アルゴリズムオブアイ

かわせみ

00__echo "boot sequence: shion"

――紫音しおん殿

貴殿を、当組織の上席・えんの部下として現地に配属する。


筋トレを終え、風呂から上がったばかりの身体に、瓶の冷たい牛乳が心地よく沁み渡る。紫音はごくりと喉を鳴らし、空になった瓶を軽く振ってから、任命書に目を落とした。

短くゆるく波打つ焦げ茶の髪が、まだ少し水気を帯びて首筋に貼りついている。手ぐしでかき上げた耳元には、小さなピアスがひとつずつ光を受けて揺れていた。


「うしっ」


口元をラフに拭い、立ち上がると、そのまま出発に向けた荷造りを始める。


(明日から、俺も“情報屋”の端くれか…)


そう思うと、自然と口元がゆるんだ。お気に入りのヴィンテージシャツに、履き慣れたスニーカー。迷いなく、紫音はボストンバッグに私物を詰めていく。


(燕さんって、どんな人なんだろう。…やっぱり、スパイ映画とかに出てくる黒づくめの諜報員って感じ?)

(……いや、映画の見すぎかな)


紫音はこの一年、国家安全を守るべく設立された情報収集機関――通称“ふくろう”の養成所で、訓練を積んできた。その“梟”の中枢に君臨する数少ない上席――そのひとりが、燕である。武術、剣術、洞察、知識。すべてにおいて抜きん出た人物だと、同期のあいだでは伝説のように語られていた。

一週間前に配属命令を受けたときには、誰もが羨望のまなざしを向けてきた。

《数十年に一度の抜擢だ》――そう言って、悔しがりながらも背中を押してくれた同期の顔を思い出す。


(…ま、俺、こう見えて成績優秀だからな♪)


肩の力を抜くように、紫音は小さく笑った。

養成所の中で、最も早く“外”に出るのは、自分だ。不安はなかった。むしろ胸が高鳴っていた。この先に、どんな世界が待っているのか――それを想像するだけで、心が躍る。

もちろん、自分の力量を過信しているつもりはない。この小さな養成所のなかでの評価が一番だった、というだけの話だ。だからこそもっともっと優秀な人の下で学びたいのだ。


(…手土産とか、あった方がいいかな)


荷造りの手を止め、ふと思いつく。

そんな些細なことさえも、どこか楽しい。


こうして――

新生活に心を弾ませる“情報屋の卵”の夜は、静かに、そして確かに更けていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

隔日 22:00 予定は変更される可能性があります

アルゴリズムオブアイ かわせみ @queen_ksm

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ