第20話 月を飼う少女 4

 眠りから目覚めた僕は、体の気怠さを痛いほど感じ取った。寧ろ、気怠さと言い表すのも間違いなほど、体が痛かった。

 戦いのせいか、それともルナベルの情熱的な誘いのせいか。僕は幸福的な疲労感を溜息で流し出してからベッドを出た。

 窓の外には太陽が今にも沈みそうなくらいで、これが僕ら月飼いムーンキーパーにとっての朝焼けである。 

 もうすぐ新月がやってくる。あの闇夜は嫌いだ。


「あれ……鵲君もう起きてた?」

「……桜ノ宮さん。うん」


 あっちの名前で呼ばれると、あの情熱的な誘いがとてつもなく恥ずかしく感じる。それを彼女が自覚するまで少し掛かり、その裸体を柔らかいシーツで隠すまで、同じだけの時間を要した。


「わ、私……なんてことを……」

「……なんかまるで酔っ払って一時の過ちを犯したみたいな気分だ」

「で、でも、ルナベルとソルってそういう……恋人関係でもあるでしょ? わ、私達は間違ってない。うん、間違ってない」


 僕は気を利かせて彼女に背を向ける。しかし、彼女はそんな僕を背後から抱き締め、僕の背中には柔らかいモノが二つ当たり続けた。

 僕のみぞおちあたりで組まれた彼女の腕。それをそっと解くまではかなりの時間を要した。何故なら、僕が感じる――ソルが感じるこの幸福感が、僕自身のものであるか、ソルのものかはっきりと分からなかったからだ。


「さ、桜ノ宮さん、そろそろ……」

「うん、ごめん……」


 そっと離れた温もりに寂しさを感じながら、僕は部屋を出た。

 平常心を意識しつつ、身支度を済ませ二人で朝食を済ませると今日も魔物討伐に向かう。


「ルナベル。今日は突っ走らないでね」

「わかってる。昨日の反省をできてこそ、あなたのパートナーだもの」


 門を出て街の外壁の外へ出る。

 何時になく昏い。薄明かりの中で、僕らは武器を手にし魔物の真ん中へ飛び込む。


「ねえ、昨日より穏やかじゃない?」

「そうだね。まるで新月の日のようだ」


 新月の日。それは僕ら月飼いムーンキーパーだけでなく、月をエネルギー源とする魔物達も同じように活動を落ち着かせる。

 その違和感。昨日の半月との対比。僕らの調子もそうだが、僕とルナベルは顔を向き合わせてから、その答え合わせをしようとした。


「もしかして……物語の時間が進んだ?」

「そうかも。一気に新月の日の話になったのかも」

「だとしたら、僕が起きた時の体の怠さは、もしかしたら新月による魔力の不足気味のサインだった?」


 僕の言葉に、彼女はコクリと頷く。


「私も、気怠さがあったけど、それはあの……」


 その言葉に続きがなかった。切り取られた言葉の続きを、僕はなんとなく察することができた。

 桜ノ宮栞として発言したくない言葉なのだろう。僕はそれが可笑しくて笑ってしまった。


「ふふっ」

「何よ」

「いや、恥じらいは忘れてないんだって」

「当たり前でしょ!」


 正直、僕らの認識は情熱的な夜のようなものを体験した記憶はあるが、実際それをした記憶はない。

 だから僕はそれを、酔っ払って行った過ちと表現した。


「なら……帰るか」

「そうね。力が制限されてる状態で戦い続けるのはマズいし」


 僕らは武器をしまいさっさと帰ることにした。

 太陽の欠片の明かりの中、僕とルナベルは酒場に向かう。


「あれ? ソルとルナベル、もしかして外に行ってた?」

「ああ。新月なの忘れてた」


 酒場の店主であるナビアにそう言うと、彼女は僕に冷えた水を渡した。


「あんまりアンタと喋ってると、ルナベルに殺されるからな。まったく、愛されてんね」

「あはは……そうなのかな」


 乾いた笑いはルナベルに聞こえていたらしく、僕は喉元をかぷりと噛まれた。

 それを見たナビアはケタケタと笑い、それでもルナベルは僕の喉元に歯を当て続けた。


「ホント、変わった愛情表現だ」

「笑うなよ!」


 ナビアは両手を上げて「ひゃー」と言いながら退散した。


「私達はご飯を食べに来ただけなのに、なんで笑いものにされなきゃいけないのよ」

「君の行動のせいだろう」

「なんで? 喉噛んだらソル、喜んでくれたじゃない」

「それは……違う喜びというか」


 僕は噛まれた箇所を手で擦ると、歯型がはっきりと指先から伝わり、失笑を浮かべた。

 料理が運ばれてくると、それをルナベルは嫌いなピーマンだけを僕の皿に移し、肉だけを全て平らげた。


「僕はベジタリアンってわけじゃないんだが」

「私だって肉しか食べないわけじゃない。ちゃんと穀物も食べてる」

「そうだけど、そうじゃなくてだな……」

「タンパク質が欲しいの? なら、私の髪でも食べる?」

「美味いのか?」

「さあ……ドレッシング掛けたら?」


 恐ろしい。愛とはこうまで人を変えてしまうのだろうか。喉に噛み付いたり、髪を食べさせようとしたり、僕は震えが止まらなかった。しかしルナベルは、愛情表現だけは素直でまるで幼子のような顔を見せたり、普段の様子からは想像がつかない姿を見せてくれる。

 それが情熱的な誘いを担うこともあるし、結局、それに絆される僕も僕である。

 突然ふと、我に返る。鵲春一として、ルナベルが桜ノ宮栞だったことを思い出すと、僕はまるで燃え盛る火炎のように顔を真っ赤にした。


「どうしたの?」

「い、いや……なんか……変に想像しちゃって」

「……ふーん。いやらしい。あー、いやらしい。こんな公衆の面前でもそんな想像をするんだ。じゃあ早く帰って私の体を味わわないとね」

「そ、そうじゃなくてだな!」


 僕の声が酒場に響くと、一瞬の静寂が支配を広げ、そしてそこから堰を切ったように笑いが起こる。


「また痴話喧嘩かよ!」

「早く結婚しろよ!」


 そんな野太い声が聞こえた後、ルナベルは僕の胸倉を掴むと「喧嘩じゃないよね?」と感情のない瞳を浮かべて言う。

 喧嘩をするイコール自分と仲違いをする、という極論を彼女は持ち合わせている。なので、喧嘩を極端に嫌う。大好きな僕が、自分と仲違いすることを拒み、そして恐れている証拠である。


「喧嘩じゃない! 喧嘩じゃないから離してくれ!」

「……わかった」


 僕は一息吐いて落ち着くと、コップの水を一気に飲み干し、テーブルに金貨を置き、ナビアに挨拶をしてからルナベルを引っ張って店を出た。

 帰り道、噴水広場に立ち寄るとルナベルは蒸し暑い夜を誤魔化すように、水を掬い顔を洗った。


「はぁ……気持ちいい」

「お、いいな。僕も顔を洗おう」

「掛けてあげる」


 ほんの些細な魔法であった。水の塊を作り出し、それを僕にぶつける。

 だが、それを見た人間は、悲鳴を上げた。


「ま、魔法よ! 月飼いムーンキーパーよ!」


 羽振りが良さそうな婦人がらしくない悲鳴をあげると、周りの視線が一気に僕らに集まった。

 そう、月飼いムーンキーパーは人間の中でよく思われていない。もちろんすべての人間というわけではないが、こうして僕らを異物とする人間は少なからず存在する。

 僕はルナベルを守りながら、そんな視線に背中を向けて家へと向かった。


「ソル……顔怖いよ」

「そうか?」

「ごめん、あんな所で魔法を使っちゃったから」

「別に……気にするなって」


 僕の両親も月飼いムーンキーパーだった。そんな両親は魔物にやられて死んだわけではなく、人間に殺された。

 一昔前にあった人間と月飼いムーンキーパーの争い。昼間に奇襲をかけてきた人間に両親は殺され、僕はそんな両親が必死に守った集落唯一の生き残りだった。

 僕はまだ八歳だったが、一人で世界を彷徨うことになった。そんな最中に出会ったのがルナベルだった。

 彼女は移動中の馬車を襲われ、同じく大人に守られた唯一の生き残りだった。

 寂しい者同士で寄り添って僕らはこの街にたどり着いた。

 まだ人間と月飼いムーンキーパーとの軋轢が少ない街。それでも、少しずつ人間の目は嫌悪に染まっていく。さっきの婦人のように。

 夜であれば彼女らを殺すことは容易い。だが僕はそんなことはしない。特にルナベルの前であるということが、何よりもそれをさせない条件である。

 それは――彼女がだからである。

 

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