芸術と倫理――『アマデウス』と金子みすゞ

Kay.Valentine

芸術と倫理――『アマデウス』と金子みすゞ

映画『アマデウス』を見たことがありますか。


18世紀ウィーンを舞台に、天才作曲家モーツァルトと、努力によって宮廷作曲家の地位を得たサリエリとの確執を描いた名作です。


この作品は、芸術の世界に潜む「嫉妬」という感情の恐ろしさと、人間の弱さを鮮烈に浮かび上がらせます。


努力によって才能を磨いてきた人ほど、天賦の才を目の当たりにすると、どうしようもない無力感と嫉妬に襲われることがあります。


それは単なる劣等感ではなく、「なぜ自分ではなく彼なのか」という存在への問いでもあります。


サリエリがモーツァルトに向けた感情は、時代や職業を越えて、今も多くの人々の心に潜んでいるものかもしれません。


この映画を見るたびに、私は詩人・金子みすゞのことを思い出します。


彼女の全作品は、当時、詩人・西城八十に託されていました。


しかし長く世に出ることはなく、彼女の死から36年後、若き矢崎節夫氏によって初めて発掘されました。


もしこの宝が早く世に広まっていたら、日本の童謡詩の流れは大きく変わっていたかもしれません。


西城八十は、その時代を代表する童謡詩人でした。


しかし、金子みすゞの詩には、自然と生命への限りない慈しみ、そして存在そのものへの洞察が宿っています。


それは努力や技巧では到達し得ない、まさに“天賦の光”のような輝きでした。


そこに、サリエリとモーツァルトの関係を重ねてしまうのです。


芸術を志す者にとって、嫉妬は避けがたい感情です。


けれども、それを他者を否定する力に変えてしまえば、人類の宝を失うことになります。


誰かの中に宿る才能を押しつぶすことは、同時に自らの未来を閉ざすことでもあるのです。


芸術とは、競い合うものではなく、響き合うもの。


その調和の中にこそ、永遠に残る作品が生まれる――


『アマデウス』と金子みすゞの物語は、そのことを静かに教えてくれます。

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