ママの地下室からの手記
低泉ナギ
Ep.1
ママの地下室からの手記
「私は死産児である—生きた父から生まれたのではなく、ある思想によって宿されたに過ぎない」
2017年 1月25日
ハイ、私だよ。
最後に書いてからしばらく経ったよね。
放っておいてごめんなさい。
また日記をつけ始めることにしたんだ。
あなたが仕事を辞めたって聞いた。私も高校を卒業しなかったけど、これは私にとって最後の課題だったから、ちゃんと終わらせたいの。
もう18歳になった。
背は伸びなかったし、まだ中学生みたいだけど、ホテルで雇ってもらえた。英語を褒められたの。
英語はまだ勉強してるよ。
英語以外にもたくさん勉強してる。
お金が貯まったら、日本を離れてみる。
もっとたくさんの人に会って、もっと多くのことを学ばなきゃ。
頑張るから、見守ってね。
10月15日 カナダ
あの暗い部屋の夢を見た。 彼らのところに戻っていて、何もかもモノクロだった。
彼らの顔を見た途端に、私はぜんぶ諦めた。
静かで、空気が薄かった。
彼らの私を見る目、ねっとりとしたサディズムと暗い嫉妬でいっぱいだった。
ケンに動くなって言われてたから、動けなかった。
彼がたまに私を使ってたこと、エラさんは知らなかったけどいつも疑っていた。
ケンは私の一番の親友だったはずなのに。
私のせいだ。
泣きながら目を覚ました。
ジュワンに聞こえたかも。
頬の熱はすぐに消えたけど、しばらくの間、すすり泣きが止まらなかった。
彼らからの誕生日プレゼントだと思った。
彼らは、私を決して許さないし、忘れさせてもくれない。
12月14日
ベッドに横になったまま、眠れない。
思い出。
思い出が自分を作るんだって。
でも、その思い出が変わり続けていたら?
過去について話すたびに、作り話を始めている。
ほんとに起きたことに向き合わないように、自分により良い物語を語り聞かせていたら?
話の筋を毎回少しずつ変えていたら?
やがて真実は消えていく。
私の頭の中には、ファンタジーだけが残る。
「彼は預言者であり、売人だ。一部は真実で、一部はフィクション。歩く矛盾だ」ってベッツィーは言った。
ウォーキング・コントラディクション。
私もそうなってしまうのかな?
私の物語は、私を他の誰かに変え続けているのかしら?
誰かのフリはいやだけど、拒絶されるのはもっといやだ。
好きな人たちには彼女を見せるわけにはいかない。彼女を隠して、安全に守ってあげないと。
私はみんなみたいに、ただ馴染みたいだけ。
そして、役立たずのこの身体を差し出すことはたった一つの方法。
嘘を教えて。
私たちはみんな嘘つきで、それが本当なんだって。
ぜんぶうまくいくって教えて。
12月14日 午前2:50。私の名前はアレックス。
自分がどこにいるのか分からない。
11月 日本
社長に、本当に英語が話せるのかって聞かれた。「本当に?」と二度も尋ねられた。
本当に?もちろん。私のたった一つの取り柄なんだから。
彼についての簡単なエッセイを書くようにって頼まれた。彼の懐疑心にはちょっとむっとしたから、断りたかった。けど、そうしたら彼は私がただの気取り屋さんで、嘘つきだと思うよね。
誰にもそんな風に思われたくない。
だって、私はそれしかできないから。
証明するしかないんだ。
11月
最近、成田社長は私にとても親切にしてくれる。
いつもランチの時間になるとやって来て、私に話しかけてくれる。
彼は60歳なんだけど、私がバンクーバーやシドニーでの生活について話すと、まるで少年みたいに興奮するの。
私のことを、とても親切で、かわいいと言った。
私たちはもう良い友達だと言ってくれた。
彼の変な口ひげを触らせてくれた。思ったより少し硬かった。
11月
成田さんがイタリアンに連れて行ってくれた。
良い食べ物の味なんて分からないし、高すぎると言ったけど、彼がどうしてもと譲らなかった。
美味しかったと思う。スープは甘くて、サーモンは柔らかかった。
でもイカ墨ソースのパンは本当に気に入った。
夕食後に、彼の家に寄らないかと誘われた。
彼が作ったシアタールームを私に見せたいと言った。
ちょっと考えたけど、でも、彼はとてもおじいさんだし、私たちのためにシアタールームを作っただなんて、それがとてもかわいらしく思えたので、行くことにした。
でも、シアタールームを見ることはなかった。
私が彼をがっかりさせたから。
彼は不機嫌に見えた。たぶん、怒っていたのかもしれない。
彼の車は、職員室のような、でみ、どこかくぐもったみたいな、そんな匂いがした。
1月に資格を取ったら、ちゃんとした仕事を紹介できると言ってくれた。
私のことを他にもたくさん尋ねてきたけど、居心地が悪くなってきて、気分がよくないですって伝えた。
でも彼は車を止めなかったから、家に帰りたいって伝え続けなければならなかった。
彼は助手席に座っていた私の頭を掴むと、膝の上に寝かせようとした。
事故になるからやめてと懇願した。
やっと彼は私を家まで送ってくれたけど、帰る道中は一言も話さなかった。
降りて謝ったら、彼は、怒ってはいないよ、心配しているんだって言った。
「誰かにあんなことをされそうになったら、本気で拒否しなきゃだめ。世の中には本当に危ない男がいるんだから」
地面に吸い込まれてしまうような気がした。
「あんまり心配させないでね、アレックスちゃん」
12月26日
彼を信じたかった。
どうして私はこんなにバカなんだろう。
彼をもっと知ることができて、私という人間や私のスキルに興味を持ってくれて嬉しかった。
信じられると思ったのに。
嘘つき。みんな同じだ。
日本になんて帰ってくるんじゃなかった。
ここを離れて、二度と戻りたくない。
2018年 3月22日
人との連絡を取り続けるのは苦手。
気にしてないわけじゃないけど、ただ親切でそれが礼儀だからとか、退屈で寂しいからっていう理由で、そんなことでメッセージを送り合うなんて無意味に思える。
7月6日
これは私の人生で最も愚かな決断かもしれない。
みんなが行かないでと言った。
私も自分に行っちゃだめだと言い聞かせた。
ケンのことで今でも悪夢を見るのに。
でも、ぜったいに見捨てないって約束したんだ。
彼は借金まみれだけど、エラさんと結婚したいんだって。 私がそばにいればなんだってできるって、彼は言った。
彼には私が必要なんだ。
私は、親友のためにすべてを投げ打って駆けつけるような、そんな自分が好き。
だけど今彼を助けに行かなかったら、もう自分のことを好きでいられなくなる。
7月8日
これから7年間の、私の人生計画!
1. 1ヶ月で免許を取る。
2. 年内に、できれば誕生日の前にはニュージーランドへ行く。
3. 2年後にはイギリスへ行く。(ヨーロッパ中を車で旅するんだ)
4. カナダのバンクーバー...かアメリカの学校へ行って、勉強して、ちゃんとした仕事に就く。
5. 自分の人生を整理する。
6. 28歳までにはカナダの市民権を取る。
7. グリーンカードを申請する。
8. 自分の家を持つ。
9. 自分のビジネスとかを始める。
10. ママ、ジーナ、それからケンに、彼らがほしいものぜんぶを与えられるようにする。
11. みんなを幸せにしたら、できるだけ早く死ぬ。
故郷から遠く離れた場所に行って、一人で死ぬ。
7月10日
たまに、物事を本当にわかる人に出会う。
職場で会った野村さんという年配の女性は、そんな人だった。
彼女が好きだった。最初から友好的で、よくランチに連れて行ってくれて、何だって話してくれた。 というか、話すのをやめなかった。
私にかわいいって言い続けて、一度だって私に何かを要求してこなかった。
「彼女が好きだった」なんて、文の終わりに書くべきだった。また女の子の考え方になってる。
とにかく、彼女について面白かったのは、かつてジャズバンドのピアニストだったこと。自分の曲も書いていたんだって。
「大したことじゃないわ。何かを書き上げたことはないの。たくさん書いたけど、みんな同じ曲。メロディーが違うだけなのよ」と彼女は言った。
彼女が話していた音楽理論?については何もわかないけど、彼女の書きかけの曲は、ファミリーレストランの隅っこにいた私たちみたいに、幸せな音がしたんだろうな。
お互いを好きでいられるうちに、彼女のもとを離れて良かった。
書きかけの曲、私もそうでありたい。
7月14日
すべてうまくいくような気がする。
これはただホルモンバランスが言っているだけ、私じゃない。
9月26日
ケンとエラへ。
ごめんなさい。ぜんぶごめんなさい。
私はここにいたらいけない。
髪を伸ばした。言われたこと思い出せなかった。言われた通りぶかぶかの服を着なかった。笑い方も、変なクセも直せなかった。うまく歌ったり踊ったりもできなかった。ルイを散歩につれていくのを忘れてた。
でもね、知っていてほしいんだ。
私は、あなたたちの望む友達になろうと本当に努力したの。
言われたことをする子、失敗しない子、良い子に。
私がこうして去ることを許してくれないのは分かってる。 お金の問題じゃないのも分かってるけど、ポストの中、封筒に25万円が入っている—それが私の持ってたぜんぶ。あなたたちのもの。
私はもうあなたたちを助けられない。
もう助けない。
きっと、あなたの言う通り。
私はただのチビの娼婦なのかもしれない。
たぶん私は変わってしまったのかもしれないし、もしかしたら生まれつきこうなのかもしれない。
ごめんなさい、自己憐憫はもう十分だよね。
ちょっとかわいそうって思ってほしかったのかな。
でも、もうどうでもいい。 これで終わり。
すべては終わる。
お互いを、物語の一部にしましょう。
さようなら。
9月27日
「2018年9月27日。」
この夜を覚えていよう。
ずっと大切にしていたものを手放した夜。
あんまり強く握りしめていたから、手が切れてしまっていた。
でも、手放してようやく気づいた。
掴めるところなんて、ほとんど残っていなかったんだ。
10月10日
この出来事のすべてがテレビ番組みたい。
遠くからすべてが崩れ落ちるのを見てる。
でも、それを見て私は何もしないの—だって、どうせ何もできない。
ただ起こるに任せるだけ。
何も感じない。怒りも、不安も、痛みも。
自分がどこに行きたいかは知ってる、何が起こってもそこにたどり着くだけ。
それだけのこと。
まるでエンディングとオープニングから書き始めたみたい。その間にあるものなんてぜんぶ、ただの穴埋めで、意味なんてない。
だって、どこに行くのかばかりこだわっていると、旅する意味もわからなくなってしまう。
いつもどこか別の場所にいて、今にはいない。
あなたの美しいファンタジーは、あなたの人間性を根底から否定する。
あなたの人生は物語ではなく、ただのアイデアになってしまう。
11月24日
良い子になろうとしたの。本当に。
でも、私がもし本当に良い子だったら、ルールなんていらなかったよね?
2019年 1月
誰もが裏切る。例外は無い。
2月25日
自分を変えようとする人たちと一緒にいるくらいなら、一人でも自由でいた方がましだ。
9月1日
自分の言葉以上の私にならないと。
言葉から自由になるんだ。
10月1日
絶対的に自由になるためには、絶対的に支配するべきなんて皮肉かな?
ママの地下室からの手記 低泉ナギ @Eastern_wind
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ママの地下室からの手記の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます