悪魔のイタズラ

@ariria

出会い

その春、県立暁星高校の桜並木は、まばゆい光を浴びていた。

山本瑞紀(やまもと みずき)は、新しくなった真新しい制服に身を包み、緊張と少しの期待を胸に校門をくぐった。瑞紀は透き通るような白い肌に、つやつやとした黒髪のボブカットがよく似合っている。スレンダーで華奢な体つきだが、その目元には意志の強さを秘めていた。

「えーと、1年C組っと…」

教室に入ると、そこは新入生特有のざわめきに満ちていた。瑞紀は窓際の席にそっと腰を下ろし、これから始まる高校生活に思いを馳せる。

(中学ではちょっとやんちゃしすぎたからな。高校では、明るくて可愛い、普通の女の子として過ごすんだ。)

瑞紀がひそかに決意を固めていると、教室のドアが開き、一瞬にして周囲の空気が変わった。

廊下に響く堂々とした足音。入ってきたのは、周囲の生徒たちを圧倒するような、尋常ではない存在感を放つ美人だった。

早乙女紗希(さおとめ さき)。黒髪のストレートロングヘアは、背中の中ほどまで流れている。モデルのようにすらりとした体型だが、制服のブラウスの上からは隠しきれない豊かな胸のラインが目を引いた。なによりも、その鋭く、威圧的な眼差しが、彼女を教室の誰とも違う場所に立たせていた。

紗希は一切の躊躇なく、教卓のすぐそばの席に堂々と座った。

瑞紀と紗希は、同じ1年C組になったのだった。


紗希の「校内トップ」への道のりは、あまりにも早すぎるものだった。

入学してわずか二週間。暁星高校の不良たちが、次々と顔に青あざを作り、姿を消していった。その原因が早乙女紗希であることは、すぐに校内に知れ渡った。

「あいつ女なのに強すぎるだろ」

「あれだけ戦って怪我してないの化け物だろ」

噂は一週間も経たないうちに真実となり、紗希は名実ともに暁星高校の不良たちの頂点に立った。その強気な性格と圧倒的な戦闘力は、誰もが恐れる存在となった。彼女は満足することなく、すぐさま周囲の他校の不良グループとのナワバリ争いへと手を広げていった。

一方の瑞紀は、決めていた通り、クラスではいつも笑顔を絶やさない、愛想の良いキャラクターを演じ続けていた。成績は良く、クラスメイトからも**「可愛い」「話しやすい」**と評判だった。紗希とは特に会話を交わすこともない。瑞紀は時折、遠巻きに紗希の横顔を見ては、その張り詰めた空気に、過去の自分との隔たりを感じていた。


それは、夏が近づくある日の放課後だった。

瑞紀はクラスメイトとの誘いを断り、一人で駅までの道を歩いていた。ふと、路地裏から鈍い衝撃音と、男たちの荒い声が聞こえてきた。

(なんだ…?)

好奇心と、かすかな胸騒ぎに駆られ、瑞紀は壁の隙間からそっと路地裏を覗き込んだ。

照明の少ない薄暗いコンクリートの空間で、数人の見慣れない他校の制服を着た男たちが、一人の人物を取り囲んでいた。

その人物は、他でもない早乙女紗希だった。

「おい、早乙女!テメェ、うちのシマに手出しやがって、タダで済むと思ってんのか!」

「ああ?うるさいな、雑魚」

紗希は苛立たしげに前髪を払い、無表情に吐き捨てた。その一言が、男たちを逆上させた。

「やっちまえ!」

男たちが一斉に紗希に襲い掛かる。瑞紀は息を飲んだ。彼女の脳裏には、中学時代に経験した修羅場の記憶が蘇っていた。

しかし、次の瞬間、瑞紀が目撃したのは、次元の違う光景だった。

紗希は、まるでダンスを踊るかのように、無駄のない、流れるような動作で男たちの攻撃をかわし、カウンターを叩き込んでいく。

ドス、という骨の軋むような音。

男の一人が、腹部に鋭い蹴りを受け、胃から空気が抜けるような呻き声を上げて崩れ落ちた。続いて、紗希は別の男の腕を掴み、背負い投げのように軽々と地面に叩きつけた。男の意識は一瞬で飛んだようだった。

多勢に無勢。しかし、紗希の動きは速く、重く、そして正確だった。彼女は、ただ喧嘩が強いというレベルではない。それは、戦いの技術を知り尽くした者の動きだった。

最後の男が怯んで立ち尽くした瞬間、紗希は冷たい視線で彼を一瞥した。

「もういいだろ。ゴミ掃除は終わりだ」

その声は、冷徹で、感情が欠落していた。

瑞紀は、息をするのも忘れ、その光景をただ見つめていた。

(私よりも強い… 。)

瑞紀の体に、冷たい汗が流れた。彼女の脳裏には、普段教室で見る無関心で美人なクラスメイトの顔ではなく、路地裏で不良をなぎ倒す、冷酷な女王の横顔が焼き付いた。

瑞紀は、自分が高校で封印したはずの**「過去」**を、早乙女紗希という存在が、強烈に引き戻そうとしているのを感じた。


紗希は、すでに倒れて意識のない男の上に、まるで椅子にでも座るかのように腰を下ろしていた。顔を覆うロングヘアの隙間から、無表情にスマホを操作する指が見える。その手慣れた仕草は、まるで今の光景が日常の一部であるかのようだった。

瑞紀の胸の中で、奇妙な熱が込み上げてくる。

「圧倒的に強い」

その言葉が、瑞紀の深層に眠っていた**「戦いたい」**という本能を刺激した。中学時代、ひたすら喧嘩をしていた瑞紀は、常に刺激を求めていた。しかしそれにも飽き、高校では平穏な日々を送っていたはずなのに。

(こいつを…倒してみたい…!)

一瞬の衝動が、理性を上回る。

瑞紀は、背中に背負ったスクールバッグに手を伸ばした。そこには、念のためにと、こっそり入れておいた折り畳み式の鉄パイプが収められている。柄の部分を握りしめ、カバンから音を立てないようにゆっくりと抜き出した。

シャキン、と金属が展開する小気味よい音が、路地裏の静寂に吸い込まれる。鉄パイプは、鈍い光を放っていた。

紗希はスマホに集中しており、瑞紀の存在には全く気づいていない。

(今だ…!)

瑞紀は、忍び足で紗希の背後へと回り込んだ。

一歩、また一歩。

手のひらには汗が滲み、鉄パイプが滑りそうになるのを必死に堪えた。

紗希の黒髪が、すぐ目の前にある。

瑞紀は、迷いのない目で紗希の後頭部に狙いを定める。

そして一瞬の躊躇もなく、手に持った鉄パイプを、紗希の頭めがけて、全力で振り下ろした——。ガァン!

鈍く、そして骨に響くような、凄まじい金属音が路地裏にこだました。

紗希は、完全に油断していた。

スマホを操作していた彼女は、何の予兆もなく、鉄パイプの直撃を頭部にモロに受けた。殴られた衝撃で、紗希の体は座っていた意識のない男の体から勢いよく崩れ落ち、アスファルトに叩きつけられる。同時に、彼女の手からスマホが滑り落ち、カシャカシャと軽い音を立てた。

瑞紀の腕には、金属を通じて強い手応えが伝わってきた。

(当たった…!)

瑞紀は、攻撃が成功したことに一瞬、歓喜に近い戦慄を覚えた。この一撃で、紗希の意識は確実に飛んだはずだ。

しかし、瑞紀の勝利の確信は、すぐに驚きに変わる。

地面に倒れた紗希の体から、かすかな唸り声が漏れた。

「…あ、ぁ…」

紗希は、すぐに動こうとはしなかったが、数秒後、彼女の長い黒髪の下で、ゆっくりと指が動いた。そして、震える手で頭を押さえながら、まるで重い鎖を引きずるように、ふらつきながら体を起こし始めた。

頭からは、すでに鮮血が流れ、黒髪を濡らしている。

紗希は、立ち上がりきると、地面に落ちたスマホも、倒れている男たちにも目もくれず、目の前の瑞紀に視線を合わせた。

その瞳は、先ほどまでの冷徹な無表情とは打って変わっていた。血走った瞳孔は開き、激しい痛みと、それを遥かに上回る純粋な怒りに燃え上がっている。

「…テメェ、誰だ…この私を…」

低く、獣のような呻き声。

紗希は、口元についた血を手の甲で拭い、鉄パイプを握りしめている瑞紀を睨みつけた。

「よくも…よくも、やりやがったな…ッ!」

瑞紀は、鉄パイプを両手で構え直す。

この状態でも、彼女から放たれる殺気は、瑞紀の人生で出会ったどの不良よりも濃く、重い。

「…お前、山本…」

紗希は、瑞紀の顔を認識すると、一瞬、驚きの表情を浮かべたが、すぐに怒りの表情に戻る。彼女は、ふらつく足取りを無理やり踏みしめると、頭部からの出血をものともせず、瑞紀めがけて猛然と殴りかかってきた。

「ふざけんなぁッ!!」

振り抜かれた紗希の拳は、命を奪うためだけに存在する、鋭利な刃物のようだった。

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