第34話
馬を走らせてしばらく……。生気のない岩肌の露出した荒野を抜け、ついに見えてきた。
あれが……禁足地。
視界の端から端まで生い茂った木々。遠くからでも感じるただならぬ雰囲気。近づいてはいけない場所だと、直感がそう告げている。
第一部隊は森の入り口までやってくると馬を止める。ここからは徒歩での調査となる。イチタも荷馬車から降りて、その全貌を見る。踏み入る前に、確かめておきたい。そこから感じ取れるもののすべてを……。
初めて感じる空気だ。いや、以前にも一度ある。それも最近……そう、アズー村の先にある森。あれはまさしく、ここで嗅いだにおいと近しいものがある。確か、方角的は近しいはずだ。嫌な予感がする。
「イチタ殿」
「うわっ」
この先で待ち構えるものと対峙することを考え、改めて気持ちを整えていたその時、背後から声をかけられる。立っていたのはミーネアだった。
「び、びっくりした……」
「何をそんなに驚いている?」
相変わらずこの人は気が付いたらそこにいる。こうしてみると、誰かにそっくりだな。
「ネアちゃんも来ていたのか」
「まぁ……いろいろやることが多いんで」
ミーネアはため息混じりに言った。魔物の根城を発見したのも彼女だというのだから、本当に多忙を極めているのだろう。顔色からは見えてこないが、声の調子から憔悴していることが窺える。
「本当なのか? この森を進んだ先に、俺たちの探し求めていたものがあるってのは」
「ああ、間違いない」
「……すんなりとはいかなそうだな」
「血を流す覚悟はしておくべきだろう」
分かっていたことだが、はっきり言われると気が重くなる。逆に言えば、ここさえ打ち破ることができればすべて解決だ。臆せず行こうじゃないか。希望があれば、開ける道もある。
「俺だって、このまま向こうに好き勝手やらせるつもりはないさ。皆の役に立てるよう頑張る」
「うむ、その意気だ」
「全部片付いたら、ネアちゃんともどっか行きてぇな。話したいこともあるし……」
「……考えておこう」
「よろしく頼むよ。じゃあ、ネアちゃんも気を付けてな」
「……」
「どうかした?」
「その、ネアちゃんという呼び方はなんなのだ?」
「えっ……えーと」
指摘されて初めて気が付く。無意識的にそんな愛称で呼んでいたことに。何がきっかけでそうなったのか自分でも分からないが、良い意味で先輩らしくない彼女に対して砕けた言葉遣いを用いているうちに、いつの間にかたどり着いていた。いくら友人感覚で接することができるからと言っても、一応目上なのだ。ここは一度改めるべきだろう。
「やっぱり、こういうのはあまり良くないよな。じゃあ、ミーネアさん……」
そこまで言いかけた時、ミーネアが食い気味で口をはさんだ。
「いや、変える必要などない。ただ、慣れない呼び方だったのでつい聞き返してしまった。そのままネアちゃんと……話し方も今まで通りで良い。ワタシも堅苦しいのは苦手だ」
「は、はあ……」
「フッ……ではな、イチタ殿」
あれ?
そう言うと、ミーネアは行ってしまった。去り際に一瞬だけ笑みをこぼしたように見えた。口元が隠れているから、はっきりとは分からないが……。
そうこうしているうちに、第一部隊のメンバーが整列し始める。イチタも荷馬車のなかでウトウトしているセリカを起こし、彼らに倣って移動する。毎度のことながら、よくこんな状況で眠りこけることができるなと、彼女の肝の据わり具合に感心する。
リュドとガドロックを先頭に、第一部隊は森の中へと足を踏み入れた。
森の中は暗さに加えて、足場も悪い。それにいつ何時魔物が現れるかも分からない。慎重に進もう。ただ、今回はいつもとは違い大所帯だ。幾分か安心感が違う。
「ん?」
前方に人影らしきもの。一人ではない。近づいてよく確認する。あれは……。
それが一体何なのか。気づいたアスターの団員が、慌てて駆け寄っていく。
「おいっ、大丈夫か!」
「うぅ……」
間違いない。夕刻に禁足地に出向いた先遣隊の人達だ。全員負傷していて地面に倒れている。団員に続いて、イチタたちも彼らの元へ行く。
大木にもたれかかった一人の隊員。まだ意識がある。ここで何があったのか、比較的軽傷な彼に尋ねる。
「しっかりしろ。一体何があった?」
隊員は負傷した肩を押さえながら、なんとか口を開く。
「ど、洞窟の中で……皆が……くっ」
「洞窟?」
隊員は精一杯状況を伝えようとするが、情報が断片的でこれだけでは何とも……。だが、これ以上の無理強いはよくない。
「救護隊を呼べ、先に彼らを保護する」
「は、はい」
ギルド長が指示を出し、救護隊の到着を待つ。その間、近くで負傷した隊員を見守っていると、集った団員を掻き分けてミーネアが前に出た。
「ちょっと失礼」
ミーネアは隊員の前でしゃがむと、負傷した部分をじっと観察する。しばらく観察して立ち上がると、端的に説明した。
「魔物の仕業のようにも見えるが……そうとも言い切れない。もっと念入りに調べる必要がある」
「ネアちゃん、それって……」
イチタが尋ねると、ミーネアはあっさりと結論付ける。
「この森には、ワタシ達の知らない何かがいる……ということだ」
自分たちの知らない何か……それが分からない以上、真相にはたどり着けない。ミーネアが魔物と断定しなかったのは、そういうことなのだろう。今いるこの森がどういった場所であるかを見定めるのには丁度いい。
だが、焦りは禁物だ。観測できる範囲で少しずつ対処していけばいい。
魔物ではない何か……か。焦らずに、とは言ったものの。考えれば考えるほど、ミーネアの言葉が気になってくる。何か、それを探る方法があればいいのだが……。
探る……そうだ。
「ちょっと、失礼します」
イチタは隊員の負傷した部分に手をかざす。そして、心の中で強く念じた。
ーー頼む。この傷をつけた存在の元まで導いてくれ。
その想いはラピセムを通じてカタチとなる。彼の願いを聞き入れたのか、精霊羽虫がこの場に集う。それを見た周りは驚きの声を上げた。
羽虫は負傷した隊員の周囲を飛び回った後、一度イチタの方に戻るとそこから森の奥へと飛んで行った。どうやら、案内してくれるようだ。行動に移る前に、一度ギルド長に許可を願う。
「リュドさん」
それだけで、イチタの意思を汲み取ったのか。リュドはただ一言彼に告げた。
「頼んだ」
「セリカはここで皆と待っていてくれ」
「うん。気を付けて」
今から行う調査は王都の救済が名目となるが、イチタの個人的な好奇心も含まれている。不必要に巻き込めない。イチタは隊の進むルートから外れ、一人森の奥へ進んだ。
羽虫の導きによって、不思議と心細さはない。これほど鬱屈した森の中だというのに、以外にも気持ちは穏やかだ。そのせいか、周囲の状況がよく見える。イチタはまず一つ見つけた。
自分の進む先に、無数の足跡。おそらく、先遣隊のものだ。歩幅が不規則に乱れていて、よほど焦っていたことが分かる。足跡に続いて、さらに突き進む。
そしてようやく、彼らが深手を負ったであろう場所を発見した。
「ここは……」
木々の向こうから突如、巨大な洞窟が姿を現した。おそらくここが、すべての原因とみて間違いない。意を決して洞窟に入ろうとしたその時、背後から足音が聞こえてきた。
「おーい。イチタ!」
「レナト……」
手を振りながら走ってきたレナト。イチタの元まで到着するや、膝に手を当て、肩で息をする。
「どうしたんだ?」
「ハァ……ハァ……どうしただって? 見りゃ分かんだろ。オレも付き合うぜ」
「え? でも……」
レナトは呼吸を整えると、景気よく口にした。
「一人より二人……だろ!」
「レナト……」
「なんて……カッコつけてみたけど。こんな状況だし……オレもなんかしなくちゃと思ってさ。非力かもしんないけど頼むよ」
「いや、来てくれて嬉しいよ。ありがとうな、レナト」
「お、おう! そんじゃ、サクっと終わらせちまうか」
「ああ」
二人は問題の洞窟へと踏み入った。
森の中もそうだが、洞窟の中はさらにその暗みを増す。幸い、羽虫の放つ明かりのおかげで、移動が困難になることはない。それより、いざ魔物が出てきたときのため、身構えておくことが大事だ。
「にしても、やけに静かだな……先遣隊は、本当にここへ入ったのか?」
「……はずなんだが」
羽虫が導いてくれている以上、先遣隊を壊滅に追いやった存在は、間違いなくこの先に潜んでいる。ただ、今のところそれらしきものがやってくる気配はない。それでも、気を抜かずに進もう。
そこからしばらく歩き進めていると、前を行く羽虫の様子が急変した。八の字にくるくると回り、何かをアピールしているようだ。羽虫は何度か一か所で羽ばたき回ると、イチタの腕輪の中へ飛び込み、そのまま消えてしまった。
羽虫が消えて数秒後、洞窟の奥から音が聞こえてくる。小さな音がいくつも連なり、やがて洞窟全体と共鳴する。パラパラと天井から砂が落ちる。
「な……なんだあれ?」
洞窟の奥から、無数の黒い塊が飛んでくる。飛んできたものの正体が判明した時には、もう目の前まで迫ってきていた。
「うわっ」
「くっ……」
パタパタと自分たちの横を通り過ぎていく無数の蝙蝠。二人は思わず顔を背けた。
蝙蝠が去った後、洞窟は再び静まり返る。
「今のは……」
「洞窟じゃよくあることだ。気にするまでもないさ」
「……ならいいんだけど」
レナトが言うように、蝙蝠はただこの場を通過しただけで、これといった危害は加えてこなかった。しかし、イチタはどうにも気がかりが拭えない。イチタには、あの蝙蝠渡りが洞窟へ入り込む者への警告に見えた。今はただ、無事に帰還できることだけを願う。
さらに奥地へ進むと、大きく開けた場所に出た。その空間には高さの違う岩柱が何本も立ち並び、まるで一つの芸術作品のようだ。
「ひゃあ~すっげぇな~。こんな場所があったなんて」
柱を見上げては、驚嘆の声を上げる。レナトの反応にも、頷けるものがある。確かに、これだけ見ると、圧巻の光景だ。しかし……。
これ以上先に、道はない。ここまで一度たりとも……魔物にすら遭遇していない。もぬけの殻……。
「なんだ。まだ生き残りがいたのか……」
洞窟に響き渡る冷たい声。声の主を確認する間もなく、事態は急変する。
ーーシュッ。
「ぐはっ!」
「レナト!」
見えない攻撃によって、レナトは吹き飛ぶ。飛ばされた勢いで岩壁に激突し、そのまま気を失ってしまった。
イチタは素早く周囲に目を凝らし、敵を視認しようと試みた。だが、それも既に間に合わず。
「がはっ……」
なすすべもないまま、首を捕まれ背後の壁に叩き付けられる。羽虫を使って防ぐことすらできなかった。壁に押され首を絞められながらも、何とか片目をうっすらと開けてその姿を見る。
「お、おまえは……」
燃え盛るような紅い瞳。地面に届くほど長い白髪。漆黒の衣を身にまとい、背丈は小柄ながらも並大抵の者なら簡単にねじ伏せるくらいの脅威的な威圧感が見て取れる。
一見、普通の少女のようにも見えるが、その目は狂気に染まっていた。会話でどうにかなるとも思えないが、それでもやるしかない。
「くっ……その手、どけろ……」
掠れるような声が喉奥から漏れ出る。少女の目の色は変わらない。首を掴んだ手は、一向に緩む気配を見せない。
「どうにも理解できんな。取るに足らぬ存在でありながら、納めた牙の行方も知らぬとは……」
「何を……言って……」
「まぁいい。そうやって運命を繰り返すのが、貴様ら人間の性というものだからな」
イチタは腕を伸ばし、一か八か力を解き放った。腕輪のラピセムが光り輝く。反撃を察知した少女は、彼から手を離し一瞬でその場から離脱した。
解き放った力は青白い稲光となって激しく暴発し、土煙を巻き起こした。
「けほっ……けほっ……」
膝をついてせき込むイチタ。粗雑な力の使い方は体力を著しく消耗する。こういった時以外は、使うことを許されない。無茶な判断だと思いつつも、一時的に彼女を退けることができた。問題なのはここからだ。
少女は近くの岩柱の上に器用に直立する。地面に手をつくイチタを蔑むような目で見下ろし、その口を静かに開いた。
「なぜ抗う……何がお前をそうさせる……?」
次から次へと言ってのける少女に、イチタはとうとう我慢ならなくなった。震える体を起こし、少女に言い返す。
「いきなり襲っておいて、随分な言いようじゃないか。お前が皆をやったのか?」
イチタの問いに、少女は答える。
「警告はした。そして、選んだのはお前らだ」
「何が目的なんだ?」
「目的?」
「そうだ!」
「お前ら人間がそれを言うのか? 自らの野心に溺れることでしか自己を証明できぬ哀れな生き物よ」
「なんとでも言えよ。もちろん、こっちだって誰一人袖を濡らすことなく欲しいものを手にできるだなんて思っちゃいない。覚悟はしているつもりさ。けどな、人間は人間の守りたいもののためにやってる。もう後戻りなんてできねぇところまできてんだ。そこに割り込む以上は、相応の大義を示してみせろよ!」
「大義……か」
少女は岩柱からスッと降りると、音もなく地面に着地した。そして、ゆっくりとこちらに近づいて来る。少女の接近に、イチタは身構える。だが、不思議と先ほどのような殺意は感じない。
「お前は他の輩と違って、多少骨のあるようだな。いいだろう、教えてやる」
目の前に立つ少女はグイっと顔を近づける。開いた口から鋭い歯を覗かせると、イチタの首筋に噛みついた。
「いっ」
勢いあまって、イチタはそのまま少女に押し倒される。すぐに振り解こうとしたが、想像以上に力が強く、馬乗りになった彼女を払いのけることができない。
首筋に歯を突き立てられてしばらく……ようやく離れたかと思うと、その口元からは真っ赤な鮮血が滴り落ちていた。噛まれた時に感じた痛みは文字通り一瞬であり、特に違和感もない。今の行為の意味が何なのか、少女はすぐに話してくれた。
「我々、吸血鬼は存在することそのものに意味がある。お前らの言う大義になぞらえるのならば、それが答えだ。そして、吸血鬼が存在し続ける上で絶対的に欠かせないもの……それが血だ。血を得ることで、私は吸血鬼の真理に一歩近づく」
二人は立ち上がり、改めて向かい合う。吸血鬼……さりげなく彼女の口から出たその存在に内心驚きつつ、話をさらに進める。
「さて、お前に言われた通り、私は己の大義を証明した。ならば今度は、お前自身の大義とやらを聞こうじゃないか。それが物事の道理であり、世の理というものだ」
「……俺たちの世界が危ない。今、外は魔物で溢れかえっている。ここで食い止めなければ、皆の居場所がなくなっちまう。だから進まないといけないんだ。その先がどんなに暗雲立ち込めようとも……」
「……それがお前の答えか」
「……ああ」
少女はこちらに背を向けると、ゆっくり歩きだした。場の中心まで歩くと、そびえる岩柱を見上げる。
「実情は把握している。今、この世界はあらゆるものが渾然一体と化している。天体は交じり、地上は荒れ狂い、魑魅魍魎が闊歩する」
「知ってるなら……」
「だが、それもまた巡るもの。朽ちては芽生え、万物は常に生と死の狭間を行き来する」
「指をくわえて見てろっていうのか?」
「運命とはそういうものだ」
人間の感覚でははかれない。悠久の刻を駆ける吸血鬼ならではの目線か? 少なくとも、イチタにはそれが単なる諦めとしか思えない。
割り切れるのならば、それでいい。だが、そう語る少女の目はどこか悲しみの色が見える。イチタの脳内に、新たな可能性が芽生えた。
もう一度、一か八かの賭けに出るのも悪くない。
「力を貸してくれないか?」
「なに?」
「そっちがどう感じているかなんて、もうどうでもいい。ここから先は俺の話だ。この世界……いや、俺たちの居場所を救うために力を貸せ」
「何を言い出すのかと思えば……くだらん」
「くだらなくて結構。どうするんだ? 受けるのか? 受けないのか?」
「お前の居場所を救ったとて、私に何の得がある?」
「さっき言ってたよな。吸血鬼は存在することそのものに意味があると……」
「それがどうした?」
「血だ。吸血鬼にとって、血は不可欠なもの。もし、協力してくれたら、俺の体に流れるこの血をくれてやる。お前が存在し続けるために、俺自身がお前の糧となる」
「……フッ、フハハハハハ」
イチタの熱演を聞き、少女は笑い出す。少しして、普段の冷たい表情に戻る。
「血など別に、お前のものである必要はない……が、まぁいいだろう」
「じゃ、じゃあ……うっ」
承諾の返事に心浮かれた次の瞬間、少女は姿を消すと、一瞬にしてイチタの前に現れた。少女はほぼ密着する距離でイチタの頬を撫でる。顔近づけ、彼女の吐息が微かに触れる。そして、耳元でこう呟いた。
「望み通り、力を貸してやろう。その対価として、私はお前を喰らう。お前の下した選択が、果たして正しいものなのかどうか……それは、お前の行く末に、お前自身の口から聞こうじゃないか」
「交渉成立だな。えーと……」
「レフィラだ」
「俺はイチタだ」
彼女の言う通り、この選択がどんな結果をもたらすかは分からない。その結末すら、楽しみに思っているのか。レフィラは恍惚とした表情で、イチタをずっと見つめていた。
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