第10話 予感
翌朝、毘沙門エリアの中心・マナリーグ本部……その自動扉が開くと、冷たい空調が頬を撫でた。
中にいた職員やマナ使いたちが、妖霧の姿を見て距離を置きざわつく。昨夜の騒ぎは、すでに内部に広まっているのだろう。
妖霧は逃げも隠れもせず、真正面から最上階の一番奥の部屋のドアを開けた。
そこには焔太郎が、両肘を置き椅子に腰かけていた。
「妖霧……話は聞いている」
焔太郎の鋭い眼光は、昨日よりさらに冷たく殺気立っていた。
妖霧は一礼し、堂々と告げた。
「すまん……お前らのところで、もめ事を起こした。いくら手違いがあったとはいえ、おれはマナリーグ風の四天王・百々島を半殺しにした。それは事実だ」
焔太郎は謝罪を受け入れるでもなく、沈黙を貫いていた。
「おれはもう――リーグ本部には所属できない」
部屋の中の空気が、異様に重くなる。
「妖霧……お前が百々島のことで、何も悪く思うことはない。
替えが効かないとはいえ、おれたちが長い間、やつをのさばらせていたのも悪かった。これはうちとしての落ち度でもある」
そのうえで、と焔太郎は続ける。
「百々島が地団駄団に
お前をおれが、新たな風の四天王として推薦することもできる。
お前の強さが、うちの組織には必要だ」
「……」
「もう一度考え直してくれないか。風の四天王の座……失うには惜しいものだぞ?」
「いや……せっかくの誘いだが、おれはあきらめる。
おれはおれの生きたいように生きるよ」
一瞬、空気が焦げた……焔太郎の“火気”が揺らいだのだ。
だが彼は、作り笑いを浮かべる。
「……そうか。わかったよ。おれはお前の気持ちを尊重する」
「ありがとう……兄弟」
妖霧はもう一度、頭を下げた。
「もしこの都市で困ったことがあったら、いつでもここに戻って来い。
おれはいつでもお前を歓迎する。
だが――お前がおれの誘いを断ったという事実は、消えはしない。わかったな?」
その声音は、炎の底で煮えたぎるような怒りを隠しもしなかった。
妖霧が静かにうなずくと、焔太郎は彼の背を見送った。
そして扉が閉まった瞬間、焔太郎はスマートフォンを取り出す。
「……新堂か。ああ、妖霧のことだが……ああ、断られた。
こっちとしても、想定外のことだ」
ため息をつき、焔太郎は続けた。
「ああ、任せろ――何とかする。権力で釣れないとすると、別の手を考えなければならない」
――外に出た妖霧は、ようやく解放されたことで深呼吸した。
胸の奥に、ずっと重くのしかかっていた何かがふっと抜けていくようだった。
「……よし。しばらくは気楽に、いろんなプログラムでも見て回るか」
そんな軽い独り言をつぶやいた、まさにその時。
「――えへへ、待ってたよ」
背後から明るい声が響き、妖霧は振り返る。
そこには、ピンク髪の少女・あかり。
無表情だがどこか安心したようなフレイヤ。
そしてその後ろで不敵に腕を組む、顔に包帯を巻いた鍛冶山が立っていた。
「……なんだ、お前らか。昨日あんな目に遭っておいて、まだおれに関わろうとするのか?」
「もちろん。だってまだ、きみからサインもらってないからね」
そう言ってあかりは、タブレット端末を変わらずに差し出した。
「あのな……本当に、おれでいいのか?
お前らにはなぜか負けたし、そのうえ迷惑までかけた。それなのに、まだ探偵事務所に入れるつもりか?」
妖霧が口ごもると、鍛冶山が爽やかに笑いながら近づいてくる。
「お前さんが入れば、探偵事務所は正式なプログラムとして認可されるってわけだ。
ついでに言うと、おれも今朝地団駄団を抜けた……これからは沼乃探偵事務所の調査員だ」
「え、お前……地団駄団、抜けたのかよ? なんで?」
「昨日治療受けているうちに、この二人にスカウトされてな。ちょうど土属性のマナ使いが、助手に欲しかったんだと」
妖霧は思わず目を伏せる。
「そうか……それじゃ、頑張ってな。
……おれは、きみたちに迷惑をかけた。おれが関わらない方がいいみたいだ」
「迷惑なんかじゃないですよ」
フレイヤがきっぱりと遮った。
「妖霧さん……あんたは、昨日わたしたちを助けてくれました。
そしたら、もう“仲間”なんです。今さら一抜けた、のほうが迷惑ですよ」
「そうだよ! 昨日わたしたちの『関係者だ』って、言ってくれたじゃん!」
あかりも頬を膨らませて言う。
「また守ってくれるんでしょ? わたしたちのこと」
その一言が、妖霧の胸を突いた。
誰かにそんな言葉を向けられたのは、いつ以来だろう。
ずっと孤独で、誰にも必要とされず、誰かに寄り添われることもなかった少年。
だからこそ最強の名をほしいままにしてきた。
その心にじわりと温かいものが広がっていく。
視線をそらしたまま、妖霧は息を吐いた。
「……はぁ。負けたよ。
サインしてやればいいんだろ……?」
「やったあああ!!!」
あかりが全身で喜びを表した。
フレイヤは静かにうなずき、鍛冶山は満足げに笑う。
差し出された電子申請書に、妖霧は渋い顔のまま名前を書く。
『馬尾妖霧』
「これで、妖霧は正式にウチの弟子だね!」
「いや弟子じゃねえ。仲間だろ」
探偵事務所の三人は、笑顔で彼を歓迎した。
妖霧はふと、はっきりしない四月末の空を見上げる。
曇り空の向こう。
何か大きな運命が、動き始めている予感がした。
しかし――その予感は、悪いものではなかった。
仲間とともに歩く道。
それが、昨日までのどの未来よりも、まぶしく見えた。
最強の風使い、美少女にだけ勝てない 羊乃AI @hitsuji-no-ai
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