私を、居ないものにしないでください
間川 レイ
第1話
私はこの国が嫌いだ。愛国者という物が嫌いだ。何故かって。そんなのは簡単だ。どちらも言うことは立派な割に、いざと言う時助けてくれないからだ。救ってはくれないからだ。そしてその癖、愛情だとか忠誠だとかを求めてくるからだ。私が本当に苦しい時、何にもしてくれなかった癖に。地域愛だとか郷土愛だとか、父母への孝行だとか、求めることばっかり覚えて、与えることをしないからだ。
私は、典型的な「愛国者」の両親のもとに生まれた。国民の休日の日には国旗を掲げ、8月15日の正午には黙祷を行い、地域の集まりには必ず参加し、郷土を愛し、祖国を愛し、ニュースを見ては与党政治家には歓声を、野党政治家には罵声を浴びせるような、典型的な愛国者だった。
そんな両親は、外面ばかりは良くて。よそから見た私の家族は正に理想の家族だった。イケメンの父親と、年取っても美人な母親。いつだってみんなニコニコと穏やかに笑っていて。夏冬には海外旅行や国内旅行に行き、お正月には特注のおせちを食べる。父親はその名をあげれば誰もが知っているような大企業の部長で。母親も知らない人がいないぐらい大きな生命保険会社の保険レディ。私たち姉妹は塾にだって行けて、好きな習い事ができて。そんな素晴らしい家族。
実態はまるで違うけれど。お茶にお琴。スイミングにテニス。中学受験用の塾に家庭教師、英会話教室。好きで始めた習い事なんて何一つ無かった。私がやりたい習い事はすぐに辞めさせるか、そもそも入らせてすらくれない癖に、いやいや入らされた習い事は成績が悪ければ冗談みたいな勢いで殴られた。いやらしいことにあざが残らないような、あざが目立たないような場所ばかり狙って。
でも殴られた時には息が詰まってえずくような場所。痛みのあまり涙がポロポロあふれても、喉からは掠れた悲鳴しかあげられないないような場所。もしくは息が詰まって呼吸一つできなくなるような場所ばかり狙って。何度も何度も。ごめんなさい、ごめんなさいと何度謝っても。もうやめてよって叫んでも。やめてくれたことなんて一度もない。むしろ泣いたり叫んだりした時の方がたくさん殴られた。ご近所様に迷惑だろうがって。虐待してると思われるだろって。間違っても反抗的な態度をとっていると思われてはいけない。何だその目はと余分に殴られるか、あんたが悪いからでしょと食事を目の前でシンクに捨てられることになるから。
だから、殴られてる時にはせめて痛みを感じないで済むように、意識に膜をおろして。それこそシャッターをガラガラ閉めるように。意識を虚空に飛ばして。殴られるがまま、髪の毛を掴んで壁に打ち付けられるがまま、と言うのも不正解。真面目に話を聞いていないと見なされて、もっと痛い目にあう。もしくはそのまま家を追い出される。それがシャワーを浴びたばかりであろうとも。外が真っ暗で雨が降っていようとお構いなしに。
正直、私はあの家が大嫌いだった。学校に行く時は幸せるんるんだったけれど、家に帰る時間が近づくと憂鬱だった。いつだって家に帰るのは億劫だった。色んな理由をつけて殴られるのは決まりきっていたから。その背景には、営業成績の上がらない苛立ちや、社内政治での鬱憤とかもあったのかも知らないけれど。酔っ払った時とかよくぼやいていたから。でもそんなの知ったことじゃない。私はあの家に帰りたくなかった。
私は、学校の先生やスクールカウンセラーに相談したこともある。あの家に帰りたくありません。助けて下さい。毎日殴られてつらいです。このままじゃいつか殺されます。死にたくありません、助けて下さい。
誰も彼もが真面目に取り合わなかった。大袈裟に言ってるだけ、気を引きたいだけ。あるいはひどい時には虚言癖を疑われた。あの人たちがそんな事するとは思えないけど。大袈裟に言ってるだけじゃないの?嘘はダメだよ。あの人達なりに貴女のことを大事に思っているはずだよ。子供を愛さない親なんていないんだよ。しまいにはそんな相談をしている事が両親にばれて。馬鹿みたいな勢いで殴られた。
だから、私は中学に上がって、ある程度行動に自由が認められるようになってから。全然家に寄り付かなくなった。夜遅くまで繁華街を遊び歩き、友達の家に入り浸った。補導されたことも一度や二度ではない。お巡りさんに、あんまり親御さんを心配させるなと何度言われたか。私を大事に思うなら、親を呼ばないでくださいと何度願ったことか。まあ、そんな思い届くはずもなくボコボコに殴られるわけだけど。この不良が、家名に泥を塗りやがってと。本家を含めれば400年の歴史。そんなものの為に私は毎晩殴られていた。
そんな風に遊び歩いていた頃、私は友達だと思っていた男子に乱暴されたことがある。無理矢理押し倒されて、キスをされて。服を捲り上げられ胸を弄られ。私に覆い被さって。そのあとの事なんて思い出したくもない。何度もやめてって言って。爪を立てて。その度に殴られて。殺すぞって言われて。その目はどう見ても本気で。振り払おうにも、どう足掻いても振り払えなくて。ただ私をそう言う対象としてしか見ていない目。いつだって死にたくてたまらなかったのに、本当にこんなところで死ぬかもしれないと思ったら、怖くて。怖くて堪らなくて。
そして私は諦めた。諦めてしまった。好きにしなよって投げ出して。舐められてもまれていじられて。貫かれて。身体の中を、ミチミチと無理矢理押し広げられていくあの激痛。諦めたはずなのに、必死に手足をバタバタ動かして。馬鹿みたいに涙を流して。うるさいと殴られて。あの痛みを忘れる事なんて一生ない。入らない所に無理矢理ものを入れられているような、内臓を直接こねくりまわされているような、皮膚がメリメリ音を立て、そのままひっくり返って裂けてしまうんじゃないかって言う異物感。彼が動くたびに激痛が走って。一生分痛いと言った気がする。その度に不快そうな顔をするのが怖くて。私は無理矢理唇を噛んで我慢した。口の中に広がった血の味は今でも良く覚えている。私は死ぬのが怖くてなすがままにされた。それが正しかったのかは今でもよくわからない。
誰にも言うなよなんて言われたし、言うつもりもなかったけれど。子供の浅知恵なんてすぐにバレる。母親の何なの、これ!と言う絶叫と、父親の見下したような目。私を病院に連れていく、沈黙ばかりが支配する車の中とか。忘れられない景色は多い。
結局私は病院で処置を受け、事なきを得たけれど。私はその時の婦警さんの言った言葉が今でも忘れられない。何でそんな事をしたの、と。その目は心底疑問に満ちていて。私がこんなのじゃなかったら、そんな目に合わなくて済んだんじゃないのかって目をしていて。
実際そうなのかもしれない。あの時もっと真剣に頑張っていれば、もっとまともな結末だったのかもしれない。まともな人生だったのかもしれない。でも私はそうはなれなかったから。世界なんて滅んでしまえと願うことしかできない。私を助けてくれなかったこの世界。私を大事にしなかったこの世界。no body nowhere じゃないけれど。味方なんてどこにもいなかったから。せいぜい苦しんでのたうち回って滅べばいい。
そう願ってしまう私自身が、どうしようもなく救い難い生き物なのは、私自身が一番よく知っている。
でも私は思ってしまうのだ。私がロクでもない生き物なのはよく知っているけれど。ここに居たと言うことは忘れないでくださいと。
私を、居ないものにしないでください 間川 レイ @tsuyomasu0418
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