第29話
十三区域に訪れて早々。複数の異変を目の当たりにしたイチタ達。調査の足取りも、より慎重に慎重を重ねる中、ユーゼットがアイシャに提案する。
「アイシャ、索敵できるか?」
「索敵? できるけど……」
突然の申し出に、一瞬戸惑いを見せたアイシャ。辺りをざっと見渡した限りでは、魔物の姿らしきものはまるで見えない。それどころか、以前足を運んだ時に感じたゾクゾクとした気配もない。ただ静かだ。
いや……そうじゃない。その静けさこそが、この十三区域においては異常そのものであるということ。以前の経験を踏まえ、イチタは再度この状況の異様さを噛みしめる。
何のために王都が警戒を示し、何のためにイチタがあの悪夢と対峙したか。見せかけの静寂、あばかずにはいられない。
彼の判断には何か大きな意味がある。いつの間にか、イチタはユーゼットと同じ目で彼女を見つめていた。二人の無言のプレッシャーに、アイシャはいつになく濁し気味の態度で言葉を返した。
「う~ん……それはいいけど、アタシの索敵範囲に引っかかるかどうか」
そんなアイシャを見て、先ほどまでずっと険しい表情でいたユーゼットが笑みを交えて言う。
「なんだなんだ。いつも新参へのちょっかいをあちこちで飛ばしてる割には、随分と後ろ向きじゃないか」
「んんー、それとこれとは関係ないでしょー」
「はははっ」
彼女に対し、ここまで素直にものを言えるのはユーゼットくらいだろう。精鋭の中のリーダー的立ち位置である彼だからこそ可能な、遊び心溢れる追及だ。そのおかげか、緊迫した場の雰囲気が少しだけ和む。
話を戻し、アイシャは早速魔法による索敵を開始する。と、そのまえに。ユーゼットがあるものをアイシャに手渡す。
「そう言うと思ってな。念のため用意してきた」
「これは……?」
渡されたのは手のひらに収まるほどの丸い石。落ち着いた色味で、わずかに光沢を帯びている。
「何ですか? それ」
イチタも気になり、横からその物体を覗き込む。重みのある質感と艶やかな表面から、それがただの石ではないことを裏付ける。それはどこか、イチタの持つラピセムと似ていた。少し拝見しただけも、その石に潜在する力の深さは隠しきれない。石に触れた者ならば、より実感するはずだ。
「まぁ、言ってみれば即席の魔力強化アイテムだ。その魔道具には、術者が放った魔法の力を底上げすることができる。効果は一度切りだが、それでも十分期待に応えてくれる。ミーネアが丹精込めて作り上げた逸品だ」
「そんなすごいものを作れるなんて……結構なんでもできちゃうんすね、あの人」
「なんでも……とまでは流石にいかないだろうが、少なくともこと魔法分野に関して言えば、うちのメンバーの中でアイツの右に出る者はいないだろう」
そういえば、アスターの精鋭達の中で、最初に対話したのも彼女であったことを思い出す。なんの因果か、気が付けば自分も『魔法』というものに触れ、学び、果ては精霊の力を身につけるところまできた。その軌跡が、今この手の中にある。今回も無事に戻れたならば、いつかミーネアからいろんな話をじっくり聞いてみたいものだ。
魔道具を手にしたアイシャは索敵を始める。目を瞑り、呼吸をゆっくりと整える。石を握りこんだ手を軽く空へと差し伸べる。すると、その手を中心にベールを模した光が輪となって街中を包み込むように放たれる。光は瞬く間に広がり、消えゆく様を拝む暇もないまま闇にのまれていった。
街に変わったところはない。この心配も、ただの杞憂に終わればいいと、そう思っていた。
「嘘……これって」
だが、索敵を終えたアイシャの表情が変わる。いつもの陽気な笑みは消え、あるのは焦燥と警戒の色。それは同時に、ただ事ではない何かがこの街のどこかに隠れていることを意味した。
「何か見えたか?」
即座にユーゼットが尋ねる。それに対し、アイシャは間を置かずに答える。
「下……」
「下?」
「この下から、とてつもない魔力を感じる。今はまだ遠いけど、確かに感じる」
下……というのは、他でもなく今現在自分たちが踏みしめている石畳。その向こう側ということだ。
「なんだそりゃ、この下に魔物の巣でもあるってか?」
「いや、そういうのとはちょっと違くて……」
「ハッキリしないな……」
事の重大さに対して、情報がまだ足りていない。これだけでは、どこから手をつけるべきか……。
だが、場所を聞いたイチタがユーゼットに一言投げる。
「もしかして、下水道の方では?」
イチタの言葉に、ユーゼットは一瞬考え込んだ素振りを見せたが、すぐにそれを否定した。
「いや、その可能性は低いだろう。それほど膨大な魔力を有した存在なら、井戸を通じてここへ来るまでの間に、それなりの威圧感を感じるはずだ。魔力は、水と同じく流動する。水を運ぶ下水道ならば、その道に沿ってより鮮明に伝わってくるはずだ。流れを妨げる何かが干渉していない限りは……」
敵の居所が判明しない以上、手探りでこの見えない脅威を突き止めないといけない。しかし、存在そのものが明らかになっただけでも索敵を行った意味は大きい。焦らずに行こう。
気持ちを切り替え、また一歩踏み出し始めた……その時。
「あれ?」
「どうした? イチタ君」
「いえ、今あそこに……」
「あそこ?」
「見えたんです、人影が……」
イチタの視界に、一瞬映り込んだ人影。周囲の暗さも相まって、姿を視認する間もなく消え去ってしまった。それでも、どこかで見たことがある。という気がしてならない。
まだ間に合うかも……。
そう思ったイチタは二人を連れ、急いでその人影が見えた場所まで駆けだした。人影が見えた場所。丁度、井戸から直進して奥に見える比較的大きなあの建物。その裏手に去っていくのを、この目で確かに捉えた。
だが……。
「……いない」
建物の裏側は、少し広い空間があるだけで、人の姿らしきものは見えない。完全に見失ってしまったようだ。
「本当に、この近くにいたのを見たのかい?」
「はい。そのはずなんですが……すみません」
そう簡単に捕まるとも……いや、そもそもあの人影が何だったのかすらも分かっていないのだ。今回ばかりは、気持ちだけ先走ってしまった。
「ふむ……」
周囲をしきりに見回しながら、何か考え込むユーゼット。その間、沈黙は保たれながらもそこから何かを導き出そうとする意志が彼の動きから伝わる。
「アイシャ」
「うん」
その呼びかけに、アイシャは動く。手に光をまとわせ、地面にかざす。一連の流れは、いつか見た追跡魔法を彷彿とさせる。光を帯びた手をかざしたままゆっくりと動かし……そして。
「……見つけた」
アイシャの一言がすべてを繋いだ。やはり、ここには誰かがいた。それが分かった以上、やるべきことは一つ。
「追うぞ」
「こっち」
三人は痕跡を追いかける。右へ左へ、家屋をすり抜けながら足跡の主をひたすらに追う。
走り続けて、最終的にたどり着いたのは一軒の家。周囲に立ち並ぶものと、なんら違いはない。痕跡はここで途絶えている。本当にこの中にいるのだろうか……。順当に足取りを追うことができている今、ここから全く別の場所に消えたとも考えにくい。
家の入口前に立ち尽くしたまま、三人はその外観をじっと眺める。
「アイシャ、お前はどう見る?」
「どうって……今アタシが感じているものをそのまま伝えるなら、多分ユーゼットと同じ」
「やはりか……なら、こっちもこっちでちゃんと答え合わせしないとな」
ユーゼットは槍を構える。それを見たアイシャは驚いた様子で彼を制した。
「ちょ、ちょっと。ほんとにやるの?」
「俺はあいつほど器用じゃないからな。これで一気に終わらせる」
「待って。それならアタシが」
「反転の魔印がかけられている可能性もある。あまり時間をかけるのも良くない」
二人の会話にはまだついていけそうにない。けど、これが膠着するだけの時間ではないことは理解している。武器を出したユーゼットを見て、イチタの士気も上がってくる。彼もやる気だと。高揚する気分に身を預け、イチタの手は自然と入口の取っ手に伸びる。
「イチタ君、ちょっと下がっててくれ」
「え……は、はい」
イチタは素直にその家から離れる。替わるように、ユーゼットが前に出る。彼の動きに合わせて、槍先が静かに円を描く。そのまま大きく振りかぶり、勢いよく薙いだ。
薙ぎ払ったそばから突風が巻き起こり、イチタAは咄嗟に両腕を顔の前へと持ち上げ、容赦なく吹きつける風を必死に防いだ。魔力の織り交ざった風は眼前の家屋をあっという間に包み込む。風はすぐに止み、反射的に瞑っていた目をゆっくりと開ける。そこから先の光景にイチタは言葉を失った。
家が……ない?
どうしたことだろう。先ほどまで目の前に構えていた家屋が跡形もなく消えている。吹き飛んだのではなく、完全に消失したと言っていい。その証拠に、周囲に家の残骸は一つもなく、他にここに家があったという事実を証明するものはどこにもない。この現象が何なのか。丁度、一番知っていそうな人物が横にいる。
「ユーゼットさん」
「思った通り、惑わしか」
「惑わし……?」
「見ての通り、コイツは魔法で作り上げた幻だ。外部の者の目を欺くためのな。ほら、案の定俺たちの探してきた本命が浮き彫りだ」
「本命……」
視線を戻し、家の建っていた場所。その中心に目を向ける。
きれいにくり抜かれた石畳のその下へと続く階段。殺風景な街の床にぽつんと現れた謎の階段。どうにも不自然なその階段には、確かに自分たちの求む答えが隠されている場所として、まさに最適解と言えよう。ここより一つ前に出た情報と合わせれば、彼の言う通り本命そのものだ。
例の人影はこの先に向かったのか? 実際のところは分からないが、この道を見つけてしまった以上、他に選択肢はない。
「よし、行ってみよう」
「うん」
「はい」
三人はその階段を降り、まだ見ぬ十三区域の奥へと進んだ。
◆
「はぁ……」
物資を詰め込んだ木箱を運びながら、ふとそんなため息が漏れる。
なんとも気が滅入る。この疲労感は、決して運んでいる物資の重量によるものではない。明らかに、もっと精神的な負荷が原因だ。
アルフィンは薄々そう感じていた。両手で抱えた木箱に視線を落とす。胸の内でぐるぐると巡る感情は、まるで野ではしゃぎまわる小動物のように落ち着くことを知らない。
本当にこれでよかったのか。
余計な口出しをしてしまったのではないか……。
もし、これで失敗してしまったら……。
なんせ、この作戦の提案者は自分。どんな結果になろうとも、無責任のままではいられない。溢れ出る思いの数々に、心の揺らぎが止まらない。けど、なるようにしかならないという事実がこの気持ちを無理に抑圧する。行き場のない空気がたまりにたまり……。
「はぁ~」
やがてまた、深いため息となって外に出る。
「大丈夫かな……あてっ」
俯いたままでいると、突如背中にバシッと衝撃が走った。
「ラシムさん」
背後に腕組みをしたラシムが立っていた。
「なーにしょぼくれてんだ。ぼやぼやしてねぇでさっさと運べ」
「ラシムさん。僕……やっぱり」
「あん? なんだなんだ? 今更怖気づいたってか?」
「いえ、そういうわけでは……ただ、ちょっと心配になってしまって……この作戦が成功するかどうか。もちろん、言い出したのは僕なので、ここまで来てどうこうしたいというつもりは……あたっ」
長々と心境を並べていると、それを遮断するかのようにラシムから鋭い喝が入れられた。
「んなこといちいち気にしてんな。そもそもなぁ、どんな作戦だろうと確実に成功する保証なんざねぇんだよ。くだらねぇことで頭悩ます暇あんなら今やるべきこときっちりやりやがれ」
それを聞いて、少し気が楽になった。アルフィンは徐々に明るさを取り戻す。
「そ、そうですよね。僕、精いっぱい頑張ります!」
「おう、そのいきだ! 失敗しても、せいぜい魚のえさになるくらいだ。気楽に行け」
「魚の……えさ?」
「あ、ウソウソ。流石にそこまでにはならんから……たぶん」
「たぶん……」
直前まで明るみに満ちていたアルフィンの表情が徐々に青ざめていく。硬直したままのアルフィンを置き去り、ラシムはいつもの調子で歩廊に集う団員に声をかける。
「よっしゃあオメェら! 気引き締めていくぞぉ!」
「「おおっ!」」
「ねぇ、ラシムさん! 何ですか? 魚のえさって! ラシムさんってば!」
「おらぁ! もういっちょ!」
「「おおっ!」」
慌てふためくアルフィンの必死の呼びかけも空しく。場は戦いの段階へと移行していった。
しばらく後……。空模様が変わり、吹き抜ける風の厳しさも増す。ここまでくると、いよいよ大詰めだ。準備もすべて整った。後は来るべき時を待つのみ。
そこから少しして、地平線の先で何かが蠢くのを確認する。
「……奴らが来ます!」
物見の一人が声高々に場の全員に告げた。その言葉で皆の視線が一斉に動く。広く横並びで、連なり。まるで一つの生物のようだ。目を凝らしてみると、おびただしい数であることが分かる。
離れているため音はそれほど伝わってこないが、ここからでもはっきりと目視できるほどに激しく舞う土煙から、その猛襲性はきっちりと伝わってくる。その威圧的な動きたるや。見ている団員の中にはすっかり尻込みしてしまった者や。焦りから気持ちが先走り、荒い呼吸で弩砲に手をかける者も数名いる。
そんな団員達の動揺を見て、すぐさまラシムが声を上げる。
「落ち着け! まだ、遠い。しっかり引き付けてから一斉砲撃しろ。ただし、気を抜くな! 一体でも逃したらそこが亀裂になる。奴らが間合いに入ったら、徹底的に畳みかけろ!」
威勢の良い彼の言葉を聞いて、団員も再度冷静さを取り戻す。迫りくる魔物に意識を集中させ、ただその時を待つ。
魔物が近づくに連れ、奴らの全貌が少しずつ鮮明になる。そのほとんどは直近で街に出現した蟲型の類と同系統のものであるが、中にはサイズ、形状ともにより凶悪さに磨きのかかったものまで幅広い。
猛烈な勢いで迫りくる魔物は、城壁との距離をさらに縮める。その間、アスターの皆々は一時も魔物から目を離すことなく、ただじっとその時を待ち構えていた。
そして、魔物が城壁の一歩手前へと差し迫った次の瞬間。ラシムが声を張り上げた。
「今だ!放てええええええっっっっ!!!!!」
気合いに満ちた彼の号令により、歩廊に設置された大砲と弩砲が一斉に撃ち放たれる。激しい轟音と爆風が巻き起こり、もはや何が起こっているのかも分からない。ただ、巻き起こる煙に紛れて、魔物の亡骸が四散する様子がちらほらと確認できる。効果はてき面のようだ。
しばらくして、第一陣の砲撃がすべて撃ち終わる。戦闘が始まり、最前線に立っていた個体とその後ろに続く数十体を撃破した。城壁前には魔物の残骸が地面に伏している。アルフィンの背後から、ラシムも覗き込んで確認する。
「向こうの勢力次第では、どこまでやれっか不明だったけど、これなら魔術師どもの手を借りるまでもねぇな」
「指令! つ、次がやってきます」
「ちっ、もう来たか。第二陣を配置、変わらず応戦しろい」
「了解!」
休む間もなく、魔物は地平線の彼方からどんどん押し寄せてくる。魔物の動向に合わせて、せわしなく動き回る団員の姿を見ていると、自分も何かしなくてはという思いが湧いてくる。
このまま、ただ後ろで眺めているだけなんて……でも、今の自分に何ができる? そんな葛藤に身をゆだねていると、遠くから一人の団員がこちらにやってきた。
「指令。中枢区への兵器の設置、無事に終わりました」
「うし、下がっていいぞ」
やってきた団員はそれだけ告げると軽く頭を下げ、来た道を戻って行ってしまった。その短いやり取りを、特に理由もなく見ていたアルフィン。報告を受けたラシムはそんな彼に強い眼差しを向けた。
「お前もついてこい」
「え?」
「言ったろ? たっぷり働いてもらうってな」
ラシムは軽く笑みを浮かべながら、そう口にした。
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