「……というわけだ。遥香、お前はもうすぐ死ぬな。霊力は異様に高いが、それを活かすすべを知らん者など、妖にとっては赤子のようなものだ。あっという間に喰らいつくされるだろう」

「いやだよ! わたし守り人なんかやりたくない! もう一度西華が守り人やってよ!」

「無理だな。本来妖の守り人から鍵を奪うことなど、できるはずがないのだ。どういう理屈でそうなったのか、ワシにも皆目見当がつかん。そもそも、お前鍵といって、なにか形のあるものを想像しておるのではないか? あくまで概念、本物の鍵のような物体があるわけではないのだ。簡単に貸し借りできるものではない」

「そんな! わたし死にたくないよ! 西華ってすごいあやかしなんでしょ? 助けてよ~」


 両目から涙があふれだす。泣き声を抑えきれない。

 さっきまで面白がっている顔をしていた西華が、少し困り顔になった。


「そう言われてもな。大体、被害者面をしておるが、ワシに迷惑をかけたとわかっておるのか? お前が妙な真似をしたせいで、幻界に戻れなくなってしまったのだぞ? おかげでこうやって霊体のまま、ふわふわ顕界に漂わねばならなくなっておるのだ。落ち着かんことこの上ない」

「う……それは、ごめんなさい」


 泣きながら遥香は立ち上がって、深々と頭を下げた。

 頭を上げると、西華が驚いたように目を丸くしている。なかなか表情が豊かな狐だ。


「えらく素直だな。ここまでの話もすんなり信じるし、どうにも拍子抜けだ」

「え? 今までの話って、ウソなの?」


 一瞬、光が差し込んだような気がした。


「いや、ほとんど真実ではあるのだが……」


 西華の言葉に、遥香はがっくりと肩を落とした。上げてから落とされると、ショックが倍増するような気分になる。

 西華はそんな遥香をおかしそうに眺めつつ、「まあよい」とつぶやいたと思ったら、


「そういうわけだ! 封印が緩んだ理由、しかと理解できたか? こわっぱ!」


 いきなりの大声にびっくりして涙が引っ込んだ。あらためて西華を見つめる。


「せ、西華。そんな大声出さなくても聞こえるよ」

「お前に言ったのではない。まあ黙って見ておれ」


 西華は小さな声で遥香にそう言うと、再び叫ぶ。


「いつまで隠れて見ておるつもりだ? ご神木に登るなど、罰当たりな真似はするものではないぞ? 出てこぬのなら、少々手荒に行くしかないが――」

「わかりました! すぐに降りますから、少しだけ待ってください」


 頭の上から声が聞こえてきた。男の子の声だ。

 遥香は上に目を向ける。カラスのような黒い翼をバサリとはばたかせながら、ゆっくりと木の上から誰かが下りてくる。


「な、なんじゃあれ。あれも妖怪?」


 降りて来るのは男の子だった。背中に羽がついた人間なんているわけがないのだから、妖怪に違いないと思ったのだけれど、


「いや、あれは人の子だ」


 西華があっさりと否定する。


「ウソ。あんな背中に羽が引っついてる人間なんか見たことないよ」

「あの翼は式のものだ」


 また知らない言葉が出てきた。しきってなんだよと聞きたかったけれど、その前に男の子が地上に降り立った。


 同時に、背中の羽がシュッと消える。手品みたいだ。


 ちょうど遥香と同い年ぐらいの男の子だ。背の高さは普通だけど、バランスがいい体格の男の子で、黒目黒髪。レンズが小さめの眼鏡をかけている。黒いスポーツシャツとハーフパンツという特徴のない恰好なのに、おしゃれに見えるのはなぜだろう。

 やや面長の顔はキリッとしていて、パッチリと大きな目には力強さがあって、頭がよさそうな印象がある。

 ピシッと音がしそうなほどまっすぐに伸びた背筋のせいか、張り詰めた感じがして少し息苦しい。緊張感たっぷりの油断のない視線を西華に向けている。


(こういう顔がイケメンっていうのかな? すごい賢そう。勉強できるんだろうな、うらやましい。でも、なんかどっかで見たことあるような……)


 そんなことを考えている遥香をよそに、西華が大きな声で笑いだした。


「今日は一体どうなっておる? 驚くことばかりではないか! こんなに賑やかなのは、本当に久しぶりだ。さて小僧。彼方の者がこの地に無断で足を踏み入れることの意味が分かっておるのか?」

「申し訳ありません葛の葉様。ですが封印の状態把握も、僕たちのお役目ですので、なにとぞお目こぼしを……」

「ほう。ワシを知るか。だが、今は西華と名乗っておる。そう呼べ。それに大方、彼方の山伏どもが悪知恵を働かせて、無理やりお主のような童を差し向けたのだろう? 相変わらずこざかしい連中だ。胸糞悪い」

「……申し訳、ありません。西華様」

「様はいらん。西華と呼べ」


 ふんとそっぽを向いた西華の顔がわずかに赤い。会話の内容は理解できなかったけれど、金髪狐が素直に謝った男の子に好印象を持ったこと、そして照れていることは、遥香にもわかった。




 男の子の名前は楠瀬奏多というそうだ。不動明王様という、ものすごくえらい仏様の部下みたいな立場の人らしい。


「はぇ~すごいんだねぇ。わたしとおんなじ中一なのに、大変なんだね」


 遥香は奏多に尊敬の眼差しをおくる。奏多がとても鋭い視線をはね返してきた。


「それはどうも、と言いたいところですけど、そんな場合ではないでしょう? 今は君の方がもっと大変な立場なんですよ? わかってますか?」

「……あ! そうだった!」


 すっかり忘れていた。守り人とやらになってしまったという話だった。

 あせって西華を見ると、にんまり笑顔のまま、あさってのほうを向いて知らん顔。奏多に目を向けると、腕を組んでなにかを考えこんでいる。


「そ、そうだ。楠瀬くんに鍵をあげるよ。楠瀬くんが守り人やって! ね! お願い!」


 手を合わせて片目をつむり、遥香は奏多に頭を下げる。だけど、奏多はそっけない。


「さっきの西華様のお話、聞いてましたか? 無理ですよそんなこと」

「じゃあどうすればいいの! わたし死にたくないよ!」

「とりあえず、封印を修復して安定させないと。このままではいつ悪妖が侵入してくるか」


 悪妖というのが悪い妖のことだということは、なんとなくわかった。


「じゃあ、それやって!」

「……君って、本当にアホなんですね」

「どういう意味だよ! いきなり失礼だろ!」


 西華といい奏多といい、初対面のくせに自分の扱いが悪すぎる。

 いきり立つ遥香にあきれた様子で、奏多はこめかみを人差し指でグリグリしている。


「いいですか? 封印の管理は鍵の守り人の専権事項です。他の人が手を出すことなんてできないんです。修復は、君自身の手で行うしかありません。ですが――」

「こやつ、霊力が高いだけの赤子だぞ? 五行の何たるかすら知らん」

「ですよね……」

「ごぎょう?」


 もういい加減、知らない言葉を出さないでほしい。そろそろ頭がパンクしそうだ。




 ※

「よいか? 五行というのは、元々は万物の分類法だ。ありとあらゆるものはもくこんすいの五つの元素に属するという考え方で、これがそのうち陰陽思想と組み合わさって――」


 ぽけっと口を半開きにしながら、五行の説明を聞いている遥香を見て、奏多は内心頭を抱えていた。


(よりにもよって、こんな子が。ああ、父さんたちにどう説明すれば……)


 奏多は霊力を目に集中させる。『霊視』という、相手の霊力の強さや質を見るための初歩的な術だ。


 ほとばしるような霊力の波動。今まで見たこともない強大なエネルギーが、遥香の体から駄々漏れになっている。今まで何度か父の妖退治に同行したことがあるが、これほどの霊力を持つ者など、お目にかかったことがない。単純な霊力の強さなら、昔話に出てくるような、伝説の大妖にも匹敵するかもしれない。とても危なっかしくて恐ろしい。


(修行も訓練もしたことがなさそうな、こんな普通の子に、どうしてこれほど強大な霊力が……。この子が暴走したら手に負えないぞ)


 隣にいる大妖――西華の霊力も異常な強さだが、こちらはきちんと制御されていて、全く危険性を感じない。変な言い方だが、安心感のある異常性とでもいおうか。


 二人とも、霊力の色は黒。土の属性だ。なぜだか、霊力の質もよく似ている。


 優しく丁寧に遥香に説明している姿を見ると、西華が子どもに甘いというのは本当なのだろうと思う。木の上で様子をうかがっていた奏多に対しても、強烈な威圧感を向けてはきたが、不思議と殺気は感じなかった。かなり遠くから気配を消して近づいたので、気づかれているとは思わなかったけれど。やはり古の妖狐は侮れない。


(それにしても、この安倍遥香って子、あの子に似てるな)


 ユニフォーム姿ということもあるのだろうけれど、遥香の顔立ちとか雰囲気が、昨年学童野球の府大会決勝で、ピッチャーだった奏多を散々に打ち込んでくれた女の子によく似ている。確かめてみたいけれど、今はそんな場合ではない。


 しばらくすると、遥香が大声で泣き始めた。


「そんなにいっぱい言われても覚えきれないよ! 意地悪しないで助けてよ、西華!」


 泣いている遥香の姿は、とても自分と同じ年とは思えない。幼い。


 子どもらしくないと、奏多はいろんな人から言われる。そんなことはないと思うのだけれど、目の前の女の子のように、喜怒哀楽が表に出ないのは確かだ。


(やっぱり僕は少し変なのかもしれない。……でも、この子はちょっと度を越えてないか? 本当に中学生かな? 幼稚園児みたいっていうのは言いすぎかな)


 こんな幼い子が何もできないまま殺されるのを黙って見すごすのは、どうにも寝覚めが悪そうだ。


「西華様。何とかなりませんか?」


 助けるつもりではないけれど、このままでは封印も危ない。

 西華は横から口をはさんだ奏多を見て、「ふむ」と思案顔になる。


「童二人から頼まれたとなると、無下にはできぬか。ワシも鬼ではないしな」

「似たようなもんやんけ」


 ぎょっとして声の方に顔を向けた。遥香は相変わらず泣いている。泣きながら言ったのか? 意味がわからない。アホにも限度がある。時と場合ぐらいわきまえろ。


 イラっとした奏多とは違い、西華は遥香の茶々を聞き流している。さすがだ。


「だがな。彼方の小僧は知っておるだろうが、幻界の者が顕界に手を出すのはご法度だ。ワシに出来ることといえば、せいぜいこやつに修業をつけてやることぐらいだが……」


 なるほど、と奏多は思った。西華指導の下、遥香が守り人としての力をつければ、封印も安定するだろう。時間はかかりそうだけれど、他にいい手も思いつかない。


「ありがとうございます、西華様。遥香さんも、それでいいですか?」

「ええ~面倒くさそう。修業なんかしたくない」


 いつの間にか泣き止んでいた遥香は、不服そうに唇を尖らせている。その顔を見ていると無性に腹が立つ。こいつは状況を分かっているのか。本当に、なんでこんなアホが――。


 あまりに腹が立って言葉が出てこない奏多を、笑みを浮かべた西華が引き継いだ。


「では、そのまま死ね。あとは知らん」

「う、ウソウソ! わかった、ちゃんと修行するから! だから見捨てないで~」


 またもや泣きだした遥香が、必死の形相で西華にしがみついている。西華はそんな遥香を、満面の笑みで見下ろしている。まるでお気に入りのおもちゃを見つけた子どものような笑顔だ。


 出会って間もないはずの遥香を完璧に手玉に取る西華を見て、この狐だけは怒らせないようにしようと、奏多は心に誓うのだった。

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