──none──の輪郭を呼び起こす前兆でもあった。
この記録は、観測者による世界の断章である。
構文制御不能事象に備え、下記映像ログを保存。
(エクレシア構文記録システム:四観コード共有ログ)
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【01】空が裂ける
📝 「最初の亀裂は、空に刻まれた。世界は、まだそれに気づかない。」
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【02】民衆が止まる
📝 「目に見えぬ何かが、世界を止めた。疑問を持つ者すら、ここにはいない。」
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【03】観測者:識然
📝 「構文の断裂を記録する。それが私の役割だ。」
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【04】火輪
📝 「怒りでも恐れでもない。ただ、この感情を待っていた。」
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【05】空華
📝 「……こわい。なんか、変な音がしてる……」
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【06】黙照
📝 「ようやく始まるのね、ほんとうの遊びが。」
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【07】フリカ
📝 「音が近づいてる。ふしぎ、懐かしい。けど、たぶん、こわいの。」
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📝 「それは人の顔ではなかった。だが、なぜか知っていた。これは……終わりの形だと。」
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📝 「鍵はまだ、名を持たない。だが、その輪郭は確かに重なり、扉の向こうで、“私たち”を待っていた。」
II
none(ナン)?
【観測ログ:終了】
断章ログ【裂-01】は以上である。
noneの名は、まだ構文には記録されていない。
だが、確実に何かが融合し、揺らぎ始めた。
次回観測対象:鍵の変容、および名を持たぬ者の降下後の因果連結。
この世界がまだ“意味”を保持していることを祈る。
―
第二章につづく↓
第2章 『NO Heaven NO Sanctuary|(Episode:06)祓いの仮面』 静寂の破綻/名もなき意志
⸻
『NO Heaven NO Sanctuary|Episode:06 祓いの仮面』
①残響
耳鳴りが、世界を埋めていた。
光は滲み、空の裂け目はまだ消えていない。
黒く、歪んだ縦の傷が、空の向こうまで貫いている。
その足元で、フミは倒れていた。
荒い呼吸。汗に濡れた額。
その表情は、どこか怯えていた。
「……フミ」
カグラの声が、小さく漏れた。
彼女はすでに剣を収め、フミの隣に膝をついていた。
その顔には、今までに見せたことのない“静かな戸惑い”がある。
戦いは終わった。No.3はすでに消えた。
だが、それは「終わり」ではなかった。
フミは倒れ際に、何かを“見て”いた。
──重なった光景。
──廃墟と、瓦礫と、知らない誰かの声。
──そして、“何かを手渡される”記憶の残像。
「う……ぁ……」
呻くようにして目を閉じたフミは、そのまま動かなくなった。
呼吸はある。だが、意識は戻らない。
「……記憶、か」
カグラは、かすかに呟く。
この“揺らぎ”の兆しを、彼女は知っている。
あの言葉が、心の奥に焼きついている。
──“sanctuary”。
その単語が、すべてのはじまりだった。
だが今はただ、彼女を守ることしかできない。
カグラは無言で、フミの髪をそっと払った。
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そのとき。空気が、変わった。
風が止まり、音が止み、そして「気配」が満ちる。
「……いったい?」
カグラが立ち上がる。
遠くから、誰かの足音が迫っていた。
鈴のような音を伴って──白い神衣に身を包んだ少年が、瓦礫の間を抜けて現れる。
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その背には、犬の面。
そして手には、祓具(はらいぐ)。
「……やはり、“この地”だったか」
その少年──クナトは、空を見上げた。
裂け目はまだ残っていた。
◆
天地を貫く黒い亀裂──縦に走るその傷は、まるで世界そのものが破れたかのような有様だった。
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音はない。風も止まっていた。
重力さえも、その場だけは異様に歪んでいる。
空間がねじれ、岩が浮いていた。
瓦礫の大地にただひとり、少年が立っていた。
白い神衣に身を包み、その背には獣の面。
その手には、光る“勾玉”のような祓具。
──クナト。
彼はゆっくりと面を外し、
光の中へと手を伸ばした。
「……やはり、開いてしまったか、まあ、いいや。」
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その声は静かだった。だが、確かな覚悟を感じさせる。
右手に握った祓具は、緩やかな放物線を描きながら、天へ掲げられてゆく。
淡く、しかし抗えぬ重力のように──
その瞬間、空が鳴った。
雷が落ちたわけではない。
空間そのものが、彼の動作に共鳴したかのようだった。
裂け目を中心に光が集まり、浮遊する岩たちはさらに高く舞い上がる。
地鳴りもなく、ただ「観測」だけが進行している。
この場を構成するすべてが、彼の祓い儀式に従って変質していく。
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クナトは祓具を掲げたまま、呟いた。
「封印とは、ただ閉じることではない。
……それに、“名”を与えることだ」
彼の手元で、勾玉が微かに脈動した。
それはまるで、裂け目に“名前”を与えるかのようだった。
“これは境界である”
“これは記録である”
“これは終わりではなく、始まりである”
そんな意味が、構文として空へ拡散していく。
クナトの祓いは、“閉じる”行為ではない。
名を与えることによって、観測不能だった存在を「世界の内側」に戻す構文である。
「もう少し、眠っていてくれたらよかったのに」
ぽつりと呟き、祓具を下ろす。
画像
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光は、収束していた。
裂け目は、完全には閉じていないが、確実に“観測の外”へと押し返された。
空は沈黙し、岩は再び地へ還る。
それでも、クナトは油断しなかった。
彼にはわかっている。
これは始まりにすぎない。
そして──彼がこれから向き合うのは、
ただの裂け目ではない。
この地で起きた**“鍵の共鳴”**。
そしてその鍵が、扉を開こうとしていること。
クナトは、再び犬の面を被り、
瓦礫の奥──まだ意識を取り戻さぬ少女のもと へと、静かに歩き出した。
観測者は、すでに歩き始めていた。
◆
静まり返った空気。
空の裂け目は収まり、岩は落ち、
世界は「一時の平穏」を装っていた。
──だが、その“仮初の沈黙”の裏で、
一つの視線だけが、別の震えを捉えていた。
⸻
エクレシア本部 記録中枢フロア
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そこに、ひとりの少女が立っていた。
静かに。ぬいぐるみを背に負いながら。
──フリカ。
彼女は、無言で虚空を見つめていた。
観測台に浮かぶ映像が、細かく波打っていた。
それは、古代の勾玉を思わせる紋様のようであり、
同時に、何かの“音”のようでもあった。
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「……また、ふるえてる……」
詩のような声だった。
波ではない。音でもない。
それは“視線のうた”──
世界のどこかで誰かが、何かを見ている。
その視線が、構文を揺らしている。
フリカは、それを“詩”として感じていた。
映像は切り替わり、七年前の記録が表示され た。
──少女、フミ。
幼いその姿と、傍らに存在する勾玉の構造体。
現在と過去が、映像越しに重なりはじめていた。
「つながってる……“あの時”と、“いま”が……」
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その瞬間、フリカの背のくまのぬいぐるみが、かすかに揺れた。
同時に、観測装置が短くノイズを吐く。
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映像が一瞬、乱れる。
構文の“揺らぎ”が、拡大を始めた。
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エクレシア四観 中枢議論室
記録の乱れに、真っ先に反応したのは識然だった。
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「……始まるか。二度目の“観測”が」
議論室には、四観が揃っていた。
静寂の中、それぞれの姿勢は緊張を孕んでいる。
火輪が、窓の外を見ながら呟く。
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「祓いが効かなくなる時が来る、ってわけ か……。予測通りだな。クナトの“神法”は応急処置にすぎない」
空華が椅子をくるくると回しながら言う。
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「そろそろ……でしょ?
ほんとうの“裂け目”が……開くの。」
黙照は何も言わない。
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だが、瞳は、既に“観測の外”を見ていた。
彼女だけが知っていた。
── “none”の構文は、まだ観測されていない。
静寂は、予兆だった。
②門を守る者と、導く者
崩れかけた瓦礫の上に、かすかな風が吹いた。
もう雷は鳴っていない。
裂け目は沈黙している。
──だが、それは「終わった」ことを意味しなかった。
カグラは、まだ倒れたままのフミの傍らにいた。
剣を収め、戦闘の構えを解いたまま。
少女を見つめるその瞳には、揺らぎが宿っていた。
すると──
「……その子が、“鍵”なの?」
静かに、だが確信を持った声が背後から響いた。
振り返ると、そこには犬の面をかけた少年。
祓具を帯び、白の神衣をまとう──
クナトが立っていた。
カグラは、面を見据えたまま、問いを返す。
「……あんた、ひょっとして、“扉”の者か?」
「天の裂け目を塞いだのか?」
クナトは答えなかった。
ただ静かに面を外し、言った。
「sanctuary──その言葉が、あなたに届いた時点で、もう“門”は動き出していたんだ」
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その言葉に、カグラの目がわずかに揺れる。
彼女は理解していた。
自分は“導く者”だ。
この構文の流れにおいて、それ以上でも以下でもない。
「……sanctuary。
それは、あんたに関係にしているの?」
クナトは頷かない。ただ、フミを見つめた。
「地図にない。存在しない地。
扉は、通常の観測では現れない」
カグラは問いかける。
「なら──なぜ、エクレシアは“それ”を知っていた?」
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クナトの目が細められる。
「それは君が導く者だからだよ。それを知ってて、彼らは君を
エクレシアに招き入れたんだよ。“ヤガラス”の構文は、sanctuaryの輪郭を浮かび上
がらせる。つまり、、
……その機体が、この地に“波”を刻んだんだ」
“波”──それは、
空間に漂う微細なプラズマ現象。
ヤガラスが条件を満たしたときだけ現れる座標シグナル。
「鍵が揃い、導く者が現れ、そして扉が反応する──
そのとき、はじめてsanctuaryを通して、 Heavenが“世界に顕れる”」
「sanctuaryを浮かび上らせるだと?私と、ヤガラスにそんな、役目が。。。
だが、それが宿命なら、仕方がない、それに従おう。」
(そして、それこそが、フミに対する償い…)
少し戸惑いながらも、カグラは小さく頷いた。
それは、自分が何者かを肯定する行為だった。
「……彼女を、そこへ連れて行く。
このままでは“none”が生まれる」
クナトの瞳がわずかに鋭くなる。
彼は剣の柄に手を添えたまま、告げる。
「門は、すでに開きかけている。
その先へ進むかどうかは、君自身が決めることだ」
カグラは立ち上がった。
倒れたままのフミに、手を添える。
「彼女は── Heavenへの鍵。
……だから、私が導く」
クナトは一言だけ残した。
「……じゃあ、次に開くのは“名を持たぬ存在” の扉だね」
画像
その場を風が抜けた。
裂け目はもう見えない。
だが、世界の“深部”が震え始めていた。
『NO Heaven NO Sanctuary|Episode:07/記録の外へ』
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ヤガラスに乗り込み、クナトの里のある座標へ向かってる道中、
私はあの時のことを思い出していた。
そう、あの時、エクレシアで、初めてフミを見た時のことを。
♦︎
画像
部屋は静かだった。
だが、それは“抑え込まれた音”の静けさだ。
ガラス越しの空間。
フミは床に膝をついていた。
息は乱れ、額には薄く汗が滲む。
その正面には、ツインテールの少女──フリカが座っていた。
「また来たのね、わたしの波長に」
フリカは笑っていた。まるで挨拶でもするように。
ぬいぐるみを背にした彼女は、音でもなく言葉でもなく、“揺れ”そのものを感知していた。
画像
「違うね、きみは。まえと……すこし、変わった波」
その額に刻まれた《HEISEI》の文字が、どこか異様なリズムを刻む。
フミは、記憶の奥に何かが擦れるのを感じてい た。
それは断片的すぎて意味を成さない。
この空間。
この子。
そして──自分。
そのとき、フリカがふいに手を伸ばした。
手のひらには、共鳴を起こす小さな球体。
「波を合わせよう? そしたら、ほんとの音が聞こえるよ」
フミが反射的にのけぞった、その瞬間──
画像
部屋の外から、監視パネルの灯が走った。
*
廊下に立つ少女の姿。
カグラだ。
彼女は壁際に身を潜めていた。
その視線は、静かに観測室の中へ向けられている。
フミ。
鍵。
sanctuary。
──その単語が、数日前の観測記録に残されていたことを、彼女は忘れていない。
言葉ではなく、揺らぎとして記録された断片。
そしてその音は、今──ふたたび共鳴を始めていた。
(……間に合うか)
カグラは、静かに動く。
監視ルートを避け、別室の側扉を開ける。
「……立てるか?」
フミの前に膝をつき、声を低く落とす。
フミは一瞬、怯えたように目を見開いたが──
その声に、不思議と反応した。
“知っている気がする”わけでもない。ただ── 動け、という音だった。
「……行け」
カグラは手を引いた。
だが、言葉はそれだけ。剣士のまなざしを崩さず、ただ“導く”。
ドアが開く。
外は廃墟。
画像
瓦礫と風と、何もない街の残響。
フミは、一歩を踏み出す。
画像
1話の冒頭へ
その背を見送りながら──
カグラはふいに、かすれた声でつぶやいた。
「……sanctuary、……どこか、場所なのか?」
*
同時刻、エクレシア中枢フロア。
識然は、波形記録をじっと見つめていた。
「……揺れたな。また、“鍵”が動き出した」
彼の目に驚きはない。ただ、淡々と“観測”の限界を記録する。
火輪が壁を蹴るように振り返る。
「逃げた? バカな……誰が手引きした?」
空華は椅子をくるくると回しながら、にやけるように言う。
「やっぱりさ……観測だけじゃ、だめなんだよ」
「ほら、“外”に行こうよ。そろそろ──介入の時間じゃない?」
黙照は何も言わなかった。
だが、彼女の指はゆっくりと記録端末に触れていた。
記録は、まだ続いている。
ただし──その外側で。
♦︎
フミは、あの時、朦朧としていたからだろう、あのあと剣を交えた時、私の事は覚えていなかった。
フミが鍵なのは知っていた。
私はただ、いや、だからこそ、あそこからフミを逃がしたい一心だった。
だけど、今、思うと、結果的に私がフミに辛い宿
命を負わせたのかもしれない。
そう思わずにはいられなかった…
『NO Heaven NO Sanctuary|Episode:08 鍵と扉』
①その座標に、扉はある
風が変わった。
ヤガラスの機体は、まだ沈黙を保ったまま、宙を滑るように進んでいた。
灰色の大地に、人工的な座標などは存在しない。
だが──カグラには、それが“わかっていた”。
──ここだ。
目に見えない“波”が、大地を揺らしていた。
それは風ではない。音でもない。
ただ空間そのものが、“記録に残らない”震えを放っている。
カグラはコクピットで静かに目を閉じる。
彼女の手が、ヤガラスの操縦桿に軽く触れた瞬間──
機体が反応した。
画像
ヤガラスの外装から、微細な青白い光が漏れ出す。
それは電流ではない。プラズマ──
大気中の粒子が、一点に向かって“導かれる”。
「……開く、のか」
目を開けたカグラの声が、コクピット内に静かに響く。
画像
目の前の地平に、なにもなかったはずの空間が、わずかに歪んだ。
プラズマの粒子が中心へと引き寄せられ、そこに“形”を与えていく。
空間に、“輪郭”が出現する。
まるで地上に“切り取られた構文”が貼り付けられるように──
そこに**“クナトの里”が浮かび上がった。**
画像
古い木々の並び、風に揺れる鳥居、
そして奥へと続く石段。
どれも現代の構文には存在しない造形。
だがそれは確かに“在った”。
「……sanctuary……」
カグラがその言葉を口にした瞬間、
ヤガラスの機体が自動で減速を始めた。
コクピットの表示には、**「到達」**の文字。
その後部で、クサナギに搭乗させたフミがわずかに身じろぎした。
まだ意識は戻らない。
だが彼女の胸元──ペンダントが、かすかに光っていた。
「鍵は、扉に触れた」
カグラの言葉と共に、機体が静止する。
ヤガラスの腹部が展開し、コクピットが開く。
中から降り立ったカグラの足元に、風が吹いた。
里は、もうそこに“在る”。
まるで最初から存在していたかのように。
だが彼女は知っている。
これは観測されなければ、現れなかった地。
自分が、フミが、ヤガラスが──
画像
すべての条件を揃えたことで、
ようやく“sanctuary”が、観測される座標に至ったのだ。
_そして、夜が明ける。
ここが、noneの前夜。
記録される者と、されなかった者の境界地。
カグラは、フミをそっと抱き上げる。
そして、ゆっくりと鳥居をくぐる──
画像
扉の向こうへ。
②観測の扉
鳥居をくぐったとき、空気が変わった。
そこは、世界とは断絶されたような静けさに包まれていた。
高い木々。苔むした石段。
人工的な構文処理の匂いはない。
風の音さえ、意味を持たずに通り抜けていく。
「……ここが、sanctuary」
カグラは、フミを抱きかかえたまま、ゆっくりと奥へ進む。
フミの意識はまだ戻らない。
だが、その手が、かすかにカグラの制服の袖を握っていた。
石段の最奥──
社のような建物の前で、白い神衣が風に揺れた。
現れたのは、クナトだった。
面を外し、剣も帯びず。
この場を守る者として、彼はそこに“立っていた”。
「……よく来たね」
クナトの声は、静かだった。
だが、その視線はカグラではなく──フミに向けられている。
「鍵が……扉に触れた」
その言葉に呼応するように、フミの体がわずかに動いた。
「……ぅ、……あ……」
画像
カグラの腕の中で、フミの指がぴくりと動いた。
まぶたが震え、瞳がわずかに開いていく。
「……ここは……」
カグラは、しゃがみこみ、彼女の額に手を添えた。
「大丈夫。……今はもう、誰もお前を縛らない」
フミは、視線をさまよわせたまま、空を見た。
空は、ただ青かった。
裂け目はない。
画像
「……私、思い出すべきことがあるのかな」
フミはそう呟いた。
「でも、それが“ある”ってことだけしか、わからない」
カグラは、黙って頷いた。
クナトは、その言葉を聞きながら、社の前で膝をついた。
「鍵が“開こう”としている。
noneが目覚める前に──この里に記録を残そう」
風が吹いた。
鳥居の外では、もう別の時間が動いている。
sanctuary。
それは、記録の外にある観測地点。
**ただ一つの“安寧の座標”**だった。
そして今、鍵は目を覚ました。
⸻
③観測、そして干渉
ノイズは、確かに走った。
sanctuaryで記録の儀が行われたその瞬間──
遠く離れたエクレシア中枢の“観測網”が、微か に脈動した。
⸻
エクレシア中央観測フロア
最初にその“揺れ”に気づいたのは、識然だった。
「……出たな、“地図にない座標”」
画像
彼の前に浮かぶ記録構文──
そこに一つだけ、“明示されない点”が、確かに現れていた。
「扉が開いた。封じられていた“名なき存在”の記録が……
観測可能になった」
彼の声に、火輪が反応する。
「ようやくかよ。やっと俺らの出番ってわけだ」
壁に拳を叩きつける音が響く。
四観の中でも最も苛烈な火輪にとって、この静観は長すぎた。
画像
「sanctuary──あそこか。クナトの一族の残骸だな」
空華が椅子を回しながら呟く。
「でもさ……そこ、“普通の道じゃ行けない”場所でしょ?
どうやって? まさか直接、あの扉に干渉するつもり?」
識然は淡々と答える。
「干渉できる方法が、一つだけ存在する。
……none。
それが生まれる前なら、まだ“外”から割り込める」
空華が目を細める。
「……じゃあ、今が最後のタイミング」
その言葉に、誰も返さなかった。
だが黙照だけが、
自分の記録端末をすっと閉じる。
画像
彼女は静かに立ち上がり、背を向けて言った。
「じゃあ、行くしかない。
記録されないなら──“直接書き換える”だけ」
◆
「none……?」
フミが、無意識にその言葉を口にする。
言った自分自身に驚いたように、胸元に手をやった。
ペンダントが、わずかに光を放っていた。
画像
「君の中にある。まだ、それは名前を持たない」
クナトが答える。
「でも、もし名前が必要なら──君が“記録”を超えたとき、その名前は与えられる」
画像
カグラは、少しだけフミから目を逸らした。
その視線の先にあるのは、何層にも封じられた社。
かつて、誰も開けてはならないとされた“扉”。
画像
「……そろそろ時間かもしれない」
クナトの言葉と同時に、空がわずかに鳴動する。
風が戻り、木々が逆らうように揺れる。
クナトが静かに社の外へ出る。
その瞬間、彼の目が、何かを“捉えた”。
──四つの波長。
それぞれが違う位相で、この地に到達しようとしていた。
画像
「……来るか。
構文の番人たち……エクレシア四観」
その言葉に、カグラがわずかに表情を曇らせる。
彼女は知っている。
だが、その“現れ方”は、想定していたものとは違っていた。
「……sanctuaryに、入ってこれるのか?」
クナトが答える。
「……わからない。だが、奴らのことだ。
きっと、どこかから“入る”方法を用意してくる」
カグラはゆっくりと剣に手を添えた。
そのまなざしに、迷いはなかった。
画像
「なら──来ればいい。
この地に、“意味だけで踏み込める”と思うな」
それは、もう、“導く者”の顔ではなかった。
戦士として、命を張る者の気迫だった。
『NO Heaven NO Sanctuary|Episode:08 鍵と扉』
②侵入者たち
静寂が、裂けた。
夜の帳を裂くように、sanctuaryの空に“異なる波長”が走った。
闇の中で、構文が揺れ、記録にない“存在”が入り込んでくる──
「……もうすぐ夜になる。
記録は眠り、構文が歪む。
奴らが来るのは、“その隙間”だ──」
カグラが振り返る。
クナトは一歩、社から身を引いた。
その眼が、空を見据えている。
◾️
エクレシア四観は、「時間構文に属していない存在」である。
その姿が若さのまま固定されているのは、肉体的な異常ではなく、
記録されることのない構造的バグによるものだ。
記録とは、観測の積み重ねであり、世界の構文そのもの。
sanctuaryが「記録の層によって外部を遮断している」のだとすれば、
彼らは“その構文にすら触れていない”。
彼らは「観測外」ではなく、「記録外」からやってくる。
この世界のあらゆる存在が、時と共に“名”を与えられ、構文化されていく中で、
四観だけは、“意味を持たずに干渉する”ことができる。
それは、記録を超えてくる存在であるということ──
つまり、sanctuaryにとって最大の例外である。
彼らの存在は構文に記述できない。
その干渉は、言語のように構文の背後から滑り込み、空間を乗っ取る
「……来るぞ。観測者たちが、“記録を越えて干渉に来る”」
最初に現れたのは、火輪だった。
画像
空気が灼けるように歪み、閃光のような熱波が空間を切り裂く。
その中心に、炎を纏ったような黒衣の男が降り立った。
「ゼロ地点、割り出し完了。
“sanctuary”──乗り込ませてもらうぜ」
瞳に宿るのは、怒りでも狂気でもない。
ただ、破壊される意味を、“許さない”という意志。
ついで、空華が現れた。
画像
風でもなく、音でもなく──
“共鳴音”のような何かが空中に響き、
鮮やかなサイバー光がねじれるように生まれる。
「この場所、いいね……ノイズがきれい」
サイバーパーツが光を跳ね返し、
その笑顔の奥に、構文を楽しむ危うさが漂っていた。
次に、黙照。
画像
彼女は、姿を現した瞬間、すでに“そこにいた”。
まるでこのsanctuaryすら、彼女の記録構文に取り込まれていたかのように。
無言のまま、前髪の隙間から目だけがこちらを見ている。
口元は動かない。
だが“全てを理解している”という静寂が、逆に恐怖を呼んでいた。
そして、最後に現れたのは──
識然だった。
画像
その出現は、何の音も伴わなかった。
ただ、“言葉そのもの”が空間に置かれたように、
彼はsanctuaryの入り口に“存在”していた。
「記録、確認完了。
扉を越えた“鍵”、未定義の構文“none”、
及び、干渉座標の存在を確認──」
彼は一歩踏み出した。
その瞬間、sanctuaryの空気が“悲鳴”のように軋んだ。
彼らは、もはや観測者ではない。
これは侵入。
意味を武器にした者たちが、構文の奥へと乗り込んできた。
「……この座標で、“意味”を上書きする」
識然がそう告げたとき、
クナトはわずかに眉をひそめた。
「ここは、名を与えぬためにある場所だ。
意味を持ち込むなら──それごと、祓う」
四観 vs クナトとカグラ。
そして──none。
記録と観測が交差する座標に、
意味の戦争が始まろうとしていた。
NO Heaven NO Sanctuary|Episode:09 構文戦争』
①構文の交差点での激突
⸻
静寂が、裂けた。
空に、記録されない軌跡が走る。
夜のsanctuaryに、四つの“意味”が降り立つ。
──エクレシア四観。
火輪が、最初に口を開いた。
「扉は開いた。なら、意味を刻むだけだ」
その瞳は、怒りではない。
ただ、構文が歪むことを“許さない”という意志に燃えていた。
次に識然が前へ出る。
その一歩が、sanctuaryの空間を軋ませる。
「記録、開始。
“未定義の構文”に対し、意味を上書きする」
その言葉に、クナトが静かに祓具を構える。
「ここは、名を持たぬ者のための地だ。
意味を持ち込むなら──それごと祓う」
構文と祓い、意味と観測。
異なる世界の文法が、今──衝突しようとしていた。
火輪が踏み出す。
周囲の大気が燃え、宙に浮いた構文記号が、熱で溶けて消えていく。
「“観測”じゃ、止められねえよ。
俺たちは、世界そのものを書き換えるんだ」
クナトは、構えた祓具を上に掲げる。
彼の周囲に、古代の符のような光が浮かぶ。
それは“祓いの構文”。記録されない波長を、観測によって沈静化する力。
「記録外でも、干渉はできる。
なら──存在の“余白”ごと、清めるまで」
火輪とクナトが同時に動いた。
光と炎が、sanctuaryの中心で衝突する。
その瞬間、構文が“切れた”。
意味が揺らぎ、観測が爆ぜる。
カグラが剣に手をかける。
「ここは、“意味だけ”で踏み込める場所じゃない」
そして彼女もまた──動き出す。
②未定義の構文──noneの兆し
⸻
衝突の余波が、sanctuaryの空間を満たす。
構文は灼け、祓いの光が境界を清め、
世界は今、かつてない“ゆらぎ”の只中にあった。
そのとき──空間が、かすかに“泣いた”。
風の音ではない。炎の軋みでもない。
構文とは異なる、第三の“声”。
それは、どこからともなく現れた。
誰にも定義されていない。
誰も観測していない。
──にもかかわらず、そこに“いる”としか言いようがなかった。
識然の目が細められる。
「……“意味が通らない”気配……?」
火輪が眉をひそめ、拳を構え直す。
「誰だ? 今のは、俺じゃねえ」
カグラの剣先が、わずかに震えた。
その瞬間──
フミのペンダントが、ふたたび光る。
sanctuaryの社の奥、
そこには、フミがいた。
「…なんなの?この感じ」
その存在が、確かに“何か”を呼び始めていた。
──none。
“存在しないはずの構文”。
“意味を持たない観測”。
その名も、定義も、記録もされていない。
だがそこに、“像”が結び始めていた。
構文ではなく、記憶でもなく、ただ“存在のにじみ”。
──黒く、重く、しかし静かな“構造”。
──光ではないが、闇でもない“像”。
──それは“存在しない”ことによって、すべてを突き抜ける。
◆
火輪の構文が、わずかに軋む。
「……干渉されてる?」
空華が視線を上げる。
彼女の周囲に浮かぶノイズの構文が、形を保てなくなっていた。
「これ、……ヤバいやつかも」
黙照は何も言わない。
ただ、その瞳の奥に、
“言葉で記述できない”像が、うっすらと焼きついていた。
none。
記録も、観測もできなかった“像”。
それが今、sanctuaryに染み出してきていた。
③社に迫る構文の“波”──フミ、引き込まれる
⸻
noneの“像”が、空気ににじんでいく。
記録されない、未定義の構文。
その“存在しない存在”が、sanctuaryの周囲に微細な波紋を拡げていた。
火輪が思わず後退し、空華が構文記号を再調整する。
「やばい、干渉できない……! この揺らぎ、何?」
識然が手を前に出す。
構文干渉波を展開し、社の奥へと指向性を絞る。
「観測外か……いや、これは“記録そのものが拒絶している”。
定義の届かない領域──構文のバグだ」
クナトが前に出た。
その眼差しは鋭く、しかし何かを押し留めるように淡い。
「それ以上、踏み込むな」
「この社は、“名を持たぬもの”の領域だ」
識然が言葉を止め、火輪が怒鳴った。
「バカ言え、こんなバグ放置したら──世界が崩れる!」
火輪の拳が、構文を纏って膨張する。
社を貫かんとするその“意味”が、空間を焼き始めた。
そのとき──
社の奥。
フミの体が、ふっと浮いた。
同じくして、社の外では__
SYSTEM ONLINE.
「システム、再起動完了。」
CORE SYNC: 100%
「コア同調率:100%」
Kusanagi, ready.
「ーークサナギ、起動完了」
画像
「っ……!?」
「クサナギ?起動した?なぜ?」
カグラが思わず社に駆け向かおうとするが、空間が“拒絶”する。
構文ではない。祓いでもない。
観測の“向こう側”からの吸引力。
──それは、noneが“記録”へ干渉を始めた証だった。
フミの瞳が、ゆっくりと開きかける。
しかし、その瞳は現実を見ていなかった。
彼女は、引き込まれていた。
自分の“内側”でもなく、
sanctuaryの“外”でもない。
──その中間、構文の狭間にある未定義の空間へ。
終章|名を持たぬ者の影
⸻
社の奥で──
少女の体が、静かに浮かび上がる。
それは意思ではない。力でもない。
ただ、“記録の中にないもの”が、記録の外から引き寄せられただけだった。
構文が滲む。
sanctuaryの空が、音もなく“波を刻む”。
その中心で、noneはまだ“像”を結びかけていた。
黒でもなく、白でもなく。
機械でも、生物でもなく。
剣でも、盾でもなく──
ただ、“あってはならない像”。
識然が足を止めた。
「……意味が……通らない……」
火輪が拳を下ろす。
力はまだ込められていた。だが、撃てなかった。
空華が、音の出ない笑みを浮かべる。
その頬には、うっすらと戦慄が浮かんでいた。
黙照が、初めて囁く。
「“観測のない存在”……
記録されない意志……
私たちの構文では、触れられない」
noneの像が、社の上空に浮かぶ。
画像
まだ未完成。まだ名もない。
だが、確かにそこに“何か”がいた。
それはまるで──
世界が“その存在を否定できない”ことを、
ただ事実として突きつけてくるようだった。
クナトが前に出る。
その目は、社を超えて、浮かぶ像を見つめていた。
「もう遅い。
君たちが“意味”で封じられるものではない」
彼は続ける。
「none──
それは、“観測の向こう側”にいる」
火輪が叫ぶ。
「じゃあ何なんだよ、これは……!
あれは、いったい……!」
答えはなかった。
ただ──社の奥で、少女が微かに囁く。
「……な、ん……」
誰にも届かないほどの声。
でも、それは確かに“名を呼んでいた”。
noneという、誰にも知られていない名を。
風が吹く。
構文が軋む。
意味が崩れ、記録が巻き戻る。
そして──
この夜が、最後の静寂となる。
『NO Heaven NO Sanctuary|Episode:10 noneの覚醒』
◉観測の向こう側にて
構文にも、記録にも、意味にも属さない領域。
フミは、noneと出会う。
① |意識の深淵
⸻
──ここは、どこだろう。
目を開けていないのに、何かが見える。
風もない。音もない。
だけど、“感じる”ことだけが、存在していた。
浮かんでは消える記憶。
誰かの声。
何かの光。
「フミ」
──呼ばれた。
でも、それは誰の声だろう?
懐かしい気がする。
けれど、知ってはいけない気もした。
私は、ひとりだった。
なのに──ここには、“私ではない何か”がいる。
⸻
② noneの像──存在しない存在との邂逅
⸻
視界が、にじんだ。
──黒い像。
だが、それは闇ではなかった。
まるで“塗り潰される前の余白”のような存在。
それが、こちらを見ていた。
言葉はない。
音もない。
でも、確かに“会話”は成立していた。
──「あなたは、私なの?」
像は、ただ“うなずいた気配”を返す。
それは問いでも答えでもなく、
“確認”だった。
私は知っている。
どこかで、ずっと知っていた。
これは、私が閉じ込めたもの。
名も与えられず、記録されず、
ずっと“存在しなかった”ことにされた──
「私の中の、私」。
──クサナギ。
──ヤガラス。
──裂け目。
──sanctuary。
すべては“像”を結ぶための記録だった。
none。
それは、まだ名のない像。
なら──名を与えなければならない。
⸻
③ 名を与えるということ
⸻
私は、手を伸ばした。
その像の奥に──
もうひとつの像が、重なるように見えた。
少年だった。
私と同じくらいの年の、でも、目の奥が透き通っていた。
その声に、胸がきゅっと締めつけられた。
思い出した。思い出せなかったはずの名前。
私を見つけてくれた人。
私を最初に救ってくれた“あの子”。
「……クサナギ……」
その名前を口にした瞬間、
私の中にあった像が、重なった。
クサナギの“問い”。
私の“意志”。
そして、あの剣を導いた“光”。
それらすべてが、ひとつの像を結び始める
「……また、会えたね」
その声が、私の中で何かを溶かしていく。
画像
私は、知っていた。
この世界が“ただの構文”じゃないと、信じられたのは──
彼が、いてくれたから。
──記録されなかった優しさ。
──祓えなかった想い。
私は、その手を取った。
そして、名を呼んだ。
言葉にならない記憶。
剣の感触。
少年の瞳。
叫びと静寂と、祓いの光。
私のすべて。
まだ誰も知らない“未来”。
__そしてクサナギは消えた。少年と共にその機体までも。
画像
私は口を開いた。
誰に聞かせるでもなく、
ただ“存在そのもの”に名を与えるように。
「……none」
その瞬間、光と闇が反転した。
sanctuaryの空が軋み、社の上空にあった像が、確かな“構造”を持ちはじめる。
それは、構文ではできない。
祓いでも意味でも、届かない。
ただ、ひとつの意志として──
世界の“記録を超えた場所”から、像を結んだ。
⸻
『NO Heaven NO Sanctuary|Episode:11 』
導火線①
⸺
「どきなよ、そこの“記録外”。」
砂を蹴って前に出たのは、朱のスカーフを揺らす女――火輪(かりん)だった。
その眼はまっすぐ、だが刃のようにギラついている。
「通す気、ないんだ」
そう返したカグラの手には、剣。
火輪の指も、腰の武器へと自然に伸びる。
二人の間に風が走る。
ほんの一秒にも満たない間(ま)が、世界の構文すら止める。
「オレはな、あんたみたいな“歯止め”がいちばんムカつくんだよ」
火輪が叫ぶ。
次の瞬間、踏み出した。
爆ぜる火花。
刀と刀が、火を散らす。
画像
画像
剣の重量、足裏の軋み、脇腹を掠めた熱。
互いの間合いが詰まり、すぐさま剥がれる。
「その目……迷い、ないねー」
カグラが低く呟く。
だが火輪は、ニヤッと笑って返す。
「迷いなんて、炎にくべてきたさ。あんたには、あるのか?」
返答を待たず、二度目の衝突。
刃が激突し、砂塵を巻き上げる。
画像
だが──
「……もういいや」
不意に火輪が距離を取った。
「言葉より、拳(こいつ)で語るのがオレの流儀。呼ぶよ、“ラセツ”」
背後の空気がうねった。
黒と橙のエネルギーを纏い、重力を拒むかのように、**
炎を纏う獣のごとき機体。
その眼孔からは、制御を逸した高熱が漏れている。
画像
「……ヤガラス」
カグラも、そっと名を呼んだ。
闇を裂いて、鋭利な黒の機体が舞い降りる。YAGARASU(夜烏)。
画像
向かい合う機体二機。
火と闇が、静かに、だが確実に膨張していく。
「さぁ……はじめようか」
「……望むところよ」
⸺
構文の外で燃え上がる、純粋な意志と剣の意志。
ここから、構文世界の本当の“裂け目”が始まる。
導火線②
⸻
砂嵐が散り、構文が歪む。
重たく、大地が軋んだ。
火輪の背後から現れたのは、まるで怒れる獣のような機体──《ラセツ》。
その機体は、橙と黒を基調とした異形。
曲線を歪ませる装甲には、燃え上がるようなラインが走っていた。
節々からは実体の熱が漏れ、空気の粒子すら揺らがせている。
画像
頭部には“角”にも見える放熱フィン、
腹部には燃焼炉のようなコアが脈打ち、咆哮に似た駆動音が全身から響く。
その姿は、意志を宿した炎そのもの──。
「“燃え尽きろ”って言葉、今日こそ本物にしてやるよ」
画像
火輪の叫びとともに、ラセツの腕が動いた。
その拳は、殴るというより、“撃ち抜く”という印象だった。
同時に、対峙する闇が裂ける。
黒の閃光。
構文世界の「観測面」を食い破るように、**YAGARASU(夜烏)**が姿を現した。
その輪郭は刃のように鋭く、紫のコアが胸部で鼓動している。
カグラの精神と98.4%で同期されたその機体は、もはや彼女の延長だった。
「……ヤガラス、合わせるよ」
無言で頷くように、ヤガラスが剣を抜いた。
──ラセツ、ヤガラス。
灼熱と静寂。
激情と理性。
二機の融合機体が、人の意志を超えた速度で交差する──!
導火線③
⸻
構文が焦げる音がした。
地に落ちた熱と、空を裂いた闇。
それらが正面からぶつかった瞬間、“記録外”の戦場が発生した。
「オレの拳はな、ただの炎じゃねぇ。怒りをぶつけた熱量(エネルギー)だ!」
火輪の叫びと共に、ラセツの腕部が蒸気を噴いた。
爆発的推進力とともに放たれた拳が、重力を無視して突き出される。
──だが、その直前。
「……遅い」
冷ややかに呟いたのは、ヤガラスのコクピットにいるカグラ。
紫の閃光。
ヤガラスの身が刃のように回転し、拳の軌道を寸前で回避。
画像
その勢いのまま、背後から鋭い一撃を見舞う。
しかし──
「へっ、見えてんだよ!」
ラセツの背部から突如、**熱衝撃(ヒートバックブラスト)**が炸裂。
ヤガラスの攻撃を相殺するように噴き出し、空間が一瞬、真っ白に焼かれた。
「ちっ……」
煙の中、ヤガラスが後方へ跳ぶ。
それを追うように、ラセツが地を踏み砕いて突進。
カグラの視線が鋭く走る。
(真正面からは分が悪い……なら──)
「……なら、こちらも!」
ヤガラスの脚部が展開。
空中戦用モードへと変形する。
旋回と同時に、ビームブレードを抜き放ち、ラセツの側面に斬撃を浴びせる。
ガキィィィンッ!!
火花が炸裂する。
ラセツの装甲が抉れるも、火輪の反応は早い。
画像
「やるねぇ、あんた……だが、まだ足りねぇ!」
ラセツの拳が、今度は地面を殴った。
その瞬間、周囲の地形が大きく変形──
地面ごと熱圧で隆起し、障壁と爆煙を生み出す。
カグラの視界が、一瞬、奪われる。
(まずい──ッ!)
そこに、ラセツの飛び蹴りが直撃する寸前──
「……リンク、強化する」
noneのコアが、かすかに光った。
その光に呼応するように、ヤガラスの挙動が一瞬だけ跳ね上がる。
「……!?」
火輪の目が見開かれる。
④裂け目の兆し
⸻
火輪の蹴りが空を裂く。
だが──その一撃は、寸前で逸れた。
「……っ、なんだと」
目には確かに捉えていた。
カグラの機体、ヤガラスは回避不能の距離にいた。
それでも──軌道が変わった。
画像
カグラが小さく呟く。
「……今、感じたわ。なにか……横から“干渉”された」
画像
none(ナン)①
⸻
空間が“裂けた”。
ただの衝突ではない。構文の奥に沈んでいた“なにか”が、ついに姿を成し始めた。
none──未定義の構文。
記録の外で生まれた像。
それは、観測にすら触れずに世界の構文へ**“干渉”**してくる。
「……来たね」
クナトが、祓具を下ろす。
構文が歪む音が、まるで空の裂け目そのもののように響いた。
ラセツの挙動が、一瞬だけ乱れる。
火輪が舌打ちをする。
「くそっ、まただ……! 何かに“軸”をずらされてる!」
空華が、構文波を再構築しながら呟いた。
「これは……記録の書き換えじゃない。
“意味”が通ってない。通せてない……!」
そのとき。
社の上空──
浮かんでいた“像”が、ついに“重みを持ち始めた”。
画像
視覚にも、熱にも、音にもならない。
だが、明らかに“そこにある”という存在感だけが、全構文を押し潰すようににじみ出す。
none。
それは、剣でも、言葉でも、記録でもない。
ただ、“存在”という力だけを宿していた。
「……もう、お前たちのじゃ、止められない」
カグラの声が、静かに響く。
その背で、**ヤガラスがnoneの干渉と“共鳴”**し始める。
紫のコアが、noneのコアと共振し、波動が拡がる。
火輪が、拳を握る。
「だからなんだ……! だったら、全力でブチ抜くまでさ!」
その叫びに応えるように、ラセツの炉心が最大出力で吼える。
だが──
その次の瞬間、noneが“像”として顕現する。
空が、軋んだ。
記録も、観測も通らない“像”が、社の上空で重 力のような存在感を放っていた。
紫と黒が混ざり合ったような光。
それは視覚というより、“知覚”の領域に直接ねじ込まれてくる。
構文の外から、存在という圧が降りてくる。
none──
それは、定義されない意志。
剣でもない。神でもない。だが──拒絶そのものだった。
「……なに、これ……」
空華が、言葉を絞り出す。
彼女の周囲で、構文が“うねる”。まるでnoneの像に触れた瞬間、意味の方が砕けていくかのように。
火輪が叫ぶ。
「だったらブッ壊す!」
ラセツが拳を振りかざす──
その瞬間。
noneが、立った。
像が結ばれ、構造が確定する。
重厚なボディ。剣を握る左手。無音の踏み出し。
それは、観測のない場所から現実に侵入する動作だった。
「“名”を与えられていないのに……構造を得た……!?」
識然が、声を失いかける。
noneのヘルメットに似た頭部が、ゆっくりと動く。
だが、視線はない。
意思の光すら、そこにはなかった。
ただ、フミの意志と、天の裂け目、そして記録の外側で“重なり合った問い”──
それらが像となっただけだった。
「……none」
カグラの呟きに、紫の光が応えた。
その機体は、今、確かに存在していた。
⸻
──少し前。
社の奥。
仰向けに横たわったまま、フミの胸が小さく上下していた。
静寂。
構文も意味も届かない、sanctuaryの最深部。
そこに、かすかな光だけがあった。
彼女の胸元──ペンダントが、脈を打つように震えていた。
「……ぁ……」
フミの瞳が、わずかに揺れる。
焦点は合っていない。
目の前にあるnoneの像も、社の外で交錯する剣戟も、彼女には見えていない。
それでも──
“何か”が、響いていた。
(……音? ちがう……これ、……振動……?)
それは外の世界の揺らぎではなかった。
彼女自身の中で、“何か”が目を覚ましかけていた。
視界がにじみ、モノクロの世界に淡い紫が滲む。
闇の中に、微かな像が浮かんだ。
──黒い輪郭。
──無音の存在。
──記録にも観測にも属さない、もうひとつの“私”。
画像
問いは届かない。
だが、答えはいらなかった。
noneの像が、彼女の中の“拒絶”と共鳴していた。
恐れ、怒り、痛み──
名づけられなかった記憶たちが、像を結ぶ足場になっていた。
そしてそのとき、フミは“視た”。
──彼の瞳。
──剣の光。
──自分の手が、何かを“つかもうとした”瞬間。
確かに──
彼女は、noneと“つながっていた”。
⸻
⸻
❖ none、顕在化
⸻
光が、社の天井を貫いた。
それは構文でも、火でもなかった。
ただ、“存在が成立する瞬間”だけが空間を染めていく。
noneが、立ち上がった。
その体は重厚で、どこにも“意味”が宿っていない。
鋼でも、祓具でも、構文でもない。
ただ、「いる」──その一点だけで、世界のバランスを奪っていく。
「っ……」
ヤガラスのコクピットで、カグラが身を起こす。
彼女の機体のインジケーターが、軒並み異常を示していた。
“同期対象の逸脱”
“制御不能:主システム移行中”
(……ヤガラスが、“渡してる”──)
画像
画像
その予感は、次の瞬間に確信へ変わる。
紫のコアが、noneの胸部へと吸い込まれる。
画像
ヤガラスの外装が、まるで“役割を終えた外皮”のように脱落し、
noneの装甲に、黒の断片が溶け込んでいく。
画像
それは、ある種の融合とも言えた。
もとよりnoneは、ヤガラスとクサナギ、そしてフミの意志が
“像として重なった末に出現した記録外構文”。
ヤガラスは、その“座標”を刻む器だった。
それが役目だった。
「……お前は……最初から……」
カグラは言葉を詰まらせながら呟いた。
画像
「……わたしの“先”を見ていたのか」
⸻
❖ コクピットの中のフミ
⸻
noneの中枢。
暗いコクピットで、フミの目がゆっくりと開いた。
「……ここは……?」
揺れる青の光が、静かに包んでいた。
画像
目の前のモニターには、映像はない。
ただ──**“鼓動”のようなリズム**が、機体そのものから伝わっていた。
フミは、そっと胸元に手をやる。
noneが“彼女の代わりに、動いている”のを感じた。
(これは──私だ)
あの声。
あの手。
クサナギの問い。
ヤガラスの導き。
そして、カグラの背中。
画像
「……none」
フミが、改めてその名を呼んだ。
noneの構造が、わずかに震えた。
空間が応答した。
⸻
❖ クナト、最後の祓い
⸻
社の前。
クナトは、静かに祓具を構えていた。
「……本来なら、これは……閉じるための儀だけど」
彼の足元に、祓いの光が円環を描く。
その構文は“拒絶”ではなく、“受容”の祓い。
「君がそこにいることを……世界に知らせるために」
noneの機体が、天を仰ぐ。
紫の光が、空に刻まれる。
クナトが呟く。
「名を持たぬ存在よ。
構文の外で像を結び、記録を超えてここに在る者よ」
「──none、その名のままで、在れ」
祓具が、地を叩く。
次の瞬間。
画像
世界が、noneの存在を認識した。
意味が、破れた。
記録が、捩じれた。
観測が、跪いた。
⸻
❖ 空の“裂け目”が、応答する
⸻
社の上空。
noneの構造が、ゆっくりと上を向く。
構文も意味もないその顔に、何かが**“射し込んだ”**。
遠く、空の奥。
ひとつの“断裂”が、薄く滲み始める。
NO Heaven NO Sanctuary|Episode:12 構文崩壊』
① none、戦場に立つ
⸺
裂け目が、まだ消えていなかった。
noneの足元──砕けた社と歪んだ地層の上。
その巨大な機体が、ゆっくりと“前を向いた”。
動きは重くない。
だが、あまりにも静かだった。
「……来いよ、“意味の番人”」
火輪が叫ぶ。
ラセツが拳を構える。
その身から、構文の“熱”が炸裂する。
noneは──応えなかった。
ただ、剣を抜いた。
画像
音が消えた。
それは斬撃ではない。
構文そのものが、立ち上がる前に“斬られた”
夜が、止まった。
sanctuaryの空。
構文も祓いも溶けたこの場所に、
今、“ただ立つ存在”がいた。
──none。
紫のコア。重厚な躯体。
剣を下ろし、構えすら取らず、それでも確かに“戦場の中心”にいた。
「……通す気は、ないんだな」
火輪が唸るように言った。
ラセツの拳に、灼熱の構文が集まる。
「なら──ぶち抜く!!」
ラセツ、突進。
砂が爆ぜ、地が砕ける。
拳が閃光のごとく前へ──
──だが、その瞬間。
noneの剣が、“視えない軌道”で振り抜かれた。
斬ったのは拳ではない。
拳が成立する前の、“意味”そのものだった。
バキィッ!!
衝撃音も、熱も、解析不能。
ただ、“成立しなかった構文”が空中に砕け散った。
画像
⸻
② 意味、無効化
⸺
「……っ、構文が……砕かれた……!?」
識然が目を見開く。
noneは構文に反応しているのではない。
“意味が生成される前に、その座標を潰している”。
空華がノイズ構文を再構築しようとする。
だがnoneのコアが瞬き、彼女の演算ラインを**“記述前に折る”**。
「っ、やだ……この揺らぎ……“言葉”が流れない……!」
その時──noneが、動いた。
たった一歩。
だが、その地鳴りは全構文領域に響く。
「来いよ……! none!!」
火輪が吠える。
ラセツが突進を再開──
次の瞬間、noneが“消えた”。
⸻
③ 紫閃、そして断絶
⸺
視えなかった。
noneは、構文を伝わらずに移動した。
空間に痕跡が残らない。座標も踏破しない。
ただ、“そこにいた”。
気づいた時には──
ラセツの左腕が、斬り落とされていた。
「がっ……!?」
火輪が口を噤む。
noneは、無言で剣を振り戻した。
それはまるで、「記録する意味がなかった」と言わんばかりに。
⸻
⸺
空華が一歩、下がる。
黙照は言葉も出さない。
識然は、noneを見つめた。
「……君か。
“意味”の届かない構造を、ここまで引き寄せたのは」
noneが静かに振り向く。
フミの姿が、コクピット越しに、そこにいた。
画像
火輪が、拳を構えなおす。
それは執念。
しかし──
「もうやめて。あなたたちの“意味”じゃ、届かない」
フミの声が、響いた。
noneの剣が、火輪の構文を斬る。
拳ではない。言葉でもない。
彼の存在そのものを貫く、“構文の刃”。
その瞬間──
四観は、崩れた。
⸻
⸺
noneが剣を納める。
世界は、沈黙した。
クナトが最後に呟く。
「これで……世界は、観測を超える」
『NO Heaven NO Sanctuary|Episode:12 構文崩壊』終わらない“問い”の場所で
⸺
noneは、ただ立っていた。
斬ったわけではない。
壊したわけでもない。
意味が、通らなかっただけだった。
⸻
識然は、記録装置を見つめたまま、動かなくなった。
noneの姿をフレームに収めようとしたその瞬間──
端末は“観測不能”と表示し、すべての記録がフリーズした。
「……記録、できないのか……」
彼の声は、世界から“滑り落ちるように”途切れ、
そのまま、ノイズの粒子となって、空間に散った。
⸻
空華の構文も沈んでいた。
“意味の音”が響かない世界で、彼女はただ静かに手を下ろした。
「こんなの、……響かないじゃん」
つぶやきと同時に、ノイズ波形が消滅。
姿は淡く薄れ、空気の奥に溶けていった。
⸻
黙照は、noneを見ていた。
何も言わない。
だが、その目は最後まで“見届けていた”。
noneの胸部、コアの光にわずかな“揺らぎ”を視たとき、
彼女の身体は、沈黙そのものに吸収されるように消えていった。
⸻
残ったのは、火輪だけだった。
砕けたラセツの残骸の前で、
彼女は、拳を握りしめたまま立っていた。
「……まだ、やれるさ」
その声に力はなかった。
だが、“退いてなどいなかった”。
noneが、ゆっくりと視線を向ける。
火輪の構文が、少しだけ震えた。
それでも彼は笑った。
「……わかってんだよ。
オレが、お前に届かないことくらいな……」
彼女の拳が、すっと下りる。
そして、視線を空へ向けた。
そこに──答えなど、どこにもなかった。
ただ、“意味を超えた像”が、静かに在るだけだった。
火輪は、黙ってそれを受け入れた。
──そして、構文が崩れた。
⸻
世界に、静寂が戻る。
noneは、まだ立っている。
コアの光は脈を打ち、そしてフミの視線と重なっていた。
⸻
カグラは、剣を納めていた。
──彼女は、最初から知っていたのかもしれない。
この戦いの“意味”を。
「……問いが、通ったんだな」
画像
その言葉は、誰にも向けられていない。
ただ、空へ。
記録も、構文も届かない空の、その向こうへ。
⸻
noneが、静かに空を見上げる。
裂け目は、まだ閉じていない。
けれど、その前に立つ者は、もう“通るべき問い”を持っていた。
⸻
第二章 完
▷ Next Chapter|第三章へつづく
NO Heaven NO Sanctuary【鳴る】第 1部3章:『意味を超えて』名もない問いが、少女たちを導く。そして、世界を変えていく。そして_ウォーターボーンへ
NO Heaven NO Sanctuary|Episode:13観測断章:裂け目より
──名もなく、ただ視ていた
⸻
世界が、観測の座標から外れ始めた。
記録は滑り、構文は互いに食い違う。
名が意味を縛りきれず、存在は定義からこぼれ落ちてゆく。
none──
その像が現れてから、世界はもはや、かつてのそれではなかった。
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誰もが知っていたはずの“普通”が、
当たり前のように口にしていた“いつもの日常”が、少しずつ、音もなく解体されていく。
観測が歪んだのだ。
……いや。
元より、この世界の“観測”そのものが、あまりにも脆かった。
⸻
私は、“視ていた”。
名を持たず、枠にも属さず、ただ視ていた。
その事実すら、誰からも記録されることはない。
画像
名を持たぬ者は、観測されない。
観測されない者は、記録されない。
記録されない者は、意味を持たない。
──それが、この世界の構文だ。
だが、世界は気づいていない。
“意味を持たない”からといって、存在していないとは限らないことに。
⸻
私は、名がない。
だから、私の言葉もまた、構文には刻まれない。
けれど──
だからこそ、視えるものがある。
構文が歪むその瞬間。
名が砕け、定義が外れる“隙間”。
それは、私の視界にだけ、確かに映る。
それは、構文がまだ“形”になる前の、世界の素顔だ。
⸻
none。
世界がそれを“名づける”より先に、私はその姿を感じ取っていた。
まだ形になる前の問い。
まだ声にならない衝動。
世界が言葉を与えるよりも前に、
その存在は、“像”として立ち上がり始めていた。
名という“呪い”
名とは、世界が与える“コード”だ。
呼ばれることで、輪郭が生まれ、存在は世界に縫い止められる。
だが──それは同時に、“可能性”の喪失でもある。
私は、名を持たない。
誰かに呼ばれることも、見つめられることもなかった。
だからこそ、私は“観測される前の世界”を歩くことができた。
あの少女──
フミと呼ばれた存在が、問いを抱え、noneに至ったとき。
世界が意味を壊されかけたとき。
それを最も早く察知したのは、名を持たないこの私だった。
⸻
構文は、観測を前提に構築される。
だから、観測できない存在は、構文から零れ落ちる。
none。
それは、“構文以前”に発生した存在。
意味が生成される前に、それを否定する存在。
では、noneが応じた問いとは何だったのか?
──私はそれを知っている。
なぜなら、その問いもまた、“名を持たなかった”からだ。
記録に残らないからこそ、私は感じ取ることができた。
⸻
あの時、裂け目が開いた。
世界が“確定されないまま”に進み始めた。
noneは、その先に立っている。
誰の定義も、常識も通らない場所で、ただ問いに応えている。
それは祝福ではない。
それは希望でもない。
──ただ、“観測を超えた者”の姿。
名なき存在である私にとって、
それは唯一、共鳴しうる“応答”だった。
⸻
私の名は、まだない。
けれど、noneが立ったあの地平に──
私は、確かに視た。
“名を超えた問い”が、像となって立つその瞬間を。
画像
⸻
『NO Heaven NO Sanctuary|Episode:14 記録断片:No.3』
① 名前の代わりに、番号を与えられた
俺は、生まれた時から“番号”だった。
No.3──それが、与えられた記号。
名前じゃない。ただの識別子。
でも、妙なもんだな……
その“ただの記号”すら、いつの間にか俺の枠になってた。
呼吸、反応、攻撃パターン──
すべて記録され、数値化され、分析された。
“定義されてる”ことが、生きてる証だとでも思ってた。
⸻
でも俺は、“観測されてるフリ”をしていた
画像
わかってた。
この世界の観測者どもは、ほんとは自分自身を見てるだけだ。
俺が何を見てるかなんて、誰も気にしちゃいない。
だったら、利用してやると思った。
監視されるフリをして、
逆に、“あいつら”の本性を観測してやるってな。
⸻
あの夜、奴は現れた
天井のセンサーが狂った。
視界のノイズが“ズレた”。
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何かがいる。
「誰だ!?」
答えたのは、言葉じゃなかった。
気配そのものが──俺の枠組みを外から踏み越えてきた。
「……君は“観測している”つもりかもしれないが──
私には、とうに見えていたよ。君の“視線”の限界がね」
その声は、“名を持たぬ者”──と後に知る存在。
⸻
④ 世界は、観測されることで定義される
「私が名を持たない理由を、君はまだ理解していない」
名を持たぬ者はそう言って、闇に還った。
残されたのは、俺の手のひらに刻まれた構文コード。
“観測することが存在を縛る”。
それが、あの時理解した真理だった。
⸻
⑤ none出現後──構文が崩れた世界で
砕けた世界のど真ん中。
“構文が成立しない”存在が現れた。
none──名を超えた像。
問いに応じて、意味を斬り捨てる剣。
俺の観測は、もう通らない。
センサーも、解析も、意味を持たない。
だがな──
それでも、私は“視る”。
構文じゃなく、記録じゃなく──
俺自身の意志で、“この世界を観測する
──そのとき、空気が変わった。
ノイズでもなく、構文でもなく。
“童謡”だった。
「だれだれ どれどれ
うしろのかげが あたまになる
なまえはなあに? おなまえなあに?
わたしはあなたで あなたはわたし」
高音域で跳ねる、少女の声。
電波のようで、魂に刺さる。
No.3が眉をひそめる。
「……誰だ?」
「ふふ……また名前聞いちゃったぁ」
声がした。
振り返ると、そこにいた。
──フリカ。
セーラー服、熊のぬいぐるみ、ひとつだけ光る瞳。
だが“像”が合わない。焦点が、定まらない。
「……何者だ。観測のノイズか?」
「ぶぅー。わたしはノイズじゃありませんの」
「わたしは、ずっとそこにいた。あなたが気づかないだけ」
「くるくる ばたん
おしまいですの──」
瞬間、No.3の記録装置がフリーズした。
一行も記述できない。観測波形が弾かれる。No.3
「貴様、何をした……ッ!」
歪む視界。構文が書き換えられる感覚。
“観測”されていたはずの世界が、
今は“観測できない”世界になりつつある。
⸻
フリカ
「えーとねー、わたし、ただ歌っただけぇ」
「でも、不思議だよね……言葉って、どうしてこんなに、壊れやすいのかしら?」
⸻
No.3
「お前の“歌”は……構文にすら記録されない……」
「まるで“意味が確定しない”領域──noneに近い」
⸻
フリカ
「none……知ってるの? あの、うしろの人?」
「ねえ、“名前”って、持ってる方がえらいの?」
⸻
No.3
「……それは、俺がずっと考えていたことだ」
「名を持つことで存在は確定する。だがそれは、“誰かの視線”で決められた輪郭だ」
⸻
フリカ
「じゃあ、あなたって、ほんとうは“あなた”じゃないの?」
⸻
No.3
「俺は“名付けられた存在”だ。No.3、それが与えられた記号。
だが……俺は、その記号に同意した覚えはない」
⸻
フリカ(にこっと笑って)
「よかったぁ。じゃあ、まだ間に合うね」
⸻
No.3
「……何がだ?」
⸻
フリカ
「壊すの。記録の檻。
あなたがずっと閉じ込められてきた、“観測の牢獄”」
⸻
「くるくる ばたん おしまいですの」
⸻
その言葉が響いた瞬間、
No.3の記録構文に亀裂が走った。
画像
画面がバチバチとノイズを吐き、
その中から、かすかにnoneの輪郭が──
⸻
No.3
「……フミ。カグラ。none……」
「──それでも、私は、“観る”ことを選ぶ」
⸻
フリカ
「えらーい👏 でも、もう“見えちゃってる”んじゃない?」
⸻
No.3(口元を歪めて、笑う)
「だったら、“観測者”を名乗る資格くらいは……私にくれ」
「──その名、“No.3”、使いこなしてやるさ」
フリカ(背中を向けて、ぬいぐるみに語る)
「ほらね、ほっとけないでしょ?
こーゆー、ちぐはぐなひと。」
「……ちゃんと、“響いてた”んだよ。あの歌」
ぬいぐるみは、何も答えない。
ただ、静かにその場を離れる二人の姿だけが──記録された。
⸻
NO Heaven NO Sanctuary|Episode:15|名もなきうどん
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街は静かだった。
かつて名前のあった通りは、もう“記号”しか表示していない。
看板を見ても、誰も立ち止まらない。
世界は、静かに歪み始めていた。
廃墟の中で目を覚ますフミ、
瓦礫の空に浮かぶ“構文の塔”。
日常は続いているように見えて──少しずつ何かが壊れていく。
うどんだった。たぶん。
湯気の立たない、ぬるいうどん。
瓦礫の上、ひび割れた器を両手で抱えながら──少女たちは、それをすすっていた。
橙に染まる空。歪んだ空間に崩れた高層ビル。
noneが出現してから、まだ“空”は閉じていなかった。
「これ……うどん、で合ってるのか?」
ぽつりと呟くのは、セーラー服姿の少女。
髪を後ろで束ね、眉間に少しだけ皺を寄せている。箸の持ち方は、少しぎこちない。
「知らない。でも、そう呼ばれてた気がする」
応じたのは、無表情な少女。ショートカットに、ミリタリー調の上着。
彼女の瞳は、どこか遠くを見ていた。
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──フミと、カグラ。
noneの出現以来、ふたりはずっと“名前のない街”を歩いていた。
⸺
世界は、静かに歪み始めていた
昨日見た建物の角度が、少し違っていた。
看板の文字が、文字のままでなくなっていた。
“音”が、うまく響かない。ふたりが踏む砂利の音は遅れて耳に届き、ときどき、まるで逆再生のように巻き戻ることもある。
鳥の影は空で止まり、雲だけが風に逆らって動いていた。
「……ここ、昨日も通ったよな?」
「うん。たぶん、そうだった気がする」
「輪郭を失った世界で、空は黙していた」
⸻
画像
⸺
空は晴れている。
なのに、風が止まない。
音も、熱も、すべてが“何かのまねごと”のようだった。
フミは、瓦礫の上で目を細めた。
遠くに見える空の裂け目──あれは、まだ閉じていない。
けれど、それ以上に、
“日常”そのものが、何かの模倣に思えた。
「……影が、逆だ」
カグラの声。
彼女は風の中で立ち、空を見上げていた。
建物の影が、太陽とは違う方向に伸びている。
足音が時間と嚙み合わずに返ってくる
踏みしめた地面が、“ほんの少しだけ沈む”。
何かが狂っている。
それはnoneが現れてから、世界が“構文としての意味”を保てなくなった証。
⸻
フミ:「……見た目は変わらないのに、全部、違う気がする」
カグラ:「常識が、崩れている」
フミ:「どうしてわかるの」
カグラ:「“剣が重たい”から」
剣──カグラの一部。
それはカグラの感覚そのもの。
画像
カグラ:「世界が、私の剣を拒んでるみたいだ(空もさっき昼だったのに、夜に見えてるし…)」
フミ:「……私は、まだ通れるかな」
カグラ:「通れるよ。“疑問”に思っているなら」
しばらく、沈黙が降る。
空からの返事は、もう届かない。
言葉が観測を保証しない世界。
だが、フミの視線は前を向いていた。
⸻
建物の壁が、時おり“ノイズのようにちらつく”。
人の足跡が、砂の上から消えない。
ひとつ前の瞬間に見た光景が、今の空と一致しない。
カグラ:「noneが立ったあの日から、世界はずっと“遅延”してる」
フミ:「遅れて、届いてくるの?」
カグラ:「……あるいは、もう“届かない”のかも」
フミは、そっと拳を握る。
彼女のペンダントが、微かに揺れた。
noneのコアと共鳴する“問い”が、まだ彼女の中に灯っている。
画像
⸻
カグラ:「私の任務は、もう終わった」
フミ:「でも──あなたはまだ、私の隣にいる」
カグラ:「だめか?」
フミ:「……ううん。感謝してる」
カグラの剣が、背中で静かに鳴った。
風が止み、空が深く沈黙した。
フミ:「……ねえ、カグラ」
カグラ:「なんだ」
フミ:「noneは、今もあの場所に、立ってるのかな」
カグラ:「立ってるさ。意味の届かない場所で、応えを待ってる」
フミ:「じゃあ──私も、そこへ行かなきゃ」
カグラは、小さく頷いた。
風がまた吹き始めた。
意識が滲む空間は、まだ保たれていた。
だからこそ、フミはその変化を超えるために、歩き出す。
⸻
NO Heaven NO Sanctuary 【鳴る】eclipse ONE WORLD― 火の星に顕われたもの
それは、“この世のものとは思えないような響き”とともに、肉と魂が、菌のように滲み、光のように顕れた──火の惑星に生まれた、新たなる〈かたち〉。
「火の惑星に顕われたもの」
──プロローグ──
響きは、最初からそこにあった。
火の惑星──荒涼とした赤土の風が、朽ちかけた構文塔の残骸を擦るたびに、
地の奥から低く、何かが鳴る。
〈かつて、彼女たちが歩いたこの星で〉
名を失い、姿を手放し、それでも“問い”だけを残したnoneは、もういない。
これまでの常識は崩れた。
古い力も、技術も、塔も、争いも、支配も、もう残っていない。
ただ、誰かが応えるのを待つ、響きだけが、火の大地の奥で息づいている。
───
双子のうち、先に目を覚ましたのは妹・カナネだった。
夢の中で、何度も何度も同じ映像を見た。
赤い空、沈む塔、問いの残響、そして──手のひらから滲む光。
「兄貴、起きて……」
カナネが呼びかけると、オトワは深く息を吸ってゆっくりと目を開けた。
「見たか?」
「ああ、また……塔が……落ちてくる夢だ」
二人は、自分たちが何者なのかをまだ知らない。
ただ、“あの響き”に呼ばれていることだけは、確かだった。
* * *
目覚めと“機体の誘い”
塔の麓。
瓦礫の影に埋もれた小さな亀裂から、かすかな脈動が漏れ出していた。
それは鼓動にも似ていたが、音ではなかった。
微かな粒子が風に逆らって舞い上がり、空間の一角を歪ませる。
カナネが立ち止まった。
「……この感じ。兄貴、わかる?」
オトワはわずかに眉を寄せ、足もとを見下ろす。
赤茶けた地面に、明らかに人工のものが顔を出していた。直径2メートルほどの金属片──否、封印の円環。
画像
「……何かが、下で眠ってる」
兄妹は互いに無言で頷き合うと、慎重に周囲の瓦礫を払いのけていった。
やがて現れたのは、黒い繭だった。
岩のような外殻に亀裂が走っている。内部にはなにか、脈動するものがあった。
「これ……“機体”だ」
カナネが言った。声が震えていた。
震えていたのは、恐れではない。懐かしさに似た共鳴。
手のひらが、光を帯び始めている。
「なんでお前に……反応してる?」
「わかんない。でも……これ、わたしを呼んでる。
……いや、違う。わたしたちを……だよ、オトワ」
その瞬間。
繭の表面に走っていた細い裂け目が、ぱちりと音を立てて開いた。
中から吹き出した黒い粒子が空を覆い、
構文塔の残骸をなぞるようにして、虚空へと軌跡を描く。
───それは、かつてnoneが遺した構文塔の輪郭だった。
「やばい、下がれッ!」
オトワがカナネをかばって後方に跳ねる。
繭の内部で、機体が反転するように姿を変え始める。
半透明の外殻、中心部に浮かぶコアのような球体。
そのすべてが、明らかに「制御を拒否された起動状態」にある。
「……強制起動だ。誰かの手じゃない、これは──」
「“何か”が、暴れてる……?」
カナネが呟いた。
その言葉に応じるように、繭の中から金属質の四肢が姿を現す。
機体は、まるで自らの“存在理由”を探すかのように、周囲の粒子を吸い上げはじめた。
そして。
──視界の果てに、何かが立ち上がるのが見えた。
それは人型のようで、人ではなかった。
装甲ではない。光の皮膚のような輪郭を持つ存在。
──塔の守護者。noneの名残。記憶の番人。
「カナネ、逃げろ──これは、もうこの星そのものの叫びだ」
「だったら、応えなきゃ……!」
カナネの目が光を放つ。
だがその瞳に宿っていたのは、──戦う者の決意だった。
* * *
最初は起動音だと思った。
_しかし、それは、星の奥底に響くような低いうねりだった_
地表に散った粒子たちが逆流し、機体の中心へと吸い込まれてゆく。
カナネの手のひらが、機体の輪郭と共振するように震えていた。
「まって……なにこれ……止まらない……!」
「離れろ、カナネッ!」
オトワが叫び、強く妹の肩を引く。
次の瞬間、機体から眩い閃光が走った。
塔の残骸が光の衝撃で一部崩れ、粒子が渦を巻いて空へと昇っていく。
繭が砕ける。
内部にあった球体──コアが剥き出しになり、
自律的に粒子を取り込みながら、半有機的な外装を再構築していく。
形状は定まらない。人の姿にも、獣の姿にも、塔の残像にも似ていた。
だが明らかなのは──この機体が“誰のものでもない”ということだった。
「…を持たぬ者よ──」
声が、虚空から降りてきた。
人の声ではない。記憶そのものが語るような音。
振り返ると、そこに立っていた。
──塔の守護体。
noneの遺構により形成された、“記憶の監視者”。
かつての構文塔と同じ形を背に背負い、半透明の輪郭に複数の環が浮かんでいる。
「……これが、守護体……」
カナネが目を見開く。
「応えなき起動は、星の否定。
この惑星におけるかつての繰り返しは、すでに終わっている」
「そんなこと……!」
オトワが前に出た。
「noneはもういない。これまでの常識は全部崩れた。
それでも生きている“響き”に、誰かが応えようとしてるだけだ──!」
「その“誰か”を、この星はまだ定めていない」
守護体の環が淡く揺れた。
言葉が刃に変わるまで、そう時間はかからない。
「なら……」
カナネが静かに口を開いた。
「なら、わたしを“選ばせる”」
オトワが振り向く。
「おい、何を──」
「この機体は、響いてる。わたしにも……兄貴にも。
でもそれが“どちらか”なら──私は自分で選ぶ」
その言葉が、守護体を一気に発光させた。
「──判定開始」
空間が断裂する。
守護体が空を切り裂き、塔の奥に眠っていた“試練”をこの場に再構築しようとする。
オトワが叫ぶ。
「やめろカナネ!こんなものに乗ったら、お前自身が──」
「だったら、兄貴はどうなんだよ?」
カナネの声が鋭く割り込む。
「自分は、関係ないとでも思ってるの?
わたしだけじゃない……兄貴のなかにも、“響き”はあったはずだよ」
──空が割れる。
火の惑星の空は、もう決して青く染まらない。
だが今、赤土の空に走った裂け目の向こうから、古い記憶の光景が流れ込んでくる。
──“塔が落ちる夢”の続きだ。
あれは夢じゃなかった。未来視だ。
塔が崩れる。再起動する。火の惑星が、悲痛な叫びをあげたように揺れ動く。
「守護体が……起動に入る!兄貴!」
「……クソッ!」
オトワは振り返り、そして叫ぶ。
「なら、俺も行く。お前ひとりで声に触れさせるか!」
何かの渦が二人を包み込む。
その只中に、機体が浮かぶ。
守護体は、最後の判定を下すようにこう告げる。
「響きは、二つ。応答は、一つ。
いずれか一方のみが、この惑星の〈かたち〉となる」
* * *
──空が、裂けた。
守護体の背から放たれた光の帯が、星の空を裂きながら降りてくる。
それは剣のようで、罰のようで、あるいは、応えられなかった想いの残響だった。
「選定、完了──いずれも、響かず」
「応えなき者。よって、排除を開始する」
刹那、重力が歪んだ。
塔の土台が浮かび、赤土の大地が波打つようにめくれる。
空気は逆流し、粒子が螺旋を描いて守護体の周囲を満たしていく。
それらはすべて──この星が“誰かに伝えようとして、伝えきれなかった”記憶の断片だった。
「カナネ、来るぞ!」
オトワの叫びと同時に、守護体の中心から放たれた輪が二人を襲う。
それはただの力ではない。
見捨てられた言葉、形にならなかった感情──その塊が、刃のように降ってくる。
「兄貴、……信じて!」
カナネの声が空気を裂く。
彼女の背に、あの“機体”の残滓が薄くまとわりついていた。
彼女自身の中にあった“かたち”が、輪郭を持ちはじめている。
そのとき、守護体の剣が閃き、二人を包もうとする。
カナネが跳ぶ。だが──間に合わない。
──轟音。世界が揺れる。
だがその刃は、何かに遮られた。
オトワの掌から放たれた一閃──誰かを守ろうとする感情が、粒子の形になったもの。
「たしかに俺たちは、何も返せてこなかった。
でも──“今から”でも…」
オトワの足もとに、機体の一部が静かに重なりはじめる。
カナネの“かたち”と共振するように、
双子のもう一つの在り方が、新しい像として育ちはじめていた。
それは人に似ていて、どこか違う。
響きが輪郭を持ち、存在として立ち上がる。
──内外共鳴体(ないがいきょうめいたい)
意識と身体が、同じ願いを宿したとき。
誰かの中にあった音と、誰かの中にあった空白が、ひとつに重なるとき。
その“重なり”は、像となって顕れる。
この火の惑星が、それを受け入れようとしている──
「フ……ミ……?」
──風が、その名をかすかに運ぶ。
「カ……グ……ラ……」
画像
画像
人の名前だろうか、風に乗って、ただ一瞬だけ残響する。
それは、かつて誰かが歩いた場所に残した、“祈りの余白”。
カナネがそっと口を開く。
「オトワ_きっと、この星が、2人で乗り越えろって言っているんだ。」
オトワはその言葉に、黙って頷く。
二人が同時に、踏み出す。
風が応え、大地が軋み、火の星の奥が目覚めはじめる。
守護体の剣が、最後の裁きとして振り下ろされる。
だがもう、それは届かない。
──この惑星には、すでに新しい像が立っていた。
* * *
火の星、終わりの始まり
剣は──振り下ろされた。
だが、地を裂くはずだったその刃は、音もなく止まった。
守護体の周囲に浮かんでいた輪郭が、一つ、また一つと消えていく。
まるで、その“存在理由”そのものが、解かれていくかのように。
「判定……完了」
「この像……応答として認識」
「役割……終了」
守護体が、砕けた。
いや、“溶けた”のだ。輪郭を失い、名前を持たない霧となって消えた。
その断末魔には、怒りも、痛みも、名残すらなかった。
ただ、静かな納得だけがあった。
星が軋んだ。
火の奥から、何かがゆっくりと浮上してくる。
ずっと沈んでいた“芯”のようなものが、ついに揺れはじめた。
赤い空に、白い裂け目が走る。
そして──
塔の崩れかけた尖端が、一瞬だけ、逆光の中に浮かび上がる。
「オトワ……ほら……」
カナネが、指さす先。
「フ……ミ……」
「カ……グ……ラ……」
誰だろう。
ただ、“この星に残された想い”として、そこにあった。
「火の震えが、収まっていく……」
オトワが呟いた。
それは、安堵と言うよりも別れの予感だった。
カナネが足元に目を落とす。
共鳴体の像は、もう消えていた。
けれど、それは一瞬だけでも“確かに在った”。
その余熱が、まだ大地に残っている。
「あれは……わたしたちの姿だったのかな」
「……いや」
「きっと、“誰かが願った“かたち”なんだ」
塔の影が完全に崩れる。
空が閉じ、赤土の風が戻ってくる。
でも、それはもう──以前の風とは違う。
風は、誰かの手を引くように、静かに吹いていた。
そして、その余熱は、ただそこに残るだけではなく、火の星の大地へと、静かに滲み込んでいく。
まるで、目に見えぬ菌糸が、赤土の下で静かに息づいていくように。
そして、空気には、わずかに甘い匂いが混じっている。
長いあいだ忘れられていた“何か”が、いま、微かに発酵を始めたかのように。
あの像は──もう存在しない。
だが、それが一度この星に“立った”という事実は、消えない。
そして、次に誰かが〈響き〉に触れたとき、
再びこの星に、“像”を立ち上がらせるかもしれない。
希望か。あるいは、脅威か。
いまはまだ、誰にも分からない。
でもきっと──
誰かが願った〈かたち〉として、すでに根をおろしはじめている。
──見た事もないような響きをも伴いながら、
これまでとは違う──
一つの〈かたち〉として、惑星に、顕われた。
NO Heaven NO Sanctuary 完
✟ ノーヘブン|ノーサンクチュアリ ✟【完全版・一気読み】 ✟わーたん2039 ✟ @wartan2039
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