最終話 百年のワルツ

契約から、百年。


その日の夜、黒い霧の森は風ひとつなく静かだった。


屋敷の分厚いカーテンに閉ざされたダンスホールには、古びたレコードが奏でるノイズ混じりのワルツが流れている。


ホールの隅のカウチの上には、二つの影が寄り添っていた。


かつてサクが拾い上げた漆黒の怪鳥ノクスは、その濡れた闇のような翼を大きく広げ、傍らで眠る小さな白きもの──ルミを、慈しむように覆い隠している。

ルミは、巨大な彼の懐に安心しきって潜り込み、真珠色の羽を膨らませて穏やかな寝息を立てていた。

最強の捕食者と守られるべき弱者。その二羽の姿は、まるでホールの中央で踊る主たちの生き写しのようだった。


シャンデリアの鈍い光を浴びて、コルヴァンとサクは静かに踊っていた。


サクのステップは、もはやあの頃のぎこちないものではない。

コルヴァンが引けば静かに寄り添い、回せば蝶のように舞う。サクはもう、足を踏むことなどあり得ない。


百年という時と、コルヴァンのおぞましい魔力が、サクを人間ではない美しく強靭な存在へと変えてしまっていた。

それでも彼女の本質──魂の愛らしさは、何ひとつ損なわれていない。

コルヴァンに腰を抱き寄せられ、その冷たく熱い巨躯に包み込まれるたび、彼女の頬は、初めてダンスを踊ったあの夜のようにほんのりと朱に染まる。


「…主よ。百年前の夜を覚えておいでですかな」


コルヴァンが甘く囁く。吐息が鼓膜を震わせる。


「あなたが、わたくしの足を踏みつけ続けた……あの忌々しい夜を」


「覚えています。……コルヴァンさんが、少し怖かった夜です」


サクは微笑みながらも、至近距離から注がれる熱い視線に、思わず長い睫毛を伏せた。


身体の芯が、歓喜に震える。

百年経っても、彼に触れられる喜びには慣れることがない。

彼女は必死に胸の昂りを隠そうとするが、コルヴァンは全てを見透かしていた。


「ほう。……今は、どうでしょう?」


コルヴァンは、彼女の腰をさらに強く引き寄せた。

ドレスと燕尾服が擦れ合い、二人の身体の間に紙一枚の隙間もなくなる。


「恐ろしいですか? ……わたくしが」


彼の燃えるような金色の瞳が、サクの全てを射抜く。

それは彼女を主として敬う家臣の目ではない。己が手ずから育て上げ、百年という時をかけて自分色に染め上げた、唯一無二の宝物。

その隅々までを味わい尽くし、骨の髄まで愛でようとする、絶対的な捕食者の瞳だった。


「怖くないです」


サクは逃げない。彼女は震える声を抑え込み、精一杯の強がりと、溢れんばかりの愛を込めて、彼に告げた。


「だって」


サクは、その細い腕を、そっと彼の首に回す。


「あなたは、わたしのものですから」


どこまでも愛に満ちた声だった。コルヴァンの唇が恍惚とした、独占欲に満ちた笑みを形作った。


「…ええ。その通りです」


彼は、サクの唇を塞ぐように口づけた。


「わたくしは永遠に、あなたのものです……我が主よ」


レコードの曲が途切れ、しかしまた円盤が回り始める。

再び流れる曲に合わせ、その主従は踊り続けた。永遠に、終わることのない円舞曲を。



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主のいぬ間に ジンガガイ @jingagai

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