日常的な高次元の読みあい

江戸瀬虎

第1話 前から人が来た!

はいおっけ。


とりあえず視界には入ったか。


どこにでもある、良くある歩道。この道の左側は茂み。右側は車道。茶色の手すりのようなガードレールがあって、等間隔に木が植えてある。季節は秋。小動物の足跡のように枯れた木の葉が落ちている。


とりあえず左側歩行だな。裏をとる必要はなし。安パイで充分。相手は俺に気づいているであろうか?


対抗の男は深くフードをかぶっていた。そして強い加工の入ったデニムを履いていた。服装は人の性格を表す。金髪もしくは短髪、あるいはそこに加えピアス開きが確認できれば彼は警戒に値する。道を譲る気など無いと言える。


ほうほう、真ん中ねえ。いやだねえ。


こちらに気づいてはいなそうであった。しかし中央を陣取られてはこちらも対応が遅れる可能性がある。ここからは読みあいの時間。

まずは主張。背筋を伸ばし足音を気持ち大きめにする。

効果なし。

であれば、もう単純に左側徹底で真ん中でさえも躱せばいい。

そう、思っていたその時!


すこし奥の左側に電柱があった。


つまり、俺は何処かで左側徹底を諦め、右側に膨らむ必要があるのである。

もしそれが対抗者とのエンカウント地点であったら?


これはなかなか鬼門だな。


変わらず、男はフードをかぶり、真ん中を歩く。距離は近づいてきた。ピアスの有無はいまだ分からない。しかし、それよりも重要なものが俺には見えた。


おい、歩きスマホじゃねえか。


こうなったら話は別である。全くの自分ルールであるが、歩きスマホしている人間に対してはわたくし、善良な一般市民代表として負けるわけにはいかない。なにより、もしこの状況で衝突したとしてもどう考えても歩きスマホ側に非があるのだ。あんまり、俺の歩行を舐めんなよ。


さらに距離は縮む。車の通りもなく、ほかに人もいない。さあ、一騎打ちだ。


俺は電柱を避ける意味も含めて右方向に舵を切った。そして対抗者と同じように中央に構えた。


これでいい。避けるならお前だ。そして避けないならば俺の勝ちだ。


緊張が走る。風が枯葉をどかす。俺の一歩は大きくなる。すると…


風を感じてか、対抗者がフードをとる。そして同時に歩きスマホが解除される。この二つの情報更新は大きなことである。また読みあいが回る。これで振り出しだ。


…と思っていた。


なに…お、お、女だと…。


いや、どっちだろうとよかったのだ、良かったはずなのだ。しかし、俺の中に雑念が混ざる。高度な読みあいだからこそ些細な障害で動揺を招く。


ぶつかっていたなら、負けていたのは…俺の方だったというのか…


よもや対戦相手に助けられる展開。相手の勝利の放棄。無論そんなことを相手が考えていないことは分かっているが、思考に不純物が混ざる。


切り替えろ!相手がこちらを確認した!


状況は互いに中央陣取り。おれは右がオープンで相手にとっての左。理想の状況としては一方が開いているほうにずれ、他方が中央そのまま。


ここで脳裏をよぎるはじゃんけんにおける傾向。とっさのじゃんけんにおいてグーが出るという説はもう古い。最近の人間はチョキなのだ。そしてそれが意味するものは『何かしなきゃ』の現れ!つまり俺はここではグー(中央陣取り)をだす!


ずん、ずん、ずん!…ぴくっ


動かない!…だと…?


しまった!そうか、ここで加工デニムとピアスが効いてくるわけだ。一筋縄じゃあ行かねえよと。ちっ、忘れてた。


でもこの読みあいのおかげで大体は読めた。動かないんだろう?絶対に。あなたは多分意志が強いタイプだ。だから次こそは躱してやる。


焦るな…右か左か。どっちでもいいだろう、どうせ避けないんだから向こうは。いやでも、もし万が一避けたら?くそっ!なんて不利なんだ!


そのような危機的な状況の中で、俺は、ある友人の戯言を思い出した。


「俺発見したわ。向かいの人とすれ違う時さ、どっち側に避けるかっていつも悩むじゃん?でもさ、俺気づいたんよ。俺やけに人とぶつかりそうになるなーって思って自分が避ける時を意識してみたの、そしたらね、何とびっくり、利き手側に避けてたんだよ。俺左利きじゃん?避けるときって一旦左側に行くんよね。んで右利きの人は右側に行く。これ研究のし甲斐あると思う。」


はっ。まさかこんな状況であいつの言葉が役に立つとはな。けど…ありがとう!


覚悟は決まった。右側に避ける。今度こそ、うまくいくはず。

もうお互いの表情が見える距離だ。よし!今だーーーーー!


それはもう、まるで、スローモーションのようにはっきりと、ゆっくりと、鮮明に

躱そうとする二人の、全く同じ動きがこの目に映った。焦った相手の顔が不覚にもかわいいと思った。



ひぃ!だぁ!りぃ!きぃ!きぃ!かーよぉぉぉー!


もうどうしようもなかった俺は、その叫びのリズムに合わせて、およそ変人でしかない反復横跳び的なサイドステップで左側に飛び出し、ついにそのまま茂みに突っ込んだ。


負けだ。完全に負けだ。なんでこんなひどい目に合うのか。ただただ、理解不能であった。しかし、


「大丈夫ですか?」


声が聞こえた。あの子の声だ。こんな変人を心配してくれているのか。俺は嬉しくなった。


すぐさま体を茂みから引き抜き、体勢を直した。


「なんかすみませんでした。」


「いやあ、こちらこそ」


やっぱり普通に気まずかった。


相手もそう思ったのか、「じゃ」といい、その場を去ろうとした。


だが、俺はそれでいいのか?

こんなチャンス、ないかもしれない。

相手はこんな自分にも話しかけてくれるいい人だ。

ケガの功名。それを実現するなら、今しかない!


俺は、声を出した。


「ちょっと待ってください!」


その人は、振り向いてくれた。加工デニムであっても振り向いてくれるのだと、自らを反省し、勇気を出して伝えることにした。


「あ、あの…あなたの…」


その人は多少慌てたように周りをきょろきょろしだした。


「あなたの!」


「え?ちょっと待ってください!ここd」


「利き手は!左ですかぁー!」


「……は?」

彼女は全ての動きを停止した。


「あなたは!左利きですかぁ!」


勇気を出した放ったひとこと。

そして実に十秒ほどの沈黙の後、彼女は言った。


「…はい。」


どうやら俺の友人は、間違ってなかったようだ。

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