第5話 誤差の範囲



「……この足跡、ちょっとでかくね?」


 村へ向かう細い獣道を歩いていると、地面に深くえぐれたような痕跡が続いていた。


 グレイターボア。


 ギルドで貸し出されている本で調べた情報では、C級冒険者でも命を落とすことがある危険な魔物だと書かれてあった。


 依頼書に書いてあった見た目は赤毛皮の巨大なイノシシといった風貌であった。依頼書で見た感じもう少し小さいイメージだったのだが、足跡のサイズから見て象くらいはありそうである。


 そんなグレイターボアの足跡の向かう先は……依頼を出した村だ。


 俺は歩幅を広げ、ほとんど走りながら追跡する。


 その時──地鳴りとともに、獣の怒号が木々を震わせた。


『ブオオオオオオッ!!』


 村の方向だ。


「っ……!」


 そこで躊躇する理由なんてなかった。


 村の入口に飛び込むと、状況が一瞬で理解できた。


 木でできた柵は無情にも破られ、辺りはめちゃくちゃであった。


 そして、そんな村の中には鍬を構えた村人が数名。


 必死で巨大な影の前に立ち塞がっている。


 その影の姿は、黒毛の巨大なイノシシ。


 体長は五…七メートルを超え、まるで車である。


 血走った目。泡立つ息。


 完全に興奮状態だ。


「こ、こっち来るなっ……!」

「だめだ!逃げろ、絶対に殺され──!」

「馬鹿いえっ!まだ避難できてない奴らが!!


 村人の声など届いていない。


 グレイターボアは、まっすぐ──家畜と人間のいる方へ突っ込もうとしていた。


「まずっ───」


 俺は地面を蹴り、奴の前へ飛び込む。


 土煙がぶわっと舞う。


 目の前に迫る鋼鉄の塊のような巨体。もし魔法で殺ったとしてもこの巨体の勢いを殺せない。そうなると後ろの村人が危険だ。


 だが、真正面から受け止めるなんてのは自殺行為だ。チートがあると言っても、無敵ではないし、丁度いい魔法もない。


 だが、横に避けきれないなら──。


「……身体硬化、筋力強化」


 硬化魔法と呼ばれる防御魔法と、筋力を上昇させる魔法を全身に掛ける。


 牙を掴み、地面を踏みしめ、体勢を固定したまま身体を捻って横に投げるようにその巨体と衝撃を逃がす。


「ぬっ……がァァァァっ!!!!」


 次の瞬間、巨大な塊が俺のそばを抜ける。


 かすめただけで風圧が肌を切る。


(やば……本当に強いな!森にいた蜥蜴くらいはあるぞっ!)


 その強さは、昔森の中にいた巨大な蜥蜴と同等くらいであった。こんな化物が村を普通に襲いにくるのかよ。しかもそんな化物相手に追い詰められてるとはいえ鍬って…普通なら恐怖で逃げ出してもいいくらいだ。


 これが冒険者ランクC級以上推奨…どうやら、この世界は俺の思う以上に魔境なようだ。


 B級の先輩方が俺のことを止めようとしたのも頷ける。流石に新人でコレの相手は無理だろう。


 俺でなければ即死だった。俺以外の冒険者のこと知らないけど。


 S級パーティが犬っころの群れに負けて、村人がこんな化物と戦おうとしているというのはなんともあべこべな感じがするが…きっと彼女達はコネでランクを上げたのだろう。うん、そうに違いない。


 だが、スピードは読めた。


 振り向いたグレイターボアが、再度こちらを睨む。


 地面を掘り返し、角の生えた鼻面を下げ構え──突進。


 一撃でも真正面から食らえば全身複雑骨折間違いなしだ。だが…


「…よし」


 魔力を指先に集め、剣を握るように空気を感覚で握りしめる。


 俺には、全ての魔法適性が備わっている。いや、実際のところは全てかどうかは不明だが、とりあえず思い浮かぶ属性の魔法は炎でも水でも氷でも雷でも何でも使えた。


 ただし、転移や召喚など、難しいものは不可能。


 ただ、単純であればどんなことでもできる。そう、どんなことでもだ。


 例えばこうやって、何でも切断す

イメージさえあれば──空気は、凶悪な刃になる。


 突進までの秒数。


 タイミング。


 地面の軋み。


 呼吸。


 全部、見える。


「──っ!」


 踏み込み。


 込める魔力はこの目の前の巨大イノシシが、爆発しないくらいの威力で。


 低く潜り、腹下へ滑り込む。


 巨体が頭上を通過するその瞬間──。


「ハァッッ!」


 沿わせるように、喉から腹へ貫くように薙ぐ。


 瞬間、余波でその体は真っ二つに両断され、血を吹き出しながらグレイターボアは横に離れ離れになり…そのまま、崩れるように倒れ込んだ。


 ズゥンという巨体が地面に沈む鈍い音が響き、あたりに静寂が訪れる。


 気づけば、村人たちがぽかんとして俺を見つめていた。


「い、今の……ひとりで……?」

「な、なんて力だ……!」

「武器も持ってないのに……どうやって……」


 俺は軽く息を整え、手についた血を振って落とす。


 正直、少し焦った。


 魔法を使えばそこまで脅威ではないが、人を守りながら戦うというのは久々というかほぼ初めてで、なんというか普通の戦いとは別の苦労があった。


 少し魅せプというか、良いところを見せたくていい勝負に見せかけたが、それでこうやって人の命を危険に晒すのは駄目だな。これからは、もう少し余裕を持って早めに殺すことにしよう。


 とまぁ、反省はこんなもんにして、どちらにしても、今回の依頼はこれで達成で間違いないだろう。


「グレイターボアの討伐依頼を受けてやってきた冒険者だ。これ以外の個体のグレイターボアはいるか?」


 その言葉を聞いた村人の一人が、膝から崩れ落ちた。


「た、助かった……!本当に……!」


 そうして、俺はこの村の英雄となった。


 ◇


「さて……証拠部位、これでいいか」

「ほ、本当にいいんですかい?」

「えぇ。流石にこんなデカブツ、俺じゃ持って帰られませんので…」


 立派な黒色の牙を二本折り、腰の袋にしまう。これをギルドに持って帰れば正式に討伐完了だ。


 流石に肉と毛皮は持ち帰れないので村に寄付することにする。


 グレイターボアの解体は村人たちに任せて、村の奥へ歩き出す。一応来て早々に仕事は終わったが、村長への挨拶はしておいたほうがいいだろう。


「……ん?」


 そう思い、あそこらへんというアバウトな説明を受け村長の家に向かおうとしていた時、人影がこちらへ駆けてくるのが見えた。


「冒険者さん!!そ、その……」


 息を切らせた若い農夫らしき男が、俺の背後――倒れたグレイターボアを見て、目を丸くした。


「やった、やったんですか!?」

「ああ、一匹だけどな」


 そう答えると、男は信じられないというように頭を抱えた。


「す、すごい……っ!あの黒毛のグレイターボアにどれだけ被害が出たことか…!」


 その声を聞きつけたのか、村人が次々と集まってきた。


「ひえぇ……でっけぇ……!」

「こんなの相手に……よく生きて帰ってこられたなぁ兄ちゃん!」


 興奮と驚きと安堵が入り混じったような空気が広がる。


 俺は少し照れくさくなりながらも、簡潔に状況を説明する。


「でかいイノシシくらい大したことじゃないよ。最低等級だけど、俺も冒険者だしね」


 そう言った瞬間、背の低い老人が杖をついて前に出て来て、俺の手をがしっと掴んだ。


「いやいや、大したことあるわい!あの化け物が暴れれば、畑どころか村そのものが危なかったんじゃぞ!」


 なんか……すごく喜ばれている。


 俺としては単に依頼の魔物を倒しただけなんだが、この村にとっては違うらしい。


「ほら皆!今日は祝いじゃ!」

「宴を開くぞ!」

「英雄様が村を救ってくださったんだ!」

「え、宴!? いや、その……」


 さすがにやりすぎじゃないかと思ったが、喜びの勢いは止まらず、あっという間に村全体が浮き足立ち始める。


「ちょっ、お爺さん!そんな勝手にいいんですか!?」

「わしがいいと言っとるんじゃからいいんじゃ!」

「アンタ誰だよ!」

「この村の村長じゃ!」

「村長かよ!!」


 気がつけば俺は担がれるように中央広場へ連れていかれ、そのまま強制的に宴の場へ座らされていた。


 そんなこんなで、昼間から始まった大宴会。


「ほれ、これでも食え!」

「酒もあるぞ、飲め飲め!」

「いや本当に……俺、そんな大したことはだな……」


 と言っても誰も聞いていない。


 とれたてのグレイターボアの肉、新鮮な野菜、香りのいいスープ、そして果実酒。


 次々に皿が積まれ、村人たちは笑顔で俺の肩を叩いて感謝の言葉を投げかけてくる。


「……うん、まあ、悪くないな」


 俺の目標は、かっこよく活躍してヒーローのように国中、いや、世界中から注目を集める存在だ。こんな小さな村でどれだけ称えられたところで何も変わりはしない。


 それでも、悪くない。


 そんな俺に、隣に座っていた子どもが目を輝かせて言った。


「お兄ちゃん、すごいよ!これで安心して眠れるもん!」


 その言葉だけで胸が温かくなる。


 こんなふうに、誰かに感謝されるのは好きだ。


 影が薄く、今まで褒められることどころがやったとすら認識されない俺にとって、自分が何かの役に立てたんだと思えるのは、むず痒いものもあるが、やっぱり嬉しくてたまらない。


 気がつけば、妙に顔が熱くなっていた。


 果実酒のせいか、村人の熱気のせいか、それとも──


「……はは、なんだこれ。めちゃくちゃ幸せじゃないか」


 素直にそう思った。


 その夜の宴は遅くまで続いた。


 村人たちは笑い、歌い、俺の活躍を何度も何度も自慢げに語ってくれた。


 そして気づけば、俺はその村に数日泊まることになっていた。


 毎日のように魔物を討伐しては、村の手伝いをして、礼を言われて、飯をご馳走になって…


「…よし!ここに住もう!」


 もう、有名にならなくてもいいよね!


 毎日毎日英雄扱い、俺の顔もぼんやりと覚えていてくれてるし、話しかけたらちょくちょくに返事もしてもらえるし、名前も二回に一回は合っている。


 昨日なんて村長のお孫さんとお見合いをさせてもらった。可愛い村娘とお話もできて非常に気分がいい。最後まで名前は覚えてもらえなかったが。


 あの子と幸せな結婚生活、そのままこの村で一生を終えるのも…


 そんなことを思い始めた頃だった。


 背後から、この十八年間で聞き慣れた声が飛んできた。


「やっと見つけた……スミスくん!!」


 振り返ると、長いプラチナブロンドの髪を揺らした少女が立っていた。彼女は…


「お?生聖女ちゃんだ」

「だから、私は生でも聖女じゃありません!!」


 俺の、幼馴染の少女である。

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The普通な平凡村人系モブ顔の俺、目立ちたくて美少女を助けるも勝手に素顔を隠した謎の実力者扱いされる 座頭海月 @aosuzu114514

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