雨に濡れた君は何処へ行ったのか
N 有機
雨に濡れた君は何処へ行ったのか
自分は今日、この急勾配で命を捨てる。無理に明るく振る舞うのも疲れた。雨に濡れ、滑りやすく、ブレーキをかけてももう手遅れなのだと悟った。
□雨も涙も代わらない。
俺は
昔きた時は新幹線、電車、バスを使ってきた。なぜ今は自転車かって?それは分からない、いや言えない。でも再びきた理由ははっきり答えられる。
「彼女がなぜ涙したのか知りたいからだ。」
海岸沿いの道路をかけ下がり、岩石海岸特有の景色と潮風の匂いがだんだんと深く感じられるようになる。
自転車のチェーンが鳴り、足を休ますと自動的に下っていく。反対車線から車が来て通りすぎる。季節外れの海に来る人など現地住民だけだ、ナンバープレートがそう言っている。
あの時と変わらず塩臭い海だな……
海岸に着き、スタンドを降ろす。その音が崖に跳ね返り僅かに反響する。どこからかよみがえる記憶、あれは大学生の痛い夏だった。
『健哉くん、海きれいだね』
『うん、きれい』
そう思いながら彼女の方を見ていた気がする。最初から海になんて興味がなかったのかもな。
彼女と撮った写真、それは消えてしまったがどこでどの角度でどのポーズで写っていたのか鮮明に覚えている。
再びスタンドを上げ、自転車に乗る、硬いサドルに嫌な気持ちになり、押して歩くことにした。
彼女とこの傾斜を何気なく登っていたのかと思うと大変きつい。それは精神的にも肉体的にもだ。その当時、バスが来るまで一時間とかで仕方なく歩くことを選択したが何も辛い気持ちはなかったような気がする。
やっと登りきったか……
足の脛とふくらはぎがしんどい。あの時は難なく登ったし、まだ今の俺は二十代なのだがこの様子じゃガタがきているなと思う。
ふと交差点を跨いだ先に喫茶店が見える。記憶を呼び起こすとそこでお昼を楽しんでいた彼女の姿が見える。
カランカラン……
ドアを開けると鈴が鳴る。よくある音だがそれを意識してしまう。あの時は彼女の声だけを聞きとっていた。
「こちらの席にお掛けください」
「ありがとうございます」
カウンター席に腰掛け、メニューを見る。あの時と同じものが売られていた。彼女はパンケーキを頼んでいた。今の俺も頼もうかと思ったがそれは何かを踏みにじるようで嫌になった。
「ご注文はお決まりですか?」
「えーと、これを」
「分かりました。カツサンドですね」
そう言って店員は厨房へと戻っていった。甘い香水が漂っていた。でも甘くてもそれは甘いという具現でしかなった。好きになることなどできるはずがない。あの時も今もずっと彼女にしがみついているから。
後ろを見ると座っていた席に彼女と俺が座っているように見える。
『健哉くん、パンケーキ食べる?』
『じゃあ少し……』
『あーん』
『え!?』
『そんな驚かないでよ、ほら!』
あの時食べたパンケーキは美味しかった。でももう食べられない。今注文してもそれは慰めと言い訳にしかならない。
「お待たせしました、カツサンドです。ごゆっくりどうぞ」
届いたカツサンドを一口頬張る。パン、衣、肉の順に味わう。あの時と同じ味だった、でもあの時より物足りないと飢える。
美味しかった……昔は
食べ終えて会計を済まし、再度ドアを開ける。
カランカラン……
これでまたひとつ、思い出とお別れができた。午後になり、さらに日が強くなりピークのころ、ペダルを漕いで次の目的地に行く。
お花屋さんか……
彼女は花に詳しかった。花言葉を知っているだけとかではない、大学でも花に関する研究をしていた。俺みたいな理工系にはその内容は理解できなかったが。
花の薫る匂いが広がっている。薔薇、向日葵、百合、菊、よくある花の他にも有名ではない花もある。よく見ないはずの花の名前が花言葉と共に鮮明に分かってしまう。
いくつかの花を歩きながら見ていると店員が話しかけてきた。
「なにかお探しですか?」
「スノードロップはありますか、彼女が好きだったのですが」
「え……あ~ありますよ。店の倉庫に」
引かれてしまうのは十分分かっている。花言葉が暗いからだ。俺もあの時、彼女から聞かされたときは驚いた。
『この花、綺麗だね』
『この花はねスノードロップっていうの』
『…雪が落ちる花?』
『ガランサスとか待雪草とも呼ばれてるの、花言葉分かる?』
『分からないよ。うーん、雪が落ちるのを待っているみたいだから、貴方の告白を待っていますとか?』
『ブッブー、貴方の告白を待っていますはクロッカスだね、正解は貴方の死を望む、でした!!』
『え!?怖』
この店の奥の方でそんなこと話していたな。あの時は中年のおじさんが営業していたような、てことはその娘さんなのかな。
「お待たせしました……これで間違いないですか?」
「はい、ありがとうございます」
「少しお聞きしてもよろしいですか?」
「はい、なにか?」
店員が何か言いたげな様子でこちらに問いかける。そよ風が雲をこちらに寄せてきて青い空が消えていく。
「数年前も来ましたよね」
「はい、なぜそれを?」
「そのー私の父親が珍しい客が来たとか言って、そもそもあまりここに来る方がいないので」
ここは観光地ではあるが密集しているところから少し離れたところ場所だ。よっぽど会話がおかしかったのかもしれない。
「住まいはここら辺ではないですよね?」
「はい、東京の方から来ました」
「彼女さんは今は東京に?」
「あー……はい、そう感じです」
「喜んでいただけるといいですね、そのお花」
喜ぶかは今ではもう分からない。でもあの時、彼女はこの花が好きだと言っていた。まるで人間みたいに二面性があるからだと。
『でも、私この花好きだな』
『……なんで?』
『実は天使がアダムとイブを慰めるために雪をスノードロップに変えたって話があって、そこから希望って花言葉もあるんだよ』
『全然別の意味だね』
『そうなんだけど、そういうところが好きだなぁ』
黒い雲が辺りを覆う頃、俺はペダルを強く漕ぐ。雨が降る予感と共に激しい後悔が襲ってくる。俺は嘘をついてしまった。彼女はもう東京どころか、この世にいないというのに、いるのだと嘘をついてしまった。
雨が降りだす、かなりの豪雨だ。ああ、とうとうここまで来てしまった。濡れながらそう思う。
石が敷き詰められた地面を踏み、身を清め、俺は線香に火をつける。まずはこの墓地全体に対して祈りを捧ぐ。
それを終え、俺は敷地の内部へとさらに進む。数々の遺骨が納められただろうその故人の思いが綺麗に並んでいる。そんな中、一人の女性がお墓に祈っていた、雨に濡れるなか堂々とそして強い思いで。そのお墓には
その女性がこちらに気付いて驚き、振り向く。
「あなたも来たのね……新島健哉!!」
怒鳴るように、そして膨大な恨みを乗せるようにそう俺に言い放った。
「あのとき、あなたがあんな最低なことをしていなければ、していなければ……こうはなっていなかった!!」
嗚呼、俺はあのとき最低なことを言ってしまったのだ。完全に俺が悪い。憎まれても仕方ない。
「あれから、蓮花姉さんは弱々しくなった。無理に明るく振る舞っているようでとても苦しそうだった」
そうだったのか……いや、知っていた。俺は彼女を彼女の家族を裏切ってしまったのだ。
地面に生えたクロッカスの花が萎れていく。雨はとても強くなり石に当たり、怒りに満ちた音を響かす。
「そして、誰にも言わずにどこかへ行ってしまった。自転車がなくなっていたの」
そしてそれが今俺が一人旅をする理由。彼女の行方、そして俺のせめてもの罪滅ぼし。
「今、あなたがここにいる。しかもそんな花をもって」
「でも、蓮花が好きだった」
「関係ない!!人の死を望む花を贈るなんて正気じゃない!!」
また俺は選択を間違えたというのか?そうだろうな、またあの時と同じだ。
「ねえ、どうしてなの、蓮花姉さんが何かしたの?」
「……俺が悪い」
「まだ行方不明で、生きているのかもしれないのになんで?なんで、死んだと認めるの?」
涙を流される。その雫がこの大雨の中、色濃く際立って滴り落ちる。またしても俺は涙の訳を知ることができなかった。
雨に濡れた君は何処へ行ったのか N 有機 @nyouik_251
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