輝く明日へ

 一年一組の担任、小野は、モニターを眺める他の教師たちと一緒に頭を抱えていた。


「……さて、どうしたものですかねぇ」


 重々しく口を開いた校長に、言葉を返せる者は、その中にいない。


(どうやって撮ったかは知らないけど、えらいもんを送ってくれたものだね。『晴れやかで明るい正義の味方』だと? ふざけやがって)


 人を小馬鹿にしたような名前の差出人から、『絶対見ろよ』というメモと一緒に、学校あてに送られてきたUSBメモリー。ウィルスが怖かったので、小野の自宅にあった引退済みのノートパソコンを持ってきて開いたところ、十数本の動画ファイルが入っていた。内容はすべて、一年一組に在籍する姫山という生徒による、悪行の一部始終をとらえた動画。ご丁寧なことに、それぞれに撮影日時とタイトルが付けられている。作成者の底意地の悪さがうかがい知れる。


 嫌がらせにいじめ、果ては暴行や万引きなどのガチ犯罪行為に至るまで。かろうじて擁護できる点といえば、主犯といえるものが少ないことぐらい。ほとんどは素行の良くない上級生らとつるみながらの行為で、一年の姫山はしょせん下っ端にすぎない。とはいえ、この短期間でよくもまあこれだけの悪事を働けるものだと、逆の意味で感心する。この間の忠告は、耳にも心にも届かなかったようだ。


 中には、『実際は軽く打っただけなのに、頭に包帯をぐるぐる巻いて、さも大けがをしたかのように見せかける親子の様子』というタイトルの動画まである。


(そこいらのチンピラかよ!)


 大方そんなところだろうとは思っていたが、実際に動かぬ証拠を目の当たりにすると、あまりのアホさ加減に泣けてくる。


 だが、どう見ても盗撮動画。自宅の中を撮っているものまであるのだ。証拠として表に出すわけにはいかない。問題になるなんて話じゃすまない。


「とりあえず、姫山さんに、こんな動画が送られてきたと伝えますか?」

「ブチ切れてわめきまくる姿が目に浮かびますね」


 冗談めかした生活指導主任の提案に、すぐさま小野がそう返すと、みんな揃って「ですよね~」と大きなため息をつく。


「……まあ、動画を見る限り、御影さんはお咎めなしでよさそうですね。何しろ、姫山さんはケガしてないんだから」


 校長の言葉に、その場にいた全員が頷いた。


 姫山の母親が、娘をケガさせた御影文乃への厳しい処罰を求めていたのだ。公立中学校でどんな処罰を与えろというのかと、小野もあきれていたのだが、とりあえず、その必要はなくなった。

 あとは、どうやって姫山の母親に伝えるかだ。波風が立つのは、できれば避けたい。


(ああ、胃と頭が痛い。早く家に帰って、ビビとベベに癒されたい)


 愛しき二匹の飼い猫が待つ、麗しの我が家に思いをはせて、小野は心の中で涙を流した。




 ※

 九月も終わりが近づいた。暑さもずいぶん落ち着いて、過ごしやすい日も増えてきた。朝の寝覚めも快適で、遥香の機嫌も良好だ。


 窓を開けたらそよそよと風が部屋に流れ込んできた。ほどよい冷たさが肌にしみこんで、とても気持ちがいい。


 トントンとリズムよく階段を降り、ダイニングに入った。


「おっはよ~!」


 お母さんと美月が、うるさいといわんばかりに顔をしかめた。お父さんはチラッとこちらを見て、すぐにスマホに目を落とした。貴明だけがパァッと笑顔を咲かせて、トタトタと近づいてくる。


「おはよ、はるねーたん!」

「おはようたっくん! やっぱりたっくんはいい子だね。他のやつらもたっくんを見習わないといけないね」


 貴明のほっぺたをムニムニしながら、あいさつを返さない他の三人をあてこする。


「……えらくご機嫌だね、おねえ。ちょっと前までは沈みこんでてうっとうしかったのに」


 美月がブスッとしながら言った。


「そりゃそうだよ! いろんなことがうまくいってるんだから。日ごろのわたしの行いがいいから、神さまがご褒美をくれたんだろうね!」

 美月が「うっざ」とつぶやいたけれど、そんな些細なことに食って掛かったりはしない。こういうのを、前に奏多が教えてくれた『ぼさつのような心境』というのだろう。


「なら、次のテストもうまくいくと思っていいのかしら」


 浮かれている遥香に、お母さんが冷や水をぶっかけてきた。「う」と言葉に詰まったけれど、すぐに気を取り直して言い返す。


「た、たぶん大丈夫だよ。夏休みあれだけ頑張ったんだし。今度こそ、バット買ってもらうからね!」

「期待せずに期待しておくわ」

「どっちだよ!」


 ツッコみながら椅子に座った。ジャムのふたを開けようとした時、お父さんの顔が目に入った。報告することがあったのを思い出す。


「そういえばお父さん。姫山の件、お父さんの言ったとおりになったよ。あいつらがあんなにあっさり引き下がるなんて、信じられない」

「だろ? お父さんの予想は当たるんだ。まあ、よかったじゃないか。平和が一番だ」


 スマホから顔を上げたお父さんは、遥香を見ながら笑った。


「……うん、まあ、そうなんだけどね」


 賛成しながらも、なぜかお父さんの様子が気になった。どことなくとぼけているような感じがする。いちごジャムをたっぷり乗せた食パンを頬張りながらお父さんを横目で見ていると、あの日の記憶がよみがえってくる。




 文乃とお互いに謝りあって、わだかまりを水に流した。昔みたいに仲良くしてほしいと文乃にお願いすると、文乃はニコッと笑った。


「こちらこそ、だよ! ハルちゃん、これからもよろしくね!」


 何年もの間ずっと引っかかっていた、胸の奥に刺さっていた小さな棘が取れたような、すっきりした解放感で、遥香の心は晴れやかだった。


 ぬいぐるみのことを聞いて、「じゃあ、今度新しいの作るよ! 次は……そうだな、キツネにしよう!」と言うと、文乃は大喜び。期待に満ちた文乃の眼に、遥香は大きなプレッシャーを感じている。例えるなら、大一番の勝負がかかった打席みたいな……。


 文乃と奏多と別れ、家に戻った遥香を待っていたのは、ユラユラと湯気のように怒りのオーラを立ち上らせたお母さんと、そんなお母さんにおびえている様子のお父さんだった。連絡もせず帰りが遅くなったことで、大変ご立腹の様子。弁明のため、妖退治の件は伏せつつも、ワタワタと身振り手振りを交えながら、その日の出来事を両親に説明したところ――。


「遥香、そんなに泣くな。その姫山って子たちは、悪いことばっかりしてるんだろう? ならたぶん大丈夫だ。そんなにひどいことにはならないさ」


 珍しくお父さんが、そんなことを言った。


「でも! あいつら陰でこそこそやってるから証拠がないし。それでいっつも相手の方が悪くなったりしてるし! もしアヤちゃんがひどい目にあったら――」

「証拠なんて、そのうち必ず出てくるさ。遥香は心配しないで、文乃ちゃんをケアしてあげなさい」


 いつも頼りない感じのお父さんが、なぜだかその日はとても頼もしく見えた。




 すごく頼りになりそうなことを言っていたから、てっきり何かしてくれるのだと期待していた。けれど、お父さんは別に何をするでもなかった。いつも通り、仕事に行って、家に帰って、テレビやスマホを見たり本を読んだりしているだけ。適当なことを言って遥香を元気づけただけかと、少しだけがっかりしていた。


 ところがつい先日、悲劇のヒロインのような振る舞いをしていた姫山の頭から、ぐるぐる巻かれていた包帯がなくなった。文乃も先生から「もう気にしなくていい」と言われたそうだ。実はたいしたケガではなかったらしい。姫山たちも、物に当たり散らしながらときどき「くそっ!」と大声で叫んだりするけれど、遥香や文乃にちょっかいをかけてくることもない。文乃も三組で無視されることもなくなり、遥香のまわりでは、ここ数日、本当に穏やかな時間が流れている。


(やっぱり、お父さんが何かしたのかな? でも、そんな様子はなかったし……。なんか最近、お父さんがよくわからなくなってきたよ)


 ふと気が付くと、いつの間にか持っていたはずの食パンが消えていた。食べた実感がわかないし、おなかも少し物足りなかったので、遥香はもう一枚、食パンをトースターにセットした。

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