4
大急ぎで家まで往復して、遥香は再び光池公園に戻ってきた。
奏多によれば、文乃、というよりあの蛇の妖は、まだ見晴らし台にいるそうだ。霊力探知という術を使えばわかるということだけど、遥香にはまだ使えない術だ。
黒いバットケースを背負って、遊歩道を一歩一歩上っていく。奏多が横に並んで歩いている。一人ではないことが、これほど心強いとは思わなかった。気を張って考えないようにしていたけれど、さっきはやっぱり心細かった。
リュックに追加でいろいろと詰め込んできた。バットには奏多からもらった霊符を貼り付けている。遥香が作ったものは出来が悪すぎて、使い物にならないらしい。護符も奏多製のものをもらった。あいつの強烈な攻撃でも、一、二発ぐらいなら耐えられるそうだ。
(ちゃんと作れるように努力しよう……)
本当に死ぬかと思った。もうあんな目に合うのはごめんだ。
頂上が間近に迫る。遥香は霊符を貼り付けたバットを取り出した。少年軟式用の、小学生の時にずっと使っていたバットで、去年全国大会でホームランを打ったときも、奏多を打ち込んだときにも使っていたものだ。手になじんだもののほうがいいという奏多の言葉を信じて、これを選んだ。
(もう使うことはないと、思ってたんだけどな)
バットに霊力を送り込むイメージ。貼り付けられた霊符が淡い光を放った。
頂上に辿りついた。
文乃が地面に突っ伏して、大きな声を出しながら泣いている。妖がいやらしい笑いを浮かべて、うずくまる文乃を見下ろしている。なるほど。文乃が動かなかったから、こいつもまだここにいたのか。
あたりはもうすっかり暗くなっている。夜空には赤みがかった満月が、明るく輝いていた。見晴らし台に設置された四本の照明がともり、夜でも広場はまあまあ明るい。あいつの攻撃は暗くても見えるし、これぐらい明るければ問題ない。
妖が、こちらに気づいた。大きな声で笑いだす。
「小娘、死にに戻ったか? ん、隣にいるのは、先ほど邪魔をしてくれた小僧か。二人そろって何用だ? 尻尾を巻いて逃げ出した負け犬風情が!」
文乃が、勢いよく顔を上げた。信じられないものを見るような表情で、髪を振り乱しながら遥香に呼びかける。
「ハルちゃん! もういいから! 逃げて、お願い!」
泣き叫ぶ文乃を見ると、遥香の心がざらついた。これ以上、文乃にあんな顔をさせていられない。
「大丈夫だよ、アヤちゃん。絶対助けるから!」
「ダメだよ! こんな化け物なんかの相手しないで、逃げて! もうこれ以上、ハルちゃんが傷つくのを見たくない!」
「化け物とは言ってくれるな、宿主様よ? まあいい。いくらお前が懇願しようと、あの小娘は聞く気はなさそうだぞ? 望み通り、殺してやろう」
言うなり妖が、さっきと同じように霊力を飛ばしてくる。落ち着いて見ると、あれだけ長い時間避けられた理由がわかる。大した球じゃない。
構えたバットを振りだした。パンという乾いた音とともに、蛇の霊力球はあさっての方向へ飛んで行った。
「ち、少し振り遅れた」
「……は?」
蛇が驚いたような顔をしている。何を驚くことがある。
「小娘……今、何をした?」
「打っただけですけど?」
しれっと答えてやる。妖は意味が分からないという様子。文乃も目を丸くしている。
「打つ? 何を言っている?」
「わからないなら、何度でも投げて来い! 全部打ち返してやる! そんなヘボヘボ球じゃ、わたしを空振りさせることなんてできないぞ!」
「わけのわからんことばかり……! これでもくらえ!」
蛇は三発続けて霊力球を放つ。そのうちの一発だけを打ち返し、他の二球は避ける。体勢を崩されて、またもやピッチャー返しができない。打ち返した球は真上に上がった。これじゃキャッチャーフライだ。
「クソ、なかなか難しいな。ここを、こう、かな?」
遥香は頭の中にある理想のイメージを再現するための動作を細かく確認する。その様子が、ヘビをさらにいらだたせるようだ。
「なんだ! なんだその武器は! その戦い方は! 打ち返す? 小娘、お前一体何を言って……うぐ!」
混乱しながら叫んでいた蛇がうめき声を上げた。遥香の後ろから、奏多が霊符を貼り付けたボールを投げつけたのだ。家にあったゴムボールとか軟球をありったけ持ってきて、それに奏多の霊符を貼り付けた。奏多のコントロールなら問題なく当たる。
「き、貴様ら……!」
奏多のボールはそれほど大きなダメージにはならないみたいだけど、蛇の妖はあからさまにイラついている。狙い通りだ。もともと奏多の役割はけん制だ。ボールを当てただけで倒せるとは思っていない。
「どうしたヘビ野郎! さっきまで偉そうなことを言ってたのに、なんだそのざまは!」
遥香がさらなる挑発をかける。蛇は憎しみをたっぷりこめた眼で遥香を睨みつけてくる。
「抜かせ小娘! ありえん、こんなことはありえんのだ! こんな、霊力操作の基本もわきまえぬような小娘に、この俺が、この千蔵が……クソーっ‼ 食らえ‼」
怒りに任せた様子で、蛇――千蔵という名前らしい――は大きく息を吸い込んだ。
(そうだ! これを待ってた!)
これまで、ほとんどいきなり霊力球を飛ばしてきていた千蔵が、明らかな予備動作をともなう攻撃を繰り出そうとしている。冷静さを失った、力任せの棒球が来る可能性が大きい。それに、予備動作があればタイミングも取りやすい。
遥香はいつもの構えを取り、攻撃が来るのを待つ。遥香をめがけて飛んでくるのだから、インコースのビーンボール気味の攻撃になるはずだ。そういう球をピッチャー返しするのは、めちゃくちゃ難しい。
(でも、やってやる! 腕をたたんで、体を素早く回転させて――)
インコース打ちの基本を頭の中でおさらいし、攻撃を待ち構える。数秒後、千蔵の口から大きな霊力球が放たれる。スピードはこれまでよりも少し遅いけれど、大きく力強い一撃だ。でも、工夫も何もなく、まっすぐ遥香めがけて飛んでくるだけ。遥香は右足を少し外側に踏み出して、腕をたたんでバットを体に巻き付けるように振り出した。ばっちりのタイミングでミートさせると、霊符の効果で霊力球がさらに大きくなる。
「いっけー‼」
遥香は叫びながら思いっきりバットを振り切った。去年打ったホームランのときと同じ手ごたえ。打ち返された霊力球が、千蔵めがけてものすごい速さで飛んでいく。信じられないものを見るかのように目を見開いた千蔵は、自分が放ったはずの攻撃――倍ほどの大きさになって跳ね返したそれ――を、避けることもできずに真正面から受けるしかなかった。
声にならない叫びが響かせながら、千蔵はその場であおむけに倒れ込んだ。
ピクリともしなくなった千蔵に、遥香と奏多は、警戒を解かずに近づく。千蔵は虫の息だ。勝ったとみて間違いない。「よしっ」と小さくガッツポーズした遥香を、千蔵が弱弱しくにらんでいる。
「お、お前らのような、こわっぱどもに……、こ、この俺が……。小娘、お前は一体……」
「だから言っただろ。アヤちゃんから離れろって。そうしたら戦わなくても済んだのに」
「な、なんだ……戦いたく、なかったのか……?」
「戦いたい奴なんていないだろ! 命がけの戦いなんかしたって、誰が得するんだよ。戦うならスポーツだけで十分だよ」
「ふ、ふふふ、……おかしな、やつだな」
千蔵は小さく笑うと、目を閉じた。何かを考えこむかのように黙った後、うすく開いた目を遥香に向ける。
「小娘、名を聞かせて、くれるか……?」
「な、名前? う~ん……」
フルネームを名乗るのはやっぱり抵抗がある。それに、これは勝ち名乗りみたいなものだ。どうせならカッコよく名乗りたい。
(またハルカスとか言われたくないしな……。そうだ! わたしは信太の森の守り人だってことだよね? だったら――)
遥香は腰に手を当てて、胸を反らして堂々と宣言する。
「遥香! 信太の森の遥香だよ! 覚えとけ!」
「ふふ、覚えて、おこう……」
千蔵は再び、ゆっくりと目を閉じる。
奏多が千蔵の周りに、召喚陣という紋様を書き記していく。顕界と幻界の特定の場所同士をつなぐための紋様だそうだ。
「えっと、蛇の妖、千蔵さん、でしたっけ? 僕は彼方衆の楠瀬奏多。今からあなたを不動明王様のもとに送ります。そこで裁きを受けてください。よろしいですか?」
「……ああ」
奏多は陣に霊力を送り込む。陣が光を放ち、中心にいた千蔵の体が、スウッと消える。数秒の後、光は収まり、それとともに陣も消えた。
はーっと大きく息をついた奏多が、遥香に微笑みを向けた。
「これで任務完了。お疲れさま、遥香。まさかここまでうまくいくとは思ってなかった」
「ふふ、わたしが考えた作戦だよ! うまくいくのは当然だよ!」
これでもかと、遥香は胸を張る。
「調子に乗らないでくださいね、信太の森の遥香さん」
スンと笑みを消して冷たい声でツッコむ奏多に、思いっきりベロを突き出しながら、遥香は文乃に近づく。文乃は地べたに座り込んで、泣きはらした顔で遥香を見上げている。
「アヤちゃん、もう大丈夫だよ。怖かったでしょ」
「それより、ハルちゃんは? おなか、大丈夫?」
「うん。もう平気だよ。……アヤちゃん、いろいろ迷惑かけて、本当にごめんなさい」
遥香は地面に正座して、文乃に深々と頭を下げた。
「や、やめてよハルちゃん! 頭を上げて!」
文乃があわてた様子で遥香の背中に手を当てた。
頭を上げた遥香は、しっかりと文乃と目を合わせる。ちゃんと、言わなければいけないことを言おう。
「わたし、アヤちゃんに謝らなきゃいけないことがいっぱいあるんだ」
文乃は涙を流しながら首を振った。
「違うよ、ハルちゃん。謝らなきゃいけないのは私の方だよ。でも、最初に言わせて。何があったのか今も全然わからないんだけど、あの蛇の妖怪みたいな人、私を狙ってたんだよね?」
「……うん」
「そっか。なら、ハルちゃん。助けてくれて、ありがとう!」
文乃は遥香に抱きついた。わんわん泣きながら、ありがとうを繰り返している。
遥香を強く抱きしめる文乃のぬくもりに、遥香も胸がいっぱいになる。自然と涙があふれ出してくる。
文乃の背中に手を回し、遥香も大きな声で、泣いた。
ありがとう。ごめんなさい。おかえり。ただいま。そんな、言葉にならない言葉をかけ合いながら――。
街灯と満月の光が、泣きながら抱き合う二人を照らし出す。二人の泣き声は、それからしばらくやまなかった。
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