3
奏多が学校から帰ると、彼方衆の大人たちが勢ぞろいしていた。誰もかれも、
父親を見つけた奏多は、何事かとたずねる。
「緊急事態だ。やばいのが来る。お前も早く着替えろ」
「誰が来るんですか?」
「お前の友だちだ!」
すぐに心当たりが思い浮かんだ。友だちではないと、声に出せる雰囲気ではなかった。
「もっと上等の茶はないのか?」
奏多の家の一室で、美女が湯呑みに一口つけて、不機嫌そうに眉をひそめた。なぜか紺色のスーツを身につけている大人姿の西華は、とても新鮮に映る。今日は耳も隠れていて、一見すると、ドラマなんかに出てきそうな、やり手の女性実業家のようだ。
「も、申し訳ない。いまはそれしか……」
父が頭を下げる。ほとんど土下座だ。こんな情けない父の姿を見たくなかった。
「では、ぷりんはないか。最近あれがお気に入りなのだ」
「ぷ、プリン、ですか? おい奏多、あるか?」
「ないですよ」
「では買ってこい。今すぐ」と西華。
ひくりと顔を引きつらせた父が、しばらくの逡巡の後、がっくりと肩を落として立ち上がった。そのままどこかへ向かう姿を見て、西華はわははと笑う。
「西華様。おたわむれが過ぎますよ?」
「ふん。昔彼方の山伏どもがやったことに比べれば、この程度どうということもない」
一体、ご先祖様たちはこの古狐に何をしたというのか。
「それで、西華様。突然どうなされたのです?」
奏多はさっそく本題に切り込む。
西華の表情が、陰る。どことなく寂しそうな顔。こんな顔をするということは、おそらく――。
「遥香に何かあったんですか?」
西華から事情を聞いた奏多は頭を抱えた。
「あのバカ」
「無論、みすみす遥香を死なせる気などない。いよいよとなればワシが間に入る。だが、そうなれば――」
西華が言葉を区切る。守り人でない西華が遥香に手を貸せば、西華は顕界にいられなくなる可能性が大きい。
「あの子やお主とともに過ごす日々が、ワシには楽しくて仕方ない。まだまだ顕界にとどまって、お主らと共に過ごしたいのだ。……そんなワシの勝手な願いに、関係もないお主を巻き込むのは本意ではない。危険な目にあうことがわかっていながら、まだ子どものお主にこんなことを頼むのは、年長の者として恥ずべきことだということも、重々承知しておる。だが、長い間、人との接触を断っていたワシには、他に頼るべき者がいないのだ」
居住まいをただした西華が、指をつき、頭を下げた。
伝説の大妖の思わぬ姿に、奏多は度肝を抜かれる。
「せ、西華様! おやめください!」
「頼む、奏多よ。遥香を、遥香を――」
小さく体を震わせながら、声をしぼり出す西華。奏多は胸をえぐられるかのような思いにかられた。
黒い翼をはためかせて空を飛ぶ奏多は、公園から少し離れた空き地に着地した。抱きかかえていた遥香を優しく降ろし、式を解除する。
式、あるいは式神とは、術者と契約して使い魔になった妖のことで、人形(ひとがた)という、和紙を人の形に切り取ったものを使って召喚する。奏多は『コカ』と名付けたカラスの妖と契約していて、翼を借りて空を飛ぶことができるのだ。
他にも『ポン』という小狸の妖とも契約していて、そちらは好きな姿へと変化(へんげ)することができる。二か月ほど前、あまりに修業態度がいい加減だった遥香に業を煮やした西華と相談し、一芝居打ったことがある。その時にポンが活躍したのだけれど、遥香に知られると厄介なので、ポンのことは遥香には内緒にしている。
「ひとまずはここまで来れば安全かな。遥香、大丈夫? 強烈なのを食らっただろ?」
「うん……いまはだいぶんましになった」
お腹をさする遥香の声に元気がない。本当に死にそうな目にあったのだ。無理もない。
「あの妖、あれの相手をするのは、今の僕らじゃ荷が重い。うちの父さんたちが準備を整えてるから、少しだけ時間をくれ。大丈夫、絶対あの子は助かるから」
できるだけ明るい声で元気づけようとしたけれど、遥香はうつむいたまま。
ふうと一息ついて、奏多も黙って空を見上げる。
しばらくして、遥香がおずおずと口を開いた。
「……奏多はなんで来てくれたの?」
「西華様に頼まれたんだよ。遥香を助けてやってくれってね」
「そう、なんだ……」
今の遥香には少し酷なようにも思うけれど、やはり注意はしておくべきか。
「あんまり西華様に心配かけるなよ。西華様が遥香を大事に思っていることぐらい、遥香だってわかってるだろ? それに、遥香のお父さんやお母さんだって、遥香が死……傷ついたりしたら悲しむぞ。考えなしに猪突猛進するのは、やっぱりやめた方がいい」
「……何で西華は、わたしなんかにやさしくしてくれるんだろ。わたしのせいでいろいろ迷惑してるはずなのに」
「多分、だけど。自分の子どものことを、思い出してるんじゃないかな?」
なぜ西華が子どもに甘いのか、伝説に照らし合わせて考えたことがある。単なる推測にすぎないけれど、真実からそう離れていないと思っている。
「自分の子ども? 西華って子どもいたの?」
「え? まさか、知らない? 嘘だよね。遥香の地元の昔話だよ?」
「昔話って? なんだよ、そんな目で見るなって前にも言っただろ」
遥香が怒って言い返してくる。少しだけ、元気が戻ったようだ。
ただ、怒られるのは納得がいかない。奏多の表情がお気に召さない様子だが、怒りたいのはこちらの方だ。なぜ知らないのかと問い詰めたい気持ちを抑え込みながら、奏多は遥香の地元の昔話を聞かせてあげた。
『葛の葉の子別れ』という、有名なお話だ。
昔、ある男が信太の森で、狩り人に追われ傷ついた狐を助けた。男は狐を助けたことに怒った狩り人たちに責められ、深い傷を負ってしまう。
その傷に苦しんでいた男のもとに、葛の葉と名乗る一人の若い女がやって来た。葛の葉が男をかいがいしく世話するうちに、二人はひかれあい、やがて結ばれる。
二人の間にはかわいい男の子が生まれ、親子三人で仲良く暮らしていたある日のこと。生活に慣れすぎて油断していた葛の葉は、ちょっとしたことからうっかり男の子の前で正体をさらしてしまう。そう、葛の葉は昔、男に助けられた狐だったのだ。
人ではないことを知られてしまった葛の葉は、共に暮らすのもこれまでとして、男と、男の子の前から姿を消した。姿を消すとき、葛の葉は一つの歌を残していった。
『恋しくば尋ね来てみよ和泉なる 信太の森のうらみ葛の葉』
その後、男と男の子は信太の森を訪れて、葛の葉を探し、歩き回った。しかし、二人が再び葛の葉に会うことは、ついになかったのだった。
「あ~! その話、知ってる! 昔お母さんが教えてくれたよ。そうか、あれって西華の話だったのか。だからあの神社にいたのか。なるほどなるほど」
嬉しそうに声を上げた遥香は、腕を組んでしきりにうなずいている。さすがに知ってはいたかと、奏多もほっとする。
「お話によっては色々と細かい違いはあるけどね。最後に一度だけ会って、男の子に白い玉と金の箱を授けたとか。ちなみにその男の子が、あの有名な安倍晴明(あべのせいめい)公だっていわれてるんだ」
安倍晴明とは、平安時代の陰陽師の名前だ。歴史上もっとも有名な陰陽師だろう。
「安倍晴明って聞いたことある! ゲームとかに出てくるめっちゃ強い人でしょ⁉ 西華って、そんな強い人のお母さんなの⁉」
「ゲームって……」
奏多はあきれてしまいそうになるけれど、さっきまで沈んでいた遥香が、明るく話す様子を見ていると、まあいいか、という気になった。
ちょうどいい機会のように思えて、奏多は初めて会った時から気になっていたことを、遥香にたずねてみることにした。
「遥香ってもしかして、去年の泉州ストームズの三番バッター、だったりする?」
遥香はぽかんと口を大きく開けた。
「なんで知ってるの?」
「やっぱりそうか。……そうか、僕は遥香に負けたのか」
うすうす感づいていたとはいえ、はっきりとそうだとわかるとやはりショックだった。
左打席に立つ遥香は凛としていて、キラキラと輝いていた。異性に惹かれるという感情が、まだよく理解できない奏多ですらうっとり見惚れるほどに、みずみずしい美しさと、生き生きとした躍動感に満ちあふれている女の子だった。十六メートルの距離を隔てて自分を見据える遥香の視線に、試合中だというのにドキドキしたのを今でも覚えている。大きな声では言えないが、一目ぼれのような、強い憧れすら抱いていた。
その正体がこんなんだったとは――。
がっくりとうなだれる奏多を不審そうに眺めていた遥香が、「ん? あ、あ~!」と声を上げる。
「ファルコンズのピッチャーか!」
「ご名答」
「そうだ、こんな顔だった! わたしもどっかで見たことあるって思ってたんだよ! そっか、あのピッチャー奏多だったのか」
なるほどなるほどと納得する遥香を見ていると、なぜだかおかしさがこみ上げてきて、奏多はフフフと笑いを漏らす。
「なに笑ってるんだよ。またわたしを馬鹿にしてるんだろ、まったく……。奏多、今は何やってるの? 軟式? 硬式?」
「もうやってないよ。小学校でやめた」
中学生になると同時に彼方衆としてのお役目につくことが決まっていた奏多は、好きだった野球をあきらめた。女の子にやられる自分では先がないと思ったからだ。
「え、もったいない! あんなにすごい球投げてたのに」
「あれだけ打ち込んでおいてよく言う」
「ほんとだって! 野球のことなら、わたし絶対ウソつかないよ! 奏多は間違いなく、わたしが対戦した中で一番のピッチャーだったよ」
まっすぐに奏多を射抜く遥香の目は澄み渡っていて、宝石みたいに輝いていた。打席で奏多を鋭く見据える遥香を思い出すようなきれいな瞳に、ドキリとした奏多は目をそらしながら、「それは、どうも」と照れくささを隠して答える。
真剣な顔で奏多を見つめる遥香が、突然「あ」と声を出した。
「……ねえ、奏多。あいつの攻撃、見てた?」
「あいつって、あの蛇の妖? 口から霊力を飛ばしてたよな……。あんな攻撃、見たことがない。遠距離攻撃をする奴なら今までもいくらか見たことあるんだけど、あれだけ急に出てくるのは――」
「あれって、何キロぐらいだと思う?」
思いつくままに感想を口にしていた奏多を、遥香が遮った。
「何キロ? え、ごめん。意味が分からない」
「だから、あの飛んでくるやつの球速だって。いいとこ百十キロぐらいかな?」
「球速って……。あれは霊力の攻撃だから――」
「あれなら奏多の方が速い」
自信満々に断言する遥香。奏多は困惑を隠せない。いったい、遥香は何を言っているのだろう?
「ねえ、あれって、打てるかな?」
「打つって、何を?」
「だからあいつの飛ばしてくる霊力だって! 飛んできたやつをバットで――」
「バット⁉」
奏多の混乱に拍車がかかる。野球の話をしているのか、妖の話をしているのか。
遥香の顔は真剣そのもの。とても冗談や悪ふざけで言っているようには思えない。
思わず考え込んでしまう奏多をよそに、遥香がさらに続ける。
「たとえばさ、バットに霊符を貼り付けて、霊的なものを打ち返したりするような力を持たせたりできないかな?」
少しずつ、遥香の言わんとしていることがわかってきた。
「できない、ことは、ない、ような気もする、けど」
ただ、あまりに突拍子がなさ過ぎて、答える言葉が途切れ途切れになってしまう。
実際、モノに霊的な力を付与することはある。彼方衆が使う錫杖の柄の部分だって、霊験のある木材を切り出して作っているのだ。
しかし、だからといって――。
(いけるのか? いや、でも……)
考えがまとまらない。そんな奏多をよそに、遥香がさらに続ける。
「あいつの攻撃が木属性だったから、えっと、『
遥香は、いつもの明るい調子で、自信満々に言い放つ。その様子を見ていると、遥香の策がとてもいいアイディアであるような気がしてくる。
西華の言葉が脳裏をよぎる。
『もし、遥香が何かを思いついたら、その良し悪しを、奏多、お前が判断してほしい。通用しそうだと思ったら、試させてやってくれ。むろん無理だと思えば引きずってでも連れ帰って構わん。必ずワシが責任を取る』
西華はこうなることを予想していたのか? わからない。
奏多は慎重な性格だけど、本当はもっといろんなことに挑戦したいと思っている。冒険心をもって進むというのが、奏多のモットーだったりする。現実にはリスクを考えて安全な道ばかり選んでしまうけれど、いつかはそんな自分から脱却したいと望んでいる。
(今がその時かもしれない。あの文乃って子を救うためにも、早くあの妖を倒したほうがいいのは間違いない。西華様のフォローがあるなら……乗ってみるか? 遥香に)
奏多がいれば、遥香が一方的にやられることはないだろう。自分たちだけでは倒すまでの力はないとみている奏多だったが、力不足は遥香の策で覆せるかもしれない。
冒険心に火がついてしまった。理性はやめろと言っているのに、試してみたくて仕方がない。奏多は心が熱く燃え盛っていくのをひしひしと感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます