ティアルマ離宮に帰還した。
「ヨアン様ぁ〜! よくぞお戻りになられました! ……まぁまぁ! こんなにご立派になって、アンジェは嬉しゅうございます!」
俺達を出迎えてくれたのは、アンジェだった。
例のごとくバタバタとした様子で。
「出迎えご苦労だったね、アンジェ」
「はい! お夕飯の準備も出来ています。先にお風呂になさいますか?」
風呂か……。
そう言えば久しく入ってないな。
「じゃあ先に風呂に入らせてもらおうかな」
「かしこまりました! それでは早速準備させていただきますね」
ティアルマ離宮には、風呂がある。
といっても小さめの露天風呂くらいのバスタブだ。
しかし電気も水道もないこの世界では、風呂を沸かすとなると一苦労だろう。
ティアルマ離宮には、メイドはアンジェとセルタしかいない。
一体、どうやって湯を沸かすのかと思っていると。
「<水よ>」
アンジェの手からジョボジョボと水がでてきた。
バスタブの中に水が満たされていく。
「セルタ、お願いしますね」
「はい」
セルタがバスタブの水に手を入れると、グツグツと水が沸騰し始めた。
まさかの人間湯沸かし器だった。
「すごいな、それは魔法なのか?」
魔法と言えば<火球《ファイアーボール》>とか<水盾《ウォーターウォール》>とか、そういう形を伴うのではなかったか。
「これは、<水球《ウォーターボール》>を変化させているのでございますよ」
「変化させる?」
「《《魔法変化》》という分野でございますよ。魔法は形を伴っているでございましょう? でも熟練の魔法使いは、そんな魔法の形を自由自在に変化させることができるのです」
そう言えば、と思い出せば、俺のステータス項目にも”魔法変化”なる項目があった。
魔法の形状を変化させれば、こうやって風呂を沸かすこともできるのか。
なかなか便利だな。
「お風呂が湧きましたよ。ヨアン様、それでは服をお脱がししますね」
アンジェはホクホク顔で俺の服を脱がしにかかる。
「結構ですよお母様。ヨアン様のお世話は、セルタが致しますので」
セルタが済まし顔で、アンジェにストップをかける。
するとアンジェはぷっくりと頬をふくらませる。
「むぅぅ! ずるいでございますよ、セルタばっかり!」
「……お母様、ヨアン様の前でみっともないですよ」
駄々をこねるアンジェをセルタが嗜める。
これではどっちが母で娘か、わからんね。
「セルタ、あなたは明日からヨアン様と学園に行かれるのございましょう? それならいつでもお世話できるではございませんか!」
「っ……それとこれとは話が別です!」
セルタも母の前だと素が出るらしい。
珍しくセルタも声を荒らげていた。
母娘、仲良し親子なのだろう。
二人がわーわーといがみ合いを始めたので、俺は自分でせっせと服を脱ぐことにした。
体を流してから湯船に浸かる。
「あ”あ”〜」
(染みるねぇ……)
風呂に入れるというのは、やはり一つの幸福の形なのだろう。
今までは湯船につかることすら出来なかったし、その気持ちよさはひとしおだ。
十五年、邪念に耐えた甲斐があったというものだ。
今日一日の疲れが一気に、洗い流されていく気がした。
しばらくぼーっと目をつむり、今日あったことこれからのことを考える。
ザバァ。
しばらくして湯船が揺れた。
湯の嵩《かさ》が上がり、お湯が溢れ出す。
都合二回。
「それで……」
タプタプになった湯船のいいところは、首までしっかり浸かれることだ。
とはいえ別に湯をひたひたにしなくても、足を伸ばせば良い話。
しかし、今はそんなスペースすらもない。なぜか……。
「――どうして、二人とも一緒に湯船に浸かってるんだい?」
「……」
「……」
二人とも済まし顔で俺の両隣を占拠していた。
衣擦れの音がし始めたと思ったら、手ぬぐいで前を隠した二人がやってきたのである。
そして俺が反応する間もなく、二人はザバァと湯船に浸かったのだ。
水面には四つ程、大きな浮島が浮かんでいた。
流石は魔女の家系である。
「アンジェは嬉しゅうございます。あの小さかったヨアン様が、こんなにも大きく美しく成長なさるなんて。……昔はこうして一緒にお風呂に入っていたのでございますよ。覚えていますか?」
「あー、そう言えばそうだったね」
「ええ、ですからこうして一緒にお風呂に入るのは不思議なことじゃないのでございますよ」
「……なるほど」
いいのか、それは。
まぁそう言われたらそうなのかも知れない。
ちょっとおっとりした親戚のおばさんと入ると思ったら、まだギリギリ許されるレベルだろう。うん健全、健全。
……いや分かってるよ、青少年にとって健全じゃないことくらい。
でも反対側にいる少女と比べれば、”比較的”健全と言わざるを得ないんだ。
「……セルタ、君は何をしているのかな? 同い年の君とこうして湯船に浸かるのはその、倫理的に良くない気がするんだけど?」
セルタ、君は駄目だ。公序良俗的な意味で。
あまりにも自然にどさくさに紛れて俺の隣に入ってきたけど、冷静に考えなくてもこれは不純異性交遊である。
「義兄様、義兄妹《きょうだい》で一緒にお風呂に入ることは別におかしなことではありません。一体、何がいけないのでしょう?」
「”義《ぎ》”兄妹《きょうだい》だよね、セルタ。普通の兄妹とは、大分意味合いが違うよ。俺とセルタは血の繋がりはないんだから、せめて衣を纏った付き合いをしないと」
義兄様は、破廉恥は許しませんよ。
幼馴染とお風呂に入っていいのは、十二歳まで。
かつてプレイした美少女ゲームの主人公は、そう言っていた。
「まぁ、ひどいです義兄様《おにいさま》。こんなに健気な義妹《いもうと》をそのような言葉で遠ざけようとするなんて。義兄様は、私のことがお嫌いなのですか?」
セルタは俺の腕を”はさんで”上目遣いをしてくる。
……わざとやってるね君。
俺も体が動くようになってからというもの、ちゃんと”反応する”ようになってきている。
今はまだ性欲に振り回されることはないけど、いつかは抑えられなくなる日が来るんじゃないかと思うと気が気じゃない。
「……まさか、セルタは俺の大切な義妹《いもうと》だよ」
「ふふ……そうでしょう? なら良いではありませんか」
結局俺はセルタの妖艶な笑みに負け、丸め込まれてしまった。
……困ったなぁ。
これから二人での寮生活が始まるというのに、この体たらくで大丈夫だろうか。
「ヨアン様、体をお拭きいたしますね」
それからお風呂の中で、二人に布で垢を落としてもらう。
ちなみにこの世界には石鹸なるものは存在しないので、お湯でゴシゴシしてもらうだけ。
泡が立たないので、やっぱり少し物足りない。
「あら? ヨアン様、もしかしてセルタに【魔力開き】をしてもらったのでございますか?」
アンジェが、何かに気づいたように言った。
【魔力開き】……確かセルタの実家であるトラウデン家の秘伝だったか。
「うん、昨日やってもらったけど、どうかしたの?」
「セルタ、あなた……」
「っ……」
アンジェはセルタに視線を向ける。
セルタが急に耳まで真赤になる。
どういうわけか、口をすぼめてうつむいていた。
(おや……?)
もしかしたら、実は【魔力開き】は禁止されていたのだろうか。
そうだとしたら、少し悪いことをしたな。
ただ、ここまで全てが上手くいったのは、セルタが【魔力開き】をしてくれたおかげである。責められるのは少しかわいそうだ。
「……アンジェ、あまりセルタを責めないでやってくれ。元々、俺がセルタにお願いしたことなんだ。だから……」
「いえ、そうではありません。【魔力開き】というのは、元々、トラウデン家の<紅魔女>同士で行うコミュニケーションの手段なのです。それはいわば、心の内を全てさらけ出すような行為ですから、信頼する者同士でしか行われないのでございますよ」
なんだか百合百合しい響きだね。
ちなみに母の母国である『|魔女の塔《バベル》』には、実際に巨大な塔が存在する。
そこはいわゆる魔女の育成機関であり、基本的には男子禁制の女の花園なのだ。
「そっか、じゃあ俺はセルタから信頼されているということなんだね?」
「そうでございますが、男性に行うとなるとまた意味が違って来るのですよ。男性に【魔力開き】を行う場合は、自発的にというよりは、その特別な男性に対して、”やむにやまれず”致してしまうというものなのです。ふふ、……やっぱりセルタも魔女の家系でございますね」
「……っっっ〜〜〜〜!」
セルタは顔を真赤にして、口をパクパクさせていた。
珍しいので、もう少し意地悪したくなってしまう。
「ふーん、あまり詳しくないから教えてほしいんだけど、セルタが【魔力開き】をしてくれたのには、どういう意味があるのかな?」
「ふふ、【魔力開き】というのは意中の殿方に対する愛情表現です。つまりは――求愛行……「わぁぁぁぁぁ!」」
セルタがザバッと湯船から飛び出し、アンジェの口を塞ぎにかかった。
「やめてぇぇぇぇ! 言わないでぇぇぇぇぇぇぇ!」
セルタは珍しく取り乱した。
俺の目の前を、セルタが覆いかぶさるように通り過ぎてゆく。
その瞬間、スローモーションのように見えた。
(ぅ ぉ ぉ … … っ ? !)
眼前に広がったのは、とんでもない光景だった。
幼い頃から一緒に育った乳兄妹。
その一糸まとわぬ姿。
そしてそれは期せずして今、明らかになったのである。
――――ティアルマ離宮序列第一位の”全貌”、が。
俺はただ圧倒されてしまった。
みずみずしい大きな二つの塊に。
そして、再び時が動きだす。
ザッバーン。
湯船からお湯が勢いよく流れ出す。
母と娘は、俺の隣で組んずほぐれずしていた。
心臓がまだバクバクと鳴っている。
童貞の俺には刺激が強すぎたのだ。
これが……才能か。
とにかく……その、すごかった。
◇◇◇◇
風呂から上がると、母と夕食を共にした。
母は社交での話を聞きたいのことだったので、色々と語る。
爪痕を残した話、婚約者《ナフナ》と挨拶を交わした話、それから『崇魔教団』が襲ってきた話。
崇魔教団と戦ったり、フリューレを助けたり、ヴァーレンを倒したりしたことはもちろん話していない。話したら母はきっと気を失ってしまうだろうからね。
夕食はそこそこに、母から「あとで寝室に来なさい。まだ話がありますからね」と言われたので、少し時間を空けてから母の寝室に向かう。
時刻は既に、九時を回った頃くらいだろうか。
時計がないので正確な時刻は分からない。
「母様、ヨアンです。ただいま参りました」
中から合図があったので入室する。
母は寝衣に着替えた状態で、ベッドの上に腰掛けていた。
まだ春先だというのに、下着が透けるような薄手のネグリジェを着ている。
この金髪の美女が、俺の母。
はっきり言って目に毒である。
「ヨアン、こちらへいらっしゃい」
俺は手招きされたので、その隣へ。
すると母を見下ろす形になった。
いつの間にか俺の背丈も結構伸びていたらしい。
「しばらく見ない内に立派になりましたね、ヨアン。顔つきが凛々しくなりました」
母からはいい匂いがした。
風呂上がりには、いい匂いのするハーブと植物油を混ぜたオーガニックオイルを塗ってもらうのが貴族や皇族の習わしなので、おそらくその香り。
かく言う俺も同種の香りを放っている。
「そうでしょうか」
「ええ。あなたが無事に戻ったこと、母は嬉しく思いますよ」
母は俺の髪を優しく撫でてくれた。
十五年も見捨てずに守り育ててくれたのが、この母だ。
「……ヨアン、あなたは明日から英傑学園に通うことになります。準備は出来ていますか?」
「はい、母様」
当然、俺はこれからも母に報いていかなければならない。
「あなたは”英傑”に導かれているとは言え、油断してはなりませんよ。”皇太子選定戦”を取り仕切るのは――『アゼルラン七星院』なのですからね」
「アゼルラン七星院?」
そう言えば、ナフナの話にも出てきたのだったかな。
ERTでは、でてこなかった団体である。
「ええ。『アゼルラン七星院』は、『七星』と呼ばれる七家の貴族家による組織です。このアゼルラン帝国の支配者はローデンツェ家ですが、実質的にこの国を動かしているのは、『七星』なのです」
「なんだか、物々しいですね。そうなると『七星』の匙加減一つで、皇太子は決まりそうなものですけど」
母は難しい顔をする。
「……いえ、そう単純ではありませんよ。『七星』の動向は、我々『六花』が常に監視していますから」
「……『六花』?」
俺が尋ねると、母は「そんなんも知らんのかい」と、ジトっとした目を向ける。
……仕方ないじゃん。だって知らないんだもん。
「『六花』は、アゼルラン帝国を除く、六カ国の代表によって構成される互助組織のことです。基本的には、”皇太子選定戦”において、ライバル関係にありますが、『七星』のやり方に何か重大な問題が発覚した場合は、団結して『七星』に対抗するのです」
「なるほど……」
例えば『七星』が、三皇子のうちどこか一つ陣営に肩入れしようとしたら、その他の二陣営、つまりは『六花』のうちの四家が団結して、それに対抗しましょうという話なのだろう。
「ただ、『七星』も一枚岩ではありませんからね。”皇太子選定戦”では、何が起こるか分かりません。その動向にはくれぐれも注意するのですよ」
どちらかに皇太子が決まるなら構わないのだが、一陣営が力を持ちすぎるのはいけない。
ある程度、力が分散していたほうが、危険は少なそうだからね。
俺個人の立ち回りとしては、『七星』を適当に牽制しつつ、反目を誘うのが良いのかな。
「それではヨアン、あなたも『六花』の代表の一人として、それに恥じない活躍を期待しています。幸いあなたの婚約者のナフナさんは非常に優秀な方ですから、彼女の意見はしっかりと聞くのですよ?」
母はナフナのことを信頼しているらしい。
たしかに容姿端麗、才色兼備を地で行くような人だからね。
俺にはもったいないような少女だ。
期待を裏切るようで悪いが、フェードアウトしようとしていることは黙っていよう。
「はい。必ずや母様のご期待に添えるように、このヨアン、全力を尽くしてまいります。……それではこのあたりで失礼して……」
「どこへ行くつもりですか、ヨアン?」
立ち去ろうとする俺を母が呼び止める。
「えっと? 自室に戻ろうかと……」
「あなたね……。明日から長い別れになるというのに、この母を一人にするつもりですか?」
母は唐突に奇妙なことを言い始めた。
「でも、母様はこれから就寝されるのでは……」
「ヨアン、今日は私と添い寝をしなさい」
「え”?」
俺は凍りついた。
「まぁ、なんて顔をしているのかしらヨアン。この二日間、母はあなたが社交で失敗するんじゃないかと気が気ではなかったのですよ? セルタがついていたとはいえ、この母の心労は耐え難いものがありました。よって、あなたには母を労る義務があります。ヨアンもそう思うでしょう?」
「で、ですが、俺はもう十五になります。流石にこの年で母様と寝所を共にするというのは……」
「そう、思うでしょう、ヨアン?」
母はにっこりと笑みを浮かべていた。
……俺に断る選択肢はなかった。
「わ、分かりました」
こうして俺は、母と一緒にフカフカのベッドで眠る事になった。
ランプの灯りを消すと、部屋は暗闇に包まれた。
星灯りだけが僅かに降り注ぐ。
「ふふ……。ヨアン、私の天使」
「……っ」
母はそう言って俺に体を寄せてくる。
俺がいうのも何だが、母はとんでもなく美形だ。
昼下がりにゆったりと紅茶を飲んでそうな、金髪美女の御婦人。
血の繋がりがあるとは言え、どうにもね……。
(眠れねェ……)
まぁこれが親孝行というのなら、是非もない。
母の温もりはいくつになっても心地良いものだ。
「……ヨアン、もう寝てしまいましたか?」
母は、何故かもじもじした様子で内股をこすり合わせている。
少し嫌な予感がした。
(……母様、一体何を言うつもりだ?)
「……そろそろ良い頃合いですし……挿入《い》れますか、ヨアン?」
母はなぜか顔を赤らめて言った。
<ヨアンなら、鼻フックして顔面を枕に押さえつけます>
もはや阿吽の呼吸だった。
本当に、勘弁してほしい。
ピキピキ…………。
「……母様、それは非常に誤解を招く言動です。どうか、くれぐれも、今後はお控えいただきますよう、お願い申し上げます」
「えっ?」
母はきょとんとして、目を丸くする。
そんな母を見て、俺は肩を落とすのだった。