第2話 お年寄りが電車の中に来た!
これは…いやあ、どっちだろう。
僕はその人の足腰をよく確認した。もし関節に不安のある方ならば、ぜひとも座りたいはずであろう。しかし残念ながらこの車両に優先席はない。全ての席は人で埋まっている。さらに言えば、通路でさえも人がそこそこいるのである。
譲るべきか…。
これは迷いどころである。とりあえずはその人の動向を見るとしよう。
するとそのお年寄りは人を分け入って奥に進み、何と僕と僕の隣の人の目の前に来たのである。
間かぁ~、厳しぇ~
確かに、気持ち空間ができていた僕らの正面は、入りどころだったのかもしれない、だが、あなたの醸し出すその雰囲気、両隣を見ると明らかに自分が一番若いだろうという状況。これはなかなかに揺さぶられる判断である。
そのお年取りは綺麗なまでの白髪であった。少し息を切らして、スマホ画面を両手で確認している。
迷いの原因がある。これは簡単な話ではない。席を譲るという行為は単なるやさしさで完結しない。それはある種の認定なのだ。「あなたは譲られる人間です」という老人扱いの認定であると思われるのだ。しかし実際もしそうであったとして、ぶち切れられる筋合いはないと思う。だから私を迷わせているのはそれだけではないのだ。断られることの恐怖、あるいは譲った後の周囲に伝わってしまう「やったったぜ感」の恥ずかしさ、次が大きな駅だからどっかは空くだろうという予見。今すぐ強いて譲る必要はないと思えた。
僕はまごついた。横の人は目を瞑っていた。お年寄りの方は斜めにずれた眼鏡をかけ直した。そして、電車が発進した。僕の目はひたすらに向かいの窓を見つめながらも意識をお年寄りの方に集中させた。くるっ!この揺れ!だいじょうぶなのかー!
スマホに夢中になっていたお年寄りの方が発進の揺れで体勢を崩し、慌てて手すりに摑まった。「おっとっとっと」と言い、隣の人に荷物が少し触れたのか、軽い会釈をしていた。ここで僕は意を決した。
言い出すは一時の恥、言いださぬは割と持続的な恥!別に断られて気まずい感じになったっていい、細かいことは気にするな!ええい!
「あ、あの、席、良かったらどうぞ。」
「え?」
「あ、いや、」
うわああ、ミスったー!決まらなかったやつー!言い出した結果、割と持続的にハズイやつー!っと思ったが、
「ああ、ほんとですか。ありがとうございます。」
急に席を譲ったことに驚いていたらしかった。確かにすぐ譲るのではなく少し時間があった後であったために違和感のある行動であったのだろう。僕としてはいろいろと根拠がそろったからごく自然に譲ったつもりであったが、もしかしたら今この人は僕に譲ろうか譲らないかの逡巡があったことを理解し始めているかもしれない。この人の様子は…にこやか!やべえ、読まれた!僕の迷いと頑張って勇気出した感が、読まれた!これはこれでハズイ!
狭い中で、僕らは位置を交代した。横の人があくびをしながら目を覚ます。荷物を自分の方に気持ち寄せるような動きを見せた。周りの人も僕らの動きに目を向けた。
「へ~。やるやん。」って感じの目だろうか。それとも「うお、譲ってやんの。」って感じだろうか。まあもうどうでもよかった。僕はいいことをしたんだ。確かにちょいと目立った行為かもしれない。でも何一つ後悔はない。いいことをした僕は全然胸を張っていいはずだ。そうして入れ替わったのだが、なんとなく気まずくてか僕は通路の先、何処かへ歩き出した。
だってそうだろう。譲った人を目の前になんて顔でいればいい!恩着せがましく眼前に立たれたら向こうも気まずいだろう。僕としても見せびらかしてるみたいでなんかいやなのだ。かといって狭い通路をかき分けていく僕の姿は意味の分からない人だった。電車は走行中なのにもぞもぞして普通に邪魔だっただろう。良いことをしたのが帳消しになるようであった。
それでも僕はもぞもぞ動いて扉の前のスペースに立った。どうにか何もなかったかに見せられないか。いいことをしたのは分かっている。でもやっぱりなんだか恥ずかしかった。満足感と恥ずかしさとその全てを察せられたくない気持ちがぐちゃぐちゃになりながら、扉の窓から見える街並みを見ていた。西日が輝いていた。
それはそうと、何も言わずに席を立って「あいてますよ」をやればよかったと思った。最近の若者に流行りのやり方である。そうすれば向こうの人も「あ、譲ってくれたんだ!」と思わずに「ラッキーなこと」として扱ってくれたのに。どうして、いいことをするのが恥ずかしい社会になってしまったのだろう。などと世界の理について考えていると、次の駅に到着した。僕はブレーキで体勢を少し崩したが、持ち前の対韓で踏ん張った。同時にやはり譲ってよかったと安堵した。
扉付近にいたのでホームで待っている多くの人とすれ違いながら、扉が開くと、僕は一緒に出た。濁流のように人が流れ出て言った。そして全員が出たかなと思って再び電車に乗ろうとしたとき、あのお年寄りの方が最後に降りたのであった。
いや、一駅だけかーい!
僕は爆速で電車内に戻り、空いた端っこの席に鎮座してついに誰にも譲ることなくそのまま動かなかった。
日常的な高次元の読みあい 江戸瀬虎 @etuoetuoduema
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