第12話 冬虫が死ぬ時

 ◇◇◇◇


 景照はその光景に圧倒されていた。

 先程まで、赤々と燃えていた炎は消え、静葬廟ジンザンミョウは白く染まる。

 圧倒的な冷気が、この場を支配していた。


(これは一体……)


 景照の知る限り、何かを氷漬けにするような道術は存在しない。

 五行は、木・火・土・金・水。

 そのどれとも合致しないことに景照は疑念を持つ。


(それにあのチャクラの量は……)


 道術を使うためには、チャクラが必要になる。

 チャクラはすべての人間に内在し、しかしその量には個人差がある。

 景照自身、道術を使えるわけではないが、チャクラの動きを知覚することに関しては、殊更優れていた。


 その観点からすると、先ほど感じたチャクラの量は桁違いだった。

 あれほどのチャクラをもった存在など、景照が知る限りせいぜい二人くらいしかいない。


 呆然としていると、門の扉が開く。

 現れたのは、先程の葬儀屋の女だった。

 葬儀屋はキョロキョロとあたりを見回し、景照を見つけると近づいてくる。


「……景照様、先ほどはありがとうございました」


 長い黒髪に特徴のない顔。微笑みを見せるも表情は薄い。

 後宮の華やかな女たちの顔を見慣れている景照からすれば、化粧っ気のないその顔立ちは珍しい部類であった。

 年増に見えるが、よくよく観察すると、この女の雰囲気がそう思わせているのだとわかる。

 故に、三十を超えていると言われれば、まぁそうかと答えるし、二十と言われたとしてもそれほど違和感はない。


「あの、景照様……?」


 葬儀屋に声をかけられ、どうやら自分が長い間、観察していたことに気が付く。

 普段は、女を視界に入れることすら嫌がる景照にとって、それは珍しいことであった。

 それに女とくれば皆同列、せいぜい長芋と山芋の違い程度にしか思えぬ景照が、一つの個として葬儀屋の女を認めようとしているのもまた珍しいことだった。

 ただその違和感に、景照自身は気づいていない。


「……葬儀屋、お前は何者だ?」

「えっと、……私は、ただのしがない葬儀屋でございますよ」

「そんなわけがあるか、先ほど見せた道術、あれは一体何だ……?」


 景照は問い詰める。

 葬儀屋は先ほどまでの余裕をなくし、途端にオロオロと慌て始めている。


「あ、あれは……何というかですねぇ……。あ、そうです……! 突然ビュウと北風が吹き抜けてですね……! 空から雪がブワァっと……」


 などと供述しているが、逃すつもりはない。

 ……ただ、今はそれよりも重要なことがある。

 こんなふざけたことを抜かしている女が、果たして役に立つのかは疑問だ。

 しかし目の前で何か得体の知れない力を示した以上、藁にすがるようなものだとしても、可能性にかける。


「葬儀屋、お前に聞きたいことがある」

「……はい、何でしょうか?」


 景照が改めてそう言うと、葬儀屋も雰囲気を察したのか、佇まいを直す。

 馬庭が言ったように、「葬儀屋」という役職がこの後宮で重要な役割を持っているならば、何か知っているはず。


「日輪帝は今、原因不明の病に倒れている。全身に黒痣くろあざができ、それが日に日に拡大し、そのお体を蝕んでいる」

「医者に見てもらったりは……」

「医者はわからないと言っていた。それに祭司や巫女でも黒痣くろあざの正体は分からなかった。もう頼るべきところはお前しかいない。何か心当たりはないか……?」


 景照は声を潜めて尋ねると、葬儀屋は目を細めて何か思案する。

 そしてなにか思い当たったかのように、つぶやく。



「……なるほど。やっぱりもう——入り込んでいたのですね」



 葬儀屋は何かに納得したかのように言った。

 その声音から、何か冷たい響きを感じる。

 しかし景照は確信した。


(やはり、この女は何か知っている)


 葬儀屋は、再び口を開く。


「時に、景照様は——「冬虫夏草」というものを知っていますか?」


 何かと思えば唐突に、関連もなさそうな話を持ち出してくる。

 実物は見たことがないが、その名前は聞いたことはある。

 確か冬に虫に寄生して、夏には草になるという奇妙な生き物だったか。


「ああ、知っているが」


 葬儀屋は徐にポケットに手を入れて、何かを取り出した。

 その手の平の上にあったのは、頭から突起のようなものが飛び出した冬虫の死骸だった。


「うっ……、何だそれは」

「——冬虫夏草です」


 葬儀屋はそう言って、慈しむかのような視線をその悍ましい生き物に向ける。


「冬虫夏草……これが?」

「はい。このあたりでは、残雪が残る今の季節くらいには芽を出し始めます。今年は例年より少し遅いくらいですかね? こういう未熟なうちに、洗って天日干しして乾燥させると良い漢方になるんです……」


 葬儀屋はそう声を弾ませる。

 景照は聞いているうちに、だんだんイライラしてきた。


「そんなことは聞いていない。さっさと本題を話せ」

「っ……失礼しました。好きなものの話になるとつい話し過ぎてしまいます……」


 葬儀屋は話しすぎたとばかりに、ペコペコと頭を下げる。

 いまいちこの女のことが掴めない。

 謎めいた雰囲気を出したり、途端に弛緩した空気に変わったり。


「冬虫夏草というのは、小さな、本当に小さな種なのです。ただ一度、冬虫の体内に入り込むと、その体を支配し、操るのだそうです」

「それがどうしたと言うんだ?」

「いえね、その草の種に寄生された冬虫は、いつまで自身のことを冬虫だと思っているのかと思いまして。ほら、虫であり草であるなんて、神秘以外の何ものでもないでしょう? ですから冬虫はいつ死んで草になるのか……、景照様はどう思われますか?」

「……」


 また長話が続くのかと思ったが、どうにもそういう気配ではないらしい。

 景照は考える。

 たとえば今の景照は、景照の意思で動いている。

 しかしその思考が何者かに操られ、乗っ取られたとしたら、果たしてそれは景照といえるかどうか。

 難しい問題だ。思考に比重を置くか、肉体に比重を置くかという選択を迫られた気がした。


「……生きている限り、それは冬虫だろう。たとえその種に寄生されていたとしても、冬虫として動いている間は、冬虫だ」


 それが景照の出した結論だった。

 葬儀屋は、興味深そうに景照を見ている。


「……つまり景照様は、草の種が成長し、冬虫の頭の硬い殻を突き破って、草の芽が顔を出すその瞬間までは、冬虫であると言いたいわけですね?」

「……ああ」


 どういうわけか、その言葉はひどく景照の心を不安にさせた。


「なるほど、興味深い意見です。確かに外から見れば、冬虫が動いているように見えますからね。ええ、景照様のお考えはそれはそれで正しいかと」

「……そう言うからには、お前の意見は違うのだな、葬儀屋?」


 景照は鋭い視線を向ける。

 すると葬儀屋は、これまで見せたことのない妖艶な笑みを浮かべた。

 その一瞬、景照は心を氷漬けにされたような錯覚がした。



「はい。私はそうは思いません。冬虫はもっと前に死んでいたんです。それこそ……

 ――草の種が体に入った、その瞬間ときから」



「……っ」


 やはり、この女はどこかおかしい。

 景照はその時、確信した。


「動いているように見えても、冬虫はただ定められた死の運命を辿っているに過ぎません。だからもし助かる道があるとすればそれは……


 ——草の種をしかないでしょうね」


 葬儀屋の話す言葉が、景照には他人事ひとごとのようには思えなかった。

 まるで何かを暗示するように。

 それこそ今の後宮を取り巻く事情に何処か、重なるような。


「……お前、一体何を知っている?」

「さぁて、私は何も知りませんよ。ですが一つ、『葬儀屋』の役職を持つ者に、引き継がれている話があります。伝承と言ってもいいですね。それと言うのは……」



——『死人しびとの足音聞こえし時、冬のわざわいは訪れる』



 景照は、葬儀屋の言葉に眉根を顰める。


死人しびと……? 何だそれは?」

死人しびととは、”因果逆転の呪い”がかかった死者のことです。強いチャクラを宿した者が何か強い執着を抱えたまま亡くなると罹患するとされ、その者は自身が死んだことにも気づかず、生前と同じように振る舞うのです」


 葬儀屋の話は、にわかに信じがたいものだった。


「死者が生き返ると言うのか……?」

「……いえ、そのような生やさしいものではありません。その本質は”悪”。死人は、冬の邪悪な意思によって歪められ、生者の中に紛れて悪を為すとされています。一度人々の中に紛れ込めば、特定は困難でしょう」

「……」


 淡々と話し続ける葬儀屋の言葉に、景照は背筋が凍るような感覚がした。


「この北陽京は、日輪帝の力によって成立している場所。そしてこの後宮は、日輪帝の御所でありいわば——”体内”と呼んでも差し支えありません」


 先ほどの冬虫夏草の話。

 紛れ込んだ草の種。

 そして死人。


 それらが指し示す事実、それは……。


「まさか……」

「はい、どうやらこの後宮に——死人が紛れ込んでいるようです」




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厳冬期の葬儀屋 〜後宮を追放(解雇)された宮女は、圧倒的年下のモラハライケメン宦官に連れ回されています〜 雪見サルサ(旧PN:サルサの腰) @giphe

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