歴史の教科書の隙間
高砂団子
第一話:灰が灯した炎
一.人魔大戦
統一前歴四五二年、聖前歴四八年。この年は人類にとって、光の世界に住む生物にとって、とても輝かしい歴史を刻む年となりました。
約七五〇年前、世界の半分は闇に包まれ、魔物と言われる凶暴な生物が跋扈する非常に危険な環境だったと言われています。そして、その魔物たちを使役し世界を滅ぼさんとする一人の怪物が牙を剥きました。
彼の名は「魔王オブスクルド」。かつて存在した暗黒の地オブスクリアの王であり、数多の魔物を使役した伝説の怪物でした。彼は西方にある人間の国、
統一前歴時代の歴史に詳しい、エルダリオン高等学院のセリフィア教授はオブスクルドの目的についてこのように考察しています。
「当時の東方、いわゆる暗黒の地は不毛の大地でした。資源が乏しく、魔物同士での争いの絶えない混沌の地です。そこでオブスクルドは各地の魔物の族長を束ね、西方進出によって彼らを富ませることを約束しました。当時としては革新的な帝国主義的思想であったと言えます。種族的にも武力に優れ、軍事力によって他の国々を侵略するというわかりやすい手段は、魔物たちにとって非常に魅力的であったと思われます。」
ここで一つの疑問が生じました。元来、魔物とは知能に乏しく、本能のままに行動していた生物と言われていました。しかし、セリフィア教授の話では、魔物同士が一定のコミュニケーション能力を有しており、集団生活を行っていたということになります。そんなことはあるのでしょうか。
「魔物の分類について、近年の研究では大きく二種類に分けられることがわかってきました。知能が低く、他の魔物とコミュニケーションをとることができない生き物のことを魔獣、知能が高く、集団生活を営み、独自の文化を育む生き物のことを狭義の魔物としています。この狭義の魔物の中には、人間が動物を使役するように魔獣を使役した者たちもいたようです。彼らは原始的ながらも、コミュニティとテリトリーを持っていました。オブスクルドが暗黒の地の統一活動を始めたころには、コミュニティが種族ごとにある程度まとまりを見せ、氏族や部族と言われるような中程度の規模を持つ集団となっていたと考えられています。」
そんな魔物の集団を従え、統一前歴四五五年、オブスクルドはドラーグヴェイル山脈を越え、アルデナ王国へと侵攻を開始しました。初めての魔物の大侵攻に、人間たちは多くの混乱と恐怖に飲まれました。一番初めに戦場となったのは、オブスクリアとの国境部、つまりドラーグヴェイル山脈の山道の入口に位置する巨大な砦でした。
現在
「
「灰の防衛戦」。その絶望的な戦いは映画の題材になったこともあります。待ち受ける死の運命に砦の人々は何を思ったのでしょうか。
当時の凄惨な戦いを残す場所がありました。砦の西門、つまり砦からの撤退戦が行われた場所です。ここは殿軍となった部隊がより多くの味方を逃すために、自らの命を散らした戦場でした。
ここには魔法の残滓が今も濃く残っています。ひときわ大きな土属性の魔法が門そのものにかかっていました。その主は、この砦を任されていたアルデナの勇将、セイラン・カルトリウス将軍です。彼が得意だったと言われる土属性の魔法、
この魔法をさらに解析すると、とある事実がわかりました。
「この土壁の魔法は魔物が漏れ出ないようにかけられたものではありますが、発生源は門の内側です。つまり、退路を断ち、己の命を犠牲にしてでも、より多くの兵を逃がそうとしたというわけです。」
グレイヴン王国に残された「アルデナ王国史」には彼の最期の言葉が伝わっています。
「生きよ。生きて、我らの屍を踏んで進め。」
土壁越しに言葉を聞いた兵たちは涙を流しながら、白光の平原へ敗走。そのまま決戦の地である
「セイラン将軍の犠牲がなければ、より多くの兵の命が失われていたでしょう。白光の防衛戦も敗北し、闇の時代が到来していたかもしれません。」
旧アルデナ王国王都、サン=ヴァルムには、殉国の象徴たるセイラン将軍とその側近たちの栄誉を称えた石碑があります。そこにはこう刻まれていました。
――彼らは滅びたのではない。
闇に火を灯し、
その灰に、次の光を託したのだ。
二.白光の防衛戦
結末についてはみなさんご存じの通りだと思いますが、戦いの詳細について少し詳しく見ていきましょう。
戦いの序盤は魔法や弓などによる遠戦が主になります。当然防壁による高所の利があるアルデナ王国軍のほうが有利に戦いを進めていました。
しかし、三日目から状況が変化します。魔物の中でも飛行を得意とする一団が砦を襲うようになったのです。これにより、弓兵や魔法兵が対空防御に追われ、地上部隊の接近を許すようになりました。当時のオブスクリア軍には破城槌や井闌車のような攻城兵器を作成する技術はありませんでしたが、魔族の持つその力自体が砦の攻略に大きな役割を果たしていました。外壁に張り付き、よじ登ることのできる強力な爪。頑丈さと相まってただの体当たりが生きた破城槌となる巨躯。さらには体内に炎熱器官をもち、純粋な炎を吐き出すことができる魔獣をも使役しており、それらすべてが砦の防衛を一層厳しいものにしたといわれています。
統一前歴時代の戦史研究を行っているドラン大学のオルン教授はオブスクリア軍の戦い方について高い評価をしています。
「彼らはオブスクリアを出るまで、砦の攻防などしたことがなかったはずです。当時のオブスクリアにはアルデナ王国にあるような防壁や攻城兵器を持っていませんでした。しかし、オブスクルドは
五日目。北側の防壁の一部で魔物の登攀を抑えることができず、白兵戦が行われるようになりました。またオブスクルド本人も攻撃に参加するようになり、北壁、東壁で被害が出始めるようになりました。
アルデナ王国史にはオブスクルドの攻撃について描写されています。
「夜が現れた。陽の光を覆い隠す闇の力が、白光の野を包んだ。花は枯れ、森は倒れ、生き物は死んだ。その力に魔物は歓喜し、人々は恐れ慄いた。我らにとって最も長い夜が始まった。」
六日目には攻勢が本格化します。夜行性の魔族の夜襲に始まり、明け方には全軍をもって砦の攻略にかかりました。オブスクルドも闇属性の魔法を存分に振るい、昼頃にはついに東門を破壊。砦内に魔族がなだれ込み、砦は陥落したかに思われました。
しかし、その時西の大地から四種類の角笛が響き渡ります。歴史の教科書にも有名な「四重奏」です。
一つ目はアルデナ王国軍の援軍四〇〇〇。
二つ目はルミナエル射手団とシルフェン歌士団の二五〇〇。
三つ目はグロームヴァルド鋼軍団三〇〇〇。
そして、四つ目がテオラント王国聖女親衛隊五〇〇の到着を告げる角笛でした。
西方連合軍一〇〇〇〇が白光の平原に集結したのです。
オブスクリア軍は野戦のため撤退を決断。
そうして七日目には白光の平原にて戦いが起こり、聖女リオネ・アルデンの光属性魔法によってオブスクリア軍は壊滅。
さて、ここで一つの疑問が生じました。なぜ、西方連合軍はこれほど早く集結できたのでしょうか。
当初は援軍の到着に二十日ほどかかると予想されていましたが、実際には僅か六日で到着しています。特に大規模転移装置の開発も行われていない時代に、これほど短時間で軍を向かわせることができた秘密を探ってみましょう。歴史の教科書の隙間は、いつだって普通の人が埋めていました。
三.灰が灯した炎
サン=ヴァルムの石碑に残された一節。
――彼らは滅びたのではない。
闇に火を灯し、
その灰に、次の光を託したのだ。
これはアルデナ王国の不撓不屈の精神を表したものとされていました。しかし、近年の研究でこれらが別のものを指していることがわかりました。
それが残る場所を我々は尋ねました。シルワリエンを守る霊峰ソルランティ山脈を登頂し、登山ルートからやや南に尾根伝いを歩いた先にそれはありました。
案内してくれたのは、今でもその場所を管理する一族の末裔、シュミン・エイランさんです。
「ここです。この台が、「暁炎の狼煙台」です。」
「暁炎の狼煙台」。
人魔大戦が起こるよりも一二〇年以上前の統一前歴五七五年、聖前歴一七一年。アルデナ王国、テオラント王国、シルワリエン、グロームヴァルドの四ヶ国による防衛協定が結ばれました。通称、黎明の誓いです。この協定は、西方大陸に外敵の侵攻があった際、協定を締結した四ヶ国で相互に援軍の派遣を行うことを約束しています。その際に、各地方に設置されたのが暁炎の狼煙台です。
アルデナ王国にも暁炎の狼煙台は存在していました。ドラーグヴェイル山脈の中央峰トゥル=ヴァルノス山頂に築かれています。これこそが、セイラン将軍の灯した灰の火だったわけです。
魔導通信技術のない、聖前歴時代では様々な通信手段が使われていました。伝書鳥、早馬、鐘、角笛。その中でも狼煙は高速通信として重宝されてきました。火と煙という単純な情報のみを伝えるため、情報量は少ないですが事前に取り決めがされた援軍要請などの緊急連絡には最適でした。
セイラン将軍はオブスクリア軍の侵攻を確認し、即座に暁炎の狼煙台に火を上げるよう指示しました。それにより、ヴァルグレイ防衛戦時点からアルデナ王国をはじめとする西方大陸諸国に伝達することができたのです。白光の防衛戦開始時点からは僅か六日での結集ですが、灰の防衛戦からは二十日経っています。これは奇跡の物語ではありませんでした。
魔導通信技術の開発によって、狼煙台は不要となりました。また、この協定を締結しているアルデナ王国とテオラント王国は聖歴元年前後に滅亡しているため、防衛協定自体も今は無効となっています。そのため、各地に残された狼煙台はすでに朽ちているものが大半ですが、エイラン家では九〇〇年もこの狼煙台を守ってきたそうです。
さらに非常に貴重な資料も見せていただくことができました。
「これらになります。」
日記帳として使われた樹皮文書がエイラン家には残されていました。白光の防衛戦が起こる前夜、暁炎の狼煙台の守り人はいったい何を思ったのでしょうか。
――
一
常の日のごとく、我は峻(たか)き巓を登り、蒼石の灯台を撫づ。
灰の如く繰り返す日々なれど、この朝、風は乱れていた。
ゆゑに我は、いつになく慎(つつ)ましく炉を磨き、油を注ぎ、薪を整へたり。
百と幾つの季を過ぐるあひだ、火は沈黙せり。
されども、沈黙は永劫にあらずと、風は我に囁けり。
(私はいつものように山を登り、狼煙台を整えていた。
繰り返されるだけの日々――だが、その朝は違っていた。
風が落ち着かず、森全体がざわめいていたのだ。
だからこそ、私はいつも以上に丁寧に炉を清め、油を注ぎ、薪を整えた。
百年以上、この灯が使われていないことは知っていた。
だが、“今日ではない”という確証など、どこにもなかった。)
二
その日、東天の峰に光立ちぬ。
淡き煙、紅(くれない)の炎。
嗚呼、狼煙は上りぬ。
我が父より授かりし務め、久遠の契り、この時果つ。
我は油を撒き、積み薪に火を移す。
炎は赤々と天に昇り、その姿は黎明のごとく美しかりき。
我、ただその光に見入りぬ――。
時を超え、命を超えて。
(そしてその日、東の山の向こうに光を見た。
煙が昇り、炎が揺らめいていた。
――狼煙が上がったのだ。
その瞬間、私は悟った。
今日こそが、父から受け継いだ使命を果たす日だと。
油を撒き、薪に火を点ける。
炎が赤く天に昇る。
私はその光景をただ見つめていた。
それは美しい炎だった。)
三
やがて西の空に、王の灯が燃ゆるを見たり。
狼煙は受け継がれ、我が務め、確かに果たされぬ。
その瞬(とき)、雫こぼる。
我ひとり、この峰を護ると思ひしに、遠き山にも、また遠き峰にも、同じ火を継ぎし者の在るを知れり。
名も顔も知らずとも、その光の輪に、確かな縁を感じたり。
我らは孤ならず。
(やがて西の空に、王都の狼煙台が燃え立つのを見た。
私の火は確かに届いたのだ。
その瞬間、私は涙を流した。
私は長い間、この山を守るのは自分だけだと思っていた。
だが、あの山にも、そのまた向こうの山にも、
同じ使命を果たす者たちがいた。
誰かは知らない。
けれど、私たちは確かに繋がっていた。
光によって。)
四
ここより先は、我らが戦(いくさ)にあらず。
刃を執るは人の子ら、大地を蹴るは獣らの役なり。
されども、願ふ。
暁炎に照らされし者ら、その戦い、徒(いたずら)ならず、その命、空しく散らざらんことを。
(これから先は、私たちの戦いではない。
剣を取り、命を懸けるのは、王都の兵たちの務めだろう。
けれど私は祈る。
彼らの戦いに幸があらんことを。
炎の加護が、夜を越えて彼らに届かんことを。)
――
四.終わりに
人魔大戦の始まりたる灰の防衛戦と白光の防衛戦。そこには名前を残した英雄たちと、名も刻まれていない普通の人々の活躍がありました。
「暁炎の狼煙台によって多くの人命が救われたこと、その一族として生まれたこと。私にとってそのことはとても大きな誇りです。」(シュミン・エイラン)
「暁炎の狼煙台とエイラン家の手記は本当に貴重な歴史的発見でした。お互いの名も知らぬ一般人が繋いだ火が世界を守る鍵となったのですから。我々が知らないだけで、世界中の歴史にはもっと多くの隠された普通の人たちの足跡が残っているのかもしれません。」(ファリス・セリフィア)
「戦いの中でも多くの一般兵が活躍し、また命を落としていきました。統計の中ではただの数字ですが、その数字一つ一つに命があり、生活があり、友人がおり、家族がおりました。一人の命が失われるということはそういうことなのです。そしてその流血の上に我々という文明が育まれているということは忘れてはいけません。」(ゴモル・オルン)
歴史の教科書の隙間 高砂団子 @dangotakasago
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