出会いと再会

「落ち着いたか?」


 西華せいかと名乗った狐の妖が、笑いを含んだ声で問いかけてくる。

 社務所の横にある木製の長椅子に腰をおろしてジュースを飲みながら、遥香は「うん」とうなずいた。


 死ぬぞと言われて、うろたえにうろたえた。なんで、死にたくないと、西華にすがりついたところ、ジュースを買ってやるから少し落ち着けとなだめられた。妖怪が自販機を普通に扱っている姿が、なぜだかとてもおもしろかった。


「さて、説明だったな。そもそもこの間の夜、お前が何やら妙な儀式をしておったことが発端だ。あれはいったい、何をしておったのだ?」

「お参り。お百度参りってやつ。知ってる?」


 遥香はすっかり西華と打ち解けていた。とっくの昔に恐怖はどこかへ飛んで行ってしまっている。呼び捨てため口でいいと言われたので、なれなれしいかなと思いながらも、そうさせてもらっている。


「お百度? ただうろちょろと行ったり来たりしておっただけではないか」

「それがお百度参りでしょ?」

「全然違うわ」


 西華によると、お百度参りにもきちんとした作法が決まっていて、数だけこなせばいいというわけではないらしい。


「……そうか。だからお参りの効果が出なかったのか」


 方法を間違えていたのだとしたら、ヤマが当たらなかったのも無理はない。次はちゃんと作法をまもろうと決心する。


「お参りの効果? なんの話だ?」


 西華が不思議そうな顔をしている。遥香はかいつまんで事情を説明した。


「だから、テストの点数が悪くて、バットも買ってもらえなかったんだよ。わかった?」


 我ながらうまく説明できたと、鼻を高くしながら西華を見た。西華はうつむきながら鼻と口を手で覆って、肩をプルプルと震わせている。目尻にはひとつぶの涙がキラリ。泣いているようにも見える。


「いや~、照れちゃうな。そんなに感動した?」


 胸を張りながら頭をかいた。そんな遥香に、悲しみ、というよりあわれみに満ちた西華の涙目が向けられた。


「いや……ここまで阿呆な童がいるとは思わなんだ。涙など、とうに枯れ果てたと思うておったが……。涙腺というのは、千年ぶりでも正常に働くのだな」

「どういう意味だよ! やめろよ、そんな目で見るな!」


 馬鹿にされていることがわかって、めちゃくちゃ腹立つ。

 プンプンしている遥香のことなんかどこ吹く風で、西華は指で涙をぬぐうと、再びケロリと表情をゆるめた。


「まあよい。いずれにせよ、封印がぼろぼろになった理由がお前であることに変わりはない」


 ふういんってなんだ?


「ねえ。さっきからわからない言葉ばっかりで、ついていけないよ。もっと最初から、分かりやすく説明してほしいんだけど」

「……それもそうだな。では、根本的なことから説明するとしよう」




 遥香たちが暮らしている世界は、表裏張り付くように二つの性質を持っている。遥香たち人間が暮らす性質の世界――顕界と、西華のような妖、あるいは神様や仏様たちのような、人間が信仰したり畏れたりしている、伝説や神話などに登場する超常の存在たちが暮らす性質の世界――幻界。


 昔は、この二つの性質はもっともっと混在していて、どちらがどちらという区別はなかったそうだ。だから昔話には神様とか仏様、妖怪や幽霊なんかが頻繁に出てくる。これら超常の者は、実在していたのだ。


 超常の者のうち、一部の者は、霊力という特別な力をふるい、人間を日常的に襲っていた。超常の者は人間に比べるとはるかに強大で、その脅威から身を守ろうと、人間たちは神様や仏様を信仰し、祈りをささげてその力を頼る。また、修験者や陰陽師といった、人間でありながら霊力を使いこなす者たちもいた。彼らは人々のために、超常の者と、時に戦い、時に交渉しながら、世の調和を保とうと日夜努力していた。


 しかし、彼らの手の長さにも限りがある。被害は方々で増えるばかり。そんな状況の中、いつの頃からか、そもそも世界を隔ててしまえばよいのではないかという考え方が生まれる。要するに、超常の者が存在しにくいように、世界の性質を変えてしまえばよいということだ。


 神様や仏様たち、さらに力の強い妖たちもその考えに納得し、人間側とも協力した結果、編み出されたのが『封印』という技術だった。




「へ~。昔って、ほんとにおばけいたんだ。よかった。わたし今の時代に生まれて」

「……これからの話を聞いても、その態度のままでいられればよいがな」




 封印は、世界の性質を顕界と幻界の二つに分ける境界――大結界を構築する際のつなぎ目のような役割を持つ。ちょうど、門を想像するとわかりやすい。あくまで概念で、本当に門のような物体があるわけではないのだが――。


 封印は日本全国いたる所に数多く存在するが、特に重要なものがいくつかある。ここ『信太の森』にある封印も重要なものの一つで、これが緩むと一気に顕界と幻界の均衡が崩れてしまう可能性もある。


 均衡が崩れると、幻界の悪党たちが顕界にやってきて、悪さをはたらくかもしれない。だから、封印の管理をするもの――『鍵の守り人』と呼ばれる――の役割も極めて重要で、力の強いものでないと務まらないのだ。


 ところが――。




「お前のお百度もどきのせいで、ワシが管理しておった鍵が失われた」

「え、ヤバいじゃん! 西華何やってんの?」

「話を聞いておったのか? お前のせいだと言っておるだろう。だからあの時幾度となく、やめろ、早く帰れと言ったのだがな」


 遥香は首をかしげる。聞こえたのは「失せろこわっぱ」の一言だけだったはずだ。


 西華はあきれたように小さく息を吐いた。


「守り人はいろんな連中から狙われる。守り人を殺せば封印が消えるからな。幻界の悪党にとって、人間は絶好の餌だ。喰らうだけで己の力が強まるのだからな。危険を冒しても顕界に侵入しようとうずうずしておる連中は、思いのほか多い」


「へえ、そうなんだ」

「何をとぼけたことを抜かしておる。今の守り人は、遥香、お前だぞ?」

「……へ?」


 耳を疑う言葉が、遥香の頭を駆け抜けていった。




 あの夜、遥香が何度も何度も鳥居をくぐったことにより、封印の状態がひっかき回された。顕界と幻界の存在が、聖の森神社の周辺だけ、ぐちゃぐちゃに混ざり合ってしまったのだ。その際、幻界の寝床でうたた寝していた西華も、強制的に顕界へと引きずり出されてしまった。


 何事かと飛び起きてみれば、やたらに霊力の高い小娘が妙な儀式をしているではないか。鳥居をくぐる度、小娘の霊力はどんどん高まっていき、さらに封印が不安定になる。やめろ、今すぐ帰れと何度言っても、聞こえていないのか一向にやめる気配がない。


 しびれを切らしてちょっとした攻撃をしてみたのだが、少し体勢を崩しただけで平然としている。最後の手段として、西華は特殊な領域を展開し小娘を引きずり込む。


 領域展開とは、言ってみれば周囲を幻界化する術で、その内部にいる者には霊的な働きが届くようになる。ただ、顕界の者にとっては不相応な霊的負荷がかかるため安全とはいえず、いたずらに展開するのは慎むべきものでもある。


 とはいえ、そんなことを言っていられる状況ではなかった。領域に引きずり込んだうえで放った「失せろこわっぱ」の言葉により、小娘はようやく儀式をやめ、飛んで逃げ帰ったのだが、時すでに遅し。いつの間にか封印の鍵は小娘に奪われており、封印の修復も、幻界へ戻ることも、西華にはできなくなってしまったのだった。


 そんなわけで、現在この聖の森神社周辺は、顕界と幻界の境界が非常に不安定な状態になっている。

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