第28話
夕刻になり。集められたアスターのメンバーはすべての住民を避難させた後、それぞれ自分の持ち場に移動する。いよいよだ……ミーネアが魔力の流れを予測した限りでは、魔物は日暮れとともに王都へと侵攻してくる。
まさか、本当にこの日がやってくるとは……心のどこかでは理解しつつも、どこか半信半疑でいた。ギルド長の話を聞き、今まさにそれを噛みしめることができている。全て、セリカが話していた通りだ。
作戦会議が終わった後、第二部隊の物資補給班に配属されたアルフィンは集団での慣れない仕事にだいぶ苦戦を強いられているようだ。イチタもまた、ギルド前にてユーゼットの到着を待っている。
「おまたせ、イチタ君」
「ユーゼットさん」
せわしなく大通りを行き交う団員の姿を眺めていると、ほどなくして住民を避難させていたユーゼットが宮殿から戻ってきた。
「向こうの様子はどうですか?」
「敷地全体に結界を張り巡らしてあるから大方大丈夫とは思うけど、それも魔物の動向次第ってとこかな。ただ、宮殿には団長達がいる。いざとなったら上手いことやってくれるはずさ。さ、そろそろ時間だ。俺達も聖炎広場へ向かおう」
「はい」
イチタはユーゼットと聖炎広場へ向かった。
聖炎広場に到着した二人。寂然とした広場の中心には、幅のある台座が一つ置かれており、そこから誰に見せる訳でもない炎がメラメラと燃えている。
アイシャを待っている間、イチタは気になっていたことをユーゼットに問う。
「あの、ユーゼットさん」
「ん?」
「俺達がギルドを離れている間、街の様子はどうでしたか?」
昼間の不意に遭遇した魔物といい、王都へ戻ってきた時からひしひしと感じていた不穏な空気感を思い出しつつ、ユーゼットからの返答に備える。ユーゼットは遠くに目をやりながら、その重い口を開いた。
「……結論から言うと、状況は少し厄介だ。最初に大通りに出現してからというもの、街中に潜伏している魔物の数は日に日に数を増している。こちらの索敵に引っかからない以上、手探りであぶり出すしかないのは分かっているが、これが中々難しくてね。幸い、潜伏している個体の多くはすぐさま街を襲うようなことはしないから、こっちとしてもじっくり相手してやれるのはありがたい。それでも、長く放置していればその影響は必ず出てくる」
街に潜む魔物……侵入経路も分からなければ、その個体数も何のために身を潜めているのかも不明。積極的に街を襲ってこないあたり、何か別の目的があるのか……単に街の居心地が良くて住み着いてる訳でもないだろう。
思考が頭を埋め尽くそうかという時、近くの民家の屋根を軽快に渡り行く人影が視界に入った。人影は華麗なステップで屋根から屋根へと飛び移り、気が付いた時には自分達のいる広場へと降り立った。燃え盛る炎の明かりによって、その姿が照らされる。
「おっまたせー!」
「アイシャさん!」
颯爽と現れては、アイシャは目の前の二人にはじける笑顔をサービスする。いつも通り、どんな時でも笑顔を忘れないお人だ。
「状況は?」
「今のところ大丈夫だけど、残留した魔力の量が多いから急いだほうがいいかも」
「了解。それじゃ、早いとこ十三区域へ向かおう」
「もう一つ、聞いて」
「なんだ?」
動き出そうとしたユーゼットを呼び止めたはいいものの、アイシャは言葉を繋げづらそうにしていた。ようやく口を開くとその内容を話す。
「偵察中、そこかしこに妙な魔法の痕跡を見つけて……」
「妙な魔法?」
「見たことない術式だったから、念のため触らないでおいたけど……」
「ふむ……」
アイシャの放つ言葉のひとつ一つから、ただならぬ気配を感じる。ユーゼットもまた、彼女の話を聞いて重い表情を浮かべている。
「分かった。今耳にしたことも含めて、任務を開始する。行こう」
三人は失われた街の奪還に向けて動き出す。
十三区域へ入るルートはいくつかあるが、三人はそのうちの一つである下水道から向かうことに。丁度、広場の近くには井戸があり、そこからあちらまで直通で行くことができる。複数人で行くなら、より目立たない方がいいだろうとこの道を選択したのだが、アイシャは「レディはそんなところ入るのお断り~」と、一人屋根を伝って先に行ってしまった。
やれやれとため息をつき、先陣を切って井戸の中に入るユーゼットを見ながらイチタも彼の後に続いた。
井戸から続く下水道を進み、十三区域を目指す。またあの場所へ……そう思うと、心臓の鼓動が激しさを増す。歩む歩幅は自然と狭くなる。この気持ち、どこへ放り出せばいい。下水道の中がほぼ一直線なのがありがたい。右へ左へと続くのならば、いつか壁に額をぶつけていただろう。
そんな放心感を身にまとわせていると、いつの間にか出口へとたどり着いていた。ピチャピチャと水音を立てながら渡ってきた下水道探検もすぐ終わり、梯子を上って外に出る。
再びご対面する地上。とはいえ、そこは直前に見ていた街の景色とはどこか異なる。建物のつくりや並びそのものに、それほど大きな変化ない。しかし、そこかしこに漂う形容しようのない空気に一瞬身震いする。忘れるはずもない。その感覚、体は確かに覚えていた。妙に寂れた外観の建物。陰鬱とした空気。
とうとう来てしまった、第十三区域。喉奥がひりつくような気分に見舞われながらも、気持ちを正してユーゼットの話を傾聴する。
「とりあえず、アイシャが見たという術の仕掛けられた場所を探ってみよう」
「はい」
「状況から察するに、すぐさま影響を及ぼすほどのものじゃないとは思うが……どうにも胸騒ぎがする。と、来たようだ」
ユーゼットがそう口にしてすぐ、地上の方から屋根を跨いでかけ渡ってきたアイシャのご到着。来るやいなや、アイシャは力の抜けた声で愚痴こぼした。
「ふぇぇ……疲れたぁ」
「だからこっちから来たほうが早いって言ったろ……」
精鋭二人のほんわかとした会話を耳にしながら、最初の作戦に移る。まずは、その怪しげな痕跡の確認からだ。
アイシャの案内で、三人は痕跡のある場所へと向かった。痕跡は十三区域内に複数個所存在する。アイシャが見つけたのは入り口付近と屋根の上、裏路地。三人はその内の一つである裏路地までやってきた。入って早々、ユーゼットの表情が変わる。民家の外壁の一点に見える謎の印。ユーゼットはその印をじっと見つめ、さらに外壁を上から下まで全体的に目を通す。そして眉を軽く顰めると、静かに呟いた。
「残り香にしては、何とも主張の多い……それに、この印は……」
「知っているの?」
アイシャが尋ねる。
「……確証はないが。昔、読んだことのある魔導歴史書の中に、この印と似た特徴を持つものを見たことがある」
「それって……」
「いや、ただの偶然だろう……そんなことは、考えたくもない。それよりも気になるのはこの印に込められているものだ」
「込められているもの?」
「はっきりとは分からないが、それでも伝わる。この印から、今にもせり出してきそうな膨大な魔力。隠そうにも隠し切れないほどだ。今は大人しくしているけど。それもいつまでか……条件が揃えば、いつでも暴発するだろう」
それほどの力を蓄えていながら、期を待つかのように佇む印。何の変哲もないただの記号の組み合わせのようなそれは、意味を知れば知るほど、理解を深めようとすればするほどに一層禍々しく感じた。
三人は一度場を離れ、再び井戸のある場所へと戻ってきた。ここから先は、あの印を踏まえた上で、念入りな調査を行う。最終目標は十三区域の奪還。
「あの印……術の性質や仕掛けられている数も不明である以上、解術を試みるのは一旦後回しだ。先に魔物を見つけ出すとしよう。ここは王都の中枢とは違う。気を引き締めて臨まないと」
そう言って、動き出そうとしたその時。周囲に深い霧が立ち込める。ユーゼットとアイシャは、調査の邪魔になるとばかりに纏わりつく霧を煩わしそうにしている。ただ一人、イチタは違った。
「……来ます」
声を小さく震わせながら、その言葉を腹から絞り上げた。イチタには分かる、この前兆。肌にパチパチと、背筋にゾワゾワと、以前にも感じたことがあるからこそ、結論に至るまでの時間はそう長くない。二人はイチタに一瞬視線を配らせた後、同じように何かを感じたのか辺りを警戒する。
霧が現れて間もなく、うっすらとした白い背景の向こうから黒い輪郭を露わに、それはやってくる。三人の周囲を取り囲み、這い寄るように、じわりじわりと。
「なんだこいつら……」
獣にも見えるそれは、異様なうなり声を鳴らしながら、十字に開いた口から牙を覗かせている。その脅威、今まさに喰らいつこうかと前方の一体が地面に爪を食い込ませた。ユーゼットは背中の大槍に手を伸ばすと、一歩踏み込むなり目にも止まらぬ速さで薙いだ。槍先の軌道に合わせて強烈な猛風が巻き起こり、丁度同じタイミングで飛びかかってきた魔物を吹き飛ばした。
「アイシャ!」
「分かってる」
アイシャは手甲を鳴らすと、持ち前の身のこなしで軽やかに走り出し、次々と魔物を打ち払っていく。彼女の手には鮮やかなオーラが纏い、拳を振るう度に漆黒の空に色を足していく。その鮮やかなる腕芸。真に見惚れるのはセリカの剣さばき以来だろうか。だが、ユーゼットも負けていない。
彼は振り薙ぐ槍の動きに合わせて躍進すると、魔物を一網打尽にする。その圧倒ぶりに酔い痴れる間もなく、牙を剥いたばかりの魔物共はあっけなく打ち倒された。
精鋭二人の活躍ぶりに心躍らせながら、イチタは二人の元へと駆け寄る。だが、彼らの目には勝者としての輝かしい色はなく、どこか訝しんだ眼差しで息絶えた魔物を見つめていた。
残された不穏と静寂。掴みようのない違和感を横目に、ユーゼットが呟く。
「……俺らの知る魔物じゃないな」
「外から迷い込んだものじゃないね。どう考えても、ここで発生したに違いないよ」
「姿どうこうと言うより、概念そのものに関与している可能性すらある。厄介なことにならなきゃいいけどな……先に進もう」
開幕早々の面倒に頭を抱えつつも、三人は街の解放へ向けて次へと移る。魔物との遭遇で警戒心もさらに強まり、自然と行動へ反映される。常に周囲の観察は怠らない。何かあれば、すぐに気づけるはずだ。
しかし、そんなイチタの慎重な対応とは反対に、街は変わらず死んだように静止している。何も起こらないというのは、ありがたいことだ。もしかしたら、残っていたのは先ほど遭遇したやつだけなのでは……?
そう、安堵したのも一時。先頭を行くユーゼットがピタリと足を止めた。
「どうしたの?」
即座にアイシャが尋ねる。
「……静かすぎる」
「そりゃ、誰もいないからね」
「そうじゃない。感じないか?」
「感じるって?」
「以前とは違う……魔物が蔓延る場所ならば、仮にその姿が見えずとも、魔物特有の禍々しい空気はどうしたって漂う。だが、今はどうだ? さっきの戦闘を除いて、今ここにあるのはただの静寂……」
彼の意見には、妙な説得力があった。確かに、この静けさには何故か消化しきれないものがある。単に魔物が失せた……と解釈するには都合が良すぎるのだろう。
謎の痕跡。
概念に当てはまらぬ魔物。
異様な静けさ。
この場所に足を運んで、まだそれほど経っていないというのに、次々に湧き出る異変。それはまるで、自分たちの知らないところで着実に、自分たちにとって不都合な物事が進行していることを意味しているようにも感じた。
◆
ギルド館内にて、第二部隊のメンバーが作戦会議に勤しんでいた。第二部隊の指揮を取るラシムが、卓上に広げられた王都の見取り図を腕組みしながらいかめしい面構えで凝視している。周りの団員達も真剣な態度で彼の話を傾聴する。
「以上だ。兵器の場所はそれぞれ見取り図に示してあっからしっかり目通しとけ」
「はい!」
ラシムの掛け声に、皆景気よく返事をする。ただ一人、同じく第二部隊に配属されたアルフィンだけは静かに見取り図を眺めていた。
「何か質問はあるか?」
ふと、与えられたその機会。恐れつつも、アルフィンはゆっくりと手を挙げた。全員の視線が彼に注がれる。それだけでも少し胸にのしかかる気分だ。だが、なんとなくこれだけは言っておかなければ……そんな使命感が彼を動かす。
「オメェは確か、アイツと一緒にいた新入りだな」
「アルフィンです。少し、気になることがありまして……よろしいですか?」
「……言ってみろ」
「先ほど話していた兵器の配置についてなんですが……」
「配置?」
「ええ。今回の作戦において、この並びはあまり最適とは言えないと思ったので」
「どういう意味だ?」
アルフィンは見取り図を指さす。
「見たところ、大砲や弩砲などの主力兵器の多くは、北側の城壁に多く設置されています」
「そりゃ、敵の本拠地が禁足地にあると分かった以上、北側を警戒するのは当然だろ」
「はたしてそうでしょうか?」
「何?」
「今までこの国は、特定の位置に限定せず、あらゆる方角から魔物が攻め入ったと聞きます」
「そんなのは分かってる。だから西や東側にも兵器は設置してある。もちろん南にもな。情報を聞いて、北を多少多めにしてるってだけの話だ」
「内はどうでしょう?」
「内?」
その言葉に、ラシムは眉間にしわを寄せた。アルフィンは構わず続ける。
「ここ数日。魔物はその数こそ少ないものの、侵入経路も不明のまま着実に王都の中枢に入り込んでいます。少数で対処しきれる範囲なので、それほど大きく問題視されていないのもあり、現状最も防御の緩い場所です。確証はありませんが、魔物がどこからやってくるのか真に不明である以上、ここを徹底して固めるということに一考の余地はあると思います」
場の団員達は、誰一人口を挟むことなく静かにその話を聞いていた。だが、少しして団員の一人が言葉を投げる。
「し、しかし……中心区で大砲を放つというのも……」
団員の言葉で、一瞬空気が淀む。不可能でないにしろ、兵器の再配置には時間も要する上、その効力も万全とは限らない。戦いの場において、猪突猛進のラシムもこの時は珍しく腕組をして考え込んでいる。
考え込んでしばらく。ふと、何か閃いたかのように顔を見上げる。そして、先ほどの団員に声をかけた。
「おい。確か、以前なんかの作戦で使っていた試作のアレが残っていたな」
「あ、あれですか……」
団員は困り顔で返答する。
「用意はできます。しかし、期待に添えるかどうか……」
「この際仕方ねぇ。けど、試してみる価値はある。それと残った兵器を急いでかき集めろ。細かい指示は後で出す」
「了解しました」
ラシムは少々にらみを交えた視線をアルフィンに送る。やはり、変に口出しはまずかったかと今になって後悔するも、飛んできた言葉は予想とは違った。
「おい小僧」
「は、はい!」
「お前の案に乗ってやる。その代わり、こっちでたっぷりと働いてもらうかんな」
「は、はいぃ……」
アルフィンの脳裏に、研究室での激動の日々がよぎった。
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