第21話 月を飼う少女 5

 僕が遭遇した馬車は王族を乗せた馬車で、人間側の強硬派が襲い掛かる口実には十分だった。

 事件のショックでルナベルはそれを覚えていない。僕は、それを隠しながら彼女のそばにいる。それはお姫様を守る騎士気取りと言われればそれまでだが、僕はそんなつもりではない。純粋に、彼女のそばにいたいと思ったからで、そこに何の算段もない。

 家に入ると彼女はシャワーを浴びに向かい、僕はリビングのソファーに座った。

 武器の手入れをしていると、後ろから物音がした。


「ルナベル?」


 浴室からは返事がない。

 僕は気になりゆっくりと浴室前の脱衣場の扉を開けた。


「おーい、ルナベル」


 そこには見知らぬ女性。短刀を握ったままの彼女は僕の顔を見た瞬間、何かに怯えた。

 僕の後ろに誰かがいる。その気配を感じた瞬間、僕は咄嗟にしゃがみ込んだ。

 金属が擦れる音と似た音が耳を掠め、そして見知らぬ女性は鮮血を吹き出し、その場に倒れた。


「ルナベル……」

「危なかった……咄嗟に魔法を使っちゃったから疲れた」

「いや、良い判断だと思う。それより、ちゃんと服を着よう。体が冷えるぞ」

「うん」


 タオルを巻いた体を僕にさらけ出し、脱衣場に持って行っていた替えの下着を着け、寝間着のゆったりとしたワンピースを着ると、ルナベルはその場に倒れている女の顔を見た。

 女はまだ僅かに意識があるようで、ルナベルは僕を見遣る。

 僕は溜息を吐いた後、治癒魔法を女に掛けた。


「な、なぜ……」

「彼女が助けろと言ったからだ」

「命を狙った相手を、か?」


 僕はルナベルを見つめた。しかし、彼女は女に興味がなさそうにリビングに向かいソファーに腰掛けて足を組み、更に腕も組んだ。

 その高貴な仕草は、染み付いた王族としてのものだろうか。そんなことは血に刻まれた遺伝子の記憶にないはずだが。


「私を狙う理由は?」


 その冷え切った言葉が女に届く。


「……あなたが月飼いムーンキーパーのお姫様だからよ」

「お姫様? 私が?」

「まさか……覚えていない?」


 僕はその瞬間頭を抱えた。そしてその悩みはもちろん、僕に飛び火する。

 広がる炎に込められた感情が、何かは理解できる。しかし、僕の後ろめたさがその炎をどうにか躱し、逃げ果せないか思案する時間を求める。

 そんな時間はない。僕は彼女にこれから裁かれる運命なのだ。その業火に焼かれ、彼女の隣という地位を失う。そこまで予見できた所で、僕は口を開く。


「その女の言う通りだ。ルナベル。君は、かつての月飼い王キングオブムーンの娘だ」

「嘘……私はソルの……」

「幼馴染。心神喪失していた君にそう伝えた。君はそうでないと、ご両親の後を追おうとしたからね」

「そんな……」


 絶句したルナベルは、さっきまでの余裕が表す姿勢をとうの前に崩していた。

 スッと真っ直ぐ立ち上がっていた彼女は、視線を乱暴に泳がせ、そして最後に僕を見た。


「女。あなたは人間の組織の者なの?」

「ええ。新月の夜なら仕留められると思ったんだけど」

「寝首をかくって発想はなかったの?」

「それもあったけど、何があるかわからないじゃない。寝たふりをされるかもしれないし」


 女はそう言うと、僕は二人の間で揺らいでいた。恐らく、真実を告げられたルナベルよりも僕が動揺していた。視線は右往左往、縦横無尽に暴れ、なにか良い言い訳を考えていた。呼吸が浅くなる。そのせいで脳に酸素が足りず、思考回路は詰まりに詰まった。

 時間が長く感じた。二人の会話がスロー再生のようにゆっくりと聞こえた。それくらい、僕は狼狽えてしまっていた。


「……ソル!」

「えっ?」


 恐らく何度も名を呼ばれていたのだろう。僕は驚いてルナベルを見ると、彼女は苛立った様子だった。

 僕の手が震えていることに気付くと、彼女は僕の手を握る為に近付いて来る。思わず身構えた僕を見て、彼女はハッとして俯いた。


「ごめん。嫌なわけじゃないんだ」

「嘘。嫌だから、身構えた。何されるかわからないから」

「違う!」

「あの、私はどうすればいいの? あんたらに殺されればいい?」


 女はそう言うと、短剣を指先で遊ばせていた。


「今なら殺せる、とか思わないの?」

「暗殺は専門外なんだ。それに、私は別に月飼いムーンキーパー嫌いじゃない。金を積まれて雇われただけ。だから、しくじったとなれば罰を受ける。なら、手を組まないか?」

「立場的に、手を組んでください、でしょう?」

「そうだね。では女王クイーン、手を組んでいただけませんでしょうか?」


 頭を垂れた彼女は床に短剣を置き、離れた場所へ弾き飛ばした。そして、視線は床に向けられたままだった。

 僕はルナベルを見遣る。しかし、彼女は僕と目を合わせようとせず、女の頭を掴む。


「なら、誓いを示しなさい」

「誓い……ですか?」

「私に有益なことを何か一つ差し出しなさい。今すぐでも、時間を置いてでもいい」

「はい。もちろんです。女王クイーン


 ルナベルは僕に一瞥もせずそのまま寝室へ向かった。まるで、僕はいない物のように扱われた。


「嫌われたね。あんた」

「あんたじゃない。ソルだ。あんたは?」

「あんたじゃない。メルだ」

「フッ……」

「ハッ……」


 互いの失笑がリビングに響く。


「ソルはずっと姫さんのそばに居たんだろ?」

「ああ。僕も孤児で、彼女も孤児だ。ただそれでいいと思っていた」

「じゃあ私が余計なことしちゃったか」

「そうだよ。数分前までは恋人だったけど、今じゃあその辺の石ころ以下だ」

「しかし、そこまで嫌うことあるのかね」

「そりゃ、目の前で両親殺されたんだ。人の形をしたものを信じ切れないようになっても仕方ないよ。ましてや、信じてた奴が隠し事してたなら……な」


 僕はそう言うと、荷物をまとめた。

 その様子をメルがじっと見ていたが、最後まで何をするか尋ねなかった。


「こうなれば、僕は彼女にとって邪魔者だろうからね。一応、用があればここに来てくれ」

「下手くそな地図だな」

「読み書き習う前に孤児になったからな」

「絵も習う前だった、と?」

「ああ」


 僕は外に出て行き地図にあった街の外れの小屋に身を隠した。

 廃墟の更に廃墟の小屋。街の端っこで魔物に狙われやすい場所。だが月飼いムーンキーパーであれば丁度いい住処になる。

 僕はどこかで期待していた。ルナベルが僕を探してくれることを。初めての家出だ。どこかワクワクする気持ちと寂しさが胸を締め付けると、僕は麻袋を切り開いた掛け布団を被り湿った藁の上で目を閉じ、夜明けに眠りに就いた。


 翌日、僕は住処の手入れを始めた。夜のうちに出しておいた藁を取り込み、しっかり乾燥していることを確認すると、それを同じように洗って乾かしていた麻袋に詰め込み、いくつも並べてベッドと枕を作った。

 天候的にも切り開いた麻袋の掛け布団だけで十分だったので、これで寝床は完成だ。

 空を見上げると、よく晴れた空に星が浮かんでいた。月はまだ殆んど顔を見せず、ただ温い風が吹いた。

 ルナベルは大丈夫だろうか。メルと仲良くやっているだろうか。

 この街ではなく、かつての月飼いムーンキーパーの王都にでも行ったほうが、身の安全は守れそうだ。

 だが、王都は放棄された覚えがある。この町以外の月飼いムーンキーパーのことはたまに流れてきた同胞が教えてくれるくらいで、情報はない。

 心配だ。ならば、やはり彼女の元へ向かうか。いや、でも――独り立ちするいい機会かもしれない。彼女も、僕も。


「ソル!」

「……ルナベル?」

「昨日はゴメン。いきなりで色々パニックで……」

「……ううん。僕こそゴメン。ずっと黙ってた。いつかは話さないといけないと思ってたんだ。でも、思うだけで行動に移せなかった」


 僕は彼女の後ろの人影に目を移した。メルは地図を僕に見せ、自分は分からなかったと身振り手振りで僕に知らせた。


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