コインランドリー・コミュニケーション⑦

 その日は雨が降っていた。だから、きっと田嶋は来ないだろうと思っていた。

 コインランドリーの中はクーラーがかかっていたけれど、それでも洗濯機から発せられるムッとした熱気に、僕の額に汗が浮かぶ。

 洗濯は後十分もあれば終わってしまう。


「……今日は会えないか」


 洗濯機が家に来ることになった。結局、山田さんから貰うことになったのだ。それが届いたら、きっと僕はここに通うことはなくなるだろう。

 そしたら、もう田嶋に会うこともなくなるかもしれない。


「それは少し寂しいな」

「何がっすか?」

「うわぁっと びっくりしたぁ!」


 自分でも驚く程大きな声が出て、そんな僕を田嶋はいつもの人懐っこい笑みで見て来るのだからたまらない。最初は怖かったその切れ長の目も、すっかり慣れてしまった。


「いるなら普通に声をかけて欲しいんだけど」

「いやいやちゃんと声掛けましたって。木戸さんが無視するのが悪いんじゃないっすか」

「え? 嘘。それはごめん」

「いやまあ嘘ですけど」


 嘘かよ。田嶋はハハハッと朗らかに笑うと、そのまま持って来た洗濯物をどんどんと放り込んでいく。もうすっかり見慣れてしまったタンクトップ姿。これが彼の寝巻き姿なのだろうか。そうか。僕は、彼のそんなことも知らないんだ。

 言わなくちゃと、思った。もう、多分ここには来なくなるんだって。


「最近雨続いて怠いっすよね」

「そ、そうだね」

「雨だと仕事やりづらくて嫌なんすよね」

「あー外の仕事だと大変そうだよね」

「そうなんすよー」


 田嶋は言いながら朗らかに笑う。この空間は本当に居心地がいい。ここで田嶋と話す時だけ、僕は世間の煩わしさから解放されるから。

 彼はどう思ってるんだろう。同じことを考えているから、きっとここに来てくれているんだと思う。でも、僕は田嶋じゃないから、彼の本心は分からない。


「なんかありました?」

「え?」

「いやなんか、暗い顔してたんで」

「別にそんな暗い顔って……」


 思わず誤魔化してしまう。意気地なしの自分が情けなくて嫌になる。


「いやいや。木戸さんって結構顔に出ますし。分かりますって」

「僕ってそんな分かりやすい?」

「めちゃくちゃ分かりやすいっよ」


 彼は楽しげに笑いながら、僕の肩を叩く。田嶋のそのゴツゴツとした手が僕の肩に触れる度、彼の温度がじんわりと染みるようだった。


「なんか恥ずかしいな」

「何言ってんすか。俺と木戸さんの仲じゃないっすか。何でも聞きますよ」


 何でも、か。

 もし、僕がここに来なくなると言ったら。彼はどんな顔をするんだろうか。悲しい顔をされるのは、嫌だな。

 でも一人暮らしをしていて、学費も生活費もバイト代から捻出しないといけない身としては、こうして週二回もコインランドリーに通っていては貯まるお金も貯まらないのが現実なわけで。


「田嶋はどうしてここに来るの?」

「え?」


 一瞬、僕らの間の空気が凍ってしまったような気がした。田嶋は動揺しているのか、視線が忙しなくさ迷っている。


「どうしてって……別に洗濯しにですよ」

「そう、だよね。ごめん当たり前のことを訊いちゃって」

「そんなことないです! あっ、いや洗濯しに来てるってのはマジっすけど……」


 田嶋はどう言ったものかとでも言いたげに、ポリポリと金色に染まった毛先を触っている。これは彼が本当に悩んでいる時に見せる仕草だと、たった数ヶ月で分かっていた。こんなことはすぐ分かるのに。彼の気持ちは分からない。

 田嶋の気持ちを分かりたいと、彼が今何を考えているのだろうと思うことは、変なことだろうか。僕には分からない。人付き合いから逃げ続けてきた僕には。


 なあ田嶋。どうしてキミはこんな僕と話してくれるんだ?

 こんな根暗でつまらないヤツと話して楽しいか?

 僕のせいで彼がここに来ないといけないと思っているとしたら。僕は耐えられない。


「洗濯機を貰うことになったんだ」


 自分でも驚く程、するっとその言葉が零れ落ちた。田嶋が、驚きに目を丸くしてこちらを見る。その表情がまるで小さい子どものように、僕には見えた。


「え? それって……」

「うん。今週末には持って来て貰うことになってる」


 彼の浅黒く焼けた肌から、血の気が失せていく。

 ねえ田嶋。なんで、そんな顔をするんだ?


「もう、ここに来ないってことっすか?」

「そうだね。僕はもう来ないよ」

「いやっそんな急に……えっ俺なんか変なこと言いました? 嫌な思いとかさせました?」


 田嶋の声は震えていた。僕は、彼の顔が見れなかった。


「別にたいした理由じゃないよ。本当にただ洗濯機が届くってだけ」

「じゃあ別にここに来たっていいじゃないっすか! また話ましょうよ!」


 彼の言葉に、僕は緩く首を振る。


「ごめん。学費とか生活費もバイト代から出してるからさ。こうも頻繁にコインランドリーに来てると結構財布的にキツいんだよね」

「そんなん俺がいくらでも出しますって! あっじゃあ一緒に洗濯します? それなら安上がりだし……」


 田嶋の気持ちは嬉しい。なんならそれは僕にとっては魅力的な提案すぎる。でも、それだと彼が苦しくなるだけだ。田嶋がどうして十七という若さで働いているかを僕は知らない。でも、例え数百円だとしても僕は彼の負担にはなりたくなかった。


「田嶋の気持ちは嬉しいよ。でも、田嶋が汗水垂らして貯めたお金は、田嶋が使うべきだ」

「そんなの……!」


 ぎゅっと、彼が膝の上で手を握る。それがどういった感情によるものなのかが、僕には分からない。


「――嫌っす」

「え?」

「嫌っすよ。俺木戸さんともっと話してえっすもん」

「いやいや別に今生の別れじゃないんだから。また店に来てくれたら会えるよ」

「そうじゃなくて!!」


 突然田嶋が声を張り上げたことに、驚いて肩が震えてしまう。彼はそんな僕の服をすがるように掴んだ。


「俺、木戸さんと話すのマジで楽しくて。何て言うか、木戸さんと話してたら安心するんっすよ。仕事とか全部イライラするし腹立つけど、木戸さんとここでダラダラ話してる間は全部忘れられる気がするんです」


 それは僕も同じ気持ちだ。でも、だからこそ分からなくなる。

 ここ数ヶ月で分かったことがある。彼は見た目で勘違いされてしまうが、根っこの部分はとても優しくて、そして温かい人だ。そんな彼なら僕なんかじゃなくてもきっと楽しくやれるはずだ。なのに、どうしてそんなことを言ってくれるんだろう。それが、僕には分からない。


「……どうして?」

「え?」

「別に僕じゃなくても大丈夫だよ。田嶋はめちゃくちゃいいやつだ。絶対僕以外にいい話相手が見つかるって」

「なんでそんなこと言うんですか!?」

「いやなんでって……」

「俺、今からすげぇキモいこと言いますね」


 すっと息を吸って顔を上げた彼の目には、大粒の涙が浮かんでいた。でも、初めてここでちゃんと話した時に見せたものとは違うぐらい、こんな僕でも分かった。


「一目惚れだったんです」

「え?」

「だから、一目惚れだったんです! 俺が! 木戸さんにッ!!」

「はい!? その一目惚れってのは……恋愛的な意味で?」


 僕の問い掛けに、彼はこくりと、ハッキリと頷いた。


「いやいやなんで僕なんだよ。田嶋にはもっといい人がいるだろ?」

「そう言うんじゃないんっすよ。初めて木戸さんを見た時、なんか分かんないですけど目が離せなかったんです。ただ、この人と仲よくなりたいって思ったんです。俺、正直恋愛とか分かんねーけど、木戸さんといるとなんつーか胸の辺りがぽかぽかするっつーか、言葉にすんの難しいですけど」


 ポロリと、田嶋の頬に涙が一筋伝った。ここで冗談だと言わないのは、彼が見た目に反して真面目すぎる程に真面目な性格であることもあるだろう。でも、そんなことじゃなくて、きっと彼は本気で僕のことが好きなんだろう。


 ――好きって何だと思います?


 ふと、先日山田に言われたことを思い出す。

 そんなの、僕には分からない。それは今この瞬間も同じだ。


「俺、冗談じゃないっすから。本気で木戸さんのこと好きなんです」


 唇を、辺りに漂う熱とは違う熱が襲った。それから、もうすっかり嗅ぎ慣れてしまった、田嶋の甘い香水の匂い。それが強く香って、頭がくらっとした。

 田嶋の顔がすぐ目の前にあって、ようやく僕は彼にキスをされていることを知った。


 僕のファーストキスは、物語のような甘酸っぱいものじゃなく、もっとむせかえるような甘い匂いと、ガサガサとした感覚だった。

 ゆっくりと僕から離れていく田嶋の顔を見て、初めて彼の目が茶色いことを知った。その澄んだ色に、まるで吸い込まれてしまいそうだと、思った。


「洗濯機、新しくしても俺といてくれますか?」


 なんだよそれ。

 なんだよ、それ。

 さっきまで彼の熱があったその場所に、指先で触れる。


「――ずるい」


 僕の口からは、返事の代わりにそんな言葉が零れ落ちた。

                               〈了〉

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コインランドリー・コミュニケーション @Tiat726

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