夕暮れ、傷の私たち。

玄道

傷がない人なんて、何処に。

 ──秋の素敵な光景は、夕暮れ……だったっけ。


 まさにその夕暮れ時、私は一人で公園にいる。


 決まらない進路、優秀な友達、先輩への伝わらない気持ち、そして親が振り上げる手。


 何もかもから逃げて逃げて、こんな所に辿り着いた。


 五時の公園は、何というか……寂しい。涼しくなった空気も、寂しさのスパイスになってしまう。


 ブランコを、思い切り漕ぐ。どうせ誰も見てない。数十センチ、空が近づく。


  飛べたらいいと思った。そうすれば、どこまでも逃げられるのに。

 

 叫びだしたい。

 

 "帰ってやるかバーカ!! "と。


 すぅ、と息を吸って、止める。


 視界の端に、人を見つけたからだ。


 家族連れ、バンギャ風のお姉さん達、背中とかに何かありそうなスーツのおじさん。


 ブランコに乗ったまま、カッコつけて、借りたばかりのハードカバー本を取り出す。


 市川沙央の『女の子の背骨』。


 あまりに似た境遇。『ハンチバック』も凄かったけど、『オフィーリア23号』は、もう神憑りみたいだ。


 ──だよね、いい父親なんて、何処にいるんだろうね。いや、いるし。目の前に。


 男の子達が駆け回り、それを見守る父親。彼らはとても幸福そうで、別の世界線の住人みたいだ。


 紙の中の物語と、物語みたいな現実に入り込んでいく内、街灯が点いた。


 私の影が、すっ、と現れる。


 ──私自身からは、逃げられないんだ。


 家族連れが帰っていく。


 いい両親と、いい子達が。


 お姉さんも去り、おじさんもお手洗いに。


 ──今だ。


「今日帰んないからなバーカ!!」


 ああ、乱暴な言葉だ。


 清少納言に叱られそうだけど、構うもんか。


 金曜の夜、何事かと飛び出してきたおじさんと目が合った。


 苦笑いの私に、強面のおじさんは何も言わない。


 ただ、心配そうな顔をして、背を向けた。


 ──そりゃ、週末の夜にJK一人でこんな所にいりゃあ、ね。


 気まずい。


 空が藍色に染まっていく。


 ──帰れない……帰りたくないだけです。お願い、放っといて。


 おじさんのスマホが鳴る。


「はい……ああ、すぐか……あ、ごめん今日帰れないかも」


 ──は? え?


 おじさんは、丁寧な口調でキレイな声で話していた。


「片岡が終わんないって言うから……いやホントごめん」


 ──何? 何?


 バッグの中の防犯ブザーを意識した。


「十一時までかかるかも……ごめんごめん……あのさ、未成年じゃあるまいし捕まんないって」


 ──あ。


 私は、気付いた。


 通話を切り、おじさんはスマホを弄りだす。


 何もしない、何も言わないおじさん。


 近寄ることすらせず、背を向けたままだ。


 恥ずかしさに頬が染まる。

 

 私はブランコを降りて、鞄を持つ。


 去り際、声に出した。


「ごめんなさい」


 善人なのに嘘つきのおじさんは、何も返さなかった。私の方から、彼に歩み寄る。


「その、ごめんなさい。あの……えっと、事案とか、そんなの気にしてるなら、誰にも言ったり、しませんから」


「帰る気になりました?」


 街灯が、おじさんにも影を落とさせる。スマホを持った右手首から、絵や文字じゃない……私と同じ、ミミズ腫れが覗いた。


 


 胸がずきりと痛んだ。




 私は、罪悪感で爆発しそうになる。


 ──色んな人が……無関係な人まで心配してるんだ、自分だって辛いだろうに。バカはどっちだ、私のバカ。


「……は、い。あり、ありがとう、ございました!」


「…………あまり、いい大人がいなくて、こちらこそ、ごめんなさい」


 ハンカチで目元を拭いながら、夜の公園を出ようと、歩き出す。


 逃げてばかりじゃ、何もできない。帰ろう。帰って立ち向かおう。私の人生物語なんだ。


 街の灯が明るすぎて、涙が溢れそうになる。


 ──このままじゃ、おじさんに迷惑かけちゃうよ。


 公園の出口で、涙が止まるまで待つ。


 街がはっきりと見えるようになると、私は再び歩き出した。


 <了>


 参考図書

『女の子の背骨』市川 沙央(著)文藝春秋


『すらすら読める枕草子』山口仲美(著)講談社

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